2024年3月28日 (木)

当たり前ではない

トラック運転手の労働時間が制限されることから人手不足になり物流がいままでどおりにならなくなるそうで、このほか医師 教師なども同様に長時間労働をやむなくしてきた業種でも同様だと言われている。

それを利用してきた方にとっては困ったことであるが、その現場で働いている人の犠牲の上に成り立っている社会はまともではないだろう。

このような状態に慣れていくしかない。

 

若いころ務めていた鉱山の坑内部門はよほどのことがない限り残業というものはなく、36協定で残業は一日に時間までとされていたが、22年間勤めてきた中で総残業時間は20時間もあったかどうかという状態だった。

しかも、一日8時間労働とは言うものの坑内はいるから出るまでの時間であり、昼食や着替え番割りという作業打合せと指示の時間があったため実質一日現場で作業する時間は六時間に満たない状態だったように思う。

そのため、合理化で会社を辞めた人たちは再就職先の過酷な仕事になじめず、転職早々に退職したという話しをよく聞いた。

自分も合理化で出た一人だったが、何とかやってこれたのは仕事を終わってからの労働組合の只仕事を経験したためといまになっておもっている。

いまのように労働組合が弱いのもなんだが、強すぎて労働環境が良すぎるのもそれに慣れてしまうと、、、、特に鉱山のように閉鎖社会では、、、、、、、

 

 

 

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2024年2月29日 (木)

余りもの

今日は閏年のうるう日である。

閏とは”余りもの”という意味があるそうだが、四年に一回あまりものを整理しないと一年365日が維持できないそうで、それでも余るものを百年に一回埋めていくしかないそうだ。

四年に一回、とはいうものの自分はすでに二十一回経験したことになるのだが、この日に生まれたとすると誕生日は二十一回しかやってもらえなかったことになるのかな?

この日に結婚した人は忘れていたと叱られることは少ないのでいいなあ、、、とか

 

きょう国会では首相が政治倫理審査会に自ら出席することで開かれたが、昨日までの二転三転したドタバタ騒ぎは何だったのだろうか、首相の出席は自ら言い出した判断だったのは何とか野党をなだめて予算を通過させたいという切羽詰まった事情がさせたのだろうが、少し聞いていた感想では「やっぱりね~え」というしかないし、武田元総務会長にいたっては、、、、、

明日は安倍派幹部だった四人が出席とのことだが残る一人は逃げ隠れているとしか思えない、こんな人は”余りもの”として次の選挙には出てほしくないのだが、、、、

 

 

 

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2022年7月27日 (水)

キーキリのチンクロ

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今日も午前中を中心に激しい雨が降った。

青空の下では輝くように映える百日紅の花も大量の雨に打たれて垂れ下がってはいるが、さすがに夏の花だけあってうつむいた花びらの先端に露をため置き「水も滴るいい女」を演じていた。

 

19歳の今頃だったか、、、、、親方が「キーキリのチンクロ」を取ってきてくれ」というので何のことかわからないまま資材置き場に行って聞いた。

昭和三十三年、坑内作業は労働基準法で18歳以上でなければ出来ないので、18歳になるのを待ちかねて同級生15人とともに雑務員6級として実習に入った。

当時は戦争が終わって12年。神岡鉱山の栃洞抗には志願してか、徴用工だったのか知らないが朝鮮からの人が20数所帯働いていた。

そのうちの一人が、自分の初めての親方であった。

戦争中には欧米人の捕虜を含めて朝鮮人も沢山いたそうで、敗戦とともにそれぞれの国に引き上げていった中で残った人々だった。

捕虜虐待で戦争犯罪人も出たそうだが、朝鮮の人々からは徴用工問題で訴えられたとは聞いていないので、いま訴えられている会社よりは、、、、、、だったのではなかったのかと思いたい。

ともあれ、すべての人は金山、山本、橋本など日本姓で働いており、自分たちが入った中堅社員を作る目的の鉱山高校にも何人か卒業し三井金属鉱山労働組合の中央執行委員にさえなった人まであったくらいの企業風土であった。

そんななか、日本育ちの二世は日本語がペラペラだったが、さすがに一世は、、、、、、

ということではじめに出てきた「キーキリのチンクロ」は「9kgのジムクロウ」という道具とわかるまで手間取った。

ちなみに「9kgのジムクロウ」は1m当たり9kgのレールを曲げる道具のことで坑内の切羽(掘削現場の先端)に敷かれる一番細いレールである。

 

思い出したくない苦い話しは時々胸を刺すようにして蘇るが、忘れないでとっておこうとする思い出は時がたつにつれて霞んでいく、、、、

こんな雨の日は、せめて忘れないでおこうと思う話しを温めて、、、、、、、

 

 

 

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2021年12月10日 (金)

三億円

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「天気が回復し青空が広がる」という予報だったが、青空は一向に回復することがなかった。

麻機の一角に葦の穂が白く密集している場所があるが、まだ木枯らしが吹く前なので穂を飛ばさずに白白としているさまはさながら老人の白髪といった感じで侘しく思えてくる。

きれいな銀髪なら「お上品です」と言って慰めておくが、自分同様乱れ髪を曇り空が拍車をかけているこの暗い絵はなんと言えばよいのか。

 

今日は公務員のボーナス支給日だそうで、ボーナスとは縁のない人々にとってはうらやましい日である。

特にろくな仕事もしないで何百万円という高額のボーナスをもらう議員や首長にはうらやましいを通り越すものがある。

そして、今日は53年前の三億円強奪事件があった日である。

そのころの給料の平均は3~4万円くらいしかなかった時期でありその額の大きさとともに、けが人一人出さずに鮮やかにかっさらっていった事件には顎が外れるくらいの驚きと何かしらの喝さいを送ったものだった。

おまけに、事件は迷宮入り時効を迎えて警察の歯ぎしりだけが、、、、、、聞こえてきた。

そして、こども一人当たり5万円を配るのに一千億円もかかる時代ともなれば 三億円なんて ちっぽけな話しだよな。

 

 

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2021年8月 8日 (日)

稲の出穂

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揃う~た 揃うたよ 床突きゃ 揃うた

稲の出穂よりよう なお揃うた

 

田植えが遅い静岡地方でも田んぼの稲の穂に実が入り始めたようで少しうつむき加減になってきた。

 

むかし、神岡鉱山の鹿間精錬所にあった溶鉱炉の基盤を固めるため、床搗き棒を持った大勢の人がこの歌で音頭を取りながら搗いたそうだ。

自分は、鉱石採掘の方だったのでこの歌しか知らないが、ストライキの時の大きな焦点の一つに溶鉱炉を止めるという戦術があり、ここの人たちをストライキに入れると会社は溶鉱炉の内側のレンガが崩壊し再建するのに多大な費用をと生産停止があったため、非組合員のお偉いさんを総動員して運転を維持したものだった。

普段 机の前でふんぞり返っている管理職が汗水たらして溶鉱炉を保安運転っせていると思うと溜飲が下がったものだった。

あれからウン十年、労働組合の力も落ちてきて、”ストライキ”を行うような組合はほとんどなくなり、労使交渉の手段であることさえ知らない組合員が増えてきた。

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2020年4月23日 (木)

若葉の季節に

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目には青葉 山ほととぎす 初がつお

山はすっかり若葉の季節になって、新緑が眩しさを増している。

紅葉の若葉はいかにも柔らかく、ちっちゃな花を咲かせていた。

このころの若葉はほのかに甘い香りを漂わせているのは普段感じないものだが、鉱山にいたころはよく胸いっぱいに吸い込んでいた。

鉱山は通洞と言われる主要坑道を基準にしてプラスマイナス各レベルに水平坑道を切って作業していたが、切羽の先端は発破のガスが残り、粉塵が舞い空気が汚れていた。

その切羽からケージと呼ばれるエレベーターで通洞に上がると抗口から通気がかなりの勢いで流れ込んでくる。

その通気がこの時期になると香っているのは、この若葉のにおいである。

 

最近はこの香りを感じることもなくなり、これらの若葉を見るたびにもう一度嗅いでみたいものだと思うが歳をとった鼻が鈍くなったのか、、、、、、

あるものが見えないもどかしさはじれったいばかり。

 

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2020年1月26日 (日)

せっと節

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木立アロエの花が真っ赤に咲いている。

この花が咲くのは、茎の高さが50㎝くらいまで育たないと花をつけないそうで、暖かい土地でないと花が咲かないそうだ。

筒状の細長い管のような花は特殊な虫か鳥を相手にしているようでアロエの実は見たことがない。

万病に効くといわれ、一時はあちこち植えられていたが腹が痛くなったことのない自分は、傷をしたときややけどをしたときに葉っぱを折ったり削ったりして患部に張ったり塗ったりみた。

ヌルヌルはしていたが、そんなに薬効があったとは思えなかった。

そのためもあってか、我が家でもかなり整理したが、ほかでもあまり見なくなったような気がする。

 

昨年だと思うが神岡にも”せっと節”があることがユーチューブに載っていたことからわかった。

”せっと”とはむかし鏨岩機が導入されるまえまで、坑内で穴を掘る鏨(タガネ)をたたく金づちで、一般には石刀と書いているようだが、自分は石頭だと聞いていた。

自分が坑内に入った昭和30年代は水を使わない乾式の鑿岩機などもあったがすでに鑿を使うことはなかった。

しかし、竪坑を掘りあがるときは足場などを作るため岩にくぼみをつけようとチンコタガネを石頭で叩いたものだった。

このユーチューブにも鑿で掘る時代が済んだころから、せっと節を知る人もいなくなったと言っているが、自分も聞いたことはない。

同じ石刀節に足尾銅山のものなどがあるが、神岡のものは泥臭くて節回しも随分と違う。

#一寸くったけ あの娘のためだよ。という囃子を入れながら歌われていくが、一番気に入った歌詞は下の二節だった。

 

  発破かければ切羽が伸びる 

       伸びる切羽が金になる

われわれの時代でも能率給という名のもと坑道を伸ばせばお金になったのはこのころと同じだった。

  坑夫さんとは名は良いけれど 

       行けば山奥 小屋住まい

ハモニカ長屋の社宅は山の中腹にあり、このころは九尺二間のしとみ戸が窓だった。

 

余談ではあるが、民謡の飛騨やんさの最後に「負んだ子も抱いた子も おまえさんの子じゃないか 可愛がってやらんせ せっと せっと」というのがあるが、英語のSETではないことは確実にしても、石頭である可能性は      どうかな?

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2019年7月10日 (水)

ぽつんと一軒家?

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久しぶりに雲が切れ青空の多い一日になった先日来の長雨による湿気でカビが生えていたイグサの敷物を日に当て家の中を開けっ放して風を通すなど今日一日干せるものは全て外に出して除菌デー。

それにしても今日は暑くなった。気温も三十度越えとなり部屋の中にいても汗が止まらないような状態になった。

先月末から日照時間が全国的に少ないそうで米の生育に影響が出かねないと聞いているが、梅雨明け以後はこの暑さに耐えていけなければならないのかと思うとぞっとしてしまう。

 

写真だけを見ると、テレビの「ぽつんと一軒家」的な感じがする建物。

これが、お寺だと分かる人は地元の人くらいであろう。

お寺の名前は光円寺、昨日書いた二十五山の山頂に有った円空仏二十五体はここに移住しているそうだ。

この地は、江戸時代上部に大富という鉱山の飯場があったが、長雨で山抜けが起きそこに寝ていた坑夫すべてがこのあたりまで押流されて亡くなったのを弔うために建てられたと聞いた。

そのとき、唯一生き残ったのが、飯炊きをしていたおばあさんだったことから、贅沢三昧の坑夫が山の神の罰を受け、釜の底に残った米を食べていたおばあさんが難を免れた。という逸話が残されている。

そのむかし、と言ってもやっと三十年位前までは、このお寺を中心に写真の範囲内だけでも六軒長屋を含む鉱山社宅が二十棟はあり、百軒くらいの所帯があったのだ。

そしていま、このお寺の周辺を除いてすべてが元の原野に戻って面影はない。

 

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2019年7月 9日 (火)

昔話しのかなた

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木の間から見える荒れ果てた山、かってはこの上に1,219mのこんもりとした山が今見える右手の頂よりはるかに高く聳えていた。

山の名前は二十五山、名前の由来は雲を湧き起こし冷害を周囲に及ぼす悪鬼が住む山と恐れられていたが、旅の僧円空さんが二十五体の仏様を造って山頂に祭られ蛸とに由来する。

この山の中には膨大な鉛や亜鉛、金銀が眠っていたのだが、案外この金属が悪霊を呼び込んだのだったろうか。

平成になって、掘り尽くした?あと、空洞になった部分を埋めるため山頂を削った。

その結果、、円空さんの二十五菩薩はひなんしたものの、今では二等三角点はもとより二十五菩薩が祭られていた御堂、そして、自分たちが毎年担ぎ上げた四寸角の開校記念の標柱十五本もろとも地中に消えていった。

いまその景色を見るに往時を知るものはいたましさと哀れだけしか感じることがない。

何時の日か再びこの山が木に覆われて、昔話しのかなたに消えていくのは何時のことだろうか。

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2019年5月28日 (火)

宝の山

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はあ~ 会津磐梯山は 宝の山よ、、、って歌があるが、飛騨神岡の二十五山は文字通り宝の山であった。

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この山の中に埋蔵されていた、鉛、亜鉛 硫酸 金銀その他鉱物はかなり古い時代から採掘され、江戸時代はここで掘られる鉱物と林産物のおかげで幕府直轄領となり、明治に入って三井組が手を入れてから、石炭と共に三井鉱山の屋台骨を担ぎ、さらには、戦後の復旧時には硫酸から作る硫安で貢献したものだった。

永遠に続くかと思われた鉱山も、昭和五十三年大規模な合理化で人員整理をした際に自分は二十余年勤めた坑内職場に別れをつけ希望退職、、その四年後再び合理化で人々が山を去ってから寂れる一方となり、その後、すこしして坑内での採掘が終了した。

大量に掘り出した鉱山の空洞を埋めるため山頂を削って今では富士山の頂上みたいに平らになってしまった。

今回、従兄弟の葬儀の後、わが家の墓の掃除をかねて立ち寄ってみると、以前は採掘した土砂などでかなりはげていたし、夜になると星かと思えるほど赤々と電灯の光で輝いた社宅郡も無くなり、自然に帰ったようで濃い緑に包まれた”宝の山”を仰ぎ見ることが出来る。

常々、「自分が死んだら誰も来なくて良いからここの墓に入れてくれ、自分が働いた場所を眺めていたいので、、、」と頼んではいるが、さてどうなることやら、、、

というのは、わが家の墓の隣には無縁仏になったらしく長い間手入れされず、薄などで墓が持ち上げられ横倒しになっている。

我が家の墓もいずれそんな状態になる可能性がある。

本家の墓がすぐそばにあり、従兄弟に当たる主人は「自分とこで面倒を見るから、動かすではない、、、」と言ってくれているが、その人はいま九十二歳。

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同級生の青〇くんは東京で亡くなって神岡に親戚もないそうだが、我が家の墓から直線で3kmほど離れた東雲に墓を建てて入っていると聞く。

そこからも、二十五山が見えるそうで、、、、ふるさとの山がこいしいのは自分ばかりではなさそうだ。

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