2021年5月23日 (日)

疲れの潜伏期間

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モリアオガエルの卵が入った泡が木の枝にぶら下がっている。

ほとんどのカエルが水中で産卵するのに対して、木の上で産卵するだけで名前が憶えられているカエルであるが、産卵するカエルは普段森の中で生活し雨などは降る湿気の強い夜にしか散乱しないと言われているため、どんなカエルなのか見ることがほとんどないし、見てもアマガエルなどとの区別が難しいカエルである。

写真の泡は上下、達磨のように重なっているが、下の方が早かったようで泡の表面に黒い小さなものが動いているのを目にした。

泡の中で、オタマジャクシになった幼生が下の池に落ちていくのであるが、その下の水面には落ちてくるオタマジャクシを待っているイモリがぷかっと水面に浮かんでいた。

自然界の掟とはいえ、この調子では何割がカエルになって、来春この池にやってこれるのだろうか。

 

今日は久しぶりに太陽が顔を出した。

洗濯物のほかに布団などを太陽に当てて湿気を飛ばしたかったが、藤枝の玉露の里でお茶まつりをすると聞いていたので、毎年ここ手もみ茶を少し買っていたので、今年も、、、と出かけてみた。

そして、午前中に帰ってくると、午後になって「雨後の竹の子ってことがあるだろ、葉竹(ハチコ―)を採りに行こう」と誘われたので出かけた。

葉竹は孟宗竹のように地面から顔を出したかどうかの時に採る必要がなく、1メートルほどの伸びていても、先端だけを採って茹でて食べられるので、竹林を歩いていても目に付くので簡単である。

それでも、車を止めた場所から急斜面を上り下りしながらのタケノコ取りは普段使わないところに力が入り、探しているときは夢中になっているので疲れはないものの、、、、、、、

明日の筋肉痛が気になる。

いや年寄りの筋肉痛は、時間をおいてやってくるといううから三日くらい後か。

まるでコロナに感染したように、疲れの潜伏期間はいつまで続くのか、いま考えている。

 

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2020年10月31日 (土)

波を蹴立てて帰り船

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沖合から小型の漁船が一艘波を蹴立てて用宗の港に返ってくる。

以前は網を引き上げるのを何度か繰り返して帰ってきていたのだが、沖合の船は漁場にとどまってシラスを獲り、別の一艘が引き上げたシラスの入ったコンテナーを積んで何度も沖と漁港を往復する方式になったそうだ。

新鮮な生シラスは美味しい。

ここ数日の天気と穏やかな波は絶好の漁日和と思い、用宗に行き500gのパックを買い求めてきた。

しかし、いつも思うのだがイワシの子であるシラスはほかの魚のえさでもあるし、大きくなればカタクチイワシなどになるのだが、静岡だけでも用宗のほかあちこちの港から船が出てシラスを獲っている。

こんなに取って大丈夫なんだろうか、、、、この湾内では桜海老がここ2年ほど獲れなくなって休漁しているのだが資源の回復が遅々として進まないそうだ。

環境とか資源の問題から見ると、細く長くがよいのではないかと思うが調査の方はどうなっているのだろうか。

ハタハタはその後回復したとのことであるが、ニシンはまだまだだし、最近はさんまも獲れなくなったし、鮭の遡上にも影が差しているときくと、資源がなくなってから騒いでも遅すぎ、、、、、なんだけれど。

   なんて  思った!!!!

 

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2017年9月14日 (木)

薄紅のコスモス

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#うすべにの秋桜が 秋の日に、、、、

Img_0016今日はコスモスの日だという。

いろんな色があるコスモスの花だが自分たちが始めてみたコスモスの花も、こんな色だったので、コスモスの色というと薄紅色とおもってしまう。

今日テレビで秋桜と書いてコスモスと読ませたのは、上記の歌を作ったさだまさしだといっていたが、「そんなはずない!」と感じていた。

念のため調べてみると秋桜はコスモスの和名であるそうで、日本に入ってきた明治のころすでに名付けられていたそうだ。

ただ、日本読みでは”あきさくら”となっていたという。原因はわかったがなんだかはぐらかされてしまった思いがある。

秋空の下ひょろっと伸びた茎の先の花は、すこしの風でもゆれ、くまん蜂では重過ぎるようで、掴まると茎がしおれて下がってしまい、なかなか蜜が吸えないようで飛び去ってしまった。

かわって、寄って来たのがアゲハチョウ。

これには心地よく蜜を吸わせていた。

ひょっとして、花にも好き嫌いがあるのかしらん。

ちなみに、薄紅色のコスモスの花言葉は「純潔」だって、ほらやっぱりな。

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先日見た時代劇でちょん髷を結うた武士の一家が道端のお地蔵さんに手を合わせていたが、その周りにはコスモスが咲き乱れていた。

時代考証としては、噴飯物かも知れないが映画監督もコスモスを毟り取らせることを躊躇した結果ではなかったかと、目くじらを立てる気がしなかった。

それだけ優しい花なのかな????

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2017年5月 7日 (日)

竹秋

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孟宗竹の葉が黄ばみ、密集した竹やぶにはらはらと葉を散らしている。

この時期葉を散らすことから、竹秋とこの季節を呼ぶ。

その下では運よく掘られるのを免れた竹の子がすくすくと育ち、背丈をこう大きさになって、葉を散らす先輩の竹を見つめている。

そのむかし、わがままな母親が冬に竹の子を食べたいと息子の孟宗に言ったが、雪の積もった竹林にはそのかけらも見当たらなかった。

孟宗は嘆いて天の神に祈ったところ、雪が解けてすくすくと竹の子が生えてきたので、それを掘って帰りあつものにして食べさせたところ元気尾になって、さらに齢を重ねた、と二十四孝にある。

儒教が盛んだったころの中国では、これで通ったのかもしれないが、自分さえ良ければという風潮の強いいまの世の中、こんなことを言ったら、、、、、、

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今年は、何処の竹の子産地も不作だそうだ、先日のテレビでは、昨年の夏の暑さが原因だったというが、自分らも今年二回掘りに行ったが他所と同様の状態だった。

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2014年2月15日 (土)

コートを脱がす日の光

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昨日一日降り続いた雨は、朝の八時過ぎになってようやくあがった。

その明け際にポツポツと残り香のように水面に波紋ができるのに、陽が差してきたのでこれはどこかで虹が懸かっていると思い外に出てみると、北西の麻機の上の山にそれこそ薄く、平たく出ていた。

朝夕に懸かる低い位置からの太陽だと、もう少しくっきり、そして、まあるく懸かるのだが、、、、、、、、

その虹を写さんと出かけた散歩では、太陽の光も暖かく、上着を途中で一枚脱がなければならないほど、汗ばんでしまった。

さしづめ、外国の童話にあった、旅人のコートを脱がす話しによく似ていると思いつつ、、、、、、、

とにかく、一月までの乾燥しきった空気もここ二度の雪を伴った雨が降って地面も潤い春が近いことを知らせてきているようだ。

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最近は、朝といわず、午後と言わず、テレビのワイドショーを見ないことにしている。

原因は、人情話を絡めたソチでおこなわれている、冬季オリンピックのためである。

どうして日本のテレビはどの局も似たり寄ったりの構成しかしないのだろうか。

したがって、今日もやっていた日本チームが出ていない女子距離のスキーやアルペンの滑降競技などが一番気楽に見られて面白かった。

ここに、日本人が一人でも入ると、解説者ともども舞い上がってしまい、民法と変わらない放送になってしまう。

とにかく偏屈じいさんは御しがたいものである。

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2013年8月21日 (水)

一年ぶりの竜爪山(1,050m)

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秋を告げる山路のホトトギス

久しぶりに山に登ってみようと思って、靴を引っ張り出してみると、靴と底の部分が口を開けていた。

接着剤が老化してしまったんだと分かったが、新しいのを買いに行くのもなんだと重い、家にあった接着剤を靴のはがれた部分につぎ込んで様子を見ると、何とか間に合いそうだったので、スニーかーを予備にして行くことにした。

時間も九時近くになっていたので、一番近い竜爪山を目指すことにした。

この山は、自分の中では一番登っている山でこれまで三十回は登頂していると思うが、ここしばらく山登りをしていなかったので、前に登ったのが丁度一年前のことになる。

おまけに、一番最近の山登りは五月であることから、慣れた山とはいえ足に対しての自身は一寸首をかしげる、、、、、、

そんなこんなだったので、いつでも引き返すつもりで登りだしたのだが、案の定途中から足が重くなり、穂積神社から一時間余もかかってしまった。

ただ、お盆の頃までは人で一杯で、文字通り黒山の人だかりだったと思う山も今日は、山頂につくまで誰にも会わなかったため無様な姿を見られることはなかった。

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道筋には、はや秋の気配が漂い、チャボホトトギス(写真 上)を初め小さな花が咲き出しており、その写真を写しながらの、帰りは、もしかしたら富士見峠のキツネノカミソリが見られるのではないかと尾根筋を北上する。

048_2左、キツネノカミソリ、名残りの花がほんの少しだけ咲いていた

しかし、これは見事に失敗、昨年はまだ一面を明るい橙色に染めていたキツネノカミソリも、ほとんど済んで、花茎を棒のように立てているだけ、そして、途中に咲く、イワタバコもすでに花の時期を終えていた。

どうも梅雨明け、気温の高さがこれらの進行を早めてしまったのか、、、、、

花を見られなくてがっかりしたのも加わったのと、汗でずくずくになったのもあって、最後はへとへとになって帰ってきた。

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2013年5月15日 (水)

花を見る余裕もなかったか

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標高1,414mの地蔵峠の近くに可憐なミヤマカタバミが群生していた。

056この花は、夜になると花びらを閉じてしまうため、登りの時にはまだ閉じていた。

それで、この花の写真は帰り際に写そうと思ってそのまま登っていったのだが、その場所に戻ってきたとき、これから山頂を目指す山ガール一行とすれ違った。

みんな半ズボンに長い靴下みたいなスタイルで決めている。(こんな表現でいいのかな?)

自分が駐車した場所より下のほうから歩いてきたと見え、五人パーティーの三番めと四番めがかなりばて気味の感じで周囲に目を配る余裕もないように見えた。

そのうえ、パーティ全体も周りの景色に無関心の様子で、小さなミヤマカタバミなどに目をくれるものもいない。

自分が花を写そうと立ち止まっているのを、道をあけてくれたと勘違いした様子で挨拶をしながら登っていった。

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橋下大阪府知事の発言が、中国や韓国はおろか日本でも非常識と非難されている。

そして、思想的に親子のような石原慎太郎もこれを擁護し、関係者は困惑しているとマスコミは報じている。

しかし、自分的には「もっとやれ もっとやれ」と思っている。これは、彼らの意見に賛同しているのではなく、日本維新の会というものはこの程度のものだと世間が認識してくれるいい材料だと思っているからである。

同じような、思想の持ち主である安倍首相は、靖国神社に代わって国立の戦没者異例の場所を設置することに反対だそうだ。

理由としては、靖国神社に行くと身が引き締まる思いをするからだという。

その考えの中には、軍人のみが国のために死んだという考えが強固にあるからだろうが、東京を始め主だった都市が昭和20年に入って空襲を受け甚大な死者と被害を出したことに対する国の責任をいまだに糾明する気がないためである。

福島の原発事故もそうであるが、原因の究明と反省をしないで次のステップに進もうとする日本固有の考え方をいい加減修正するには、これらの人を国の代表にするのは止めなければならないのだが、、、、、、

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2013年5月13日 (月)

八潮躑躅が見られなかった代償

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五月に入ってすぐくらいのこと、新聞に大井川左岸の大札山のアカヤシオの花が咲きだしたと報じていた。

お茶摘みの暑い日だったのと、今年のお茶は例年より伸びが早いということも聞いていたので、アカヤシオの花が咲き出したとしても不思議ないと思っていた。

それから十日あまり、そろそろ、シロヤシオが咲き出していたとしても不思議ないな。と思って、今日は久しぶりに山に登ってみようと決めた。

去年の八月に龍爪山に登って以来放りっぱなしで硬くなっていた靴を引っ張り出して見た。

さてどこの山に行ってみようか。思案の末決めたのが、大札山と高さが同じくらいの岩岳(1,652m)に決めて自動車を走らせた。

有東木を過ぎ、正木峠の駐車場に着いたのが七時半。そこから、地蔵峠まで40分の道のり、、、、、

途中で、気がついたのは、意外と山の緑が少ないことだった。

063いつもなら、群生しているはずのイワカガミもところどころにしか咲いておらず、木の芽吹きも遅い。

どうやら今年は当てが外れたと思ったのは、地蔵峠のすぐ先のアカヤシオに一輪の花もないことが分かったときだった。

ここから道は、南北に尾根筋をたどる道があり、南は仏谷山から青笹山に、北は岩岳に向かうのだが、今回は「自棄のやんぱち」で予定通り岩岳に向かう。

ウグイスやアオバトの声に励まされてようやく芽吹き始めた道を登り、山頂に着いたのが九時半。

シロヤシオが一番綺麗に咲いた2,005年、岩岳山頂の標識は白く飾られていたが、今回は芽吹きの兆しが見られる程度。

かわって、刈り払われた笹の先から見えた富士山は白い雲海の先にあり、途中の山々は全て雲の下。と言う光景がみえ、この写真を写した数分後には岩岳山頂に霧が襲い掛かり全ては白濁した雲に包まれたのは、地蔵峠の地蔵様が、八潮躑躅(ヤシオツツジ)が見られなかった代償に見せてくれた光景と信じたい。

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2012年8月13日 (月)

樹下を赤橙に染めて

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久しぶりに富士見峠から竜爪山(1,063m)に登ってみた。

目的は知る人ぞ知るオオキツネノカミソリが満開の時期を迎えているはず。と思ってのこと、、、

天気予報は、雨降りになっていたが、日の出から空は雲が少なく、様子見の結果出かけることにした。

六時四十分、コンビニで昼ごはんを買い、駐車場についたのが七時二十分だった。

057018ひだり、チャボホトトギス  みぎ、イワタバコ


長袖のシャツに着替え、足の支度をして上りだしたところで、黄色いチャボホトトギスを目にする、、、、これは幸先の良いことと写真にしたが、その頃から雲が多くなりただでさえ暗い木の下がさらに暗くなってしまう。

043オオキツネノカミソリが群生する富士見峠に着いたのは、それから四十分。その間イワタバコやコウリンカなどあちこちにカメラを向けながらゆっくりと登ったため、以外と時間が短く感じられた。

彼岸花の仲間であるオオキツネノカミソリは葉っぱも無しに、地面から花茎だけを突き出し、いっせいに花開いている。

花が咲いている範囲は、計ったことが無いので分からないが、ざっと見た目には幅50m、上下に150mはあろうかという一体を赤橙色に染めて樹下を覆っている。

もしこれが、人通りの多い場所ならなかなかこの状態を保たれていないのではないだろうか。それかあらぬか、今日も誰一人としてこの場所にはいない。

しばらくあちこちを巡り歩いた後、座り込んで独りぼっちの花見をする。

前回は、アゲハチョウが花から花へと優雅に飛び回っていたが、雨が近いと知ってか、蝶どころか動くのは自分のみ。そして、物音ひとつしない花畑は、天が与えてくれた至福のときか、もうすぐ行くと会える天国のお花畑か、と、、、、、、、

それにしても物寂しい感じは、日もささず薄暗い雰囲気が身に染みるからか。

富士見峠に上がれば、昨年11月に行方不明になった人の特徴を書いた張り紙があり、それから三十分かけて上った峠にはやはり七月に行方不明になった人の捜査依頼があった。

山での遭難は、六十代からうえが多いといわれているが、こんな里山に近い山でも二人がいるというのは、、、、そして、いずれも単独登山でのこと、、、

すべて自分に当てはまることなので、他人事と思わず気を引き締めて、、、と

十時四十分、穂積神社近くまで下ってきたとき、若い男女が昇ってきたのとすれ違った。

二人とも、身に何もつけず手ぶらにスニーカーの軽装、男性のほうは「雨が降る前に頂上まで行こう」と若い女性に声かけ少し早足になる。

女性は、付いて行けず「○○くん なんとか、、かんとか~」と言っている。

こういう子らに限って、遭難や行方不明にはならないんだなぁ、、、、これが。

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十一時、ついに雨が降り出し次第に激しくなり、家に着いたのは十二時半。

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2011年10月 7日 (金)

靴が壊れたのに気付かず(龍爪山)

027登山道の真ん中で通せん棒でもするかのかのような杉の古木


今日も朝から気持ちのよい快晴。

久しぶりに山に登ってみようと考えたが、先日の台風であちこちが倒木やがけ崩れなどで通行止めになっているようなので、静岡で一番登る人が多い龍爪山を試すことにした。

向かってみると、麓の平山集落を過ぎたあたりから通行止めの看板が立っており、この山もやっぱりか、と思う。

どこまで行けるのかとさらに車を動かすと、穂積神社の鳥居がある駐車場は十台ほどの車で満杯状態になっていた。

仕方がないので、道路が広くなっているところまで行って駐車し支度して登りだす。と、すぐに同年輩の人に追いつかれる。

自分とは支度が違うので、聞いてみると「魚釣り」だという。「へぇ こんなに小さくて滝だらけの谷に魚がいるの?」「結構いるよ、だけんど危ないんでヘルメットをかぶらにゃならんけんどね」とのこと。

10分ほど歩いて「じゃここから入るよ」と分かれる。

むかし、修験者や穂積神社を参る人が歩いたという道は、写真にするものもなく黙々と登り、四十分ほどで穂積神社に到着。

穂積神社のシンボル的存在である杉の巨木。何年か前の台風のときは何本か倒されていたが、今回は見るところ一本も倒された木はない。

風の向きがよかったのか、それとも、丈夫な木ばかりが残っていたためか、なんだか神の力が示されたような気がしないでもない。

その杉林を抜けたところから、コウヤボウキ、カニコウモリ、関谷の秋の丁子、シモバシラと花が目に付く、、。

それを見ながらほぼ四十分で頂上に、、、、そこには10数人の先客がいてにぎやか、、、、独り身の自分は片隅でコンビニおにぎりをほうばって早々に下山する。

028駐車に戻って靴を脱げば、長年履き慣れたトレッキングシューズの裏が毟れたように開いていた。道理で今日は足に違和感があったのか。

こんな状態になっていたのをまったく気付かなかったとは、、、、

よく足を捻挫しなかったものと驚く、、、、、おりから、七月にこの山で消息を絶った老人の顔写真つきポスターがあったが、岩場で転倒したり崖で滑落したりしたときには、この靴では踏ん張りが利かなかっただろうなと、改めて反省した。

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新聞によると、この日、龍爪山ハイキングの下見に言った小学校の先生二人が行方不明になったとのこと、まさかすれ違った人の中にその二人がいたとは思わなかったが、遅くなって山に登る人には、いつも「大丈夫かいな」と心配してしまう。

秋の日は、つるべ落とし、迷えばすぐにとばりが下りて動けなくなるからだ。

幸いというか、翌日怪我もなく救出されたというが、ヘリコプターでの下山は格好悪い。 

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