2019年9月 9日 (月)

再度ジャガイモ掘り

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金水引の花が咲いていた。

黄色い梅のように五弁の花びらとよく映える雌しべの形はいかにも日本人好みの花である。

ただ困ったことには、花のあとの実が引っ付き虫なので、あまり近寄りたくない草でもある。

 

白露を迎えた昨日の朝は自動車のフロントガラスは晴天の青空の下真っ白に露がついていた。

今回は義弟の身体であちこちからずいぶん悪そうだというので本人に電話して聞くとたいした事がないという返事。

一応この目で確かめようと出かけたついでに先日掘り残していたジャガイモを掘り上げようと二股掛けて出かけてみたのが六日だった。

日中は気温も三十度近くになり暑くてたまらないものの、夕方から気温も下がり、朝方の最低気温は十五度と静岡では考えられないほど低かった。

その気温も昼には三十度近くになると言うので、朝七時から畑に入ったものの、今度は先月刈ったとは思えないほど成長した雑草の刈り取りから始めなければならないのに、その雑草が露まみれで作業ズボンがたちまち濡れてしまった。

そんなこんなで、午前中は三時間、午後四時過ぎに再度一時間入って掘り出せたのは三畝でまた二畝を残してしまった。

 

八日、折からの台風情報で静岡直撃の様相もあり、雨量は400mmとかのテロップで、連れは早朝に変えることを希望し、まだ掘り残しに未練のある自分は慌てなくてもよいといったが、、、、、、、、

で、昼過ぎに静岡に着いたがその蒸し暑いこと、空は青空台風は何処にといった状態だった。

夜になっても風も雨量も少ないまま朝を迎えたが、予想より東側を通過した台風は伊豆半島が雨風を遮ってくれたおかげこのような結果になったようで、、、、、、、被災地には悪いがやれやれといったところ

 

それというのも、天気予報は台風15号が静岡直撃すると言う予報をテレビで流しており、連れが「早く帰らないと何処で足止めを食うか分からない」と心配しだしたからである。

15号はコンパクトながら雨風が強くて、東海地方では400mmもと言う予報であり、自分としては案外高をくくっているところもあったが、そこはそれ、”世の常人の常”で急いで帰ることにした。

結果的には台風は、直撃を免れ伊豆半島の東側を通過したそうで、雨風は少なくあっけなく終わってしまった。

 

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2019年9月 8日 (日)

鴻巣

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長野県上田市 塩田平の東端に富士山と言う地名がある。

なぜそう言う地名がついたのか分からないが、この地に鴻巣というところがあって高さ60mほどの円礫凝灰岩の崖がある。

上田市の文化財に指定されているが、まったくのほったらかし状態で人が訪れた気配はほとんど無いところである。

説明書などによると、そのむかしここら一帯がフォッサマグナと言われ、日本がまだ東西に分かれていたころ、海の底であり、遠くは南アルプスなどから砂利が流れ込み堆積したあと、隆起して現在の地形になったと言われている。

圧縮の掛かり方が少なかったようで、もろい地質が崩れやすい崖を形成していて植物で覆われることが出来ないが、唯一松だけがかろうじて根を生やすことが出来るみたいで、写真のように小さな木が点在し、崖の下には直径20センチ程度の枯れた松の木が転がっている。

それにしても、このような水気のない崖で生命をつなぐ松を見ていると人間ってもろいもんだと感じてしまう。

 

塩田平はこの時期からマツタケを食べさせる山小屋があちこちに出来ており、この崖のすぐ傍にも大きな小屋と自家用車が二十台ほど駐車していたが、自分の鼻にまでその香りは届くことがなかった。

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2019年8月23日 (金)

見得

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今日は処暑、暑さも和らぐころという暦どおりの気候になった。

ひさしぶりにエアコンの厄介にならずに済んだが、暑さにうだっている時間が少しでも少なくなれば幸せと感じてしまうこのごろである。

 

郡上八幡に行く前に関に住む姉夫婦と食事を、、、と連絡していたが、あまりにも早く着きすぎたので隣の美濃市で時間を調整しようということになり、ここの名所である「うだつの上がる街並み」を見に行くことにした。

美濃市はそのむかし美濃和紙で栄えた町で、大もうけをした町屋は競って隣の家との間に防火壁を造り延焼を免れるため、屋根の上にすこし高い壁を造った。

そして、その壁のことを”うだつ”とよび、金儲けの証しとした。

この壁くらいで、火事が免れることがないのは当たり前で、もし本当に延焼を免れたいのならこんな壁より家と家の間を離すことのほうがよほど効果がある。

つまり、うだつとは見得以外の何者でもない、その証拠にうだつの傍には火防せの神 秋葉神社の分社を祭って神頼みをしている。

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2019年8月22日 (木)

郡上踊り

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「ひさしぶりに郡上八幡に行って踊ってきたよ」って行ったら、踊りの感想より「自動車道を走ってだろ?あおり運転にあわなかったか」と言うのが相手の言葉だった。

「急な割り込みが二度ほどあったが、あれは自動車道を走り慣れていないやつで、煽りではなかったと思うがね、、、」って応えた。

兎に角行きかえりで500kmほど走ってきたのだが、あまり無茶運転には出くわさずに済んだのは運が良かったのか、テレビの報道が効いたのか、、、、それとも車の前後に貼り付けた年寄りマークのせいなのか、、、、」

行くときは雨も降っていて東海縦貫道はワイパーをフル運転しなければならないこともあったが、向こうに着いてからは青空さえ見える天気になった。

おかげで、いままで下からしか見ていなかったお城まで行って来ることができた。

こじんまりした城ながら石垣もしっかりとしていて、傍に行ってもかなりきれいな城だった。

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鮎尽くしの夕食のあと、宿のバスで郡上踊りの会場まで連れて行ってもらう。

ついた途端”春駒”が流れていたので踊りの輪に入って見たが、十分ほどで汗まみれ、おまけに息切れまでしてしまい以後の踊りは見物するだけにしたが、最初の踊りで身体は完全にアップアップ状態になり、待ち合わせ時間の三十分前には見物お出来なくなってベンチにへたり込んでしまった。

年寄りの冷や水とはよく言ったもので、汗まみれの下着は気持ち悪く、、、、、、、

あらためて体力のなさを思い知らされた一夜であった。

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2019年7月28日 (日)

地蔵様にすがりつく

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地蔵様のほっぺに空蝉がひとつ、下に台座などがあるなか良くここまで登ってきたものだ。

空蝉は言葉通り蝉の抜け殻でもあるが、この世に現に生きている人「現人」をむかしウツオシミといったそうでその言葉がウツセミとなり空蝉の字が当てられたそうだ。

となると、この空蝉は七年の幼虫期間を経てようやく地蔵さんに救われたと見てよいのかもしれない。

自分も何時の日か地蔵さんにすがりつく日が来るのかもしれないと思うと、、、、、、、

 

七月二十五日、その前日から空が晴れ上がると言う予報の下、例年どうりジャガイモ掘りに長野県に向かった。

着いてみるとジャガイモの茎は枯れ、一ヶ月前に抜いた畑のはずの草がもうもうと生い茂ってどこがどこやらと言う状態になってしまっていた。

おまけに、地主で毎年重機で芋ほりの手伝いをしてくれる義弟が身体の調子が悪くて手伝えないとのこと、さらに、昨日は夕方から激しい雨が降ったとかで畑が湿っているとのことで踏んだりけったりの情況になっていた。

出直すことも叶わないので地面を乾かす手段としてまず草刈りからをすることにした。

しかし、捨てる神あらば拾う神もあるという言葉どおり、丁度来ていた近所の人が草刈りをしてくれるといってくれた。

四十五分後、ようやく草刈りを終え芋ほりにかかったが、今度は濡れて粘る土と暑さが厳しく午前中三畝を掘っただけでばててしまい降参、畑からの退出を余儀なくされてしまった。

 

二十六日、早朝から畑に入り午前中五畝、午後から二畝を掘りあげたが、残り五畝を残して今回はやめることにした。

今年の作柄は例年と比較して収穫量が多かった。なかでも、長さ20cmを超える巨大な芋が多く、軽トラックの荷台半分くらいになり、重さにして100kgを優に超えてしまった。

ただ、この巨大化が原因なのか、芋の中心部に小さな白く濁った部分のあるものがあり、ここから腐りが入っているものが見つかった。

人に聞いてみると、ジャガイモばかりでなくほかの根菜類にもあるそうで、これも、日照不足など気候の影響なのかもしれないとのことだった。

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2019年6月20日 (木)

今日の仕事は辛かった

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#きょうの仕事は辛かった あとは焼酎煽るだけ、、、、、、

山谷ブルースの出だしだが、十八日十九日と涼しいことを期待して行った長野も気温が連日二十七度の炎天下ではジャガイモ畠の草取りと土寄せはかなりきついものだった。

十九日、まだ涼しいうちにと畠に入ったのだが、露を帯びた土は長靴にぐっちゃりと付いて重かったのもつかの間今度は太陽の日差しが背中を刺激する。

昨日長野に入って五畝を何とか片付けたのだが、今日は更に六畝を片付けた段階で、フラッと立ちくらみらしき感じがし、一人作業で嫌気も出始めたころだったので急遽仕事を取りやめ、涼しい所で横になって寝た。

作業前から日射病を気にし、ときどき食塩水を含んでいたのも嫌気が差した原因だが、日ごろ仕事もしないで鈍ってしまっていた身体には少々きつかったのかもしれない。

最近静岡の山の畑で落ち合う仲間の合言葉は「無理をしないで、、」だったが、一人で黙々とするジャガイモの草取りと土寄せは「無理をしない」つもりがしてしまっていたようだ。

それでも、午後日が傾きだしてから、残りの二畝をすませ、寝る前に焼酎ならぬビールを500cc飲んだが疲れはとれるものではない。

#どうせ 長野の田舎町 ほかにすることありゃしない、、、、

ってんで、九時まで起きていられなかった。

 

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2019年6月 2日 (日)

ニセアカシアの花

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先週飛騨へ行ったとき梓川沿いから安房峠を超え高原川沿いまでを真っ白の染めたニセアカシアの花が見られたが、昨日再び行ってきた長野県の千曲川沿いの各地でもこの花が咲き誇っていた。

日本でアカシアの蜂蜜と言うのはこの花の蜜を言うのだがかなり花期の長い花である。

花が密集しているためもあって、甘い香りと藤を思わせる房状の花はたとえニセという字がついても綺麗である。

木の格好といい花の咲き具合といい一見弱そうに見えるこの樹は、荒れ地でも平気で繁殖し、成長も早いところから、鉱山の硫黄ガスで禿山になった場所や河川敷などでも繁殖の範囲を広げていくため、長野県などでは何年か前伐採したが、今ではあきらめ顔のようでその範囲はもっと広がっているように見受ける。

日本に入ってきた当時この樹がアカシアと思い込んで名付けたが、本当のアカシアはネムノキ科であり、このニセアカシアはマメ科なのでまったくの別物であることが分かった。

間違いの原因はミモザなど葉っぱが茎から対生していることくらいだが良く見れば全然違う葉っぱである。

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今回の長野行きは連れの五年ぶりくらい兄弟会であったが、自分も参加して欲しいと言うことで一緒に出かけたのだが、驚いたことに三月からこっちこれで四回目の訪問である。

中部縦貫道が一部を除いて開通したこともあって、時間は下道ばかり走っていたときよりも二時間以上短い三時間すこしで佐久市まで行けることになったが、走行距離はほとんど変わりは無い200kmである。

何時までこうしていけるか分からないので、せっせと通っているのだが、この先まだ三回以上は通うことになりそうだ。

 

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2019年5月30日 (木)

栃の花

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かわたれどきの栃の花はまだ眠りから覚めていないようでなんとなくもやっている。

栃の花は素晴らしい蜜を持っているようでこの花からだけ採った蜜はかなり高値で店に並んでいる。

秋になると栗の実を大きくした茶色の丸い実を地面に落とし、それを求め人々が集まった。

栃の実は、縄文時代から食べられていたようだが、その渋抜きが難しく誰でもができるものではなかったし、食べられるまでの手間も大変だった。

しかし、この実を処理したものはむかしから飢饉食として蓄えられたし、この実を使った餅はその香りから自分も大好物の中に入る。

そして、木目の美しさや細工のしやすさから伐採が進み、いまでは、この木の巨樹は見ることが出来なくなった。

ちなみに、フランスにあるこの木の仲間はマロニエと呼ばれシャンソンなどに良くつかわれているが、実の形が違うのを、二十年ほど前初めて知った。

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川崎市でまた悲惨な事件が起きた。

この種の事件は相手が誰でも良いというところにやりきれなさがつのる。

再発防止といったって、「どうすりゃいいの?」って感がつのり、今後もこれに類した事件が発生することになるだろう。

それにしても、四十代からv六十代にかけて61万人とかの人が引きこもり親の世話になっているときくと、自分らのころはそんな話を聞かなかったような気がする。

学校を卒業したら、働くものと決め付けられてもいたし、自分たちも当然そういうものだと思っていやなことがあってもしがみついて頑張った。

それがそうでなくなったのは、社会が裕福になってからのことなんだろう。

武田鉄矢のお袋の歌の中に、母ちゃんが「社会に出たら働いて働いて働きぬけ! 休みたいとか遊びたいとか思ったら そんときゃ死ね」って言うようなセリフが入っている。

、親も優しくなったのかな、、、、

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2019年5月26日 (日)

従兄弟の葬儀

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残雪の北俣岳を望む福寿寺で

北俣岳を望む飛騨の山奥下の本で従兄弟の葬儀が行なわれた。

標高1,300m余の下の本集落は春本番と言った気候の中、過疎化が進んでいると聞いていたが、それでも葬儀には百人を超える人々が参集し盛大に行なわれた。

従兄弟の葬儀、本来なら自動車で六時間も車を走らせて行く時代ではないのかもしれないが、父親が分家でその総代が自分になるので兄弟代表と言うことで行っているのだが、一時は五十人余を数えた従兄弟も、今では半数を切りこの葬儀では第一世代つまり年寄り組になってしまっている。

集まった顔ぶれを見ても、その下の世代が沢山いて子供のころの顔しか知らない連中がほとんどなのでいま浦島状態。それでも、年寄りは顔が変わらないようで元子供だった五十代の連中が「おじさん おじさん」と近寄ってくれて親切にしてくれる。

鉱山に勤めていた従兄弟は、硅肺をはじめ振動障害などを抱えていたが八十八歳まで生きたことは、天寿と定めるしかないか。

久しぶりにこの葬儀に集まった親族は悲しみの中和気藹々と現況を語らい、悲しさ半分同級会並みの楽しさ半分と言った雰囲気で法事をこなしていく。

こんな葬式なら本人も喜んでいるのではなかろうかと、勝手に解釈しながら、、、、、、、、、

山奥の集落とは言いながら、ここにも近代化の波は世間並みにおしよせて、出棺、お通夜、告別式 初七日法要とと簡素化した流れの中で進められていったが、六時間の車運転と親戚にもみくちゃにされた疲れは昨日今日と終日半分横になって過ごさなければならないほど疲れた。

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2019年4月22日 (月)

美味しそうにに見えて

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立科町津金寺の春祭り。

五色の吹流しを何本も立て、屋台も出ている様子。

ひまを見つけていってみると外観ほど賑わっていないので、とりあえずは本堂に参り妙見堂にたちよったあと、先日来のカタクリ祭り祭りが行なわれていた右側の草地に行ってみることにした。

カタクリのほかキクザキイチゲ、ヤマエンゴサク、水芭蕉、リュウキンカなどこの時期に咲く春の花も勢ぞろい見ごたえがあった。

なかでも、カタクリは移植して増やしたの以前より広範囲に花を咲かせており、シンボルにしたのは正解であろう。

ただ、戦後の食糧難から静岡に来るまでこの草を食べてきた自分にすれば、このカタクリは「おひたしにすれば美味かろう」なんて、いまでは不遜?な考えにとらわれていた。

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先日87歳の人が親子二人を死亡させ、昨日はバスが横断歩道を歩いていた人二人を死亡、ほかに両方ともけが人多数を出すと言う悲惨な事故がおきている。

87歳の老人の事故でテレビは高齢者の運転をいろいろと考証していたが、おなじく高齢者の自分も他人事ではないと言う感がしてならない。

娘もときどき「運転を何時までする気?」と聞くが、便利さと言うことからなかなか返上と言う気にはなれない。

ただ、現在は勤めて日が暮れたら動かさないことにしている。

そして、隣に乗る連れ合いが危険だと感じるまで運転したいのと、車に擦り傷や車庫入れがきちんとできなくなったらやめると回りに言っている。

幸いにして、この20年余は毎年10,000kmほど運転しているが、ゴールド免許を維持している、、、、、

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