2026年4月19日 (日)

ふるさとは

今回の周遊旅行(?)は春を満喫するたびでもあった。

長野県は桜と新緑の若葉、梓川沿いから上高地に向かう路線は登るにつれて新緑が減り北アルプスを含めた山頂部分には残雪がのこり、安房トンネルを抜けた標高1300mの平湯ではフキノトウが残節を追って芽吹きした様子で開いたものと蕾のものが道端に芽吹きをしていた。

同じ1,300m台の長野県と山梨県の国境より遅くなっていたのは雪のせいなのだろうけれど、なんだかこちらの方が寒いように感じてしまった。

そして、わずかに下った一重ケ根あたりからは桜の花が咲きだし、ふるさと神岡ではすでに葉桜の木さえありいつもの年よりは幾分早めにさくらがさきだしていた。

小学校そばの我が家の墓掃除、近くの木に鶯が来て歓迎のさえずりをしていたがまだおぼつかないような鳴き声は初々しい気さえする。

小一時間大洞水道で組んできた水でブラシ掛けすれば一年前に落としたはずの水垢が茶色くなっで流れ出る、しかし、中腰で および腰での作業は身体に堪え完全にはできなかった。

昼は打合せをしていなかったが道の駅にいくと他の兄弟夫婦も来ており時間を調整してお寺に向かい法事をとこどおりなく済ませてもらった。

 

幾年ふるさと来てみれば

咲く花 鳴く鳥 そよぐ風、、、、

最近いつも思うことはこの歌のとおり、故郷は自然はそのままでも見知った人もなく浦島太郎の気持ちと同じ状態になり、玉手箱がそこらに無いかと考えてしまう。

ふるさとは胸の奥にしか残っていないものになりつつある。

 

 

 

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2026年4月18日 (土)

つかれた~

十五日から四日かけて約900kmの自動車運転をしてさすがに疲れた感が強い。

初日は長野県佐久市泊まり、次の日は松本から安房峠を越えて神岡で法事し富山泊まり、そして、北陸道は上越周りで佐久市泊まりそして今日静岡に戻った。

連日の豪華夕食と残り物の朝食と不定期の昼食を繰り返して旅路であった。

目的の第一は少し早いのだが母親の三十三回忌と娘の十三回忌をし以後の法事は止めにしようというのが主目的だった。

昨年のがん手術、今年初めに兄弟の最年長だった姉が亡くなったことと、自分の年齢もあり残った兄弟に話しかけて有終の美ともいえる行事を済ませることにした次第である。

最初の十五日は可なりの雨に見舞われたようだが佐久市近辺では傘をさすかどうかぐらいの降りようだったがあとの三日はほとんど雲がないという晴天に恵まれて順調に行動することができた。

 

旅の間はそんなに感じてはいなかったが家にたどり着くとほっとしたこともあって、、、、、

   さすがにつかれた~

 

 

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2026年2月16日 (月)

疲れた

父親の兄弟五人 母親の兄弟五人の子供たちいわゆる従姉弟も一時は五十人を超える数えたが次々と亡くなっていき、一番末っ子だった母親が自分たちの親であったため子供たちは遅かったためもあり全てがいなくなった家もある中で我が家だけが五人兄弟全て先日までそろっていた。

しかし寄る年波もあって、先日長女である姉が亡くなった。初めての兄弟脱落とあって灌漑しきり、過ぎ越し方を色々と振り返ってみた。

自分は長男なので父母と共に生活していた関係から、父母が  特に母親が生きている間は何かと集まる場所になっていたのでそれぞれの暮らしぶりを知ることができたが、亡くなってからまた別な一面もあったことを知らされた。

 

式場などの都合もあって二泊三日 580km余の走行距離は気落ちした心のせいもあってかかなり疲れ帰ってきてからずっと横になっている。

 

 

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2025年11月22日 (土)

疲れた

ここ三日間で600kmほど、信州を東に西に走りまわって帰ってきた。久しぶりに今日は疲れ感を強く感じ眠気が襲ってくる。

一時期兄弟がそれぞれの伴侶を伴って東信州のリンゴ狩りで毎年集まっていたが次第に来ることができないものが増え一昨年あたりから、下の弟夫婦としか来ることができなり、お互いの所作から来年はどうなるか分からない状態になったのが強く感じられるようになった。

それでも言った先々からは歓待を受け、自動車には積みきれないほどの荷物を満載すると、鉄道ではこういう満足感は得ることができないと言い合った。

天気はいずれも穏やかに晴れ上がって日中はそうでもなかったが、朝晩は冷え込み昨日の朝などは自動車が霜でガビガビ状態エンジンをかけてウインドウガラスに暖気を吹き付けたが発車するまでにしばらく時を要した。

浅間や蓼科 八ヶ岳にはまだ少ししか届いていないようだが遠望する北アルプスはもう真っ白に化粧をし、今年の冬はいかばかりかとおもわせる。

そんな景色もあと何年   じいじは宿代と米の高騰を気にして山の白さを感慨深げに見ている。

 

 

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2025年5月 2日 (金)

ふるさとの山

激しい雨風の音を聞きながら先日来の疲れが出てきたらしく終日うとうととして過ごした。

歳をとると疲れもすぐに出ないというのは本当である。

それにしても良い時に故郷へ帰ってきたもので、丁度一週間前の今日静岡から安房トンネル平湯峠を超えて高山に着いたのは午後一時ころ、約280kmであった。

屋度に入るには少し早すぎるので旧市街二ノ町三之町付近を散策したが、ここも例にもれずインバウンドとかで狭い道筋や立ち並ぶ店には外国人で一杯、人込みに慣れていない身にとってはかなり辛い、さらに追い打ちをかけるようにして強い香水が店内に立ち込めて長居が出来ない状況になってきた。

そこで、北アルプスが眺められる駅西の”アルプス展望公園”に行き乗鞍 笠ヶ岳さらに穂高を眺めて過ごした。

のちほど黄砂の影響と聞いたが、穏やかな春の日のもと墨絵のように近くの濃い山が次第に淡い鼠色の山々、そしてその向こうに空に紛れ込むかのようにうっすら白い北アルプスが連なる。

飛騨にいた当時はこれらの山々のすべてを歩いたものだと自慢げに話していたが、この霞たつ風景は静岡では感じられない風景であり懐かしさが身に染みた。

しばらくすると地元の老人ホームの入所者たちが介護人に支えられながら

ベンチに腰掛けて日向ぼっこを兼ねて世話をしてもらっていたが、どんな気持ちでこの風景を眺めていたのだろうか、、、、遠目ながら穏やかそうな人 そうでない人 全然無関心でぼうっとしている人それぞれがこれまでの生活が 性質が出ているようでそちらの方を眺めてしまった。

 

石川啄木ではないが”ふるさとの山は有難きかな”を実感した。

 

 

 

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2024年6月 6日 (木)

ここらが潮時

きのう長野から帰って来た。

義妹の病気見舞いが口実だが本目的は梅雨前に四月に植えたじゃがいもの追い肥と土寄せであった。

しばらく走り梅雨のため火山灰土の畑には入れなかったが行った日にようやく入れそうな水気の土になっていた。

耕運機で畝間を掘り返しジャガイモ周りの草は手で引っこ抜くという作業を始めたが、これが意外と重労働、午前の耕運機だけでかなり疲れてしまった。

午後も作業を続けたが、頭上の太陽もあって休み休みも作業は完了しなかった。

”年寄りの冷や水”なんて言葉も頭にちらつく中、こちらでの百姓仕事もここらが潮時かなと感じてしまった。

 

今日は一日疲れ休み、、、、七輪の上に乗せた鍋に淡竹をいれゆであがるのを気だるい気持ちで眺めて過ごした。

 

 

 

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2024年4月17日 (水)

ジャガイモ植え

何とか日暮れ前に帰って来た。きのう朝早く長野に向けて出発しジャガイモの種を植えてきたのである。

耕運機で土を柔らかくして溝を掘り肥料を撒いての作業は、一昨年まで弟夫婦を交えてやってきたのだが、昨年はコロナの影響もあってやめるまで十数年春の恒例行事だったが、春の交通事故もあって昨年で打ち止めにしようと思っていた。

しかし、一年休んでジャガイモは買い食いをしてみると、そのまずさから今年”再開?”してみることにした結果である。

しかし、体力の低下をこれほど思い知らされたのも今回の仕事ぶりでわかった。とにかく疲れた。

午後に入って早々に植え付けをやめたのは、足腰に痛みがはいり気力が失せたせいである。

屋度に入って一番にしたことは温泉ではなく、横になってひと眠りであった。

今日も疲れから早々に寝ることにした、。

 

 

 

 

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2023年12月26日 (火)

年末調整?

重なる時というものは如何ともしがたい。

まるで年末調整ともいうべきか、11月に二件の葬式があり二度あることは三度あるなんて先日書いたばかりなのに12月に入って二件の葬式に出席しなければならなくなり、閻魔様の数合わせが身の回りを巻き込んでいるようだ。

今度は飛騨市のいとこが亡くなった。96歳という高齢なので致し方もないが、入院しているとは知らなかったので当方としては急な知らせであった。

自分の家からすると本家になり、鉱山にいたころはともに”しんさく員”という削岩機で孔を掘り発破をかけるという現場での仕事だったが日ごろ「そんな仕事をしていると早死にするぞ」と言っていた連中が先に死んでしまったと言っていた。

自分はそんな仕事を10年で辞め鉱石探しのボーリング係に転向し鉱山で21年働いて静岡に出てきたのだが、同じ仕事をしていた仲間としてよく語り合った仲だった。

 

と言うことで連絡があって急遽出かけたが、どのルートにするか行く間際まで迷った。

その前日は中部縦貫道は雪のため通行止めとなり、松本からの安房トンネル経由や中津川からの舞台峠も心配だったので美濃加茂まで自動車道を走りそこから41号線を走ることにした。

下呂の手前からこの道の両側の山々は白くなり高山を過ぎて道の両側は白くなったものの道路上には雪がなかった。

その後数河峠は薄くあったもののスタッドレスタイヤはよく効き、順調に神岡に行くことができた。

ただ、時間はかかった。何度も休憩を入れたためもあったが距離は320km、時間は7時間半を超え夕方になってようやく到着した。

しかし、ときすでに遅く火葬を済ませた後で最後の別れはかなわなかった。

 

 

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2023年11月22日 (水)

赤蓼科

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朝焼けの蓼科山、山頂にこのあたりの名称になった”鍋蓋山”のつまみの部分を真っ白にして朝もやの彼方に浮かんでいる。

蓼科山は標高2351mという高さを誇りながら日本のほかの高山と違って岳がつかず山になっているのは、

コニーデ式と言われるなだらかな台地のような形状が山の高さを隠しているせいかもしれない。

そのためか、諏訪富士は良いにしても飯盛山、黒斑山 女ノ神山、そして鍋蓋山など愛称で親しまれている。

この山には三度上っているが、最初に登った将軍平から上の巨石が積みあがったような山を形成し山頂には鳥居と共に中央部には火口のあとみられる臍のような窪みが見られた。

これは台地上の山塊の中央にトロイデ式というマグマがゆっくりと地下の岩石を持ち上げて釣り鐘上の複式火山を形成しているためで、この部分に樹木がほとんどないため麓から白くみえる部分である。

そして、この大地の周りを取り囲む町の一つに立科町というのがあるが、この町のいわれについて気になって調べてみたら、古いむかしこの山に立科という字で書かれていたというものもあったが、町名を作る時”蓼”という字が当用漢字になっていなかったからいうのがあったが、そうなるとこの町名は意外と新しいことになる。

何れにしろここ二~三日の晴天は放射冷却が強かったようで、自動車のフロントガラスが全面ガビガビ状態でお湯をかけて視界を確保した。

 

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2023年9月11日 (月)

黄金に色づく

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「一時はどうなることやら」と言っていた長野県東部地方の田んぼも真っ黄色に染まっていた。

一部で刈入れを始めているが自分が貰っている親類の農家は今月末には新米が出来そうだと言ってる。

それにしても、六月の梅雨明けから雨が降らないのは新潟県とよく似ており、田んぼの地割れはもとより一部では雑草が枯れたところさえあったという状況を乗り越えての収穫はまた格別な思いがあるんだろうな。

静岡の自分が耕している畠も植えた野菜の出来が悪かったが、雑草はぬいても抜いてもすぐに復活するので「さすが雑草はすごい」と思っていたがこれが枯れるほどの干ばつはちょっと類がないように思う。

来年からさらに気温が上がり、日差しも強くなると「命に危険な気温」と上回った表現が必要になる。

将来的には砂漠化してしまうのではないだろうか。

気温ばかりではないかもしれないが、古代人の岩絵や遺跡などによるとサハラ砂漠やゴビの砂漠も昔は木が茂り動物が沢山いたようだ。

地球の歴史から見ればやっとこのあいだというくらいの短い時間で変化したことになる。

 

 

 

 

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