2010年1月22日 (金)

薩埵峠の桜見に

048 薩埵峠の寒桜、もうそろそろ咲いているはず」と、午後になって富士山も見えてきたので出かけてみた。

清水側の駐車場から登って行くと峠間近がピンク色をしている。

今日は、平日とあってあの騒がしい小母ちゃん軍団はおろか、観光客は一人もいない。

静かな峠の、桜の傍に立てば、メジロがやってきて蜜吸いを始める。

人の気配がなくなるとヒヨドリに追っ払われるため、逆に人を利用しているのではないかと思われるような仕草をして、、、、。

098 下を覗き込めば、真っ青な海面をバックにして花びらが浮き上がる。

さながら、宮城道雄のことの名曲”春の海”がポン ポロロ~ロンと聞こえそうな雰囲気意。しかし、こんなことを書くと早速大きなスピーカーで流されそう、、、、。そんなことにならないように願いたい。

035 (写真左は紅梅越しに見た富士)

遠く、伊豆半島は霞がかかって墨絵のように、そして、富士山も幾分西日を受け、先日来の暖かさのためか、はたまた、風に吹き飛ばれてか黒い部分をのぞかせ、厳冬期の真っ白な富士と違った柔らかな面もちで佇んでいる。

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2010年1月 3日 (日)

一富士二鷹

017 羽衣の松の上を飛ぶ鳩、この後、鳶が出てきたら木の間に消えてしまった。さしずめ一富士二鷹か

018 「一富士 二鷹 三茄子」二日の夜から三日にかけてみる夢を初夢と言い、縁起の良い順がこれだと言う。

この後、「四扇 五煙草 六座頭、、」と、続くそうだが、そんなに注文どおりの夢を見られるはずも無いし、四、五、六に到っては「なに 言ってるじゃ」となりそうだ。

そこへもってきて、今朝方、何か夢を見たのだが、なんだか思い出せなくて考えているうちに二度寝をしてしまった。

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005 此処しばらく、散歩以外にどこも行っていないことに気がついた。と言っても車の渋滞をテレビで見ていると、どこへも行く気がしないし、近場の観光地と言うことで三保の松原まで言って気晴らしをしようと久能街道を海岸線沿いに走りむかった。

久しぶりの久能街道は久能山を過ぎてから立派な道路が海岸線沿いに出来、車も少なくスピードが出しそうになる誘惑をこらえるのに精一杯だった。

三保神社入り口の道路も大きく整備され、以前のように入り口を間違えることもなくなり、これも合併効果かと思うと、こちらの人は「上手い事をしたな」と言う感じ。

しかし、海岸近くの羽衣の松は、葉を落とし見るも無残な格好になっており、とても写真の対象にはなりえない。これでは、天女も天の羽衣も懸けてみる気がしないし、観光客も「なんだこんな松だったのか。まるで上げ底の土産と一緒だな」って、言うこと請け合い。

松にも寿命があることを考えれば仕様のないことだが、傍には老松もあることだし、伝説なんだからチョット動かすぐらいして良いのではないかと考えるのだが、、、、。

.二階で交換?

帰りの寄り道にジャスコによって買い物をしてきたが、出口で店員らしい男性が「こちらへ」と言うので、言われるまま領収書を見せると若いおね~チャンが、総額を計算して「二階で交換してください」とマスク越しに小さな声で言い、黄色い紙に 2と書いた紙と領収書に3800円と書いて手渡された。

職業性難聴の自分としては、いつものとおり分かった振りをして荷物を自動車に積み、取って返して二階に上がるが、どうも雰囲気から言って変。商品係の受付、それも一番年長の小母さんに聞いてみた。

「二階でこれを交換して」って、言われたのだけど。と紙を見せたら、向こうも分からずしばらくあちこちを見た挙句。「どうも、福引のハンドルを二回まわす。と言う意味らしいですよ。とのこと。そういえばガラガラポンの福引回しがあったなと気がつく。

難聴とマスクを通しての小声。とんだ漫才をしたもんだ。

福引は白い珠と青い珠がでて、ベルを鳴らして「四等大当たり!」、ところがこの大当たりは、11日までの買い物に対して「100円引き」と書いた紙。

帰り道、その紙を見てしょっちゅうこの店に来る人なら使いようもあるかもしれないけど、、、等外のポケットテイッシュはすぐ使えるが、100円の割引は使わない可能性のほうが大きい。となるとただの紙切れと言うことになる?、、、

値打ちから言ったら等外のほうが良かったじゃん、と言うことになりそう。初夢を忘れるくらいなんだから「今年もこりゃだめだ」

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2009年12月21日 (月)

熱田のひつまぶし

葬儀も無事終わってなかばホッとした気分で、午後から豊田市の弟の家に向かう。

お通夜から友引をはさんでの三日間。息子を失った両親は「心の準備ができていたので、、、」と気丈にいうが、潮が引くように会葬者が去っていけば、改めて寂しさがつのって来るだろう。

自分も、雑魚寝の三日間。十人前後の人と食っちゃ寝をつづければ、大のほうが止まり腹がなんとなく重苦しい。普段のペースと程遠い生活がリズムを狂わしているのは分かる。

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046hituma そんな腹具合も、ようやく開放されたところで、名古屋の「ひつまぶし」を思い出し、ご馳走するから連れて行ってとねだる。

知立から電車で20分、熱田で下車。通りすがりの人に蓬莱軒を聞けばすぐ行き方を教えてくれる。それほど有名な店らしい。

熱田神宮の境内を突き抜け南側の鳥居を抜けて店に入る。途中「熱田神宮を拝んでから行かないかい」と言われたが、まず「腹ごしらえをしよう」と退けたが、これが大成功。

先客のカップルが店の前で迷っているみたいだったので、断って先に入ると、四人掛けのテーブルがひとつ残っていてぎりぎりセーフ。

食事の後、支払いをしているとき見たらおよそ30人ほどの人が順番待ちをしていた。お参りをしていたらここに座っていたことだろうにと、先見の明を喜んだ。

さて、「ひつまぶし」とは漢字で書くと「櫃まぶし」と書くようで、この店で商標登録を取っているとのことで他の店では使えない名前だとのことである。

商標登録で分かるようにそんなに古いものではなく、もともとは調理人が食べる賄い料理を商品化したようで明治になって作られたものだと言う。

一合ほど入る小さなお櫃にうなぎの蒲焼を小さく刻んだ物で覆っているものが出てきて、そのままで一杯。ついで、山葵と葱などを加えてかき混ぜて一杯。さらに、だし汁を入れてお粥状にして一杯。そのなかで、一番気に入った味で一杯と四回に分けて食べるそうで、一時間近くかけて完食した。

一番評判の良かったのは、二番目の山葵を加えたもので、油っこい蒲焼が山葵の香りとともにすっきりと腹に収まった。

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里心もつき、引き止めるのも振り切って帰途に着いたのはその午後、、、。

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2009年12月20日 (日)

思い出は目くるめいて

012amanatu 静岡に来て30年と少し、雪が積もったのは何回だったろうか、最後に積もったのは、たしか、平成八年だったと思うが、、、、

十九日の美濃地方、甘夏が雪に埋もれている。こんな風景はついぞ無かったように思う。 

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027saka 校庭からまだ大人になりきれていない歓声が聞こえるので覗いてみた。

20人余の高校生がサッカーボールを囲んで騒いでいる。服装から見て野球部員だろうか、思わず50年以上前の自分に姿を写してながめていた。

自分が高校生の頃は、野球が全盛の頃で長島が巨人に入団した頃、王選手がまだ高校野球で甲子園を沸かしていた時だったので学校には野球道具は揃っていたものの、サッカーには関心の無い時代だった。

そんな時、グラウンドの雪を踏み固めて、学年対抗の雪上サッカーをやったことがあるが、ルールは審判をする先生もあやふやなので殴ったりけったりしなければ、何をしてもよい。ということで始めた。

とにかく、雪の上ではボールが転がらない。終いにはボールそっちのけで、日ごろ威張っている上級生を追い掛け回し、捕まえては雪で顔を洗った。これが結構痛いことを承知で、、、。

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雪とサッカー。思い出はめくるめいて降りしきる雪の中で呆然と立っている。

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2009年12月19日 (土)

怖かったホワイトアウト

002howaito 昨日の美濃地方も荒れた。ラジオから流れてくる道路情報では東海北陸道が荘川付近で積雪のため通行止めになっていると入っていたが、平地では大丈夫だろうと高をくくっていた。

しかし、美濃加茂当たりから雪がちらつき、富加関の付近でトンネルを抜けたとたん一瞬ホワイトアウトをした。

写真がそのときの現象だが、激しい吹雪ののため、一瞬目の前が真っ白になり右も左も分からなくなってブレーキを踏み停止に近い徐行運転にした。

交通量が少なくトンネル内の確認では後続車が見えなかったのでスピードが落とせたが、もし、東名だったらたちまち多重追突事故になっていたかも知れず後から背筋がぞっとした。

トンネルに入る前は青空さえみえる空模様だったのに、突然の降雪。まさに「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」、、、、、お通夜に出かけて、命にかかわる大事故ではやりきれない。

003mycar 夕方になって、雪の量も増えたらしく朝の気温は1℃ほど、このあたりの雪は自分たちから見ると根性無しといい、夜が明けると気温もあがり消えるのが普通だが、自動車の屋根には津津と降り積もる。

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018momiji 寝不足の目をこすりながら、近所を少し散歩する。久しぶりに雪を踏みしめる感触を楽しみながら歩けば、南天や山茶花赤色に混じって、散り遅れた紅葉が予想外の雪だということを教えてくれる。

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2009年12月 1日 (火)

おそかりし どうだん原

007doudan 島田市伊太にこの四月営業を始めた”伊太和里の湯”とやらに行ってみようと家を出て、大井川沿いの道から入ってみたが、案内看板を見落として行き過ぎた。

途中で変だと気が付いたのは、千葉山への案内を見たためで、500mほど戻ればよいと分かったが、「ここまで来たのなら千葉山に行ってみよう」と気まぐれで目的地変更。

多分、どうだん原の灯台躑躅(ドウダンツツジ)は遅いと思うけど見てこようかということ決める。いつもは千葉山の山門下の駐車場に車を止めて、山に登り、杉の大木を見てから行っていたので、大井川沿いから入ったのは今回が初めて。

005 曲がりくねりながら高度を上げ峠まで上がると小さなペンションに行きあたり、駐車場に車を止めて見渡せば少し遅い程度でまだ綺麗な灯台躑躅がたくさんある。

そこの女主人と話しながら様子を聞くと「少し遅い程度でまだ大丈夫だ」とのことなので、足元は不十分ながら”どうだん原”に行ってみることにした。

009miti 細いながら整備された山道を少しくだり気味に20分ほど。行き着いた先のどうだん原は話しと違って「遅かりし由良の助」状態。葉も落ちてツンツンとした枝が目立つ明るい広っぱといったところだった。

それでもしばらく散策して、幾分色合いの良いドウダンツツジが、上の写真。

春の花の時期を楽しみにして引き返す。ペンションの主人に事情を話して、車で千葉山周りの道をとって帰る。

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hoy dia nacimiento de setennta an^o   

                 felicidad !!  

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2009年11月18日 (水)

銀色のはるかな道

013yukimiti ダークダックスの歌に”銀色の道”と言うのがあり、その最後の歌詞が、#、、、、夜明けは近い 銀色のはるかな道は。と言う部分があったがまさにその風景だった。

朝起き掛けに外に出てみた。昨夜来の雪は小止みになっていたが、道路はすっかり凍りついていて、アスファルトの坂道はツンツルテン状態。平らな部分に出るまで気が抜けなかった。

その道が、曇り空で街灯の淡い輝きが、まだ明けやらぬ風情を示している。しばらく進むと道下の唐松林を立派な角を持った鹿が一頭走りすぎる。昨夜ホテルの支配人から「鹿が”ケーン”と啼いたらカーテンを引いて明かりが漏れないようにしてください」と連れ合いたちが聞いたと言うのを思い出した。

031karamatu (うっすらと雪をかぶった唐松林)

夜の間、人里に出て餌をあさっていたのが山に帰っていったのかな?と思っていたら今度は三頭ついて出てきた。「やあ、カメラを出さなきゃあ」 しかし、これでお終いだろう。と予測する後からまた六頭以上が駆け抜ける。

カメラをあわてて引っ張り出したときには、すべて谷の影に入った後。さすが、奈良の鹿とは訳が違い、動きがすばやい。

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午前十時ちかく、凍みが解けたのを見計らってチェックアウト。弟の車に簡易滑り止めを履かせて慎重に時間をかけて白樺湖まで下り別れる。

ふたたび、立科町に帰り自分用のりんごと新米を積み込み、和田峠から諏訪に向けて下る。

その後、中央道を下り恵那に入ったところでいきなり渋滞。1,620サイクルの高速道路情報を聴くと「恵那インターから瑞浪インター区間に鹿が入り込んだため通行止めにして、、、解除は何時になるかわからない」という。

すぐに車は完全停止!。やっと一寸刻みに動き出したものの、放送は相変わらず「解除は分からない」の一点張り。どうにかインター出口から0,6km地点まで来ると全ての車をインターから出している様子の電光掲示板が見えてきた。

その掲示板の下まで20分ばかりで到達したとき、掲示板の文字が変わりすぐに動き出した。

解除になったらしい。下を走る国道19号線にはインターから出されたらしい車が渋滞しているさまが見て取れる。今頃下の道路から上を見上げて地団駄を踏んでいるに違いないだろうな。

いつもより、二時間ほど時間をかけて関市の姉の家に、りんごを届け、遅くなったのでそのまま泊まることにした。

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2009年11月17日 (火)

お~い、こっちは雪だよ

Img_0034 「お~い、こっちは雪が降り出したよ!」って電話が入ったのは身延町を半ば過ぎた頃。時間は朝の八時半頃だった。

清里に入ると細かい雪がフロント前面に向かって吹き付けてくる。実際は風もないのだから真っ直ぐに舞い降りているのだが、、、。

今日は、例年恒例のりんご狩り。ただ、去年までは自分の兄弟全部で行っていたのだが、今年は豊田市に住まいする弟夫婦と合わせて四人のさびしいりんご狩りになった。ただ、こんな天気になったのでこの方が良かったかな、なんて思いながらいつものりんご農園に向かう。

着いた時には、こちらのほうの雪は、すっかりおさまっていたが今晩の宿にした車山はかなりの降りようだった。という、情報もあり早々に宿に向かう。

大門峠を越えて蓼科湖までの道は道の両側が白くなっているものの交通量が多いため道路には雪がなかった。しかし、車山に向かって登り始めると20センチ以上に積もった雪がシャーベット状にになり、スタッドレスタイヤを履いた自分の車は問題なかったがその用意のない弟の車は難儀したようだ。

ようやくの思いで車を宿に入れる。宿の名前は春に泊まった「リゾックス車山高原」前回に泊まったとき気に入ったのでまた予約したのだが、この雪は予約外。まだ先のことと決めていたこちらが悪い。

007mein_2  夕食時に食堂に行くと自分らともう一組がいるだけ、予約のとき空きがあまりないような口ぶりだったのに、事情を聞くと、この雪でバスが立ち往生してキャンセルしたとのことだった。

食堂には、浴衣で入れないとのことだったので、温泉は食事後となり、酔いを少し醒ましてからと考えたので入ったのは十時過ぎになった。

025 野天風呂からは少ないながら雪が見え、思わぬ雪見風呂を貸しきり状態で使ってみたが風呂から出た部分が寒いので肩まですっぽりと使って、空を見上げる。

夜空からは、風に吹き付けられてか粉雪が舞い散っているものの、今日が最大と言われる、”しし座流星群”は望むべくもない。

当たり前のことながら、、、、、。

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2009年7月27日 (月)

花言葉は「誤解を解きたい」

024 これはなんだろう?と一瞬思った。ためしに葉をつまんで揉んで見ると屁糞蔓(ヘクソカズラ)に間違いない。これだけ赤いものを見たのははじめである。

ヘクソカズラ。その臭いが嫌われてこんな名前をつけられている。自分も子供のころは触るのもいやだと思ったにおいであるが、今回嗅いで見て、そんなにでもないと思ったのは許容範囲が大きくなったのか、嗅覚が鈍くなったのか。

臭いの元は揮発物質のメルカブタンという硫黄化合物のためで、虫などに食われないよう、自衛策と見られる。

花言葉を調べてみたら、”人嫌い”というのと”誤解を解きたい”と言うのがあったがどちらもこの花の特徴を現していて、臭いに抵抗感が無くなった年寄りむきの美人なのかもしれない。   

「いよっ 大年増殺し!」てんで大向こうから声がかかりそう。ちなみに下の左、普通の屁糞蔓、右が赤みの強いものと比べてみると、、、、、。

098 025

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二十六日の宿は戸倉上山田温泉。じゃが芋畑から一時間ちょっとのところにあり、その昔はお色気で売っていた温泉、ぼったくりバーがあることで有名だった湯の街であったが、近年すっかりイメージチェンジをしている。

この温泉で泊まるのはこれで三回目、しかし、今回の宿は乳白色の湯が売り物だとのこと。そんな色の温泉があったとは知らなかったので興味津々。

そんなに大きくない宿には、自分たちを含めて十組の客がいたようだが、着いてから帰るまで誰にも会わなかったことが不思議な宿で、少し熱めの温泉も弟と二人でゆっくりと浸かった。

103huro 湯は内風呂が硫黄の臭いがきつく白く濁っており、風呂の深さが分からないので慎重に足を入れてみる。首まで浸かれば鼻のすぐ下にある水面から硫黄の臭いが立ち上がり、身体の中まで成分が浸み込んでくるようで、、、、。

食べ過ぎ気味におなかに詰め込んだ身体で、運動がてら街中に繰り出すが、ぼったくりの印象いまだ消えず、、とお客が少ないためか町全体がひっそりとして明かりがついているのは客のいない飲み屋だけの様子、早々に帰ってくる。

翌日、宿の主人が傍に来ていろいろと話をしてみたが、ぼったくりやお色気は会社など団体旅行が多かったときと違い、家族や小人数の客が多くなった中では悪評なのであり、従来の誤解を解きたいといろいろ手を打っているそうで、、、。いろいろ考え、お客さんの知恵を借りるためちょいちょいこんな話をしている、と言っていた。

宿を引き上げた後、用意してくれていた玄米30kg、とうもろこし二箱、その他を積み込み、自動車を仰向けにのけぞらして帰途に着く

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2009年7月26日 (日)

ラッキー

020 030 四手沙参(シデシャジン)。大きく裂けた花びら、その真ん中に花柱が突き出したような風変わりな花である。

四手とは注連縄(シメナワ)や玉ぐしにつける半紙を折り曲げた飾り、沙参はツリガネニンジンの中国名であるそうで、その色合いは濃い紫で綺麗である。

 

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二十五日、山梨県境に入るまで激しい雨に見舞われ、じゃが芋掘りが出来るのか心配しながら向かって行ったが、次第に空模様が明るくなり甲府盆地に入ると日が差してきた。

午後になって、目的地、立科町二到着し一休みの後畑に入ってみた。前もって連絡があったとおり昨日まで雨が降っていたようで地面が濡れていたが、何よりも驚いたのは雑草の繁殖力。

じゃが芋の茎はすでに枯れてしまっているので、どこに有るか分からないぐらいになっており、先が思いやられる。

草を刈り取り、じゃが芋のありかを確かめてから、四つ手鍬(四本鍬)を振るう。

100jyaga 周りを掻いた後深く打ち込み起こすとサツマイモ顔負けの芋がごろりごろりところげ出る。

五月末に土寄せしたとはいえ、後はほったらかしのじゃが芋、良くここまで育ってくれたものと大地の神に感謝する。

原産地ペルーでは、芋を掘る前にチチャという酒をパチャママに捧げてから掘り出すのを思い出し、「ほれ しまった」と言ったが後の祭り。

一畝だけ掘って、様子見をした後翌日の作業にまわす。

二十六日、次第に天気がよくなって土も軽くなり作業は順調に進む、そのうち弟夫婦も来て午後三時まで、約250kg収穫をしたところで入れ物が無くなり、作業は中断。

それにしても、長梅雨でとっくに開けていなくてはならないこの時期だが、天気予報は連日雨模様、それなのに予報をを覆しての青空は、まさにラッキーの一語に尽きる。

そのあと、シャワーを浴びて冷たい西瓜にかぶりつく。  ゴクラク ゴクラク

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