2021年8月 8日 (日)

稲の出穂

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揃う~た 揃うたよ 床突きゃ 揃うた

稲の出穂よりよう なお揃うた

 

田植えが遅い静岡地方でも田んぼの稲の穂に実が入り始めたようで少しうつむき加減になってきた。

 

むかし、神岡鉱山の鹿間精錬所にあった溶鉱炉の基盤を固めるため、床搗き棒を持った大勢の人がこの歌で音頭を取りながら搗いたそうだ。

自分は、鉱石採掘の方だったのでこの歌しか知らないが、ストライキの時の大きな焦点の一つに溶鉱炉を止めるという戦術があり、ここの人たちをストライキに入れると会社は溶鉱炉の内側のレンガが崩壊し再建するのに多大な費用をと生産停止があったため、非組合員のお偉いさんを総動員して運転を維持したものだった。

普段 机の前でふんぞり返っている管理職が汗水たらして溶鉱炉を保安運転っせていると思うと溜飲が下がったものだった。

あれからウン十年、労働組合の力も落ちてきて、”ストライキ”を行うような組合はほとんどなくなり、労使交渉の手段であることさえ知らない組合員が増えてきた。

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2020年4月23日 (木)

若葉の季節に

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目には青葉 山ほととぎす 初がつお

山はすっかり若葉の季節になって、新緑が眩しさを増している。

紅葉の若葉はいかにも柔らかく、ちっちゃな花を咲かせていた。

このころの若葉はほのかに甘い香りを漂わせているのは普段感じないものだが、鉱山にいたころはよく胸いっぱいに吸い込んでいた。

鉱山は通洞と言われる主要坑道を基準にしてプラスマイナス各レベルに水平坑道を切って作業していたが、切羽の先端は発破のガスが残り、粉塵が舞い空気が汚れていた。

その切羽からケージと呼ばれるエレベーターで通洞に上がると抗口から通気がかなりの勢いで流れ込んでくる。

その通気がこの時期になると香っているのは、この若葉のにおいである。

 

最近はこの香りを感じることもなくなり、これらの若葉を見るたびにもう一度嗅いでみたいものだと思うが歳をとった鼻が鈍くなったのか、、、、、、

あるものが見えないもどかしさはじれったいばかり。

 

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2020年1月26日 (日)

せっと節

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木立アロエの花が真っ赤に咲いている。

この花が咲くのは、茎の高さが50㎝くらいまで育たないと花をつけないそうで、暖かい土地でないと花が咲かないそうだ。

筒状の細長い管のような花は特殊な虫か鳥を相手にしているようでアロエの実は見たことがない。

万病に効くといわれ、一時はあちこち植えられていたが腹が痛くなったことのない自分は、傷をしたときややけどをしたときに葉っぱを折ったり削ったりして患部に張ったり塗ったりみた。

ヌルヌルはしていたが、そんなに薬効があったとは思えなかった。

そのためもあってか、我が家でもかなり整理したが、ほかでもあまり見なくなったような気がする。

 

昨年だと思うが神岡にも”せっと節”があることがユーチューブに載っていたことからわかった。

”せっと”とはむかし鏨岩機が導入されるまえまで、坑内で穴を掘る鏨(タガネ)をたたく金づちで、一般には石刀と書いているようだが、自分は石頭だと聞いていた。

自分が坑内に入った昭和30年代は水を使わない乾式の鑿岩機などもあったがすでに鑿を使うことはなかった。

しかし、竪坑を掘りあがるときは足場などを作るため岩にくぼみをつけようとチンコタガネを石頭で叩いたものだった。

このユーチューブにも鑿で掘る時代が済んだころから、せっと節を知る人もいなくなったと言っているが、自分も聞いたことはない。

同じ石刀節に足尾銅山のものなどがあるが、神岡のものは泥臭くて節回しも随分と違う。

#一寸くったけ あの娘のためだよ。という囃子を入れながら歌われていくが、一番気に入った歌詞は下の二節だった。

 

  発破かければ切羽が伸びる 

       伸びる切羽が金になる

われわれの時代でも能率給という名のもと坑道を伸ばせばお金になったのはこのころと同じだった。

  坑夫さんとは名は良いけれど 

       行けば山奥 小屋住まい

ハモニカ長屋の社宅は山の中腹にあり、このころは九尺二間のしとみ戸が窓だった。

 

余談ではあるが、民謡の飛騨やんさの最後に「負んだ子も抱いた子も おまえさんの子じゃないか 可愛がってやらんせ せっと せっと」というのがあるが、英語のSETではないことは確実にしても、石頭である可能性は      どうかな?

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2019年7月10日 (水)

ぽつんと一軒家?

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久しぶりに雲が切れ青空の多い一日になった先日来の長雨による湿気でカビが生えていたイグサの敷物を日に当て家の中を開けっ放して風を通すなど今日一日干せるものは全て外に出して除菌デー。

それにしても今日は暑くなった。気温も三十度越えとなり部屋の中にいても汗が止まらないような状態になった。

先月末から日照時間が全国的に少ないそうで米の生育に影響が出かねないと聞いているが、梅雨明け以後はこの暑さに耐えていけなければならないのかと思うとぞっとしてしまう。

 

写真だけを見ると、テレビの「ぽつんと一軒家」的な感じがする建物。

これが、お寺だと分かる人は地元の人くらいであろう。

お寺の名前は光円寺、昨日書いた二十五山の山頂に有った円空仏二十五体はここに移住しているそうだ。

この地は、江戸時代上部に大富という鉱山の飯場があったが、長雨で山抜けが起きそこに寝ていた坑夫すべてがこのあたりまで押流されて亡くなったのを弔うために建てられたと聞いた。

そのとき、唯一生き残ったのが、飯炊きをしていたおばあさんだったことから、贅沢三昧の坑夫が山の神の罰を受け、釜の底に残った米を食べていたおばあさんが難を免れた。という逸話が残されている。

そのむかし、と言ってもやっと三十年位前までは、このお寺を中心に写真の範囲内だけでも六軒長屋を含む鉱山社宅が二十棟はあり、百軒くらいの所帯があったのだ。

そしていま、このお寺の周辺を除いてすべてが元の原野に戻って面影はない。

 

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2019年7月 9日 (火)

昔話しのかなた

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木の間から見える荒れ果てた山、かってはこの上に1,219mのこんもりとした山が今見える右手の頂よりはるかに高く聳えていた。

山の名前は二十五山、名前の由来は雲を湧き起こし冷害を周囲に及ぼす悪鬼が住む山と恐れられていたが、旅の僧円空さんが二十五体の仏様を造って山頂に祭られ蛸とに由来する。

この山の中には膨大な鉛や亜鉛、金銀が眠っていたのだが、案外この金属が悪霊を呼び込んだのだったろうか。

平成になって、掘り尽くした?あと、空洞になった部分を埋めるため山頂を削った。

その結果、、円空さんの二十五菩薩はひなんしたものの、今では二等三角点はもとより二十五菩薩が祭られていた御堂、そして、自分たちが毎年担ぎ上げた四寸角の開校記念の標柱十五本もろとも地中に消えていった。

いまその景色を見るに往時を知るものはいたましさと哀れだけしか感じることがない。

何時の日か再びこの山が木に覆われて、昔話しのかなたに消えていくのは何時のことだろうか。

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2019年5月28日 (火)

宝の山

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はあ~ 会津磐梯山は 宝の山よ、、、って歌があるが、飛騨神岡の二十五山は文字通り宝の山であった。

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この山の中に埋蔵されていた、鉛、亜鉛 硫酸 金銀その他鉱物はかなり古い時代から採掘され、江戸時代はここで掘られる鉱物と林産物のおかげで幕府直轄領となり、明治に入って三井組が手を入れてから、石炭と共に三井鉱山の屋台骨を担ぎ、さらには、戦後の復旧時には硫酸から作る硫安で貢献したものだった。

永遠に続くかと思われた鉱山も、昭和五十三年大規模な合理化で人員整理をした際に自分は二十余年勤めた坑内職場に別れをつけ希望退職、、その四年後再び合理化で人々が山を去ってから寂れる一方となり、その後、すこしして坑内での採掘が終了した。

大量に掘り出した鉱山の空洞を埋めるため山頂を削って今では富士山の頂上みたいに平らになってしまった。

今回、従兄弟の葬儀の後、わが家の墓の掃除をかねて立ち寄ってみると、以前は採掘した土砂などでかなりはげていたし、夜になると星かと思えるほど赤々と電灯の光で輝いた社宅郡も無くなり、自然に帰ったようで濃い緑に包まれた”宝の山”を仰ぎ見ることが出来る。

常々、「自分が死んだら誰も来なくて良いからここの墓に入れてくれ、自分が働いた場所を眺めていたいので、、、」と頼んではいるが、さてどうなることやら、、、

というのは、わが家の墓の隣には無縁仏になったらしく長い間手入れされず、薄などで墓が持ち上げられ横倒しになっている。

我が家の墓もいずれそんな状態になる可能性がある。

本家の墓がすぐそばにあり、従兄弟に当たる主人は「自分とこで面倒を見るから、動かすではない、、、」と言ってくれているが、その人はいま九十二歳。

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同級生の青〇くんは東京で亡くなって神岡に親戚もないそうだが、我が家の墓から直線で3kmほど離れた東雲に墓を建てて入っていると聞く。

そこからも、二十五山が見えるそうで、、、、ふるさとの山がこいしいのは自分ばかりではなさそうだ。

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2018年5月17日 (木)

春の匂い

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ここ二~三日とても暑く感じられる日が続いている。

風薫る五月もそろそろ終わりになるのであろうか、吹き込む風に春の匂いを感じたことのある人はどのくらいいるだろうか。

自分が若いころ勤めた鉱山には1,200余mの山頂から、一番下の坑道まで約800mほどの高低差があり、その間いくつもの坑口があった。

そして、これだけ高低差があると気温の差のため夏は下の暖かい空気が上部の坑口に向けて吹き上がり、冬は冷たい上部の空気が下のほうに吹き降ろした。

春になって急に地表の空気が暖かくなると若葉の匂いを載せて吹き込んでくる空気を腹いっぱい吸い込むながら坑内から出てくるときの気分と言ったら、それこそ極楽気分になってしまうものである。

たぶん、今日みたいな日の午後三時仕事を終えて0m通洞坑口を歩いて出るときにこのかぐわしい風を感じているだろう。

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2018年1月12日 (金)

事なかれ事故

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昭和30年代の子供、屋根の上まで簡単にスキーで登れた

雪深い飛騨の山奥でも昔ほどは降らなくなったが、それでも自分が住んでいた四十年ほど前は3mくらいは当たり前だった。

記憶の中で一番多かったのは昭和三十八年だったと思うが、大津山社宅で積雪7mと言うのがあり、そうなると平屋屋根を越し、屋根雪下ろしではなく屋根雪上げと言う状態になってしまう。

その年は雪の重さで学校の体育館が押しつぶされたものだった。

そして、昭和も40年代に入ると、幹線道路は朝の四時ころからブルドーザーが除雪をするために走り回り、通勤に支障が出た記憶は無かった。

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今朝方のテレビを見ていたら、新潟で上越線が雪で動かなくなり、乗客が十五時間も車内に閉じ込められたとあった。

いまどき、十五時間も乗客を閉じ込めるとは何事だろうか。

画面を見ていたらかなり満員状態で全員席に座っていない状態のようだったが、さそかし迷惑をこうむったようで気の毒だった。

積雪で列車が止まるほど急激な降り方をしたようだが、なぜ、バスなどを配車して乗客の一部なりとも救出できなかったのかと疑問を感じてしまった。

JRの職員が何人も来て車輪の下の雪を掻きだしていたが、一所懸命仕事しているよと見せかけているようにしか見えなかったのは、雪国育ち僻目だろうか。

列車が止まった場所が信号のすぐそばで駅から300mのところだったと言い、一部乗客の家族が自家用車で迎えに来ていることでも分かるように、道路は車が走れたのだから雪でバスが手配できなかったのではなく、手配しようとしなかったのであろう。

つまり、下手にバスに乗せて休憩できるところを探すより、閉じ込めておいたほうが楽だという発想だと思う。

先日の新幹線の台車問題と言い、リニア新幹線の談合に職員の疑惑があるそうだが、なんだか事なかれ主義が蔓延しているように見える昨今である。、

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2017年9月22日 (金)

ナンバンギセル

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Img_0014ナンバンギセル、いつのころからこういう名前になったのだろうか。

信長のころ?明治になってからのこと?外国人のパイプを見て付けられたようだ。

もともと、思い草として万葉の歌にも載っているそうだから、古くから知られている花には違いない。

ススキの間にひそやかに咲く淡い紫の花は可憐である。

しかし、その実態は葉緑素をもたないためススキなどの根から栄養を吸収して生きている植物で、ともするとあのしぶといススキを枯らしてしまうことさえあるという。

ここ、池ヶ谷の丘の上ではここ十年近くこのナンバンギセルを見ているのだが、規制されているススキのほうは、まわりの丈の高い草や木が茂り始めて、ススキのほうは次第に弱っているのが見受けられる。

ススキはいずれなくなると思うが、どっちが原因なのか、ナンバンギセルも近いうちにススキと運命を共にするのだが、、共倒れは自業自得と言うものなのだろうか。

ちなみに、この花が今日の誕生花であり、花言葉は物思いと言うそうだが、、、、、

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島田市に飛騨の合掌造り家を移築した食事どころがある。

いままでにも何回かいったことがあるが、朴葉味噌を使ったメニューなど飛騨風を強調した料理を出しており、これがこの店に行く理由のひとつになっていた。

で、昨日も行ったのだが、ふとメニューの中に”にころがし”と言うじを見つけた。

にころがしとは、自分たちも小さいときからよく食べており、あの料理を店で出す時はどんな風にして出すのか気になって注文してみた。

ところが出てきたものをびっくりどう見ても肉じゃがにしか見えない。

料金の支払いのとき、「あれは煮ころがしではないよ」って言うと、「ごめんさい、島田風で、、、」という答え。「あれは島田でも肉じゃがでしょう。お金がはらうけど、ちがうもので誤魔化していけないよ」と言ってきた。

ちなみに、”煮っ転がし”という飛騨料理は、ちいさなジャガイモを丸ごと鍋に入れ油で皺がよるまで炒めた後柔らかく煮、砂糖と醤油で甘く仕上げたものをいう。

ほかの土地では捨ててしまうジャガイモをどうやったら美味しく食べられるかと工夫した飛騨人の知恵であり、熱いうちにふうふうと言いながら食べるとこんなに美味いものは無い。

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2017年5月 1日 (月)

目には青葉

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目には青葉 山ほととぎす 初鰹

山笑う季節がやってきた。

若葉がみずみずしい萌黄色に染まり、柏の木の仲間が白い花を咲かせ、周りに艶かしい?匂いを発散させている。

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晴れた五月の青空に 歌声たかく響かせて、、、、、

そのむかし、神岡鉱山は四月二十九日の天皇誕生日を休まないかわり、五月一日を休みにしてメーデーを祝った。

小さな町だったが、ほかの労組や主婦会も集まって1,000人以上が長蛇の列を作って行進した。

もちろん、保守系の商店街は面白くなかったことだろうが、デモ行進の後、職場ごとに集まって”山行き”と称する宴会を野外でするため、酒や肴などを大量に購入するため、嫌な顔は出来なかったというか、商人根性を発揮してニコニコ顔の応対であった。

あのころのことは、いま呼び戻すすべも無いが労働組合がもう少し原点に戻って、非正規労働者の改善、同一労働同一賃金を政府に頼らないで自力で勝ち取って欲しいものだ。

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いま聞いた話だが、韓国ではこの日を「勤労者の日」として休みにしているとのこと、、、日本にはそんな話しはないよね。

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