油断大敵
”油断大敵”という言葉がある。
いつのころで来た言葉かと思ってみてみたら、仏教用語だというから驚いた。
なんでもある王様が家来に油をなみなみといれた器を少しでもこぼしたら首をはねるといったので家来は慎重に運んで無事に済んだそうで、、、、、、、
つまりその当時油はそれほど貴重なものだったそうだ。油が貴重なのは江戸時代になってもそのようだったようで、”油を売る”という言葉も油入れを済ませても細くした垂らせる油が途切れるまで時間をかけたことからという。
そのため、時代劇ではふんだんに明かりをともしているが、夜は暗いものであり明かりをつけても薄暗いので真っ白な顔料で化粧したそうだ。
そして、庶民は夜なべ仕事には松の根っこに火をつけてそれをあかりとしていたが、太平洋戦争時でも「油の一滴は血の一滴」という標語をもとに松の根の油で飛行機を飛ばすと子供心に覚えている。
そんな油がこれまで何度かオイルショックという名のもとに生活を脅かしてきたが、今回はまた特別なものがありそうで、アメリカがイランの発電所を攻撃すればその報復で中東全体が燃え上がってしまうかもしれない。
トランプも見栄を張らないでこの辺で解決策を模索しないと、油断大敵というブーメランが戻ってきそうだよ。。。。。
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コメント
岡崎在住さま
和佐保には池野という友達がいて、性格は自分とかなり違っていましたが馬が合うというのかよく遊びに行きました。
静岡に来てからも行くたびに会っていましたが数年前に名古屋に移転したのと自分も帰れなくなっていたのでそれっきりです
いまはその家に外国人が住んでいるとか、と聞くと、、、
奥さんはすぐ上の中田さんから来ていましたが「ガッシン(餓死)の墓があるからよう出れん」と言っていたのを思い出しています。
今年の年賀はがきには名古屋の人と遊んでいると書いてありましたので都会の人と馴染んできたのだなと安心しています。
そういえば今日のニュースでハイパーカミオカンデで事故が起きて数人けがをしたそうです
投稿: オラケタル | 2026年3月31日 (火) 21時22分
オラケタ様
オリが小さい頃の和佐保の界隈は、伊西や森茂の「里山」の雰囲気が広がっていて、オタマジャクシやカブトムシを獲りに行っておったさな✋ 養蚕場もあったそうな。南平第2購買部や第2浴場が「山本前停留所」の辺りにあったね。
今も和佐保には「私宅で居住」されているところが数軒ありますね。一昨年に同窓会で訪ねた「和佐保の神明神社」には、その神社近くの中田さんだったかに話をしておきました。(中田さんの親戚が同級生におったため)
建設中のHyper カミオカンデで往来が激しくなり、和佐保が栄えると良いけどもね。✌
投稿: 岡崎在住 | 2026年3月31日 (火) 07時43分
岡崎在住さま
登記簿がないということはあの辺り一帯が会社の土地だった可能性が大きいですね。
南平は山本巌夫さんや船渡さんあたりから下が私有地だったのかな?、、、、しかしその下に水上洞社宅があったので、、、、
とにかくいた時は気にもしていなかったことが気になりだしました。
投稿: オラケタル | 2026年3月29日 (日) 22時35分
オラケタ様
前平一帯の住所(番地)は「吉城郡神岡町大字和佐保1464番地」のみであって、「個別の番地」は存在しておらず、従い、「登記簿」はありませんでしたね。
前平の家は3軒程度が繋がっており、戦前や戦争中は「20人程度の坑夫さん」が暮らしておったんやぞと前平の母ちゃんから聞きました👂ねぇ~。
そうそう、前平タカの若田の父ちゃんの「新しい家」が出来たのは覚えております。あと、巣之内の父ちゃん宅と小桜のあんまの家が「新築」されたのを覚えておりますね!
投稿: 岡崎在住 | 2026年3月29日 (日) 15時16分
岡崎在住さま
前平の父ちゃんはそんな怪我をしましたか、53年の合理化で出ていますので知りませんでした。
最後の詰めが仇になったようですねお気の毒さまでした。
ところで前平の私宅はどんな条件で建てられていたものなか御存じでしょうか。
土地はどこのものだったのでしょう。
同級生の青山君の家は大留で自分ちの採掘場と飯場があって三井組に権利をゆづったとか言っていましたが、警察派出所の斜め向かいに遅くなって家を建てた若田さんは自分の土地だと言っていたように聞いています。
私宅がなかった大津山に比べて栃洞は、、、、
投稿: オラケタル | 2026年3月28日 (土) 17時35分
オラケタ様🎵
前平の父ちゃんは神岡鉱山を55歳定年する前に、愛知県刈谷市に建売りの家🏠(小林住宅)を購入しており、定年後の引越し先が決まっていました。
前平の父ちゃんは、昭和59年の63歳で刈谷に引っ越しました。引越し後に「何の仕事で使ってくれるかなぁ~」と、ニコニコ☺していたのを今でも時々思い出します。
しかしながら前平の父ちゃんは、引越し前の昭和58年の栃洞の祭りで怪我(神社の階段を踏み外して頸椎損傷)をしており、その後、とても就労する事が出来ない状態になってしまい「父ちゃんの就労の夢」は、はかなくも泡となって消えてしまいましたね~😰
血は争えないもので、小職は今年69歳で「アルバイト勤務」をやり出しましたが、週2回勤務でもあり、そこは考える事の多い職場であり、なかなか面白いもので「楽しい余生」になりそうで御座んすよ~😆
投稿: 岡崎在住 | 2026年3月27日 (金) 13時36分
岡崎在住さま
栃洞坑内工作にいた長〇袈裟〇さんは削岩機の修理に余念がなく、分解して軽油で洗い部品交換をしながら機械の動きかたを教えてくれました。
当時ボーリング屋は機械の故障すると故障部分だけを外し自分で修理することになっていましたので長〇さんの機械修理台を使わせてもらいながらアドバイスを受けたものです。
このおかげで、アンデス山中でのV6エンジンまで手を付けることができたのを覚えています。
あのころのことを思い出しながら、、、、
投稿: オラケタル | 2026年3月26日 (木) 22時09分
専用機の「予防保全」は、「給油作業」から始まっておりますね。自動車部品の機械的摺動部には数多くの「グリス」にて潤滑しておりますし、エンジンはオイルを無くしては焼き付いて成り立ちませんな!「油断大敵」で御座んすねぇ。
投稿: 岡崎在住 | 2026年3月25日 (水) 17時29分