2017年9月22日 (金)

ナンバンギセル

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Img_0014ナンバンギセル、いつのころからこういう名前になったのだろうか。

信長のころ?明治になってからのこと?外国人のパイプを見て付けられたようだ。

もともと、思い草として万葉の歌にも載っているそうだから、古くから知られている花には違いない。

ススキの間にひそやかに咲く淡い紫の花は可憐である。

しかし、その実態は葉緑素をもたないためススキなどの根から栄養を吸収して生きている植物で、ともするとあのしぶといススキを枯らしてしまうことさえあるという。

ここ、池ヶ谷の丘の上ではここ十年近くこのナンバンギセルを見ているのだが、規制されているススキのほうは、まわりの丈の高い草や木が茂り始めて、ススキのほうは次第に弱っているのが見受けられる。

ススキはいずれなくなると思うが、どっちが原因なのか、ナンバンギセルも近いうちにススキと運命を共にするのだが、、共倒れは自業自得と言うものなのだろうか。

ちなみに、この花が今日の誕生花であり、花言葉は物思いと言うそうだが、、、、、

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島田市に飛騨の合掌造り家を移築した食事どころがある。

いままでにも何回かいったことがあるが、朴葉味噌を使ったメニューなど飛騨風を強調した料理を出しており、これがこの店に行く理由のひとつになっていた。

で、昨日も行ったのだが、ふとメニューの中に”にころがし”と言うじを見つけた。

にころがしとは、自分たちも小さいときからよく食べており、あの料理を店で出す時はどんな風にして出すのか気になって注文してみた。

ところが出てきたものをびっくりどう見ても肉じゃがにしか見えない。

料金の支払いのとき、「あれは煮ころがしではないよ」って言うと、「ごめんさい、島田風で、、、」という答え。「あれは島田でも肉じゃがでしょう。お金がはらうけど、ちがうもので誤魔化していけないよ」と言ってきた。

ちなみに、”煮っ転がし”という飛騨料理は、ちいさなジャガイモを丸ごと鍋に入れ油で皺がよるまで炒めた後柔らかく煮、砂糖と醤油で甘く仕上げたものをいう。

ほかの土地では捨ててしまうジャガイモをどうやったら美味しく食べられるかと工夫した飛騨人の知恵であり、熱いうちにふうふうと言いながら食べるとこんなに美味いものは無い。

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2017年5月 1日 (月)

目には青葉

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目には青葉 山ほととぎす 初鰹

山笑う季節がやってきた。

若葉がみずみずしい萌黄色に染まり、柏の木の仲間が白い花を咲かせ、周りに艶かしい?匂いを発散させている。

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晴れた五月の青空に 歌声たかく響かせて、、、、、

そのむかし、神岡鉱山は四月二十九日の天皇誕生日を休まないかわり、五月一日を休みにしてメーデーを祝った。

小さな町だったが、ほかの労組や主婦会も集まって1,000人以上が長蛇の列を作って行進した。

もちろん、保守系の商店街は面白くなかったことだろうが、デモ行進の後、職場ごとに集まって”山行き”と称する宴会を野外でするため、酒や肴などを大量に購入するため、嫌な顔は出来なかったというか、商人根性を発揮してニコニコ顔の応対であった。

あのころのことは、いま呼び戻すすべも無いが労働組合がもう少し原点に戻って、非正規労働者の改善、同一労働同一賃金を政府に頼らないで自力で勝ち取って欲しいものだ。

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いま聞いた話だが、韓国ではこの日を「勤労者の日」として休みにしているとのこと、、、日本にはそんな話しはないよね。

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2017年4月11日 (火)

思い出すままに

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末期のあだ花となったスクープトラム

先日、コメントをしてもらっている岡崎在住さんのコメントに、鉱山の摺り取り機械スクープトラムのことがあったので思い出したことを書いてみた。

自分が勤めていた鉱山が大きく変化したと思ったのは、昭和30年代初めと、43年からだった。

もちろん、それ以前も大きな変化があったのだが、昭和32年十七歳で入社し、下っ端のまま退職した身では知る良しも無い。

ただ、何事も人力が主に時代だったので、力持ち、酒豪が幅を効かす職場でもあった。

最初の変化は、レッグ式削岩機で岩盤に穴を開ける機械が非常に軽くなって、一人で運搬できるようになったここととそれまで導火線に火をつけて火薬を爆発させていたのが、電気点火になったことである。

入ったばかりのころは、カンテラの明かりで作業をしていたが、ヘッドランプに変わり、導火線に火をつけて爆破するのだが、25本から30本にもなる導火線に決まった順序で火をつけなけらればならないので、最初につけた導火線が穴の中に入って行ったときにはいつ爆発するのかと心配したものだった。

それが、1/10秒ごとに点火するデシセコンド雷管が出来、安全な位置まで下がってから電気で点火するようになった時代である。

そして、昭和43年から、トラックレスマイニングと呼ばれる時代になり、坑内にモービルジャンボと呼ばれる削岩機とスクープトラムと呼ばれる岩屑を掬い取るローダーや四輪駆動のジープ型自動車や運搬車が入り、火薬もANFOという粉状の火薬の変わった。

その結果、作業効率はかなり上昇したが、空気の循環の悪い坑内にジーゼルエンジン駆動の機械が入ったことによって排気ガスと油煙が充満し、防塵マスクがたちまち真っ黒になり、それまで岩粉に依る塵肺(硅肺)に加えての環境悪化につながった。

自分は、そのころ職種を変更しボーリング部門になっていたため幾分影響がすくなかったため、退職した今でも塵肺認定は受けていないが、同期生のほとんどが軽いながらも認定されている。

先日も同じ鉱山で大学を卒業して入り、のちにお偉いさんになった人の、”採鉱屋の半生”とかを見たが、やはり立場の違いか作業効率の上昇や、見た目の安全など都合のよい面を強調していたが影の部分(自分がいた間に20人は殉職していることを含めて)は意識的にだと思うがふれていない。

そんなにも合理化したが、鉱山は昭和53年自分が応じた合理化で退職者を募り、その後、四年してサイド退職者をつのり、平成になって閉山し、いまは廃墟ファンの餌食になってしまった。

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2016年11月27日 (日)

木の葉をはらう

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今日は暦の上では「北風 木の葉をはらう」とある。

確かに暦どおり、近所の花水木の赤く紅葉した葉がここ二~三日の風で舞い散り、ほとんど木の枝先に残っていない状態になった。

しかし、木の葉をふるい落とした枝先には、来年の葉を包む硬い蕾が出来ており、世代交代は順調に進んでいるかのようだ。

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.先日、滋賀県でおにぎりの早食い競争で、喉にご飯が詰まってなくなった人がいたそうだ。

喉に食べ物を詰まらせてなくなる人は、例年だと年寄りが餅を詰まらせて、、、という話しで聞く。

しかし、今回のは二十八歳だとか、、、、、

親はどんな思いで、この知らせを聞いたことだろう。

戦後の食糧難を過ごし、いまでも、茶碗に米粒を残すことが出来ない自分から見ると、飽食の時代と言われる昨今、食べたくも無いのに大食いなど食べ物をおもちゃにするのは罰当たりなこととおもう。

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自分が鉱山(栃洞坑)で働いていたとき住んでいた南平社宅は、上の大富というところから江戸時代に大雨で崩落した土砂の堆積の上に建てられていると聞いた。

江戸時代、この大富というところは鉱山に入る人たちが沢山入っている飯場があったが、稼ぎの良い坑内夫は贅沢の限りをしていたそうだ(当時では)が、大雨で山抜けで一瞬にして全ての人が飲み込まれて死んだとそうだ。

しかし、このとき、飯場にいた飯炊き女だけは、つましく釜に残ったご飯を食べていたため助かった。という。因果応報の話しがのこっている。

食料自給率の少ない日本。くれぐれも食べ物を粗末にしないで欲しいと思う。

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2016年10月 9日 (日)

コスモス

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コスモスの花が盛りを迎えている。

短日植物だと言うが、品種改良(?)と言うのか、七月に見たこともある。

花の色も以前はコスモス色というと、ピンクが多く、秋桜なんて名前まであったが、濃い赤、純白などの三色しか見なかった。

しかし、最近では黄色いものやチョコレート色と言うものまであり、「花の色はうつろいけりないたずらに、、、、」なんて状態になってしまった。

ともあれ、荒れ地でも簡単に花を咲かせるため、手っ取り早い花園としてあちこちで即席の名所を作ることができる。

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2016年9月12日 (月)

ミキヨキ

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先日になってようやくヨキの意味を知った。

ヨキとは、薪わりに大きな斧のことを子供のころ言ったのだが、その斧に三本線と反対側には四本の線が掘ってあった。

この三本線をミキといい、四本線をヨキということから、斧の名前をヨキというそうだ。

そして、ミキは御神酒という字から来ており、ヨキは四気つまり”地水火風”を言うとのことで、刃物に対して神聖視したものであったという。

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Img_0010鉱山に入って七年くらいたったころだったと思う、ようやく一人前と認められると鋸と刃広という手斧を持って歩けるようになった。

削岩機で坑道の先端に穴を掘り、発破をかけて坑道を掘り進めるのだが、硬い頑丈な岩盤ばかりでないことがあり、そのままでは危険な場合、松丸太で支柱を組んで支えるのだが、バッテリー電車やローダーと言う土砂を積み込む機械を通すため、五六の加背という大きさが最低必要であった。

五六の加背と言うのは五尺六尺を意味し、高さ1,8m 幅1,5mの大きさを言う。

この坑木は、30センチと離れない場所で発破をかけても耐えられるようにするため、それなりの技術が必要であった。直径25センチ前後、長さ2,1mの丸太を現場に運び込み、鋸と刃広で加工し組んでいくのだが、見栄もあってよい道具を自慢し合った。

その刃広を退職してからも、ずっと持ち歩いていたが、仕事をやめてから道具箱の墨にしまったまま放ったらかして置いた。

今日その刃広を取り出してみたら真っ赤にさび付いており、あまりにも哀れだったので砥石で研いで見た。

50年近く前買ったものだが、当時一日働くくらいの代金だったのではなかったかと思う。(今の価格でなら一万円以上にはなっていたはず)

打った鍛冶屋の銘は照秀とも読めるが、、、、、、とにかく極上品だったに違いないとみた。

あらあら研いだところで、写真にしてみたが、この先何に使う予定も無し、ダンシャリということになるのだろうが、、、、、

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2016年5月 8日 (日)

ベサメムチョ

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全国至るとこと言ってもよいくらい繁茂しているスイカズラに花が咲き出した。

つぼみのうちは先端がすこし赤紫がかった色をしているが、開花時には唇状に上下に分かれた白い花が咲き、その後黄色くなっていく、そのさまから金銀花と言ったり、冬も葉が落ちない常緑の蔓であるため、忍冬とも呼ぶ。

スイカヅラを漢字で書くと吸蔓と書くが、唇状の花から来るのではなく付け根の部分に蜜があることから、花を取って吸うことから来ている。

ちなみに江戸時代はこの花から作った”忍冬酒”は浜松の名物だったようで、参勤交代の大名衆が楽しみにしていたとか、、、、どこでも作れそうなのだが、そんな話が残っていると、遠州で聞いたことがある。

自分は花の形状からこの花を見ると、ラテン音楽のベサメムチョを思い出してしまう。

besame besame mucho

como si fuera esta moche la ultima voz

キスしてよ キスしてよ もっといっぱい

今夜が 最後かもしれないから 

と、狂おしいセニョリーターの愛の告白である。

この歌の意味を知ったのは、アンデスの山中で仕事をしていたときであった。

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1,975年ペルーの標高4,000m付近で仕事をしていたとき、先輩がよく宿舎に訪ねてきてくれ、励ましてくれた。

先輩とは同じ鉱山で仕事をしたこともあったが、ペルーには鉱山出資の子会社があり、そこへ採鉱を指導するということで派遣されていた。 

その後、自分は金属鉱業事業団から、鉱床探査のボーリングをするため国の予算がついた時点で行くことになった。

当然、一年ごとの短期派遣なので、会社派遣の人たちからはうらやましがられたものだった。

派遣先が違うため、宿舎は別であったがすぐ近くだと言うことで、髪が伸びたときなど交代にはさみを持って床屋さんをし合ったこともあった。

昨日、その人の姪御さんと言う人から別のブログで照会があり、よく知っていると答えたところ、先輩は20年も前になくなっていたことが分かった。

気配りの長けた人で誰にでも好かれる人であったが、それだけに苦労をしたのではなかったのだろうか。

自分の数少ない同級生の中にもすでに鬼籍に入った人は1/3に及ぶが、事業所採用の社員が本社採用扱いになるにはそれぞれに苦労したようで、亡くなったすべてがそんな人である。

幸いと言うか、海外派遣から早急に脱落し、静岡に流れてきた自分はいまだに健在である。

それにしても、企業戦士として、会社の花形として、身を粉にして働きづめに働いた”地上の星”はみんな散りじりになり、見送られることも無く散って逝きつつある。

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2016年1月15日 (金)

お先棒を担ぐ

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この花の名前が分からなかったが、花の格好からナス科の植物だと確信して、「ナス科、蔓」で入力して見たら、その名もツルハナナスだと言うことが分かった。

漢字で書けば、蔓花茄子であり、ごく単純に名づけられていた。

しかし、この花のおかしなところは、一年中あちこちに花を咲かせているくせに、この株では実をつけたのを見たことが無いことだ。

「親の意見と茄子の花は 千にひとつの無駄もない」と言うのだが、この花に限って当てはまらないようだ。

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昭和50年代ころまで、現場の仕事と言えば人力が主で力自慢が幅をきかしており、人に負けじとがんばったおかげで、肩の付け根の筋肉がこぶのように盛り上がっていた。

それでも、会社に入りたてのころ重いものを運ぶ場合、荷物をロープで縛り丸太を通して前後ろで担いだものだが、前を担ぐ先棒は手元のものが担当し、後棒は親方と言う決まりになっていた。

この方式は、江戸時代の駕籠かきと同じ方式だが、前を担ぐ者はどうしてもよろけてしまい右に左にとふらふらとしてしまうものである。

それを後棒の親方がからかい半分、叱り半分で声をかける。

映画で見る早駕籠のばあい、縄を先棒のそばにくくりつけ引っ張るように走るのは、このよろけを防ぐ意味もあるんだなと感じてしまった記憶がある。

と、同時に、ふつうの町駕籠では映画のように「えいほう えいほう」と掛け声勇ましく走るのは無理なことだと言うことも知った。

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今日も国会の中継を少し見たが、与党議員の質問は政府に対するおべんちゃらにしか見えず、すぐにほかの番組に切り替えてしまった。

あんな質問をするのは、首相に認めてもらって、何か肩書きのつく役職をもらい次の選挙に使いたいため、右往左往しているのが見え見えである。

とにかく”お先棒を担ぐ”と言う言葉がそのまま当てはまる。   

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2015年10月29日 (木)

途中で見るのをやめた

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高原川を挟んで立ち並ぶ神岡の中心街、正面霧に包まれたほうと右上に鉱山がある。

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自分が生まれ育って、39歳までいた神岡町はノーベル賞に関与したカミオカンデがあることで、明るい話題になっているが、その前はイタイイタイ病の公害を出したということで、悪名をはせていた。

そのもとは、いずれも町の北側にある鉱山である。

鉱山の最盛期には、27,000人余の人がいて、町から市になるのも間近と思われていたが、非鉄金属が国際商品となってからは、鉱物の含有品位がたかい世界の鉱山に太刀打ちができず次第に寂れていき、坑内での採掘をやめてから人口も半減してしまった。

それだけに、昨夜は神岡町を主題にしたドラマ「ガッタンガッタン それでもゴー」がNHKで放送されるというので、期待をして見ていた。

しかし、あまりにも予想とはなれたストーリーと背景の画面にあきれてしまい一時間ドラマの半分でスイッチを切ってしまった。

前半しか見ていないのだが、20数キロはなれた隣村の一重が根の本陣という温泉旅館や下流15キロほどのところにある、カミオカンデの坑口がまるでひとつところにあるような設定。

そして、坑内を走るバッテリー電車を何も知らない素人が運転したがるなど、荒唐無稽もいいとこ、、、、、

多分、このドラマの自分以外のも神岡にいる人や居たことのある人が期待し、見ていた人は何万人といたことと思うが、感想はどうだったんだろうか、、、

聞いて見たい気がする。

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2015年5月 1日 (金)

目に青葉

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目には青葉 山ほととぎす 初鰹  

この句の通りの季節になった。

麻機沼に柔らかな風が吹き、新緑の青葉を揺らし若葉の匂いを漂わせている。

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今日は五月一日。    メーデーである。

40年ほど前まで毎年のように赤い組合旗を先頭に小さな町の中央通りを歩いた。

#晴れた五月の青空に 歌声高~くひびかせて、、、”と   今日はその歌のように雲のない暖かな日和である。

ゴールデンウイークのさなかながら三千数百人の組合員の半数以上が、約3kmの道筋を行進した。

ほとんどの人の目的は、メーデー行進のあと職場単位で”山行き”と称する飲み会が目当てでもあったろう。

解散地点近くの大津神社の周りに茣蓙を引き、呑み助が多い鉱山労働者がビールを掲げて終わったばかりの春闘でいくら上がったのか職場役員と語り合う場でも有り、今日のように晴れ上がった日は、、、、、、、、。

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それから幾年、労働組合とも縁がなくなり当時の仲間もいまはいくたり残っているのか、、、、、

むかし軍隊いま総評と言われた、当時の労働組合もすっかりと様変わり、最近では賃上げ闘争に保守の政府の後押しがなければ戦うことさえままならない、労働組合に成り下がってしまい、メーデーも四月の休日に行なわなければ鳴らないほど堕落してしまった。

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