2019年6月 2日 (日)

ニセアカシアの花

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先週飛騨へ行ったとき梓川沿いから安房峠を超え高原川沿いまでを真っ白の染めたニセアカシアの花が見られたが、昨日再び行ってきた長野県の千曲川沿いの各地でもこの花が咲き誇っていた。

日本でアカシアの蜂蜜と言うのはこの花の蜜を言うのだがかなり花期の長い花である。

花が密集しているためもあって、甘い香りと藤を思わせる房状の花はたとえニセという字がついても綺麗である。

木の格好といい花の咲き具合といい一見弱そうに見えるこの樹は、荒れ地でも平気で繁殖し、成長も早いところから、鉱山の硫黄ガスで禿山になった場所や河川敷などでも繁殖の範囲を広げていくため、長野県などでは何年か前伐採したが、今ではあきらめ顔のようでその範囲はもっと広がっているように見受ける。

日本に入ってきた当時この樹がアカシアと思い込んで名付けたが、本当のアカシアはネムノキ科であり、このニセアカシアはマメ科なのでまったくの別物であることが分かった。

間違いの原因はミモザなど葉っぱが茎から対生していることくらいだが良く見れば全然違う葉っぱである。

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今回の長野行きは連れの五年ぶりくらい兄弟会であったが、自分も参加して欲しいと言うことで一緒に出かけたのだが、驚いたことに三月からこっちこれで四回目の訪問である。

中部縦貫道が一部を除いて開通したこともあって、時間は下道ばかり走っていたときよりも二時間以上短い三時間すこしで佐久市まで行けることになったが、走行距離はほとんど変わりは無い200kmである。

何時までこうしていけるか分からないので、せっせと通っているのだが、この先まだ三回以上は通うことになりそうだ。

 

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2019年5月30日 (木)

栃の花

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かわたれどきの栃の花はまだ眠りから覚めていないようでなんとなくもやっている。

栃の花は素晴らしい蜜を持っているようでこの花からだけ採った蜜はかなり高値で店に並んでいる。

秋になると栗の実を大きくした茶色の丸い実を地面に落とし、それを求め人々が集まった。

栃の実は、縄文時代から食べられていたようだが、その渋抜きが難しく誰でもができるものではなかったし、食べられるまでの手間も大変だった。

しかし、この実を処理したものはむかしから飢饉食として蓄えられたし、この実を使った餅はその香りから自分も大好物の中に入る。

そして、木目の美しさや細工のしやすさから伐採が進み、いまでは、この木の巨樹は見ることが出来なくなった。

ちなみに、フランスにあるこの木の仲間はマロニエと呼ばれシャンソンなどに良くつかわれているが、実の形が違うのを、二十年ほど前初めて知った。

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川崎市でまた悲惨な事件が起きた。

この種の事件は相手が誰でも良いというところにやりきれなさがつのる。

再発防止といったって、「どうすりゃいいの?」って感がつのり、今後もこれに類した事件が発生することになるだろう。

それにしても、四十代からv六十代にかけて61万人とかの人が引きこもり親の世話になっているときくと、自分らのころはそんな話を聞かなかったような気がする。

学校を卒業したら、働くものと決め付けられてもいたし、自分たちも当然そういうものだと思っていやなことがあってもしがみついて頑張った。

それがそうでなくなったのは、社会が裕福になってからのことなんだろう。

武田鉄矢のお袋の歌の中に、母ちゃんが「社会に出たら働いて働いて働きぬけ! 休みたいとか遊びたいとか思ったら そんときゃ死ね」って言うようなセリフが入っている。

、親も優しくなったのかな、、、、

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2019年5月26日 (日)

従兄弟の葬儀

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残雪の北俣岳を望む福寿寺で

北俣岳を望む飛騨の山奥下の本で従兄弟の葬儀が行なわれた。

標高1,300m余の下の本集落は春本番と言った気候の中、過疎化が進んでいると聞いていたが、それでも葬儀には百人を超える人々が参集し盛大に行なわれた。

従兄弟の葬儀、本来なら自動車で六時間も車を走らせて行く時代ではないのかもしれないが、父親が分家でその総代が自分になるので兄弟代表と言うことで行っているのだが、一時は五十人余を数えた従兄弟も、今では半数を切りこの葬儀では第一世代つまり年寄り組になってしまっている。

集まった顔ぶれを見ても、その下の世代が沢山いて子供のころの顔しか知らない連中がほとんどなのでいま浦島状態。それでも、年寄りは顔が変わらないようで元子供だった五十代の連中が「おじさん おじさん」と近寄ってくれて親切にしてくれる。

鉱山に勤めていた従兄弟は、硅肺をはじめ振動障害などを抱えていたが八十八歳まで生きたことは、天寿と定めるしかないか。

久しぶりにこの葬儀に集まった親族は悲しみの中和気藹々と現況を語らい、悲しさ半分同級会並みの楽しさ半分と言った雰囲気で法事をこなしていく。

こんな葬式なら本人も喜んでいるのではなかろうかと、勝手に解釈しながら、、、、、、、、、

山奥の集落とは言いながら、ここにも近代化の波は世間並みにおしよせて、出棺、お通夜、告別式 初七日法要とと簡素化した流れの中で進められていったが、六時間の車運転と親戚にもみくちゃにされた疲れは昨日今日と終日半分横になって過ごさなければならないほど疲れた。

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2019年4月22日 (月)

美味しそうにに見えて

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立科町津金寺の春祭り。

五色の吹流しを何本も立て、屋台も出ている様子。

ひまを見つけていってみると外観ほど賑わっていないので、とりあえずは本堂に参り妙見堂にたちよったあと、先日来のカタクリ祭り祭りが行なわれていた右側の草地に行ってみることにした。

カタクリのほかキクザキイチゲ、ヤマエンゴサク、水芭蕉、リュウキンカなどこの時期に咲く春の花も勢ぞろい見ごたえがあった。

なかでも、カタクリは移植して増やしたの以前より広範囲に花を咲かせており、シンボルにしたのは正解であろう。

ただ、戦後の食糧難から静岡に来るまでこの草を食べてきた自分にすれば、このカタクリは「おひたしにすれば美味かろう」なんて、いまでは不遜?な考えにとらわれていた。

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先日87歳の人が親子二人を死亡させ、昨日はバスが横断歩道を歩いていた人二人を死亡、ほかに両方ともけが人多数を出すと言う悲惨な事故がおきている。

87歳の老人の事故でテレビは高齢者の運転をいろいろと考証していたが、おなじく高齢者の自分も他人事ではないと言う感がしてならない。

娘もときどき「運転を何時までする気?」と聞くが、便利さと言うことからなかなか返上と言う気にはなれない。

ただ、現在は勤めて日が暮れたら動かさないことにしている。

そして、隣に乗る連れ合いが危険だと感じるまで運転したいのと、車に擦り傷や車庫入れがきちんとできなくなったらやめると回りに言っている。

幸いにして、この20年余は毎年10,000kmほど運転しているが、ゴールド免許を維持している、、、、、

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2019年4月21日 (日)

握手する

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咲き出した枝垂桜と浅間山 今日二十日は桜散るのは、、、

ジャガイモを植えに行った長野県立科町は蓼科山の西側にあって、南北にふくらみを持つ鼓のような形をした東西10km南北26.5kmといい、一番くびれた場所はなんと56mしかないという小さな町である。

人口も7,000人にすこし満たない町であるが、十六日から始まった町長と町議会議員の選挙で町長候補三人と町議会議員十三人が立候補していて大賑わい。

おかげで、人の姿さえ見れば近寄ってきて支援の挨拶と握手があり、選挙権の無い自分も家の周りに居るだけで四人の候補者と握手してしまった。

神岡町から帰って十八日の種芋植えは、暑くなりそうな予報だったので朝七時から畠に入り十時に来た弟夫婦を入れて、17mの畝十三通りに15kgの芋を植え終わったのがお昼ちかくになってからだった。

さて今年はどのくらいの出来具合になるのだろうか、と”獲らぬ狸の皮算用”をし、買い物に向かう連れたちを尻目に昼寝をすれば選挙カーの拡声器が寝てはダメとばかりがなり立てて行く、、、、、、

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2019年4月20日 (土)

年々歳々 山は変わらず

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いやぁ~疲れた、やっぱり歳を感じさせる今日の曇り空、こんな日はぐうたらぐうたらしているしかないやろな。

十六日静岡を出て、長野は立科町、そして、翌日は生まれ故郷神岡町へいって墓参り、とんぼ返りで翌日はジャガイモを13kgとネギを植えて十九日に帰宅する。

車の走行距離600km近く、、、、、、、身体にこたえるわ。

写真は神岡町東町から見た大洞山、雪解けも進んで1,300m余の山頂付近を残して消えている。

そのむかし、神岡町が全盛のころ、町内をいくつかに分け、対抗運動会を開いていたが各地区ごとに集団でこの写真の右側にある大島グラウンドー集まるのだが、そのとき歌った応援歌の中にも#大洞山の天狗さん 今日の試合はどうじゃいな、、、、とあり、町のランドマークになっていたのを思い出す。

そんな田舎の町も鉱山が揺れ動く世界情勢の中閉山するしかなく、そこで働いていた仲間が散りじりに散っていったあとはすっかりさびしくなり、むなしさだけを残して、、、、、、。

そんな町にも、桜がようやく咲きだし、神岡祭りも近づいて春はこれから一気に走り出す。

懐かしの山はその当時と変わらないのだが街中で出会う人に顔見知りはなく今浦島は戸惑っている。

年年歳歳山は変わらないが歳歳年々人変わりゆく

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2019年3月15日 (金)

春はまだ

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夜が白々と明け染めた時間だが腹をすかせたヒヨドリが木に群れていた。

よく見ればほとんどヘタだけになった柿の実の残り少ない部分を掘り起こすようにして漁っているようだ。

信州の春はまだ来ていないようで、彼らの食べ物はいまが一番少ないときではなかろうか。

おもえば、自分たちも子供のころ食べるものがなく年がら年中飢えていた時期があり、地面を覆い隠す雪を恨めしく見た経験がある。

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2019年3月14日 (木)

道祖神にうっすらと

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朝方になってちらほらと降り出した雪は、気温も低かったようで溶けずに残り、道祖神のまわりを白く染めていった。

先日来長野から貰ってきていた米の残量がすくなくなっていたので送ってもらうおうか受け取りに行こうか、それとも四月のジャガイモ時期までその場しのぎにすこし買っておこうかと考えていたが、十一日、静岡と山梨を結ぶ中部縦貫道が延伸したこと受け、物珍しさもあって出かけてみようかということになった。

十三日、朝七時に家を出て、新東名清水ジャンクションから山梨方面富沢方面に向けて車を入れたのだが、土地が狭かったのか合流地点がカーブしている上進入経路が短いのでかなり危ない状態になるのではないかという気がした。

道路は片側一車線の対面交通で山間部を走るので上り下りと左右に曲がるジエットコースター道路とも言うべき感じを受けた。

初めての道路なので余計に感じたのかもしれない。

そのあと、一般道におりて、身延から再び中部縦貫道に入るわけだが、こちらは先に走った道路同様対面交通でトンネルが多い車線ながらまっすぐに近い道路だったので走りやすかった。

そのまま中央道長坂インター走り、野辺山を越えて最北端の中部縦貫道佐久南インターまで走ったのだが、所要時間三時間とすこし、前回より30分短縮したことになる。

三十年ほど前までは長野県佐久へ行くとなると、約六時間のコースであり、そんなに行けるところではなかったが、、、、、、通行料はかかるが時間は半減し、途中で休憩する回数も減ってきた。

静岡~中央道区間が今年度中に全然開通となると、道路公団が言っているがもしそうなったら、このうえどれほど時間短縮になるだろう。と楽しみになる。

そうすれば、「長野までジャガイモを植えに行く」というのも今まで見たいに馬鹿にされることはなくなるのではないかと期待している。

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2018年11月21日 (水)

枯れ薄の向こうに

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十九日トイレから見上げる夜空にはおなじみのスバルやオリオン、北斗七星など名だたる星座を見ることが出来る。

しかし、こんなところでもミルキーウエイ、銀河の流れが見えないのは視力が落ちたばかりではないような気がする。

あの名も無き星たちは何処へ行ってしまったのだろうか。

二度寝のあと六時近くに起きてみれば空には雲ひとつ無い晴天で空気は冷え切っていた。

だが、体感温度は別にして地上はそんなに冷えていない様子で、霜は降りていない。

浅間山や蓼科岳が黒く明け方の空に浮かび、寂しげに立つ枯れ薄がなんとも侘しげに見えた。

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昨夜のテレビで日産のカロルス ゴーン会長が逮捕されたと放送されびっくりしていたら、そのあとすぐに日産の社長の会見があった。

なんでも、内部告発による不正疑惑が元だそうで、会長が日本に帰ってきたタイミングでの同行だったそうで、知らぬは会長のみという状態のようだ。

二十年ほど前破綻寸前の日産自動車をV字回復させた功労者だったはずだが、長年権力の座にいると、イエスマンばかりが取り巻き、周りが見えなくなってしまう典型だったようだ。

このV字回復の際、かなりの数の社員たちの首を切って目先の利益追求が、コンプライアンスをなくしてしまい、最近の不祥事を起こしたのかもしれないと思うと、人生ばかりでなく会社というものも「あざなえる縄の如し」「会社万事塞翁が馬」という故事がいまだ消えていないことがわかる。

それにしても、ゴーンに引導を渡された名も無き星たちはいま何処で輝いているのだろうか。

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2018年11月20日 (火)

破れかぶれの凧

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毎年自分の兄弟が集まる長野でのりんご狩りを今年も行なってきた。

今年は一組が身体の調子に自信がないと欠席したので、三組になったが年々気づかないうちに歳をとり、あと何年こんなことが出来るのかと、、、、

りんご狩りといっても木からもぎ取るのは、何年も前から止めており、以後は知り合いの農家から分けてもらうので”りんご狩り”に名を借りた兄弟会になっている。

十一月十七日、先日植えつけておいたニンニクの成長具合を確かめ、追い肥と草むしり、そして、仁多ネギの収穫をした。

静岡からきて、午後二時間ほどの農作業ながら、中腰の仕事に長時間の運転疲れがかさなりかなり疲れて、ふらふらとしながら義弟の家にもどる。

そばの、りんご畑には夏の間じゅうりんの木の上ではためいていた、猛禽類に似せた凧が台風や太陽光線に曝され、破れかぶれになりながらも空を舞っている。

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