2023年9月11日 (月)

黄金に色づく

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「一時はどうなることやら」と言っていた長野県東部地方の田んぼも真っ黄色に染まっていた。

一部で刈入れを始めているが自分が貰っている親類の農家は今月末には新米が出来そうだと言ってる。

それにしても、六月の梅雨明けから雨が降らないのは新潟県とよく似ており、田んぼの地割れはもとより一部では雑草が枯れたところさえあったという状況を乗り越えての収穫はまた格別な思いがあるんだろうな。

静岡の自分が耕している畠も植えた野菜の出来が悪かったが、雑草はぬいても抜いてもすぐに復活するので「さすが雑草はすごい」と思っていたがこれが枯れるほどの干ばつはちょっと類がないように思う。

来年からさらに気温が上がり、日差しも強くなると「命に危険な気温」と上回った表現が必要になる。

将来的には砂漠化してしまうのではないだろうか。

気温ばかりではないかもしれないが、古代人の岩絵や遺跡などによるとサハラ砂漠やゴビの砂漠も昔は木が茂り動物が沢山いたようだ。

地球の歴史から見ればやっとこのあいだというくらいの短い時間で変化したことになる。

 

 

 

 

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2023年8月15日 (火)

津金寺の万燈

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立科町の古刹津金寺の万燈が今日も夕暮れになると火をともす。

広い境内には高さ50㎝くらいの提灯提灯をかなり沢山つるしているほか、さらに小さな明かりを半径一キロくらいの範囲の道筋に張り巡らし、その名の通り万燈会である。

もともとは八月一日の夜観音万燈会から続く行事のようだが、義弟の初盆を行なうため行った夜は誰一人いない境内となっていて砂利を踏む音がさやさやと響き厳かな雰囲気を醸し出していた。

 

”月日は人を待たず”とか、久しぶりに訪れた長野県東部は十三日まで雨らしいものが二か月近く降っていないとかで農家をやっている連れのいとこたちは「畠が乾いて仕様がない」と言っており、台風が雨を連れてくるのを待っているようなありさまだった。

自分たちにしてみると、十四日と十五日に大雨を連れて東海地方に影響のある台風が来る前に帰ろうということになり一日早めて変える支度をした。

十四日、天は味方してくれたようで清水ジャンクションに入るまで持ちこたえてくれ、無事に帰静することができた。

 

 

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2023年4月21日 (金)

鍋蓋

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佐久平から見た蓼科山を鍋蓋山というと聞いた。

なるほどうまく名付けたものだと感じたのはいつの頃だったか。

山頂の標高は2,531mだそうだが2,350m付近から上はコニーデ式火山の特徴である巨岩が積み重なった火山噴出物で覆われ樹木がないため、遠目にはそこから上だけが白くみえ、なだらかな山容が鍋蓋だとすると山頂の白い部分はつまみに見えてしまう。

この山にはルートを変えて北側からと南側から二度上ったことがあるが地元の子供たちは遠足を兼ねて一度は登ったものだそうだがいまだもそうなんだろうか。

 

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2023年4月20日 (木)

池の鯉

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昨年亡くなった義弟の菩提寺の庭の池、水がぬるんだため鯉の活動も活発になったようで舞い散った桜の花筏のあいだを悠々と泳ぎまわっていた。

まさに童謡の世界をあらわしているようだ。

 

出てこい 出てこい 池の鯉

 

今日は穀雨。 「春雨降りて 百穀生化すればなり」という。

田植えの準備、籾を撒いて発芽を促すなど温暖化の影響か例年より早い季節の移り変わりにあわせて、いつもの年より早めに推移していく。

 

 

 

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2023年4月19日 (水)

新幹線

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連れの同級会がこれでおしまいになるというので長野まで付き添っていくことにし、東海道新幹線は二十年以上になり、長野新幹線は初めての乗車した。

進歩の激しい時代にあって二十年ぶりというのは訳が分からなくなってしまうということになり、身体障碍者は切符売り場で買わなくてならないし、改札の時どれとどれを入れたらよいのか試行錯誤と言った状態で通過した。

行きの経験をもとに、帰りも同じことの繰り返しと思ったらバーが開かなくて、「駅員にどうして?」って聞かなくてはならない。

Time is monyということばがあるけれどmonyをhealthに置き換えられるのかな思ったもののその効果はいずれわかること、、、、

 

むかしのように身延線と小海線で出かければよかったのかもしれないが五から六時間かかるのでいくら急ぐたびではないにしろ疲れると思い新幹線の利用で行くことにしたが時間的には半分の時間で行くことができたものの人混みと新しい駅舎の移動と楽しみの済んだ後の脱力感などで連れはかなり疲れた様子。

付き添う自分も片手で連れのトランク、自分の荷物はリックに入れての二人分の荷物で、、、、、

 

これで、これからの信州行はよほどの覚悟が必要そうだ。

 

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2023年2月24日 (金)

春は名のみ

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急な申し込み、休日の前日だったのにもかかわらず宿の方は「あけておきます」と快諾してくれた。

天気の様子見と日程の都合でなかなか長野へ行く日が決まらなかったのが原因であった。やはり定宿の夜に行くか言い数が多いとこんな時にはよくしくれる。

空は真澄に晴れ、気温も春らしい朝だったが、山梨県の八ヶ岳高原大橋あたりまで登るとかなり寒さを感じてしまう。

たもとの駐車場から下をのぞくと川岸当たりから水が出ているようで、大きなつららが垂れ下がっていた。

一方めを南アルプスの方をに目を向けると甲斐駒ヶ岳を中心に北限の山々が大橋の黄色い橋げた彩を添えて写真映えしている。

北側の八ヶ岳も引けを取らずに聳えているさまは、相撲でいえば大関と小結の対戦と言っていい状況か、、、

なぜなら、橋の中ほどまで行けば見える横綱 富士の山がまだ入口の奥に控えているからである。

 

野辺山の峠の気温計はマイナス3℃、日当たりは良いのだが吹く風が冷たいのだろう。

道路上には雪もなく、除雪剤の塩化カルシュームが霰と見まがうばかりに白い粒を路肩に集めていた。

まさに、”春は名のみの風の寒さよ”を地でいっている感じがする。

むかしは路面凍結の難所でもあった下り道も難なく過ぎて、出発から三時間半で佐久に到着、、、、、

病気見舞いやらコメを調達して主たる用事は終了する。

 

 

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2022年11月29日 (火)

川霧 山霧で難儀する

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行きは富士川の川霧 帰りは野辺山の山霧で最大時には30mほどしか前方が見えないほどの濃霧に遭遇した。

連れは、ずっとむかしこのような状態で事故を経験したため怖がっていたが、夫とは言え他人に命を預けたような状態では無理もなかろうと、できるだけ車の走りを遅くしたがどんなに注意をしても追突や車線はみだしで正面衝突の危険は避けようもない。

とくに、今日の帰り道は雨を伴っていただけにその危険はおおかった。

幸い無事帰還することができ、仏壇に線香をあげ感謝した。

 

今年も例年のように弟夫婦とリンゴ狩りに行ってきたのだが、今までだとリンゴを農家から買い次の日には帰ってくるというスケジュールだったのだがお互い疲れを感じるようになったため同じ宿に連泊ということにした。

今回も、宿の割引とクーポン券をいただいたため普段の半額ほどの値段で泊まることができた。

そして、先日亡くなった義弟の友達の農園と連れの妹の関係する農園から無償でもらうことになったため、これまた大助かり、、、、、、、

ただ、ここ二~三年、気温が高ったためリンゴの色づきが遅く、蜜の入りようが少ないのはこれらの農園でも同じようだった。

 

 

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2022年11月 9日 (水)

早くも冬支度

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雪深い飛騨では早くも冬支度に入っていた。

久しぶりに訪れた寺では雪囲いのため部屋が暗くなり庭園が板の隙間からのぞき見するしかなくなっていたこと、神岡城の松には雪つりがあり、船津座の小さな木には三角の板囲いがしてあった。

小春日和ののどかな風景には似つかわしくなかったが、いつ豹変して降り出すか分からないこの時期になると早めだと言われても雪自宅はしておかねばならない。

 

今回飛騨に行ったのは、長野県に住んでいた義弟の四十九日の法要があったのを機会に天気が長続きするという予報があったためと、じわじわと増えそうなコロナの感染を前にしてこの時しかないと思ったからである。

この法事で驚いたのは正座ができなかったことである。

正座に入ろうとした座布団のうえで太ももがつかえて折り曲げられなかった。しばらくはショックで呆然とした。

今まで、こんな経験はなく当たり前にできることと思っていた、、、、歳のせいにしてはおかしい、、、と。

以前にも鉄棒で懸垂しようとしたら腕の力がなくてぶら下がったままだったこと以来である。

かえって原因を探ったら、足首と膝関節が固くなっているからだと書いてあったが、家の中ではしばらく正座というものをする機会がなかったことが原因らしい。早速ストレッチに励み少しの時間座れるようになったが人間の身体はなまくらにできているようだ。

 

飛騨では胡坐をかくことを「じまをかく」と言ったが、こんなこと自慢にはならない。  チャンチャン!

 

 

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2022年11月 6日 (日)

藤波橋は

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朝まだきに宿出て散歩に出かけた。

きのう自動車を走らせながら見かけた西里橋からの藤波橋は鮮やかな紅葉で輝いていたが、今日は一変して雨さえ降りだしかねない空模様になって、紅葉もくすんでいる。

「きのう時間を作って写しておけばよかった」と思っても「むかしを今に為すもよしかな」と静御前が歌ったように、、、、

藤波橋はいつの頃建造されたのか知らないが自分のいとこがこの橋を渡っていた時関東大震災で橋が波打って揺れたと言っていたので昭和初期のことかもしれない。

その前は板橋でさらにその前の江戸時代には籠の渡しがあったそうだから古くから交通の要所だったに違いない。

この橋から上流は藤波八丁といい景色のきれいなところで知られたが、一方で”八幡地獄”とも言われて何人か転落死した場所として怖がられていた。

自分たちの若いころは、さらに上流から河原に下り、水中眼鏡とヤスで魚獲りと川遊びをしながら川下りをしたが藤波橋たもとは下水の落ち口がありその手前で川から上がるのが常であった。

 

そんな思い出の詰まった故郷の川は今日も昔と変わらず流れていく。

 

 

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2022年11月 5日 (土)

故郷の山

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ほとんど三年ぶりくらいで故郷へ行ってきた。

今では静岡で生活した年月の方が長くなってしまったが故郷は懐かしさがいっぱい詰まっている。

ただ、それは景色だけであり人も建物や道路はずいぶんと変わっている。

幾年ふるさと来てみれば、、、の唱歌の文句そのままであり、かっての顔見知りはどこにも見当たらない。

いとこの家はカーテンが引かれ鍵がかかったまま音沙汰がなく、職場の同僚だった先輩の家も留守、、、

街中には、「売り家」と大きく書かれた家が何軒も見られた。

かって鉱山の社宅後には民家や見慣れない高級マンションを思わせる建物や警察署、デイーサービスの近代的建物がたち、昔の面影は一切見当たらない。

町は寂れて老人介護の建物が繁盛するようでは、、、、、、

ただ、自分が建てた家にはカサコソと外に漏れ響く音がして、、、、、、、、、

 

故郷の山は今も変わらず錦を飾って、、、

 

 

 

 

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