2008年10月 6日 (月)

これも万治の石仏

Img_0008 昨日は山から下りてきたのが、十時を半ば回った時間。

田んぼは既に片付いてすることもないということでいつも林檎を買っている近所の農園に顔を出すと、最近長野県農協推奨の「シナノゴールド」という品種の林檎の取り入れ時期だとかで選別しているのに出くわした。

一見他の林檎とは素人目には区別しかねるが、”省き”と言われる規格外の林檎を貰い食べてみる。十一月に収穫になる富士に比べると甘味は少ないが、ジュース分が多いように思う。採りたて直後のためもあってか、サクサクと歯切れが良い、ここしばらく林檎を食べていなかったので大きなのを一個丸ごと食べてしまった。

午後になって、望月町の「万治の石仏」を見に行くため元の役場によって石仏の地図を貰ってくる。

信濃は一帯に石仏や歌碑の多いところだが、望月町にも三千体にもなるという石仏があるといわれ、その中で”万治の石仏”は諏訪の同じ名前のの石仏を見てから知ったものなので是非と思っていた。

三千体とも言われる石仏の中、古さから言えば鎌倉時代からのも沢山あるというので江戸時代に入ってからの石仏は古いほうではないが、それでも400年くらいになる。

地図を見て場所が分かった。よく泊まる義妹の家の近くで散歩にも来たことがあるところだった。しかし、来てみると何処にあるのか分からない。案内板が無いのだ、もともとここにあったのではなく、何処からか持ってきて古墳の上に乗っけたという話も聞いていたので、簡単に見つかるかと思っていたが、古墳さえ分からない。

Img_0007 ようやく探し当てたのは、15分ほどそこらを歩き回った末、墓地の間に何本か木が生えている根方ぽつんと言った感じで鎮座していた。傍に「万治の石仏」と書いた小さな標柱が無ければ、周りの墓地の石仏と区別がつきにくいほど、、、。

石仏は高さは1㍍に満たない小さな大日如来像で、諏訪の物とは比べようも無いこじんまりとした物であるが、諏訪の石仏のような異様さは無く、少し頭が大きいかなと思ったのと半眼に瞑った優しい顔は、良くある野仏顔と違って、どこかで見た人という感じがした。

昔から、諏訪湖の向う、高遠には石工が多く一帯の仏像を制作したというが、これほど数多くの石仏を信濃の人はどんな気持ちで作ったのだろうか。

諏訪の万治の石仏は頭と胴の制作年代が違うということらしいが、万治という時代はどんな時代だったのだろう。

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夕方になって雨が振り出した。知人が飲み放題の店があるというので、佐久市まで出かける。創作料理を出す店で味もかなり良かったが、五人のうち酒を受け付けないのが二人。このごろ富みに弱くなった私は勧められても生ビール三杯が限度。

あんまりお得ではなかったね。といいながらの御帰館。

でも楽しかったから、、、。

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2008年10月 4日 (土)

黄金色に染まった田んぼ

Img_0016 昨日、長野に着いて午後になって田んぼに入った。「天気が良いので」と、すでに義弟は一枚の田んぼの稲刈りをほぼ済ませていたので、稲の稲架の手伝いからになった。

黄金色に染まった田んぼの中を軽快に稲刈機は進み結束しては放り出していく、その後からキャタビラー運搬機で稲を集めて運び、稲架に架けるのだが、所変わればやり方も違う。

去年やったのをすっかり忘れて、また一から指導される。長野では稲束を片方は一握りしてまたがると言うより、鉄棒に足をかけたような格好にし交互に架けて、さらにその上にまた一段架けていくと言うのが普通のようで他の田もそんな架け方をしてあった。

仕事が済んだのは日没で五時だったから三時間弱だったが、その後の歓迎会で散々のお呼ばれで、布団に入ったらバタンキューでお終い。

そこで、本日は、朝八時からの作業開始。午前中は昨日の残りの稲架かけ。一つの穂に米が120粒以上付いていたとか、この調子なら反当り十表は軽いねという話で、上々の出来とかで気持ちよく作業が出来る。

また、田んぼの景色が静岡とは違う感じだったので、何かなと、思っていたら稲の穂だけで無しに葉も黄色く染まっているため田んぼ全体が黄金色になって陽の光が当たるとそれこそ綺麗に反射している光景だった。

朝夕の気温差が大きいため、暖かい静岡と違って葉が黄葉化し、文字通り黄金色の秋を迎えている。

Img_0049 そんなこんなでやっていたら、隣の田んぼには大型のコンバインが入りエンジンの音も勇ましく刈りだした。

その光景は、以前にNHKのテレビで見た「鉄と鎌」?という題名だったと思うが、中国の麦畑を鎌一丁であちこちの麦を刈り回る農民とコンバインを持ち込んで大量に刈り取る人が価格の競争をしている様が思い出された。

義弟によると、自分たちがやっている大きさの田んぼだと、刈り入れ、脱穀乾燥などで八万円程請求されるそうだ。今のところ自然乾燥、人手の脱穀という旧来の方法に比べれば品質に差があり、よほど忙しくなければ頼めないとのことであった。

午後になって、応援も来てくれたので大体のところ目途がついて日没終了となった。こんなに長時間働いたのは久し振り、疲れは足にはそれほど来なかったが、体全体、特に手首に来てしまった。

夜は、近くの日帰り温泉に出かけ、ポテトチップスを肴に生ビールにカツカレーでめでたく出来上がり、八時過ぎにこれまた寝床に潜る。

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今日の花。土手に咲く花

左、吾亦紅(ワレモコウ)細い茎の先に小さな花が密集して咲く。吾木香、我吾紅などいろいろな漢字が当てはめられるが、私も紅いという字が一番かな。  右、釣鐘人参、小さい雌しべをぶら下げて西洋の鐘のような形が面白い。

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2008年8月10日 (日)

ようやく出会えた万治の石仏

P1010020 それは怪奇とユーモラスを混交したような顔をしていた。日本では見たことのない石の顔であった。、、、、、、、(中略)

顔の面積の三分の一を占有するほど大きな鼻の下に一文字に掘り込んだ小さな口があった。両眼は深く刻みこまれた凹部としてのみ存在していた。素朴といえばそれほど素朴な石の顔は見たことがなかった。

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P1010022 上の文章は、昭和51年に発表された、新田次郎の”万治の石仏”の一節であり、新田次郎が万治の石仏をはじめてみたときの印象であると思われる。

この石仏を、イースター島のモアイ像に結びつけ”万治の石仏”とした物語を初めて読んで以来、一度見たくて探したが、いつも道に迷い、なかなか出会えなかった。

普段、長野への行き来は野辺山が多く、そのほかとしては茅野のインターを使うため、諏訪神社 下社春宮のほうには行く機会も少なかったが、今回は暑さを思って午前中に立科町を出たため時間もあり、よい機会と思い尋ねた。

”万治の石仏”は写真や先日の首伸ばし事件で見ているが、実物はまた違った印象であり、顔とその下の自然石に掘られた僧衣とは明らかに釣り合いは取れないものであることは確かであり、新田次郎が想像したのも順当なことかもしれない。

万治年間といえば1,660年だというから、江戸時代初期のうちに入る。それ以前の首はどんな祭られ方をしていたのだろうか、どう見ても仏の顔と言うより鬼の顔に近いのではないかと思う。

P1010025 とにかく印象的な顔をしてござった。しばらく、眺めたが何時までも飽きることのない姿かたち、、、、。そのうちにせっつかれてしぶしぶ春宮へ参り、駐車場に戻る。

駐車場には、じゃが芋と玉蜀黍を積み込んだ上、あちこちで暇乞いをするたびにお土産としてもらった、野菜や鮎などで自動車の中の後半分は荷物の山。

いつもの事ながらありがたいことこの上もなし、、、と思いつつ、自動車は後荷の重みに耐えかねてそっくり返ってのご帰宅。

”万治の石仏”佐久市望月にもあるとのこと、知らなかったので次の機会に見に行こうと思っています。それにしても、万治という時代と石仏は何か意味があるのでしょうか、その辺もあわせて分かれば幸いです。   (八月十四日)

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今日の花。立科町に咲く花

左、川原撫子、日本女性に見立てられるはなの一つだが、こうしてみるとしとやかさより、華やかさが目立つ。  右、南蛮繁縷(ナンバンハコベ)帰化植物ではなくれっきとした在来種。花の派手さから名付けられたとも言うが、、、

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2008年8月 9日 (土)

焦熱地獄を覗き見る

Img_0115 寝起きの散歩。朝の食事は七時半からという話だったので、それまでに一汗流して風呂に入ろうと外に出る。

すぐ傍の、馬事公苑に来ればすでに馬は起きている気配がし、馬小屋の中でごそごそと動く音がする。

その脇を通って、更に農道を巡り帰って来れば女性を乗せた一頭の馬が朝日の差し始めた馬場の中を巡っている。

此処しばらく雨が降らなかったのか、草露はあったのに馬場では砂埃が立っていた。

朝風呂にのんびりと浸かれば、朝ご飯の用意が出来ているとのことであわただしく食堂に向かう。

今日も暑くなりそうな気配は、空に現われている。「農産物の店が開くまで」と涼しい部屋で九時過ぎまでゆっくりとした後、望月の町のほうに向かって降る。

弟夫婦は、今日帰るというのでじゃが芋の支度、とうもろこしほか農産物の仕入れに余念がない。昼少し前に和田峠経由で帰っていった。

さて、残された我々もすることがないし、暑いので、女神湖から御泉水自然園、そして大河原峠へ向かってみようと出発した。

御泉水自然園は蓼科山の西麓にあって標高は1,800m程度のシラビソ、栂、岳カンバなどを主体とした自然林の中に植物や小鳥を観察できるようにチップを敷いた観察する道が作ってある。

今回は、足弱のものがいるため、お花畑コース約1Kmを散策する。

Img_0010 季節の変わり目だったのかヤナギラン、野アザミ、白山フウロ、ツリガネニンジン、など花の数が少なかったものの歩きやすい道は快適である。

そこを出たあと、さらに東に向かって進み一番高みの大河原峠に到着。標高2,097mの標識があり気温は19℃まで下がり最近になり、そよそよと吹く風はまさに極楽風。気分まで爽やかにしてくれている。

Img_0015 下には、望月町とその周辺が一望できるものの、昨日小噴火したという浅間山は雲の中で見えない。そして、その雲の中に雷様が隠れていると見えてさほど大きな声ではないがうなり声をときどき発していた。

こんな所にいると、なんだか芥川龍之介の”蜘蛛の糸”のように、極楽の蓮の池から下を見ると焦熱地獄の地表を覗いているような気分になり、すぐ其処に帰らなければならないのを忘れ、観音様になった気分になる。

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今日の花。御泉水自然園にて

左、ウツボグサ    右、野アザミとヒョウモンチョウ

Img_0124 Img_0135                 

左、釣鐘人参  右、シュロソウ

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2008年8月 8日 (金)

早朝芋ほり

Img_0091 早起きは三文の得という言葉があるが、昨日の日中の暑さはとても畑に出る気力を無くした。

その言い訳に”あしたは五時から畑に出るぞ”と宣言した手前仕様がない。

時間通りに、畑に出て三つ鍬でじゃが芋ほりにかかる。半月ほど前に半分ほどを掘った時と違い、草ぼうぼうになった畑の中、畝に見当を付けて掘り出すのだが雑草の根がしっかり広がっていて力が要る。

一畝掘っただけで手のひらに水ぶくれが出来、慌てて手袋を探しに戻る。その時点で他の連中も起き出してきて、草刈を先にしてくれた。

二時間余、全てを掘り起こした後汗だらけの身体にぬるいシャワーの感触が心地よい。朝飯前の作業は昨夜のアルコール分を吹っ飛ばしてくれ、御飯が美味い。   おかわりの連発

昨日は、立秋。秋の始まりとされ、朝晩に秋の気配が感じられるようになるとあるが、そんなの関係ないとばかりギンギラギンと灼熱の太陽が照りつけ、入道雲はぐんぐんと沸き立つ、涼しさを求めてきた立科町で36℃を温度計は示している。

朝仕事は捗ったが、ダメージは大きいようで、戸を開け放ち風を入れながらごろ寝を決め込む。

今夜は、春日温泉泊まり。いままで何軒か泊まったが、一番泉質がよいと思われる宿を急遽頼んで向かう。

お盆の時期なら難しいことだろうけど、今の時期はまだ空き室があって快く返事を貰った。

この温泉はアルカリ性の温泉ということで、湯にぬるぬる感が強く、少しぬるめのお湯は疲れ取りに、、、、そして、女性には評判の良い美人の湯ってことらしく何度も来ている。    

また、源泉掛け流しということで、飲用にも出来るため、湯の出口にはコップが置いてあった。しかし、飲んだ効果がどうなのか見た限りでは書いたものもなく不明。しかし、お腹の中も美しくしてくれるなら良いか、と一杯飲んでみたが味は呑みにくいものではないもの美味くはないし、効果の程は此方も不明。

ということで、夕食後今日から始まる北京オリンピックの開会式を見る予定だったが、どっと疲れが出たらしく九時前に夢の世界に入ってしまった。

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今日の花。春日温泉に咲く花。

左、小葉擬宝珠(コバノギボウシ)普通見られる大葉擬宝珠に比べると花の形がラッパ状で、直立している、もっとも大きな違いは葉が名前の通り細く小さい。  右、薔薇、もっとも原種に近いらしく野ばらを色濃くした程度の花をつけている。  

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2008年8月 7日 (木)

気力を削ぐお日様

Img_0061 露天風呂から見上げる笠が岳

Img_0054 枕もとの突き上げ窓は、昨夜来ずっと開けっぱなしで一夜を過ごした。朝方の冷気でシーツの中に潜り込んだものの、予想より気温は高かった。

目ざめれば、外の草木はしっとりと露を含み、鶯の声が聞え、昨日は見えなかった四囲の山々に朝日が当たり始めている。

Img_0042 一人で来ていたなら、きっと予定を吹っ飛ばして、どれかに登っていただろうな、なんて考えながら朝風呂に浸かって空を見上げる。

朝の食事は七時半、朝風呂を済ませて腹を鳴らして待つ。食事中になって主人が「ケタルさんは神岡の出身だそうですが、私の親父を知りませんか」と経歴をいう。「その人なら良く知っていますよ」と答え、更に話を進めると、中学の後輩になり、弟夫婦と主人の姉が同級生ということまで分かってきた。

まさに、”縁は異なもの 味なもの”というが何処にどういう知り合いが出来るか分からんものだ。

支払いを済ませてから、天気が良いからロープウエイで登ってみようということになり、始発から間もない時間、客の少ない中ゆうゆうと腰掛けての空中散歩となった。

Img_0068 目の前に笠が岳、北に西穂から槍ヶ岳、南に焼岳を眺めてゆるゆると登り、ポストを通過する際、ゴンドラが揺れるたび小母さんが大げさに騒ぐ。このくらいの年になれば、度胸が据わっているものと思うのだが、、、、

終点で下車すれば、三人のカメラ屋さんが大きな声でシャッターを押してあげますよと声をかけている。最近では猫も杓子もデジタルカメラと携帯電話のカメラで頼む人も少なく、実いりも少ないに違い無いだろうが、大声は自然にはそぐわない。

これで此処に来たのは何度目になるか、いつものようにシラビソの森を散策して戻る。長野でじゃが芋掘りが待っているのだ。

降ってから、平湯温泉~松本~三歳山トンネル~鹿教湯温泉を過ぎて立科町へ着いたのが昼少し過ぎ、食事を済ませて畑に行って見たが頭上から降り注ぐ太陽の熱は、気力を削ぐに充分の威力がある。

結局は、ゴロゴロとして日没を待ち、お接待のビールとバーベキューを目の前に見せられれば、「芋ほりは明日の朝、、、」と腰砕け

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今日の花。西穂高ロープウエイ終点

左、岩桔梗、高さ10㌢の小さい草、蛍袋の仲間。右、リュウキンカ。湿地に良く見られる、長い柄の先に一つだけ花を咲かせ、花後の種も面白い。

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2008年8月 6日 (水)

内風呂に入る人はいません

Img_0048 閑人は世間の波から少し離れて動くをモットーにして早めの盆休みを取ることにした。

静岡から国道52号線沿いに鰍沢。そこから自動車道を松本まで走った後、梓川沿いに上高地入り口、そして、安房トンネルを抜けて、故郷まで380kmほどを駆け抜けて墓に着いたのが丁度お昼だった。

約六時間の長距離運転。弟夫婦と落ち合った後、まずは腹ごしらえ、、、、そして、草茫々になった墓掃除と墓参りの後、お寺によって挨拶。

長野から岐阜県に入った平湯温泉は気温24℃と気持ちの良い気候だったが、草むしりの墓掃除では34℃の炎天下の作業、「これでは静岡と変わらんな」というのが感想。お陰で親不孝を承知で涼みを求めて宿近辺まで早々に引き返すことにした。

今夜の宿は、標高1,200m、北アルプス唯一の活火山焼岳の麓、登山口にある中尾温泉である。泊まるのは初めてであるが、まだ二十代の頃、焼岳に登る際は良く通過した所だけにかって知ったる土地である。

近くには、西穂高に登るロープウエイがあり、正面は錫丈岳と笠が岳、背面には煙をたなびかせる焼岳が眺められる場所にあり、50年位前には温泉が間欠泉のように蒸気を伴って吹き上げ、余った湯は道路に流して雪を消していたことも有るくらい湯量豊富な温泉であった。

しかし、ここまで来た時には、厚い雲に覆われてしまいロープウエイ乗り場まで行ったもののそのまま引き返して宿に入った。

Img_0059 宿は、外国の山小屋風の外観を持ち、内湯二つに露天風呂三つ、客は十六人なので何れも貸切風呂である。仕組みとしては、入り口にかかっている「入れます」という看板をひっくり返して「入っています」すれば良いだけ、、、

宿の主人曰く「内風呂に入る人はほとんどいません。少し待っていただければ、、、」とのことだった。

早速入らせてもらい、六時からの食事の後何もすることがないのと、久し振りの長距離運転で疲れたのとで、九時過ぎには床に入ってしまった。

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今日の花。中尾温泉に咲く花

左、牡丹蔓(ボタンヅル)仙人草に良く似た花だが、葉が牡丹に似ているということからつけられた名前。集団になって咲く姿は白い雪のよう。 右、千手岩非(センジュガンピ)ナデシコ科の植物、といわれれば花の形が良く似ている、千手とは見つかった場所を言うらしい。ちょっと見には白いナデシコと見間違えそう。

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2008年6月18日 (水)

農家の朝は早い

Img_0176 昨日六月十七日。農家の朝は早い。東の空、浅間の右肩が明るくなる五時少し前から林檎畑の中で音がする。

なんと言う名前の機械かは知らないが、消毒液を噴霧する四輪車で林檎の木間を走り回って、林檎の木よりよほど高く吹き上げ、遠くから見ると白い煙のように見える。

当然、消毒というのだから有害物質なので、運転する人は合羽を着込み、マスクをするという厳重武装をして赤いポンプ車(?)にまたがっている。

この車もう一工夫して、運転席を覆うことが出来なかったものかと思うが、何か理由があるのだろうか。義弟に聞くと朝早いのは風が少なく、消毒液が余計なところに飛散させないためだと言う。

林檎摘みの時期だけが仕事ではないと思ってはいたが、年中何がしかの手入れをしなければならない。なんでもそうかも知れないが手間のかかる作物で「大変なんだ~」。

今日は、静岡に帰る日なので、若干のみやげ、(農産物がほとんど、、、、)を買い揃えたついでに近所の津金寺に何か花が無いかと寄ってみると、ツツジは盛りを過ぎ、九輪草はすでに済んで丸い実をつけており、一区切りついた様子。

奉仕の婦人に混じって和尚もエンジン付きの草刈機を操作していたので、挨拶はしたものの、こんな大きな寺の和尚が、、、、、と思うと「大変だぁ」と言う感想しかでてこない想像力の貧困さ。

午後になって出発。大門峠を越え女神湖周りの蓮華ツツジを車窓から眺めて白樺湖、茅野に下って中央道回り、約五時間の運転で帰って来たが、かなり疲れ気味だったので、うつらうつらと18日は過ごした。

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今日の花。津金寺横の池に咲く 左、コウホネ 右、ヒツジグサ

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2008年6月15日 (日)

長野に向かう

Img_0175 先日来、長野で植えたじゃが芋がいい具合に育ってきたから、「土寄せに何時来るんだ」と電話があった。

そして、一昨日「日曜日に来るんだろ。手伝うよ」とまた別な友達からの電話で、「天気がよければ、、」と返事した手前、清水で肴を仕入れるともに、今年始めて一輪だけ咲く月下美人を葉の付根で切り長野に向かう。

ふるさと飛騨でもそうだが、長野でもじゃが芋は茎が枯れてからの取り入れになるので、お盆の前後になると思うが、ホクホクとした美味しい味が忘れられず昨年に引き続いての収穫が楽しみである。

費用対効果からいうと、買って食べて方がよほど安いものであるが、そこはそれ、じゃが芋を口実に、、、が一番の目的。

こんなことは、あと何年続けられるか、と思う年頃になると「出来るうちに。出来るうちに」が口癖になりかけてきた。

着いた所で早速土寄せをはじめ、大汗をかく。「この調子ではビールが美味いだろうな」「生ビールで乾杯!なんてのはどうだい」ということになった。

そうなると、今晩咲く月下美人を愛でる人がいない。やむなく、毎年林檎を分けてもらっている農家に持参し、「今晩咲くはずだから」と置き、夕方になるのを待ちかねて繰り出した。

九時過ぎに帰って来たが、疲れとほろ酔い以上~泥酔未満で普段より早いとは思ったが、バタンキュウ状態で眠ってしまった。

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今日の花。左、じゃが芋の花、めったに実を結ぶことのない花だが、トマトの仲間だけあって良く似た実がなることがある。右、白花九輪草(クリンソウ)もう花に時期が終わり先端の一段だけがかろうじて咲いていた。

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2008年4月29日 (火)

外国人だらけの、、、

Img_0078 「世の中は三日見ぬ間の桜かな」という言葉があるが、この時期の花の移り変わりはまさにその通り。

半月ぶりくらいの静岡城北公園は、桜は濃い緑の葉桜、藤も終わり、皐月も、、、、となった中で、いま、ヒトツバタゴ(別名ナンジャモンジャの木)が雪をかぶったように真っ白な花を盛り上げたようにして「どんなもんじゃ」と言っているように咲かせていた。

年々、木も大きくなって見事な景観になってくるのが分かる。「年年歳歳花相似たり」は通用しない。

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25日 小諸から草津へ

Img_0174 田沢温泉でゆっくりと朝の長風呂をしたあと、小諸の懐古園にやってきた。

義弟からは「上田の桜はもう遅いけれど、小諸ならひょっとして、、、、、あそこは川風で一段と寒いからね」というので一縷の望みを掛けて来てみたが、昨日の雨でかなり散っていた。

馬場先の石垣には降り積もった花びらが縁取りし、これも雪を思わせるほどの状態になり、

Img_0171 花さそふ 

あらしの庭の雪ならで

ふり行くものは 

    我が身なりけり

という百人一首の一句を思い出した。ふりゆくを古ゆくに変えて老いてゆく身をを嘆き悲しむ歌だといい、一世を風靡した人でもいずれは、、、老、病、死から免れることができないことを実感するという内容という。

この日は、城内の小諸神社の祭りとかで、城門近くでは香具師も沢山出ていて懐古園の額が掲げられている付近では写真も難しい状況だった。

Img_0186 ここで昼食をとったあと、軽井沢から峠を越し鬼押し出し(写真、左)へ、入館料1人600円を払ってはいれば、季節柄か前回(7年位前の夏)よりも人は多くないものの、話す言葉がまったく違う人がかなり増えている。

そして、目的地草津温泉に到着したのが四時だった。今夜の宿は昨夜と打って変わって近代的な宿”テルメテルメ 中沢ウ"ィレッジ”

草津温泉中心部の北西、ベルツの森といわれる高台の森の一角にあり最上階からは浅間山、白根三山が望めるリゾートホテルだった。

Img_0192 ここは食事が別だったので、夕方街中に行くことにしホテルから湯畑のシャトルバスに乗ろうとしたら、台湾からの客が大勢乗り込んだため、我々だけ別のワゴン車で送ってくれることになった。

発車しようとした時、従業員に連れられて慌てて乗り込んできた女性客、トイレの間に置いて行かれたとのこと、お国柄か添乗員や友達も確認せずに出発してしまったらしい。言葉も分からない女性はかなり心配したことだろうが、終点で追いついても添乗員は”知らぬ顔半兵衛”

Img_0190_2 この日は、同じツアーでバス五台を連ねてきたそうで、湯畑に行っても外国語だらけ、カメラのシャッターも訳の分からない言葉より、手振りで頼まれ二度三度。そのたび「アリガトゥ」とイントーネションの違う御礼を聞く。

これからの、日本の観光地はこんな状態になっていくんだろうな。と改めて感じさせられた。

Img_0199 食事は、中華料理を頼み、外に出れば照明の明かりに浮かんだ湯煙と神社の鳥居がここは日本だと言い、幻想的な風景をかもし出していた。

帰りのシャトルバスで運転していた従業員に「中国語も憶えなきゃ大変でしょ」と言ったら「難しくて、、、」とのこと、しかし、こんなに来れば風習や規則も日本慣れしてもらわくてはトラブルの元。

湯上りタオルを腰に巻いて風呂に入っている人を見たというが、はたして中国人?かと思った。というのもテレビで見る芸能人も巻いているから、それに影響された人かも、、、と、

まぶたが重くなるまで飲んだ翌日は霧が深く立ち込め雨も小止みなく降っている。宿の周りのザゼンソウや水芭蕉もさすがに時期を過ぎたらしく哀れね姿になっている。

昨日開通したと言う、白根山の道もこれでは何にも見えないだろうと、宿で弟夫婦と別れて一路静岡を目指し、長い旅路に終わりを告げた。

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今日の花。草津ベルツ森に咲く水芭蕉と座禅草。春遅いこの地でも賞味期限が、、、、 

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2008年4月28日 (月)

藤村も泊まった卓球温泉

Img_0035 今日は気温もずいぶんと上がっているようで、久し振りの麻機山の農道を軽装で歩いてみたがかなり汗ばんでしまった。

山はいま、蜜柑の消毒に入っている時期だが、蜜柑の葉で育つアゲハチョウの仲間と、食べられては困る蜜柑農家の戦争か。

黒い羽根、黄色い羽根、白い羽根の蝶が互いに入り乱れて卵を産む場所を探しているらしく、忙しく飛び交っていた。

.田沢温泉 ますや旅館

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24日。小雨が思い出したように降る中、桜も散った上田城、眞田の里などをうろうろと見て時間を潰す。食事は市内の「刀屋」という名代の店に入ったが、連休を控えて混み具合が少なく、ゆっくりと食事が出来たのが幸いだった。

信州上田から松本に抜ける道を少し左に曲がりこんだ所に田沢温泉という宿が五軒しかない小さな温泉場があり、その昔、島崎藤村も泊まったことがあるという”ますや旅館”という古い宿に泊まった。

この旅館は、10年前に「卓球旅館」という映画のロケ地ともなった旅館で、知る人ぞ知るという宿だそうだが、映画については知らなかった。

Img_0157 何しろ、藤村の時代の建物ということで、当時はモダンな建物だったかもしれないが木造三階建ての建物は何処も歴史を感じさせるものがあり、ゆがみのある小さな窓ガラス、ギシギシと鳴る階段、天井の高い部屋の外回りを縁側が囲んでいるうえ、掛かっていた寒暖計は「なんでも鑑定団」に出したいくらいのものであった。

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Img_0161 風呂は、源泉掛け流しだが露天風呂と内湯だけ、40度に満たないと思われる湯温は長く入るに適しており、硫化臭とともにいかにも効きそうな感じがする。

さらに、すぐ傍にある桜の大木から花びらが舞い落ちて露天風呂に浮かび、風呂に身を沈めると花びらがお湯とともに流れ出る。こんなわたしでも詩情を誘われる、、、、勿論 出来なかったけどね。

ただ、洗い場のプラスチック製の腰掛が割れていて、腰掛けると割れ目に尻の肉を食われて痛かったのも、、、、、、、

食事は、長野だけに山菜と鯉料理。  なので、”古きを親しむ”という心が無い者にはチョッとという所もあり、誰にでも進められる宿ではないようだ。

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一ヶ月前の春を楽しむ

今日も穏やかな春というより初夏の一日になり、長野周りの気候から見ると、一ヶ月ほど進んでいるように見える。

笠取峠の松並木

Img_0102 23日。朝早く豊田を出発し、九時過ぎには長野県立科町に到着した。

今回の旅行の名目上の主目的(大義名分?)は”立科町でじゃが芋を植えよう”だった。「こんなに遠くまでじゃが芋を植えに来るなんて」という人もいるが、地味が良いのか静岡では味わえないほど美味く、昨年も収穫した100kg余をまたたく間に食べきってしまったので、今年はさらに量を増やす事にした。

畑はすでに義弟が掘り起こし畝を作り肥料を入れてくれていたので、種芋を植え、土かぶせするだけの大名植えだったので、手に肉刺や水膨れなども作らないで済んだ。

大名植え。植樹祭などに見られるように全てお膳立てが出来た所で手を汚すことも無く格好だけの木を植える作業的儀式をいう)

20kgの種芋だったが1反歩ほどの畑に全て午前中に植え終わり、午後には時間が出来たので4kmほど離れたところにある天然記念物”中山道笠取峠の松並木”を見に行くことにした。

東海道に比べれば、中山道は江戸時代の面影を残している所が多く、この松並木も同様である。しかし、幕府が小諸藩に赤松753本下げ渡して芦田の宿から峠の頂上(887m)まで風除け、日除けのために植えさせた物と記されているが、今では100本余りになったそうだから規模は大幅に縮小されたことになる。

Img_0107 ここでも、すでに見終わったものと思っていた桜が満開を迎えており、松の緑、根元のタンポポなどとともにのどかな田舎の春をいっそう花やかなに引き立てていた。

Img_0130 そして、帰り道いつもどおりに津金寺の境内の桜(上の写真)、そして下の写真にある。カタクリ、ヤマエンゴサク、リュウキンカ、アズマイチゲ、ヒトリシズカ、ニリンソウなどを楽しんで帰れば、近所の知り合いが毎度の事ながら「夕食に来ないか」と誘いあり、夜遅くまで歓待を受ける。

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2008年4月27日 (日)

女城主の城に登る

昨日の朝、霧雨に沈んだ草津の宿で、長野の聖火リレーの映像を見ていた。

どんな服装をしていても警察官に護衛されてのリレーには白けさせるものがある。世界各地で報道された聖火リレーの中では比較的平穏に行われたものだろうが、中国政府の思惑と逆に、世界中にチベット問題をばら撒いたようで、最初、内政問題で片付けようとしていたものを、やっとダライラマ側との交渉すると発表し鎮静化を図ることにしたらしい。

あとは、口先だけ、上辺だけで終わらせないように願う。

.歴史に悲しい岩村城のこと

Img_0053 22日。(写真上。岩村城のシンボル六段の石垣。本来は一枚の壁だったものを江戸時代に入って法楽予防に重ねて補強してあるとのこと)

豊田市外から北におよそ70km。岐阜県岩村町に13年ぶりの再会となる従兄弟を弟夫婦とともに尋ねた。

Img_0058 岩村町は、古くから東濃の中心地として重要な場所だったらしく戦国時代、武田信玄と織田信長の争いに巻き込まれた際に、信長の伯母に当たる人が城主になり、哀れな最後を遂げたことから有名で別名を”女城主の城”とも言われている、そのほかにも小牧長久手の戦いの際もここで戦いがあるなど、小さな町ながら歴史に名高い城である。

江戸時代には、松平氏の領地ともなり何人か老中まで出している家柄と、佐藤一斎や明治期の下田歌子など学問での有名人を出しているところで、街中は重要伝統的建造物に指定されている通りもあり、古い時代をしのばせる街である。

Img_0024 古い建物の多い中、紺屋を営んでいた”土佐屋”の内部を見せてもらった時はなんだか懐かしいような気分にさせるものが展示してあったりなど、、、、

従兄弟の案内であちこちを巡ってもらったが、食事のあと日本有数の山城で標高720mの本丸跡までゆっくりと登ることにした。

この城の建物は、明治の初め全国の城同様取り壊され、売りに出されたため石垣しか残っていない上、土地も民間に売却されたため植林されて、面影を大分失っている。

Img_0037 再現された太鼓櫓の脇から下田歌子の勉学所、そして石畳の坂(これは最近新たに敷いた)を登り、一の門、土岐門、霧ヶ井戸そして本丸の六段の石垣の謂われなど次から次えと説明を受けての登城となった。

本丸跡には桜の花が満開を迎えており、時々ハラハラと舞い散るなかに、低い音で”古城”の曲を流していたが、普段なら演出がどうのこうのという私でも静かに聞けるところがあった。

そうこうする内に午後も四時をまわった。まだ見るところも随分と残しているようなので「また次の時に、、、」と約束してこの町に別れを告げた。

Img_0072 帰る途中、明智光秀の生誕の地として知られる明智町に”大正村”というのがあり、これも寄って見ようと駐車場に車を入れたが時間も開館時間を僅か残すだけのため早足で見て、豊田市に戻ったのは夕日が沈んだ後だった。

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2008年4月26日 (土)

羅漢さんがそろた

21日から26日まで世間に先駆けて五泊六日のゴールデンウイークを楽しみ、世間が休みになる今日帰ってきた。

閑人には、あまり人ごみの中を歩かないほうが良いかと思ったためだが、観光地は世間の休みにそなえて準備しているため、当たり外れれはやむをえない所か、、、。

Img_0015 21日。暖かい日差しの中、豊田市の弟の家に向かって車を進めていたが、少し時間もあるということで、浜松西インターから奥山半僧坊”方広寺”に参拝して見ようという気になった。

ここの門前には、仕事の時何度も止まった定宿があり、懐かしい場所のひとつであり、参道の羅漢さんを、、と

Img_0005 しかし、久し振りの宿は代が変わったらしく、ひっそりしていたのと羅漢さんもなんだか新しいものばかりになったような感じと日当たりのせいでなんか違和感があった。

羅漢さんは、釈迦が入滅した後、経典を編纂するために集まった弟子たちだそうで、それぞれ有徳の僧たちであるが、その表情や形はさまざまに作られていて、本堂に祭られている仏とは全然違う雰囲気があり、なにやら親しみを覚えるものがある。

五百羅漢と言われるものの中にどれか一つ自分なり知り合いに似た顔つきの羅漢さんがいるといわれるが、ここの羅漢さんの大半は綺麗に磨きの入ったものが多く、清水の清見寺の羅漢さんのような趣になるには時間が必要かなと思った。

Img_0018 Img_0010 亀背橋(上)も若葉の合間に朱色の橋げたを見せていたが通行止め、時には五体になるという石橋の羅漢さんは今日も四体、(方広寺の不思議の一つというが、、、)など境内を一巡りで早々に引き上げ、門前町の名物直径8㌢くらいもあろうかという”おおあんまき”を買って、峠越えに三ケ日に降り、姫街道を豊橋インターに向かった。

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2008年3月11日 (火)

重い腰をようやくあげて

Img_0131 (八ヶ岳、八つの山頂のひとつ権現岳、白く輝く峰はまだ冬のまま)

ようやく重い腰を揚げる日が来た。

昨夜、東御市八重原のスナックに招待されていたので、そのためだけでもう一泊となった。黒斑山の頂上で「宿代が只と言うのはいいですなぁ」と言われたが、すっかり人のいいのを利用しているようで顔の割には恐縮していたのだ。

少々のみやげ物を買った他に、猪の肉もちゃっかりせしめて出発。

少し時間もあったので、途中の寄り道として小海町の「奥村土牛記念館」に立ち寄って見ることにした。

Img_0007 建物は総二階建ての和風建築で古い庄屋を思わせるつくりになっている、が、肝心の奥村土牛については長生きをした画家と言うしか認識がないので、今まで立ち寄ったことがなかった。

入ってみると、程よい暖房が施された、学校と言うような雰囲気が感じられ、額に入れた絵が飾られていたが、鉛筆などでサッと描いた下絵的な絵が多く、色彩とともに華やかさが感じられないように思った。

この人の画風がどうなのかも知らないので、なんとも言いようがないが、著名な日本画家ならもう少し、、、。

平日の帰り道は、混雑による渋滞もなく。道路も乾いていてスタッドレスタイヤの音ばかりが気になる野辺山越え。最近良く立ち寄る林間の蕎麦屋に立ち寄る。

Img_0130 野辺山越えの間中車窓から見えていた八ヶ岳はここからも松ノ木越しにすっきりとした姿を見せていた。

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2008年3月10日 (月)

春を感じる水煙

Img_0110 結局、この五日間結婚式にかこつけて、長野に居候してきたことになる。

P1010036_2 (林檎の木の下で遊ぶツグミ)九日の朝は予想通り雨が降り、昼近くなって日がさすようになると気温が急に上がったようで、温めれた地面から上がる水蒸気が水煙のように立ち込めて幻想的な風景が出来、遅かった長野の春も気温の上昇とともに目の前に来たように感じる一日となった。

昨夜は、山から帰ってくると花札の「猪鹿蝶(イノシカチョウ)」ならぬ、猪、鹿、熊の肉があるのだけど何から食べる?とのこと。「猪と鹿は前に食べたことがあるのでわかるけれど熊はない。義兄さんはどうなの」と言われたので、飛騨にいたころ従兄弟が毎年獲ってきたのを貰ったからなんとかなるよ。と返事して調理を任される。

一番無難な所で、鍋にしようと薄く細かく捌き、ニンニクの細切れとしばらく混ぜ合わせておいて、熊の脂身とニンニク、玉ねぎを鍋の中にいれ熱した所で野菜をいれ熊の肉を放り込み煮あげる。

そのあと、砂糖と醤油で味付けしたところ臭みも抜けて完食し、お陰で熊につられて来てくれた友人たちと飲む酒の量も増え、熊を食って目の下に隈が出来そうだなんて騒ぎながらの連続酒盛りになってしまった。

また、肉の量がかなり余ったので、残りは韓国風のブルコギにしたがこちらもニンニクや胡麻油、胡椒が良くなじんで評判良く、面目を施した。

(長門牧場はまだ一面の雪)

Img_0116 午後には、白樺湖や大門峠のをまわり、長門牧場のチーズなどを買ってきたが、小降りの雨と高い気温は終日眠気を誘って、ごろ寝で過ごす。

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2008年3月 8日 (土)

ドミノ倒し?石の教会

Img_0009 「軽井沢”ホテルブレストンコート”に朝の八時三十分までにお集まりください」と招待状に書いてあった。

この招待状が、長い一日の始まりだった。女性陣は着付けのため六時ころから美容院へ着付けに向かい、立科町を七時過ぎに出発した。

中軽井沢の駅前から目的のホテルに向かったが、なにせカーナビのついていない車ではなかなか場所が分からない、再三電話で確かめて到着すれば時間はぎりぎりだった。

ホテルの人に案内されて、結婚式場に向かうと、巨大な黒いトーストまたは、ドミノの倒れかけたような建物があり、これが、「石の教会」として最近の若者に人気のある教会だという。

「教会内では一切のカメラやビデオは使用しないでください」と出発前に注意されていたので、カメラを片付け内部に入ると巨大な石と見えたのはコンクリート製のようだが、内部には石積みで囲ってあり倒れかけのドミノの間は明り取りの覆いがしてあり、正面は大きなガラスで外が見えるようになっいる。

この建物は、内村鑑三記念堂とかで、仏教徒の私には何も分からないが、無教会を唱えた彼を偲んで建てられたと神父は話した。内部は石積みで壁が作られており、質素な感じの造りになっており、教会に付き物の十字架や金ぴかの祭壇や飾りなどもなども見当たらなかった。

式は、神父の指示で滞りなくというかあっさりと済み。教会の出口で初めてお祝いの言葉をかけ通り過ぎる。日ごろ勝気な姪も感激していたらしく、目元に涙を溜めている。

ついで、ライスシャワーにと米を一握り渡され通路の両側に並ばされ、二人が通ると空に撒き散らしたが、我々世代には米を撒くなんて”モッタイナイ”の一語。こんな風習は止めてもらいたい。と内心思いつつ右に倣え、、、、

そのあと、場所を変えての披露宴となったが、式の後2時間余も間があり、披露宴は小さなベーカリーで行なわれた。

新郎新婦で全てを決め、費用もほとんど自分たちで賄ったと聞くと、最近にない快挙だと拍手をしたくなったが、二人の親もほとんど式次第は知らないと聞くと昔、自分がやったのと同じで、後々反省したり自慢したりするのだろうな。と感じた。

二人の周りは友達関係で占め通路を隔てた一角に両家の親類がかたまると言う変わった形式で、私の席からは柱が邪魔をして席を立たないと二人が見えない

また友達関係に、丸坊主からモヒカン狩り、長髪の後縛りなど奇抜な髪型もあって、手製の披露宴、今どきの若者の交友関係など面白く見させて貰ったが、延々と三時間余は、早朝から午後三時半までは一寸身体にこたえる。

昨夜、長野の友達の家で遅くまで飲んでいたせいもあって、披露宴が終わるころには睡魔との戦いになってしまい、帰り着くとしばしの昼寝を決め込まざるを得なかった。

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2008年2月25日 (月)

マスターキー

Img_0040 同期生の一人にマスタ君という人がいる。(静岡に多い増田姓とは違う)

外がまだ暗い五時過ぎに部屋に入ってきて、「おおい 起きろ」と擦れた声とともに電気を全てつける。

そして、自分のバックを見つけて出て行った。昨夜遅くまで起きていた一人なので、バックを置いた部屋には寝られなかったようだ。

「その声はどうした」と聞くと、何かで外に出たらオートロックで部屋に戻れなくなり、インターホーンやノックしてもだれも起きてくれないので、ロビーで朝まで寝ていたためというが、酒を呑み、大声で話していたせいかも、、、、。

別な一人が「お前さんも甲斐性なしだ、何でフロントに行ってマスターキーで開けてもらわんかったんだ」「フロントに誰もいなかったし起こすのもな~」という。

マスタがマスターキーを手に入れられなかったとは、バスターキートン(日本にもこの名の影響受けた益田喜頓という喜劇役者がいた)の映画みたいに時代がかっているよな。というのが古き(古希)を知る同期生の駄洒落感想。

しかし、寝ている人を起こしまくって憎まれ口を叩かれないのは、人柄というか、、、愛されているんだろうな。

帰りの新幹線の中でも結構出来上がっていて、連れの世話になったそうな。

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外が白々してくると、窓から富士の上の部分がすっきりと晴れて見える、今日も快晴。

九時過ぎ、ホテルを出てかつらぎ山のロープウエイで山頂に一番乗り。眼下に駿河湾と淡島、富士山は愛鷹山を一体化したように抱え込み、低い雲を横たえて聳え立つ。

左側は風に吹き飛ばされたてか幾分地肌が剥げて見えるものの、御殿場側は厚化粧もたっぷりに白面をさらしている。

こんな景色を見ていると、飛騨や富山が雪降りだなんて想像できないが、、、、、などといいながら、心はもう帰り道の心配。まさに”帰心 矢の如し”か事情を知っているだけに当方も想像は付く。

来た時と逆に蜘蛛の子を散らすように各地に散っていく仲間、来る時は良いが別れは気が落ち込む。ここまで来てよかったという気持ちがあっただろうか、、それが無上のやりがいなのだが、、、。

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今日の花。左、河津七滝にて、若葉までつけた桜、大島桜だろうか。右、馬酔木(アセビ)ピンクの綺麗な釣鐘型の花、これに毒があるとは、、、、

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