ふるさとは
今回の周遊旅行(?)は春を満喫するたびでもあった。
長野県は桜と新緑の若葉、梓川沿いから上高地に向かう路線は登るにつれて新緑が減り北アルプスを含めた山頂部分には残雪がのこり、安房トンネルを抜けた標高1300mの平湯ではフキノトウが残節を追って芽吹きした様子で開いたものと蕾のものが道端に芽吹きをしていた。
同じ1,300m台の長野県と山梨県の国境より遅くなっていたのは雪のせいなのだろうけれど、なんだかこちらの方が寒いように感じてしまった。
そして、わずかに下った一重ケ根あたりからは桜の花が咲きだし、ふるさと神岡ではすでに葉桜の木さえありいつもの年よりは幾分早めにさくらがさきだしていた。
小学校そばの我が家の墓掃除、近くの木に鶯が来て歓迎のさえずりをしていたがまだおぼつかないような鳴き声は初々しい気さえする。
小一時間大洞水道で組んできた水でブラシ掛けすれば一年前に落としたはずの水垢が茶色くなっで流れ出る、しかし、中腰で および腰での作業は身体に堪え完全にはできなかった。
昼は打合せをしていなかったが道の駅にいくと他の兄弟夫婦も来ており時間を調整してお寺に向かい法事をとこどおりなく済ませてもらった。
幾年ふるさと来てみれば
咲く花 鳴く鳥 そよぐ風、、、、
最近いつも思うことはこの歌のとおり、故郷は自然はそのままでも見知った人もなく浦島太郎の気持ちと同じ状態になり、玉手箱がそこらに無いかと考えてしまう。
ふるさとは胸の奥にしか残っていないものになりつつある。
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