2024年6月 6日 (木)

ここらが潮時

きのう長野から帰って来た。

義妹の病気見舞いが口実だが本目的は梅雨前に四月に植えたじゃがいもの追い肥と土寄せであった。

しばらく走り梅雨のため火山灰土の畑には入れなかったが行った日にようやく入れそうな水気の土になっていた。

耕運機で畝間を掘り返しジャガイモ周りの草は手で引っこ抜くという作業を始めたが、これが意外と重労働、午前の耕運機だけでかなり疲れてしまった。

午後も作業を続けたが、頭上の太陽もあって休み休みも作業は完了しなかった。

”年寄りの冷や水”なんて言葉も頭にちらつく中、こちらでの百姓仕事もここらが潮時かなと感じてしまった。

 

今日は一日疲れ休み、、、、七輪の上に乗せた鍋に淡竹をいれゆであがるのを気だるい気持ちで眺めて過ごした。

 

 

 

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2024年4月17日 (水)

ジャガイモ植え

何とか日暮れ前に帰って来た。きのう朝早く長野に向けて出発しジャガイモの種を植えてきたのである。

耕運機で土を柔らかくして溝を掘り肥料を撒いての作業は、一昨年まで弟夫婦を交えてやってきたのだが、昨年はコロナの影響もあってやめるまで十数年春の恒例行事だったが、春の交通事故もあって昨年で打ち止めにしようと思っていた。

しかし、一年休んでジャガイモは買い食いをしてみると、そのまずさから今年”再開?”してみることにした結果である。

しかし、体力の低下をこれほど思い知らされたのも今回の仕事ぶりでわかった。とにかく疲れた。

午後に入って早々に植え付けをやめたのは、足腰に痛みがはいり気力が失せたせいである。

屋度に入って一番にしたことは温泉ではなく、横になってひと眠りであった。

今日も疲れから早々に寝ることにした、。

 

 

 

 

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2023年12月26日 (火)

年末調整?

重なる時というものは如何ともしがたい。

まるで年末調整ともいうべきか、11月に二件の葬式があり二度あることは三度あるなんて先日書いたばかりなのに12月に入って二件の葬式に出席しなければならなくなり、閻魔様の数合わせが身の回りを巻き込んでいるようだ。

今度は飛騨市のいとこが亡くなった。96歳という高齢なので致し方もないが、入院しているとは知らなかったので当方としては急な知らせであった。

自分の家からすると本家になり、鉱山にいたころはともに”しんさく員”という削岩機で孔を掘り発破をかけるという現場での仕事だったが日ごろ「そんな仕事をしていると早死にするぞ」と言っていた連中が先に死んでしまったと言っていた。

自分はそんな仕事を10年で辞め鉱石探しのボーリング係に転向し鉱山で21年働いて静岡に出てきたのだが、同じ仕事をしていた仲間としてよく語り合った仲だった。

 

と言うことで連絡があって急遽出かけたが、どのルートにするか行く間際まで迷った。

その前日は中部縦貫道は雪のため通行止めとなり、松本からの安房トンネル経由や中津川からの舞台峠も心配だったので美濃加茂まで自動車道を走りそこから41号線を走ることにした。

下呂の手前からこの道の両側の山々は白くなり高山を過ぎて道の両側は白くなったものの道路上には雪がなかった。

その後数河峠は薄くあったもののスタッドレスタイヤはよく効き、順調に神岡に行くことができた。

ただ、時間はかかった。何度も休憩を入れたためもあったが距離は320km、時間は7時間半を超え夕方になってようやく到着した。

しかし、ときすでに遅く火葬を済ませた後で最後の別れはかなわなかった。

 

 

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2023年11月22日 (水)

赤蓼科

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朝焼けの蓼科山、山頂にこのあたりの名称になった”鍋蓋山”のつまみの部分を真っ白にして朝もやの彼方に浮かんでいる。

蓼科山は標高2351mという高さを誇りながら日本のほかの高山と違って岳がつかず山になっているのは、

コニーデ式と言われるなだらかな台地のような形状が山の高さを隠しているせいかもしれない。

そのためか、諏訪富士は良いにしても飯盛山、黒斑山 女ノ神山、そして鍋蓋山など愛称で親しまれている。

この山には三度上っているが、最初に登った将軍平から上の巨石が積みあがったような山を形成し山頂には鳥居と共に中央部には火口のあとみられる臍のような窪みが見られた。

これは台地上の山塊の中央にトロイデ式というマグマがゆっくりと地下の岩石を持ち上げて釣り鐘上の複式火山を形成しているためで、この部分に樹木がほとんどないため麓から白くみえる部分である。

そして、この大地の周りを取り囲む町の一つに立科町というのがあるが、この町のいわれについて気になって調べてみたら、古いむかしこの山に立科という字で書かれていたというものもあったが、町名を作る時”蓼”という字が当用漢字になっていなかったからいうのがあったが、そうなるとこの町名は意外と新しいことになる。

何れにしろここ二~三日の晴天は放射冷却が強かったようで、自動車のフロントガラスが全面ガビガビ状態でお湯をかけて視界を確保した。

 

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2023年9月11日 (月)

黄金に色づく

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「一時はどうなることやら」と言っていた長野県東部地方の田んぼも真っ黄色に染まっていた。

一部で刈入れを始めているが自分が貰っている親類の農家は今月末には新米が出来そうだと言ってる。

それにしても、六月の梅雨明けから雨が降らないのは新潟県とよく似ており、田んぼの地割れはもとより一部では雑草が枯れたところさえあったという状況を乗り越えての収穫はまた格別な思いがあるんだろうな。

静岡の自分が耕している畠も植えた野菜の出来が悪かったが、雑草はぬいても抜いてもすぐに復活するので「さすが雑草はすごい」と思っていたがこれが枯れるほどの干ばつはちょっと類がないように思う。

来年からさらに気温が上がり、日差しも強くなると「命に危険な気温」と上回った表現が必要になる。

将来的には砂漠化してしまうのではないだろうか。

気温ばかりではないかもしれないが、古代人の岩絵や遺跡などによるとサハラ砂漠やゴビの砂漠も昔は木が茂り動物が沢山いたようだ。

地球の歴史から見ればやっとこのあいだというくらいの短い時間で変化したことになる。

 

 

 

 

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2023年8月15日 (火)

津金寺の万燈

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立科町の古刹津金寺の万燈が今日も夕暮れになると火をともす。

広い境内には高さ50㎝くらいの提灯提灯をかなり沢山つるしているほか、さらに小さな明かりを半径一キロくらいの範囲の道筋に張り巡らし、その名の通り万燈会である。

もともとは八月一日の夜観音万燈会から続く行事のようだが、義弟の初盆を行なうため行った夜は誰一人いない境内となっていて砂利を踏む音がさやさやと響き厳かな雰囲気を醸し出していた。

 

”月日は人を待たず”とか、久しぶりに訪れた長野県東部は十三日まで雨らしいものが二か月近く降っていないとかで農家をやっている連れのいとこたちは「畠が乾いて仕様がない」と言っており、台風が雨を連れてくるのを待っているようなありさまだった。

自分たちにしてみると、十四日と十五日に大雨を連れて東海地方に影響のある台風が来る前に帰ろうということになり一日早めて変える支度をした。

十四日、天は味方してくれたようで清水ジャンクションに入るまで持ちこたえてくれ、無事に帰静することができた。

 

 

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2023年4月21日 (金)

鍋蓋

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佐久平から見た蓼科山を鍋蓋山というと聞いた。

なるほどうまく名付けたものだと感じたのはいつの頃だったか。

山頂の標高は2,531mだそうだが2,350m付近から上はコニーデ式火山の特徴である巨岩が積み重なった火山噴出物で覆われ樹木がないため、遠目にはそこから上だけが白くみえ、なだらかな山容が鍋蓋だとすると山頂の白い部分はつまみに見えてしまう。

この山にはルートを変えて北側からと南側から二度上ったことがあるが地元の子供たちは遠足を兼ねて一度は登ったものだそうだがいまだもそうなんだろうか。

 

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2023年4月20日 (木)

池の鯉

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昨年亡くなった義弟の菩提寺の庭の池、水がぬるんだため鯉の活動も活発になったようで舞い散った桜の花筏のあいだを悠々と泳ぎまわっていた。

まさに童謡の世界をあらわしているようだ。

 

出てこい 出てこい 池の鯉

 

今日は穀雨。 「春雨降りて 百穀生化すればなり」という。

田植えの準備、籾を撒いて発芽を促すなど温暖化の影響か例年より早い季節の移り変わりにあわせて、いつもの年より早めに推移していく。

 

 

 

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2023年4月19日 (水)

新幹線

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連れの同級会がこれでおしまいになるというので長野まで付き添っていくことにし、東海道新幹線は二十年以上になり、長野新幹線は初めての乗車した。

進歩の激しい時代にあって二十年ぶりというのは訳が分からなくなってしまうということになり、身体障碍者は切符売り場で買わなくてならないし、改札の時どれとどれを入れたらよいのか試行錯誤と言った状態で通過した。

行きの経験をもとに、帰りも同じことの繰り返しと思ったらバーが開かなくて、「駅員にどうして?」って聞かなくてはならない。

Time is monyということばがあるけれどmonyをhealthに置き換えられるのかな思ったもののその効果はいずれわかること、、、、

 

むかしのように身延線と小海線で出かければよかったのかもしれないが五から六時間かかるのでいくら急ぐたびではないにしろ疲れると思い新幹線の利用で行くことにしたが時間的には半分の時間で行くことができたものの人混みと新しい駅舎の移動と楽しみの済んだ後の脱力感などで連れはかなり疲れた様子。

付き添う自分も片手で連れのトランク、自分の荷物はリックに入れての二人分の荷物で、、、、、

 

これで、これからの信州行はよほどの覚悟が必要そうだ。

 

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2023年2月24日 (金)

春は名のみ

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急な申し込み、休日の前日だったのにもかかわらず宿の方は「あけておきます」と快諾してくれた。

天気の様子見と日程の都合でなかなか長野へ行く日が決まらなかったのが原因であった。やはり定宿の夜に行くか言い数が多いとこんな時にはよくしくれる。

空は真澄に晴れ、気温も春らしい朝だったが、山梨県の八ヶ岳高原大橋あたりまで登るとかなり寒さを感じてしまう。

たもとの駐車場から下をのぞくと川岸当たりから水が出ているようで、大きなつららが垂れ下がっていた。

一方めを南アルプスの方をに目を向けると甲斐駒ヶ岳を中心に北限の山々が大橋の黄色い橋げた彩を添えて写真映えしている。

北側の八ヶ岳も引けを取らずに聳えているさまは、相撲でいえば大関と小結の対戦と言っていい状況か、、、

なぜなら、橋の中ほどまで行けば見える横綱 富士の山がまだ入口の奥に控えているからである。

 

野辺山の峠の気温計はマイナス3℃、日当たりは良いのだが吹く風が冷たいのだろう。

道路上には雪もなく、除雪剤の塩化カルシュームが霰と見まがうばかりに白い粒を路肩に集めていた。

まさに、”春は名のみの風の寒さよ”を地でいっている感じがする。

むかしは路面凍結の難所でもあった下り道も難なく過ぎて、出発から三時間半で佐久に到着、、、、、

病気見舞いやらコメを調達して主たる用事は終了する。

 

 

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