2008年10月 5日 (日)

湯の丸山(2,101m)は紅葉盛り

Img_0143 写真上;ツツジ平から見る湯の丸山

昨夜、あまり早く寝てしまったので、五時に目が醒めてしまった。

もぞもぞしていたら、「後片付けは少しだから山に行ってきては、、、」というやさしいお言葉。予ねてこんなこともあろうかと靴だけは自動車に積んできていたので、湯の丸山(2,101m)に行ってきま~す。と飛び出てきた。

佐久平名物の霧も今日は薄いのでそんなに良い天気はには恵まれないと思いつつ、コンビニでおにぎりほかを買い求め、千曲川を渡って地蔵峠に向かった。

名前は地蔵峠だが、登る坂道には観音さまの石像が多分三十三体、ところどころに据えてある。上部の方ではローリング族のしわざと思えるタイヤ痕が無数あり、もし、対向車があれば肝を冷やしそうな情景が見て取れる。こんなときを観音様はどう見ているのだろう。真夜中の安眠妨害で罰を与えるのか。それとも、こんな輩でも救うのか?

六時半、日曜日だと言うのに誰もいない峠の駐車場に着く。湯の丸山は春先の蓮華ツツジが有名で全山真っ赤に染まると聞いたことがあるが、この時期は紅葉も良いというので来て見た。初めて登る山なのと、「はいはい」と二つ返事で来ては見たものの農作業のことも気がかりなので、本当なら烏帽子岳(2,066m)も登りたかったがどちらか一つにすることにした。

支度をして、さてと、売店の裏に来てみたが湯の丸山の上り口が見当たらない。仕方ないので烏帽子岳の矢印に従ってキャンプ場の未舗装道路を進むことにする。

Img_0140 この辺では、夏は遠い昔になっていて、花はほとんどが枯れているなか、竜胆だけが濃い紫の蕾を空に向けている。白山風路は葉を赤く紅葉させ、ちょっと見には小さいもみじかと思わせる風情を醸している。

15分ほどでキャンプ場、湿原があり、ドウダンツツジの多いところがあるという案内板もあるが、この辺は次に取っておこう。

落葉松林、熊笹の下草の中竜胆が顔を出している。そこを過ぎると烏帽子岳と湯の丸山に分かれる分岐に到着。躊躇することなく湯の丸山に向かう。

ここから少し登ると、地蔵峠からの道と合流し、正面に赤い斑点をまとった湯の丸山が出現した。

山に向かって左側には蓮華ツツジのころには賑いそうなツツジ平があり、人一人がやっと通れる狭い通路と有刺鉄線で仕切られている。

Img_0083 パイプの煙か浅間山

ここから道は、傾斜を幾分きつくする。ドウダンツツジが一番あかく、ついでナナカマド、楓は黄色を増している。振り返れば一直線に地蔵峠に道が伸びている気配。三方ヶ峰の後に顔をのぞかせてきた浅間山はパイプの煙のような噴煙を音も無く噴き上げている様子。

Img_0098 湯の丸山から望む烏帽子岳

あちこちを眺め、人っ子一人いない山を独占しながら登れば、八時前に山頂に到着。小さな岩を敷き詰めたようで広くて見晴らしがよさそうな頂上だが、すぐ近くの烏帽子岳、浅間山、根子岳、四阿山辺りが限界、その先は雲の中。

そうした中、湯の丸山の北峰が大きな岩を積み上げて「おいでおいで」と手招きしている。僅かに下ってまた登る、その間に咲き遅れた松虫草が一輪二輪。

Img_0099 湯の丸山北峰

10分ほどで、着いた北峰で朝飯のおにぎりにありつく。風も出てきて汗をかいた下着が冷たく感じる中、烏帽子岳の紅葉を眺めて、冷たいお茶でおにぎりを流し込む、、、。

食べ終わって、下山にかかるこの当たり一帯イワインチンが自生しているとかでロープが張り巡らしてあるので、また時期を選んで来てみようと思いながら中腹まで来た時初めて登山者とすれ違う。

上から見た、地蔵峠へまっすぐに下る道をとって行くと、スキー用のロープウエイの終点に到着、ゲレンデを下る。これで登り口がやっと分かると言う不思議な山登りをした。

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今日の紅葉。

左、白山風路の紅葉。 右、ドウダンツツジ 何れも赤く色づいて、、、

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2008年9月17日 (水)

もっと光を(安倍城址435m)

Img_0002もっと光を”と言いたげに木立から漏れる朝日を受けて咲く

駐車場から標高で20mほど登った所からもう目的のチャボホトトギスが咲き出していた。

こんなに早く出会えるとはと半ば戸惑い気味に眺める。杉木立の暗い山道のうえしたに点々と、、、、。しかし、数はあまり多くない。

天気図は台風が後二~三日来そうだと言うのに、空は快晴。ここを逃がしたら台風が去ってしばらく後になるし、雨で道荒れれば花にも影響が出る。と思うと、去年聞いたチャボホトトギスの時期を逃してしまいかねない。そのため、朝の天気を見て急遽支度して出かける。

Img_00173 場所は、教えてくれた人との約束もあって特定できないようにするが、安倍川右岸の安倍城址に到る山道。決して意地悪でするのではなく、竜爪山のチャボホトトギスが昨年乱獲されたと聞いている、ここも荒らされればたちまちなくなるほどしかないため、、、。

チャボホトトギス。名前から分かるようにホトトギスの仲間では草丈が一番低く、地面に沿って平に葉を広げ、他の草を押しのけて背伸びをすることがないので下草の少ない場所を選んで繁殖する。そのため、道端に咲くことが多く、この山道も少し外れた藪の中には見かけることがなかった。

花の形は、他のホトトギス同様花弁に不如帰に似た斑点模様を持っているが、色は写真のように黄色が主体。

途中、山路のホトトギスや蔓竜胆も僅かづつ咲いているものの、今年は花の数が少ないようだ。藪茗荷も葉ばかりだが、目的の花が見れたのでまあ”好”として置こう。

山頂では先客の女性二人。つましく語らっている、声も小さく取り出して吹いたハーモニカもごく低い。こんな人ばかりだといいのだが、何故団体になると男女問わず声高になるのかなあ。

時計を見れば、まだ、九時時少しゆっくり登ったので息切れもなくこのくらいが散歩に丁度良いのか。山道の降りは滑りやすい、間違えたりスリップしてチャボホトトギスを踏み潰さないよう足元に目を付けて(まさか)下った。

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今日の花、左、山路のホトトギス。花の時季としては少し遅かったようで、ほとんどが種になりかかっていた。右、蔓リンドウ、秋遅くなると赤紫の種が良く目立、なんだか”花より団子”のような、、、。

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2008年8月23日 (土)

処処筋肉痛

Img_0083 今日は処暑。酷暑の勢いがとどまり、涼風が吹き始める。とあり。暦通りの一日になった。

私自身は、昨日の富士山疲れから処処筋肉痛とリュックによる肩こりが出、一日中のんべんだらりとして過ごしながら昨日の余韻に浸っている。

処暑と処処、同じ読み方、でも今日は良く似ていると感じる。処暑のほうも夏ばてであちこちに障害が出ているんではなかろうかと推測するからである。

ともあれ、昨日までの山登りは幸運だった。泊まった山小屋でも週末は最後の予約客でいっぱいになっていると言っていたが、今日当たりから山は荒れ模様でしばらく続きそうな雰囲気である。

個人なら、キャンセルも入れられると思うが、吉田口の状況から見ると旅行会社に引率された人たちはどうなるのだろうか。ガイドも大変だろうが初めて遊び気分で来た人には辛い経験になるに違いないと思いながら天気予報を見ている。

それにしても、最近の山登りではこんなに疲れが根を持つことも少ない。やはり富士は日本一の山である。と今日は駄洒落ておこう。

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昨日の富士の花。

富士山はどちらかというと植物の少ない山に入るその中でいま目立つものは左の御蓼、色合いは赤いのから白いものまである中でこれは特に赤く咲いていた。  右、ヤナギラン、今まで聞いたことがなかったが、斜面の一角に御蓼に囲まれて咲いていた。ひょっとすると誰かが移植したか、、、、

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2008年8月22日 (金)

マッタ~とばかりに (富士山 2)

Img_0062 夜来寝付けないまま風の音を聞いていた。

雷の音はやみ、雨が屋根を打つ音もなくなり、風の音を最後に途絶えたと、思っていたら電気がつき「おはようございます」と山小屋の主人が弁当を持って入ってきた。

時間は三時。朝飯抜きの泊まりなので此方には用事がないが、起こされたのを機に支度にかかる。トイレに行くため外の出ると下から上がってきた人がもう三十人ほどベンチに座っており、空は満天の星空で今朝のご来光を予約してくれている。 

外はまだ真っ暗だが、懐中電灯の明かりは下から山頂まで点々と帯を作っていた。その中に混じって登り出したのが三時半を過ぎてから、ご来光は五時十二分ということだから時間は充分にあり、空には半月が煌煌と明るく、オリオンが丁度真上に、スバルは富士の山頂方面に輝くものの、北斗七星などは見えず、その外の星たちは自分同様名も無き星で名前は知らない。

疲れの取れない身体は無理しないようにと奥宮まで三十分かけてゆっくり登る。日の出まではまだかなり時間もあり、このごろでは太陽の出る位置もかなり北に上がっているはずだかと思って、火口壁沿いに左に移動、その名も朝日ヶ岳と呼ばれる高見に向かう。

東の空が一番正面に見える斜面に腰掛けると下に雲海が一面真っ平な状態で広がっている。北から吹いてくる風はかなり冷たく、多分霜や霰と見られる粒状の白いものがあって誰かが「氷点下三度」といっている声が聞える。

ここに来るまで寒さを感じなかったが、じっとしていると寒さが体内に入ってきそうで重ね着をし、風の当たらない岩の窪みにはまり込んでじっとご来光を待つことにした。

Img_0035 恋人を待つのと同様、東の空に赤味が強くなり、星は姿を消したがまだ上がるとは言わない。じれったい時間も楽しみたいのだが風の冷たさで身震いを始めるとそうも行かない。

まだかまだかの太陽は、約束の時間通りに「マッタ~」とのんびり上がってきた。ご来光、雲海のはるか彼方に浮かび上がってくる様は何度見てもありがたいという気にさせるものがある。

何枚も写真を撮り終えて、お鉢めぐりに取り掛かると次第に人も増え、吉田口の頂上小屋で頂点に達する。バス旅行のガイドらしき人が彼方此方で大声を張り上げまとめているなか、を突きるのもなんだと思い裏から廻ろうとすると、宿の関係者らしき人が「そっち歩くな」と殺気立った様子で怒鳴る。

仕方なく、浅草の仲見世状態の狭い道を掻き分けて通過するが、最盛期にはもっと酷い状態になっていると思われるだけに改善を望みたい。

ようやく人ごみを抜ければ、三々五々に歩く人ばかり。中には「ここへ行くと何処に行きますか?」という人もいたりして、、、、。

Img_0074 金明水と呼ばれる火口内の窪みに近づくにしたがって地面の白さが増してくる。径2ミリほどの霰が堆積しているためだ。それを踏みしだいて、再び火口壁に上がると、眼下の雲海に陰富士を見、登りきって再び剣が峰に到れば人山の山頂。昨日登っているので横目で見て奥宮に戻ると時間は六時三十分。

しばらく休んだ後、下山にかかる。

昨日今日と、二日にわたる頂上は再び登るかどうか分からない思うだけにしみじみとした感じを味わいながら歩くが、そのためばかりでなく動悸が激しいのは体力の衰えか、下山するまで水分は150CCのペットボトル三本と山小屋のお茶二杯だけのせいだろうか。

脇をかすめて走り降りるスニーカーの中学生たちを眩しく見た。そういえば今回目に付いたのはサンダル履きで登る若いお兄ちゃんが沢山いたが「あんまり山をなめるな」って、、、他人事だけどね。

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今日見た富士の一部

左、朝日に輝く剣が峰、山頂の人工物がどう評価されるのか。 右、火口壁北東側の雲海に浮かぶ陰富士。

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2008年8月21日 (木)

古希 富士山に(3,776m)

Img_0012 昨日の晴天がここしばらく続きそうな予感もしたので、富士山へ登る支度をしていた。

朝八時に富士宮口の駐車場に自動車をいれ、登り出した。

前回は10年前だったが、数え年の60歳だったので、還暦登山などと大仰に銘を打って登ったが、まだ、現役で仕事もしていて歩き回ることが少ないため足腰が弱く、連れの二人も同様だったのでその日は標高が3,600m付近の山小屋までが精一杯。

翌日は、深い霧と富士登山駅伝のある日だったので、自衛隊を含めて登山者が多く道は渋滞して一寸刻みに進むという有様で、浅間神社奥宮と上の郵便局から葉書を出して早々に帰ってきた覚えがある。

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今回は、寂しく”古希単独富士登山”とでも命名しようか。

しかし、リタイヤしてから散歩三昧の日課などで、多少は足に自信も出来てきたし、自動車を降りてから山頂までの標高差は1,300m余ほどしかない。先日登った七面山はこれを上回る高低差だから前回のようなことにはなるまいと、幾分高をくくっていた面があった。

登りだして、標高3,000mの八合目までは比較的順調に登ったが、そこで、腰を下ろして休んでからが昔に戻ってしまった。抜きつ抜かれつしていた若い衆や外人に置いてけぼりを食わされ、九合目に着いたのが予定をずいぶん遅れた十一時を少し廻っていた。

Img_0088 前回泊まった、九合五勺の山小屋前で持参のおにぎりで食事をしたあと、石垣にもたれて目を瞑ったら一時時間くらい寝てしまうという大休みをしてしまった。

途端なんだか自信がなくなってしまい、ここに荷物を預けて、必要最小限の品物をナップザックに入れて登ることにした。

上空の天気も良いし、山小屋にはお鉢回りもしてきたいのでと言っては見たが実情はこうで、もし健脚の連れがいたら迷惑をかける所だったかもしれない。

約三十分で、浅間神社奥宮に到着。雲の量も少なく風もないので最高地点”剣ヶ峰”に向かう、平らな火口壁を進むと、元測候所へ荷揚げしたブルドーザ道になるが幅広く均してあるものの傾斜が25度くらいも有るか結構歩きにくい道であった。

この道を、中途まで上がった時、下のほうから若い運動選手らしい連中が男女六人で走り上がって来た。

「昔、私たちが北アルプスでやっていたようなことをするな」と思っていたらさすがにきつい坂、一気に上れず一休みした後、私を追い越して行った。その時の土ぼこりはまさに「後塵を拝する」をそのまま絵にしたような感じだった。

Img_0018 ようやく、山頂の標識に着き三方見わたせばかすかに雲があるものの快晴の空の下深い火口とお鉢めぐりの道を刻む火口壁が眺められるが、もう一方は錆びだらけの元測候所にはなんだか違和感が残る。

いま、富士山を世界遺産にしようとしているが、最高地点にこんなものを残しておく必要がるのだろうか。また、信仰の山という割には、昔の富士講というものの登山は皆無であり、富士山は難しいものと思われる。

しばらく、山頂にいたが山の気候は変わりやすい。東側から上がってきた霧で瞬く間に何処も見えなくなり、お鉢めぐりも断念せざるを得なくなった。

午後三時半、奥宮から下りだしたときにはポツリポツリと雨まで降り出し、山小屋で明日の天気予報を聞いたところ「何年もやっているが分からない」というので、雨の中を下るより「ええい ままよ」とばかり泊まることとし、天気が悪ければ朝そのまま下山し、良ければご来光を見てからにしようと決めた。

聞けば、今日の予約は二人しかいないとのこと、(結局最終的には六人だった)そして、この山小屋の今年の営業は25日までだとのこと、なんだか残務整理の様子に見えた。富士吉田口の山頂小屋は予約でいっぱいというのに比べると、山小屋の立地条件は大きな差があるのだなという気がした。

五時、何処の山小屋でも定番のカレーライスを食べるころには、富士山南東部に大雨警報が出たというニュースが入り、真っ黒な雲が湧き上がっている。その大分前から雷の音がそちらから響いて小屋のおかみさんらしい人が電気の心配をする。聞けば、最近三回も被害が出ているとのこと。

西の空には、夕日が見えるのに、、、、、、、

七時過ぎには布団に入るが、外の雷と雨らしき音、密着した両サイドの人が気になってか、目を瞑ってはいるものの寝付きにくい一夜は続く、、、。

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今日の花。富士宮口駐車場近くで

左、深山鳥兜。根の毒が有名であるが、花の大きさと派手さは人目を引く。  右、蕎麦菜、ツリガネニンジンと良く似ているが、花の付け方、花弁の先端が広がっている。

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2008年8月13日 (水)

二兎追うものは

Img_0031 Img_0029 もうそろそろだが、今年はどうかな?と期待しながら道下を見ると、淡く紅色に染まっていた。

しめた、今年は当てたぞと降ってみると一面”狐の剃刀”が満開状態で出迎えてくれた。蕾の花が見当たらないのでほんとうに此処二~三日で終わるところだったのかもしれない。

長野に行く前にどうしようかなと思っていたのだが、今日登って正解だった。竜爪山のキツネノカミソリは毎年綺麗に咲いているようだが、自然のものだけに必ず見られるものでもなく、大体このころという目安しかない、彼岸花科の植物だけあって開花時期が短い。

ここに、これだけ纏まって咲くのはいろいろな条件があってのことだろうが、植林をはじめ、心無い人が入って荒らされるなど環境を変えないことを望みたい。

Img_0032 幅は約五十㍍くらい、下のほうはどのくらいまで下がっているのか足を踏み入れられないので分からないが、落葉樹の下草のようにずっと続いていて先が見えない。しばらくしゃがんで眺めていると天国のお花畑とはこんな所か、、、なんて考えてしまう。

しかし、ふと傍を見ると、木の根肩に缶ビールの空き缶とウイスキーらしい瓶が転がっていて現実に引き戻される。中身は身体の中に入れて軽くしたものだから、持って帰るには造作もないことのはずだが、、、、。心の貧しさを見せ付けられたような気がした。

穂積神社から約四十分で富士山の見えない峠に到着。それからまた尾根筋どおりの道を四十分ほどで薬師岳山頂(1,051m)になるが、このルートは少しでも早く目的地につきたい自分の性格としてはあまり好きな道ではなく、これまでに俵峰から登ったのとあわせてもこのルートは三回目にしかならない。

Img_0049 薬師岳から文殊岳に向かう道沿いには、チャボホトトギスがお盆過ぎに見られるので、今回は一つでも咲いていないかと探してみたら、三株見つかった。

「二兎追うものは一兎も得ず」というが今日は二兎とも得てしまったことになる。

気分を良くして山頂のベンチに座り、雲の彼方の富士山を想像しながらの食事になったが、人に出会ったのは山頂でだけ、薬師岳までは顔にかかるくもの巣を払いながらの登り道だったので、多分今日一番の露払いということになるか。

とにかくお花畑の独占といい、望外のチャボホトトギスといい楽しい一日を過ごすことが出来た。

昨年もここのチャボホトトギスが大量に盗掘されたという話を聞いた。「やはり野におけ蓮華草」ではないが盗って帰っても根付かない場合が多い。大量盗掘で絶滅するのは、こういうブログも業者などの手助けをしているかと思うと、うかつに場所を特定でき無いようにしておく必要がありそうだ。    08-08-17

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今日の花。竜爪に咲く

左、玉紫陽花、珠がはじけてこれからという時期。 右、山ホトトギス、まだ早いらしく山頂に一輪咲く。

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2008年7月13日 (日)

岩積み上げて 蓼科山(2,530m)

Img_0084 (縞枯れ帯を隔てた向うに見える八ヶ岳)

下界に降るにしたがって気温はどんどん上昇した。

蓼科の鈴蘭峠で20度が山梨で35度、静岡に入ったら36度を車載の温度計は示していたこれでは身体がついていかない。

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昨日掘って収穫したじゃがいもを車の後ろに満載し、蓼科山の登り口である鈴蘭峠についたのが朝の六時だった。

すでに、先客らしい車が四台駐車しており、その脇に並べて止めた。支度しているのは一人だけ、後は出発して見えない。「しめしめ、この調子だと露払いをしてくれているだろうな」と思いながら横綱?は登りだすと、昨日の雷を伴った雨で笹の葉には露がいっぱい付いている、それをステッキで払いながら登っているのにズボンは腰から下が濡れてくる「露払いはどうした?」

少し登った所で、物音がしたので振り返ると、自分が着いたとき支度していた一人がゆっくりと付いてくる。「先客が露払いならこの男は太刀持ちか」と思いながらもぴったりと付かれるのは苦痛である。

この人、最後まで自分を追い越すことなくこちらが写真を撮ったり、休むと必ずその下のほうで一休みしていた)

道は、急斜面に加えて岩の表面が濡れているので滑りやすい。「慎重にあせらないで あせらないで」と自分に言い聞かせながら歩を運ぶ。

このルートは、巨岩が多く斜面が急。ほとんど登り一方なので足を動かした分だけ登っていくことになるのでそのへんは楽しみと言えばそうなるのだが、大小いろいろな岩のため歩きにくい。

2,100m付近で三人組に追いつく、若い連中ばかりだがかなりへばっている様子。聞けば、かなり早く上がったようで、さらに先客三人グループがいる。とのこと。

さらに、標高で2,300m付近の縞枯れ帯に入るとその三人グループがいて、雲間から見える八ヶ岳に見とれていた。この当たりでようやく周りに立ち込めていた霧も完全に拭い去られ、日の光が差し込んで、霧とともにの登りから開放された。

ここで長休憩に入り、最後の難関、岩を積み上げたような山頂直下のルートをペンキの目印を頼りに登る。この山、反対側の将軍平からもそうだが、山頂付近はどちらから来ても大きな岩だけで作られているのがわかる。

とくに、此方側は草木も無く何処でも登れそうなのだが、ペンキから外れた場合、岩の安定や穴ぼこなどからかなり危険な場所もあるように見受けられる。

矢印は山頂小屋に続き折れ曲がってすぐに三角点に到着する。時間は八時十五分。山頂は直径300mくらいのなだらかな岩の平原のような状態で中央が少し窪んでいて、ここが火口の中心部。そこに小さな鉄の鳥居を持つ祠がある。

ここで朝飯にする。山頂からの見晴らしは、上空は青く澄んでいるが、前回 大河原峠から登ったの時のようにはいかず、南北アルプスをはじめ富士、御岳、乗鞍、志賀高原など全てがそれぞれに巻きつけた雲の中、一番近い八ヶ岳さえときどきかすかに見える程度。

Img_0088_2 火口をへだてた反対側から三角点を見る)

今日は土曜日だけあって、人出が多い上、傍若無人なグループもいたので、反対側に移動していたがこれ以上晴れる気配もないので、あまり長居をすることなしに降ることにした。

花も、このルートは少なく写真もあまり写さなかったが、岩が多いせいか、かなり時間を要し、登りとあまり違わない時間を掛けての降りとなった。

Img_0117 ズボンの裾に掴まりミネラル?を獲る山黄斑日影

登山口近くまで下ってきたとき、”山黄斑ヒカゲ”と”黒ヒカゲモドキ”が、自分に纏わりついてはなれない、不思議の思って停まると手や帽子などに止まった。

丁度下から上がってきた若いペアに「蜜でもあるんでしょうか」と聞かれたんで「多分ミネラルと思っているんではないでしょうかね。それにしても種類が違うと喧嘩もしないのが面白いね」と答えてカメラで写して見たが、帰ってパソコンに入れて見たら身体についたのは全て焦点が合わず失敗だった。

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今日の出会い。左、山黄斑日影蝶、右、黒日影モドキ蝶。汗に含まれる塩分を求めての行動と思うが、妙に人懐っこい様子で振り払っても離れようとしなかった。

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2008年7月10日 (木)

盛夏に先駆けて(入笠山1,995m)

Img_0009 「じゃがいもの茎がおかしくなったので早めに来て掘ったほうが良いんではないかと思う」という電話があったので、閑人はさっそく長野へとぶことにした。

急だったので、作業衣や山登りの支度して出かけたのが、いつもより遅く中途半端な時間になった。「まあ、今日中に着ければいいわい。天気もあまり良くないことだし、、、」

とは言ったものの、なんだか物足りないので二年ぶりの”入笠山”にでも立ち寄ってと行こうかと思い直し、富士見町のパノラマスキー場の駐車場に車を入れたのが午後二時。

上を見上げれば、一面の深い霧がすぐ上の斜面を隠している。ゴンドラに乗れば五時が最終運行だというので迷ったが、前回も深い霧で道が判然とせず戻ってきたことを思い出し自動車で登るのを止め、今回もゴンドラでに乗り、時間の範囲で行ける所まで、、、、。

Img_0001 予想は当たって、すぐに視界が20mとは無いほどの乳白色の霧につつまれる。静かに登るゴンドラ、と、急に現われる対向の降りゴンドラさえなければ動いているかどうかは支柱の滑車を通るだけ。

と、突然ゴンドラが停止し、2分ほどと思うがゆらゆらとした後動かなくなった。「しまったな、救助隊が来て降ろしてくれるまでどのくらいかかるかな」など周りが全然見えないうえ、どのくらいの高さにいるか分からない状態で思っていたら、またガクンと衝撃があり動き出した。

山上駅に到着すると同時くらいに霧は薄れていく、入笠湿原までは落葉松林のの中を通って10分。

Img_0061 面積は約二町歩といわれ、小さな湿原ではあるが花の種類の多さから有名な場所である。そして今、鈴蘭、蓮華ツツジ、アヤメなどが終わり、九輪草、白花ヘビイチゴ、マタタビなど夏の花の先駆けさきだしている。

湿原から、花を追っているうちに五所平、そして入笠山の頂上(1,995m)に登ってしまった。

Img_0047 山頂からの景色は、雲につつまれ見るものも無かったが、これもこの時期である以上降られないだけ良いほうとしなければならない。

ここでは、タニウツギ、薄雪草、靫草、浅間風路などを見ることが出来た。時間を見ると三時半、早々に引き返すことにし、駐車場に帰ってきたのが最終運行時間の少し前だった。

出あった花は、マイフォト”入笠山”に合わせて紹介します。

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今日の花。左、薄雪草、中央の黄色い部分だけが花。その周りの綿毛につつまれた白い部分は葉が花弁のように見せかけている。右、靫草(ウツボグサ)むかし武士が矢を入れるため背中に背負っていた道具に似ているということから付けられたが、靫そのもを知っている人もいなくなった事だろうから別名があっても良いのだろうが、、、。

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2008年6月18日 (水)

山頂に祠が三っ 四阿山(2,354m)

Img_0078 振り返れば根子岳。十ヶ原から

根子岳から十ヶ原の鞍部までは低い笹原で快適な降りになる。足元はイワカガミが道の縁だけでなく笹の中にも沢山あるのが透かして見える。

そして、四阿山の登りにかかると状況は一転する。樅の樹を主体にした原生林の中は光も届かず薄暗い上、1㍍を越す笹が道を覆い隠している。目印はところどころにつけてある赤いテープであり、それに従って行く先を判断するといった状況の場所が何箇所かある。

急な斜面のところどころに残雪がある。北向斜面というだけでなく、日の差し込まないせいもあるかと思う。そして、途中2ヶ所開けたところがあり、今降ってきた根子岳の斜面がこちら側とは対照的に明るく映え、その奥の北アルプスを引き立てている。

ようやく開けた場所に出てくれば、山頂はすぐそば、菅平牧場から直登して来た二人連れがすぐ前を歩いていて、山頂で追いつくとカメラのシャッター押しを頼まれた。

Img_0095 山頂は、下から見た感じとは違い細長い尾根上の地形で、信仰の山らしく祠が三つ並んでいる。いずれの神様か確認しなかったが、「さぞ窮屈なことだろうな」と思ったのは私だけ?

その間にいかにもわが領土といった感じで群馬県嬬恋村の木柱が立っていたが長野県のは無い。一体に長野の山にはこういった柱や標識が無いが、静岡や山梨の県境の山では両方が立ち、中には気に入らないのか、刃物で削ってあるものまである。これも県民性なのか。登山者のマナーなのか、、、、、。

Img_0072 食事を兼ねた一休みをすれば、雲が急速に周囲の展望をふさぐようにかかってきた。まるで、舞台の幕を引くようにして、、、、、、、それを機に腰を上げ降りに入る。階段状の木道に沿って降ると、鳥居峠方面との分岐に入り、そちらに降れば大回りになるので、四阿山高原のほうに道をとり、低い石原の斜面を下るとイワカガミと三つ葉ツチグリ、三つ葉オウレンが縞状の群落をなしており、それらを見ているうちに、中四阿山への道を見失ってしまった。

「まあ、少し大回りだけど四阿山高原に降るか」と軽い気持ちで他の花の写真を撮りながら高度を下げていき、牧場の柵伝いに1,500m付近まで降ると三方柵で道が突然ふさがれてしまった。

あちこち探ってみたが、行く先が無いので柵を乗り越え牧場を水平に西方向に歩くことにした。蓮華ツツジの開き具合から言ってこれ以上下に降っては駐車場より下に行ってしまうと判断したためで、ひと気の全然感じられず、一面牧草で先の見えない草原をこの判断でよかったのだろうかと思いながらただひたすら歩いた。

約1kmほど歩いたところで、ようやく荒れた道路に出たが、その道路をさらに3km歩いてようやく駐車場に到着した。全工程七時間。回り道が無ければもっと短かったのだろうけど、いろんな花を見せてもらったと思えばこれもまたよい結果であった。

帰ったところで、葱苗を譲ってくれるとという話があったので、また畑に出て二畝葱用の深い溝を掘ったがこれが意外に堪え、手のひらに水膨れを作り汗だらけの身体をシャワーで流すころには「もう、どうにでもして、、、」という無気力状態。

夕食前まで一眠りをしてしまった。

この山での写真は”根子 四阿の花”としてマイフォトで紹介します。

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今日の花。左、鈴蘭 右、ライラック 何れも菅平牧場の池のほとりに咲いていた。

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2008年6月16日 (月)

明るい花の山 根子岳(2,207m)

Img_0017 カメラ目線の乳牛、菅平牧場にて

朝四時、起きてみると浅間山から連なる籠ノ塔山、菅平方面の山は雲の中、反対側の蓼科山も全然見えない。

すこし様子を見ようとまた布団に入ったものの、じっとしていられなくなって五時前に車に乗り込んで、菅平に向かった。

昨年、根子岳から四阿山をぐるッと廻ってこようとしたものの雨風に阻まれて根子岳だけで断念してきたのでそのりべンジを果たしたいと狙っていた。そしてもし駄目なら湯の丸山の蓮華ツツジでという両面作戦で向かってみたのだが、次第に空は晴れ上がり六時に菅平牧場の駐車場に入れたときは上空は雲一つない快晴になった。

Img_0140  根子岳は花の百名山に数えられるくらい花の多いところと聞く。今回はどんな花が顔を揃えてくれるのか楽しみにして支度にかかっていると、郭公がすぐ傍でのどかな声で泣き出した。

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まず、1,250mの菅平に入ったときからあちこちに濃いダイダイ色の蓮華ツツジが咲き乱れていた。この花は毒があるとかで、牛も食べないそうで、牧場の中にあっても大きな群落を作っていた。

牧場の最上部1,700mを越えるくらいまでは蓮華ツツジががメインフラワー、そこから上は蕾になり変わって、深山ツツジがイワカガミが、そして、峰桜が彩りの主役になる。

この当たりまでは白樺が多くとその上に行くと低い潅木になり、山全体が明るく登るには気持ちの良い山である。

Img_0046 あちこちと写真を写しながらの、山登りだが、足の調子も良く快適に高度を稼ぎ思ったより早く七時半に山頂に着く。頂上からの眺めは北アルプス全体が良く見えるものの、南側の山々は雲に埋もれている、その時になって、「此方はまだ梅雨入りしていない」ことに気がついた。

ガラガラとした山頂。去年の強い雨混じりの風もなく、印象はずいぶんと違って感じた。頂上で一休みの後、狭い岩稜の突端屏風岩に向かう。

この山から直線で2kmくらいか、次に目指す四阿山は200m下ったほど十ヶ原を挟んだ向うに聳えているが、標高差以上に高く威圧感を与えるのは樅の木などが繁り暗く感じるところにあるためかもしれない。

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今日の花。左、ズミの花。正式名は小梨といい蕾のうちは淡い桃色をしている。上高地河童橋の近くを昔は小梨平といったが、この樹は今では少なくなってしまった。右、猩猩袴(ショウジョウバカマ)、春を象徴するはなのひとつ。そばの小さい花はミツバオウレン。

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2008年6月 6日 (金)

長談義の竜爪山(1026m)

Img_0011 朝起きてみたら梅雨時とは思えないほどの青空が広がっていた。

これはどこかに行かなきゃと思ったが、肝心の燃料と財布が心細いので一番近場の山、ということで竜爪山(1,026m)に登ってみる事にし、則沢(ソクサワ)の林道を登っていった。

昨夜来の雨の影響があって、下から見た竜爪は山肌に霧を巻きつかせている。「そのうち上がるさ」と心うちで思いながら、駐車場に着いたのが八時、周りは淡い霧の中。

Img_0034 支度して、少し増水気味の沢をまたぎ、山道に取り掛かる。上りだしてすぐ沢蟹を見つけたのでからかいながら写真を写していたら、後から追い越していった人がいた。

Img_0008 この人、初めからなのか半ズボンにランニング一丁という格好。聞けば、一番下に車を停めて、ここまで一時間かけて来たとのことで、私より年上の七十七歳だ、とのことだった。

歩く早さは私より少し遅いくらいだが、此方が写真を写しながら歩くと丁度同じ速さになり後先になりながら文殊岳頂上に着いたのが九時を少し廻ってからだった。

頂上は晴れていたが、富士は勿論、周りの山々は全て低い雲の中。今朝考えた蕎麦粒山辺りもきっと雲の中だろう。と思わせる空模様だったし、春の花も終わって写すものも少なく、さびしい山行きになった。

偶然にも前後して登ることになった人とは、頂上に着くころはすっかり話しがあって、テーブルを囲んで山談議、長談義。話しでは、何回もブータンに行ってヒマラヤの下でトレッキングしているとのこと、近いうちにまた行きたいのだが、直行便が少なく、成都を経由するので地震とブータンの政情が、、、、。とのこと。

その後穂積神社を廻って帰る、とのことなので、薬師岳を越え穂積神社からの出合いまで一緒して別れた。

その後、再び文殊岳に戻るとしばらくして同年輩の人が薬師岳のほうから来てろくに休みもせず、あたふたと戻る。

こんな日は、どんなに天気が良くても我々のような者しか来れないんだな、ということを認識しながらの下山となった。

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今日の花。左、二人静(フタリシズカ)中には四~五本並び立っているのがあるが、多分カシマシ草と名を変えなければ成らないだろうと思う。 右、宝鐸草(ホウチャクソウ)お寺の軒先などに下がっているベルのような形をしているところから名付けられた、ユリ科の植物。この花ももう遅くほとんどは丸い実をになっていた。

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2008年5月21日 (水)

山頂はまだ先(天津山1732m)

Photo 隈笹をゆらしながら吹き上げてくる乾いた風は、汗ばんだ身体に心地よくしみわたる。こんな風を受けると思わず出てくる言葉は昔ながらの「極楽 ごくらく である。

斜面のあちこちから鶯とホトトギスが競演しているが、考えてみれば、ホトトギスという奴は鶯が巣をつくり卵を産むのを今か今かと狙っているので、敵対関係にあるのだが、、、、鶯のほうはそれを自覚していない所に面白みがある。

とにかく今日はのどかな尾根歩きが楽しめて、幸せな一日であった。

昨日からの天気予報は快晴のマークを日本地図の上に散らし、明後日当たりから雲マークが多くなると説明していた。

ヤシオツツジにはまだ少し早いが、、と思っていたが、この天気予報では行きそびれると花は散ってしまうとばかり、天津山(下十枚山)に向けて出発した。

谷空木が道の上下に真っ赤な花を咲かせているなか、正木峠の駐車場に着いたのは午前八時を少し回っていた。先客はすでに一台車を停めて、上っている様子。

早速支度して、これで何回目になるか分からない上り口のお地蔵さんに挨拶をして上りはじめる。

いつもの場所で、雪笹や銀嶺草を写しながら四十分ほど掛けて地蔵峠、足の調子もよさそうなのでそのまま岩岳(1,682m)まで一気に上れば、時間はまだ九時十五分、意外と早く到着した。

Photo_2 お目当てのヤシオツツジは、地蔵峠を過ぎた当たりから赤ヤシオが目立つものの白ヤシオはまだのようで、気の早い奴はいないかと探していたらやっと一本だけ、、、それも寂しげな奴を。

岩岳山頂の標識の周りのものはまだ蕾が固く、花の見ごろは十日くらい先と見た。

この先行っても大したこと無いかと思ったが、ここまで来たのだからとさらに天津山に向けて足を伸ばす。

Img_0008 上のほうに見るものが無いとなると、自然に足元に注目は集まり、岩鏡、梅花黄連、深山方波見など小さな花を見つけては写すを繰り返して進めば、十時に天津山(1,732m)に到着する。

まだ先をという気もしたが、先週の七面山のように膝に来れば持病になりかねないと思い、引き返すことにする。

地蔵峠で昼御飯にしようと戻ってきて始めて人に逢う。どちらも同年輩。(それはそうだろうね、こんな日に山に来るのは、、、、)

そして、上の状況を聞かれたので、説明した後、話題は、先日十枚山で捜索された人、蕎麦粒山で亡くなった人の話になり、お互い高齢者登山「気をつけようね」となったが、どうにも抽象的。根本には自分は大丈夫という、根拠の無い自負が抜け切れない所にあると見た。

そんなこんなで、また山の花を撮り溜めたので明日にでも”08静岡 山野草”にリストアップをしようと思う。

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2008年5月17日 (土)

See your againと

Img_0088 十六日、参篭の朝は早い、が、四時の起床鐘の鳴る前にみんな起きて着替えてしまっていた。なにせ、九時間近く寝たのだから、、、。

鐘の後、すぐに布団を上げに来たがこれまたびっくり。大きな布団を二つ折りにし、その後グルグルと回転させて一抱えもある丸い筒を作り布団部屋に持っていく。

それで、布団の重いわけが分かった。これでは、なかなか天日干しも出来そうにもない。続いて、朝のお勤めであるが本堂のほうで賑やかな音とともに読経が始まっている様子。代々が曹洞宗の家と土地柄のせいでお経も違えばお勤めの仕方も違い珍しいといった感じしかしない。

Img_0081 しかし、我々には、ご来光と時間が重なっているので無理にお参りせよとは言わないと言われ、富士山遥拝所まで靴を履いて出かけた。

今朝早く見てみた人によると、ただ一面の雲だというが受付近くのモニターには空が赤くなっているのが見て取れる。期待して坂道を登って見ると富士の左側から太陽が昇って来始めたところだが、富士は雲海に浮かび上がっているものやはり墨絵の状態。

上りきったところで戻ると、本堂に行きなさいと言われ、お勤めに参加した。”南無妙法蓮華教”を連呼する時、大太鼓四つを共鳴させるところに演出効果を見た思いがした。

六時になって朝御飯。やはり一汁三采、毎日これでは若い坊さんも大変だなと同情しつつ、綺麗に平らげる。

食事が済めば、昨夜同様することがないので、朝発ちの支度をして靴を履きかけると、もうフランクさんはリュックを背負って待っている。

ここで、私は奥の院まで行って来るので「先に下りてくれ」と英語を思い出しながら話して別れ、私はゆるい尾根筋の道にくだり、フランクさんは昨日登って来た道をくだる。

奥の院までは空身で約15分。そのまま降りる手もあるのだが、車を停めている関係で再び戻って和光門をくぐって降りに掛かる。

足弱な先発者を追い越し、赤ヤシオ、岩鏡、ウスギ瓔珞、藪手鞠などを写しながら降れば、若い男女が跳ねるようにして追い越していく。

Img_0100 Img_0108 暗い茂みの中にぽっかりと赤ヤシオ。白い岩鏡

Img_0104 Img_0020

可憐だが地味な花の瓔珞躑躅と藪手鞠

「ああ わしもあんな時期があったな」と思いながら降りていくと、上の晴雲坊で休んでいるのに追いつき、またしばらくすると同じメンバーに追い越され、次の中適坊でふたたび追い越した時には女性の方が大分参っている様子に見え、以後は追い越されることが無かった。

しかし、標高差千㍍を超える坂道を一気に下るのは膝に応える。昨日の違和感を気にしてゆっくりと下ったつもりだったが、足が上がっていなかったと見えて、木の根を引っ掛けぶざまに転倒する。

それ以降は、なんだか腹を突き出したような格好で歩いているのが自分でも分かった。後少し、1/5 程を残すところで、先行のフランクさんに追いつきそこから後は彼に合わせてゆっくりと言葉も交わさずただ黙々と下る。

下って見れば時間はまだ八時四十五分。朝からの奮闘で以外に時間の経つのが遅い。お互い言葉が分からないなりに仲良くなれたフランクさんとは、今度は三つ峠で会えたらといいねと話し、「See your again」の言葉で分かれた。

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2008年5月16日 (金)

男女16人 目刺しのように

Img_0075 十五日の夜、山上の参篭所敬愼院に泊まることを決めたのは、七面山から降ってきて富士山遥拝所で富士を眺めている時だった。

寺男と思しき法被を着た老人が傍に来たので「まだ時間も早いしこのまま下ろうか、泊まって明日のご来光を拝もうかと迷っている」と言った所、「今日は人も少ないしいいんじゃないか」ということで案内されて受付に向かう。

本堂前では、「礼拝をして」と言われ、受付で宿帳に氏名を書いていると、受付に「予約してくれないと困る」と言われたが、予約も何も今決めたばかり、それでもただ「はいはい」と素直に応じた。

とにかく後になって何回も叱られたり、指示されたが、普通の宿と違ってお寺側の方が偉く、泊まらせてやるといった感じがする。それも参篭というのなら仕方のないことか。

部屋は、B-4とかで三間/四間の大きな部屋ですでに先客が五人とリュックがおいてあり「お願いします」と挨拶し、一角に荷物を置いた。

先客との雑談はすぐに身元調査、別に隠すこともないし話していると、ほとんどが60代。一番若くて55歳とのこと。北海道から毎年飛行機と電車で来ている人は信者だがほとんどは山登り目的。団扇太鼓で登ってきたグループは別室と色分けされているようだ。そんな話をしているとつぎの客が案内されてきた。見ると外人さん。その人がフランクさん(仮名)

Img_0036 彼は、私の傍に荷物を置いて外人特有の表情豊かな目で挨拶。すぐその後、受付の人が来て「予約をしているのか」と日本語で話しかけるが、お互い意味が通じない様子。勿論私を含めて同室の人も英語が駄目。

結局、奥の院に電話してみたらとのことで、一旦荷物をもって出たがまもなく戻ってきた。なんでもこの一年四度もここに来たことがある人だという。(泊まったことが無かったのかな?)

その後、「風呂が出来ている」ということで一番風呂に入っていると彼も来て、仕草で風呂の入り方を聞くので、湯船から湯をすくって身体を洗うことを教え、一緒に並んで「何故、この山にばかり何回も来るのか」と聞こうと思ったのだが、ボキャブラリーが貧弱で言葉が通じない。かろうじて春の若葉、秋の紅葉、冬の雪が、、、、、年中緑一色のオーストラリアには無い魅力だと言ったように受け取った。

その裸の付き合いが良かったのか、相性がよかったのか。部屋に帰って同室のほかの男の人が自分より達者な英語で話しかけたり、差し入れしたりしても笑顔で手を振って断り、ずっと自分の傍にいてお互い首をかしげながら、まだるっこしい話しをボツボツと続けて過ごした。

五時、早い夕食をいただく。一汁三采の精進料理を食べ、終われば本堂で御開帳。

多分キリスト教徒であろうフランクさんに無理しなくてもと言っていたが、お寺のほうではすべての宿泊客は内陣に入って「ご開帳に参加せよ」とのこと、「郷に入っては郷に従え」の説明がこれまた難しくて出来ず、イスラムのスンニ派とシーア派の戦い。キリストとイスラムの戦いのように日本は宗教の争いで殺し合いをしない。

自分は曹洞宗、この寺は日蓮宗だが別に信者になるわけではない。結婚式や葬式には神社で有ろうがお寺であろうが、教会であろうが、とにかく何処にでも顔を出すのが日本の風習だとほとんど日本語と手振りと英単語で説明、、、、(理解できたかどうかは、、、、?)

そして、ずいぶん昔のことだが、ろくにスペイン語が話せないときにパスポートをもってリマのホテルに入ったときの自分と比較していることに気がついた。

それでも理解できたのか、大人しく一緒に付いてきてくれて正座、拝み方、焼香も無事終了。そのすぐ後に日没の富士山を見ようと誘いを受けて一緒に行くが、雲海の上に顔を出しているものの西空の状況が良くなく墨絵のように次第に暗くなるだけ。

部屋に帰ってみれば、これはなんと長さ5mくらいの長い布団が2列になって部屋中に敷いてある。何度も来たことのある人の説明では、頭を廊下側にして好きなところに枕を置けばそこがその人の寝る場所だとのこと、グループごとに分かれると、一人で来た自分とフランクさんが端っこを取る事になり、男女合わせて16人が目刺しのように並んで重い布団に入って横になった。

テレビも無く、九時就寝という張り紙も、することが無ければつい瞼が重くなり、八時前にみんな御寝みタイムに入り消灯したが、早寝した分、翌朝四時までは隣のいびきも含めてずいぶんと長い夜だった。

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今日の花。左、梅花黄連(バイカオウレン)やや湿った場所を好み、黄色い根を出して広がるところから名付けられたようだが、マスカラのようなメシベが面白くて。右、白花延齢草、(シロバナエンレイソウ)白花がこんなに密生しているのも珍しくて写す。Img_0046 Img_0029

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2008年5月15日 (木)

信仰の山 七面山(1,983m)

Img_0024 (中腹から見る南アルプス。右から北岳~間の岳と農鳥岳)

昨日までの雨が洗ってくれたかのように雲ひとつ無い空模様の中、富士山がくっきりと見えた。

まだ、ヤシオツツジには早かろうと、先日来計画を温めていた七面山(1,996m)を目指すことにした。

この山は、身延山の鬼門に当たる位置にあることから、日蓮上人の弟子、日朗上人が750年以上前に開いたたとされる山で、1,600m付近の窪地に七面大明神を祭った敬愼院という堂宇がある。

そのため、この敬愼院までが、信仰の道、その先が登山道と言った雰囲気の山である。朝ご飯もそこそこにして、清水から52号線を、そして早川の支流春木川沿いの表口の駐車場に着いたのは八時少し前だった。

車を停めて対岸の白糸の滝を見、杉の巨木が立ち並ぶ山道に掛かる、信仰の山だけあって道幅が広く整備がされているものの1,200mを過ぎたあたりから、膝に負担がかかったのか、久し振りに違和感を感じ始めた。

そして、四カ所の宿坊や二~三百㍍ごと位に置かれたベンチは「休みなさい」「腰掛けなさい」と誘う。杉の木が樅の木に変わるころからあちこちの誘いを受けてようやく和光門に到着したのは十一時近くだった。

ここに先客がいて、「鹿がいた」と興奮気味に話していたが、門の上下に雪と見間違うような白い粉。どうやら塩を撒いて呼び寄せているのかなという感じ。

門から上は直線状の幅広い(15mは有ろうかと思う)参道、その先に手水場と梵鐘があり、折れ曲がった先が富士山遥拝場と随身門があり下ったところが50丁目とされる敬愼院が見えた。

ここまで登ってくる途中、前日敬慎院に泊まった人たち間隔を置いて三三五五すれ違う。「今朝のご来光は綺麗だったよ。昨日雨に濡れた山登りも帳消し」という人。かなり老齢の女性に付き添った20代女性。孫なのか?。二歳程度の子どもを背中に胸にはリュックという30台らしき女性などが降ってくる。

Img_0063 富士山遥拝場で雲の合間から見える富士を眺めていると、下のほうから団扇太鼓らしき音が木の間ごしに聞えてくる。それほど信仰を集める何かがある山だということが実感させられた。

遥拝場を後にして、少し行った所に荷運び用のケーブルカーがあり、その広い場所で山頂を見上げながらお昼にした。

食事が終わり一服していると、霧が出てきて山頂を隠す。始めはリュックをデポして向かうつもりだったが、急遽、雨具他を担いで芽吹した落葉松と隈笹の繁る山道を登る。道はゆるい傾斜なので普段なららくらく登れそうなのに、膝から来た負担のためか、体力不足からかすぐに息が切れ休み休み霧にかくれる前方の道をたどって登る。

Img_0054 霧は乾いていて雨の降る気配がないもの、名物のナナイタガレという崩壊地は見えずただひたすら前を見る。

約一時間かけて山頂に、ここで少し視界が効くようになったが、三角点の周りはかなり前に伐採されているものの、その外に大きな木が立っており、石積みの上の銅版に書いてある東西南北の山々は何にも見えないといった状態だった。