米つくり
皮肉なもんである。
南方系の植物である米を日本が中国からもたらされたのは弥生時代のように覚えさせられた。
その後日本の土地気候にあうように品種改善され次第に北へ高地へと範囲を広げてきた。
自分の先祖が住んでいた飛騨の笈破というところは標高が1,000mほどの高地だったので遅くまで米を作ることが出来なくて昭和に入ってからようやく少しばかり作れるようになった。
そんななか従兄弟が言っていたのは、戦時中に米の供出が少ないと言って役場から来た男が家探しをして米を調べた「あの男は赦せない!」と亡くなる少し前にいっていた。
実際自分も小学生のころ田んぼに入って田の草取りをやらされたが、食事は決まって稗(ヒエ)の入ったご飯だった。
稗飯は炊き立てはとても香ばしくて美味いのだが、一旦冷めるとポロポロになり噛んでも噛んでも口の中で米粒と共に踊っていて喉に通らなかった。
仕方ないので、味噌汁やお茶を含んで流し込むようにして食べたものだった。
そんな米だが、ここ数年の猛暑に耐えきれなくなって収穫味ともに落ちて来はじめた結果今度は暑さに耐える品種を作り出そうとしているそうだ世の中とはうまくいかないものだ・。
話しは変わるが、食糧難のあのころでさえ不味かったのは冷えた稗ご飯のほかに学校給食で出された脱脂粉乳があるのを思い出した。
脱脂粉乳が不味かったのは自分だけかと思っていたらほとんどの人がそうだったと知ったのはかなり遅くなって同級会だったが、そんなことは口に出して言えないような雰囲気があったのだろうか。
先日テレビで言っていたのは廃棄予定の脱脂粉乳を日系アメリカ人が子供の栄養にと苦労して日本に輸入したと言っていたが、アメリカで廃棄予定の脱脂粉乳を今のような設備のない船便で時間をかけて持って来ればとてもじゃないが、、、、、、、
それでも、「うまい」という声を聞いたような気がしたが、その人はなんでも食べられる味音痴だったのか本当に口になじんだのか世の中いろいろだな、、、、、、、、

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