2009年5月27日 (水)

だれかの霊だったのか

Img_0117 昨日登った蕎麦粒山の帰り道、山犬段から林道を歩いた。

その中で今年はじめてのアサギマダラを見つける。この蝶は長距離を飛行することで有名な蝶であり、羽根の色も鮮やかで長旅で傷めた様子も見えなかった。

ひらひらと飛ぶ様はそんなに飛翔力があるように見えないが、上空に上がれば風に流されるようにして飛ぶのだろうと思う。

この蝶がどうした弾みか、自分の前を誘うかのような飛び方をした。林道沿いにひらひらと高く上がりもせず、カーブの先に消えたのでどこかに行ってしまったと思って先に進んでいくと、道肩の花や小枝に止まって待っている。

近寄って写真に入れようと思うとまた飛び立って、、、そんなことを繰り返しながら車を停めたところまで1kmは先回りをしたのではないだろうか。

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むかし、古代中国の荘子の見た夢に、「魂が身体を抜け出し胡蝶になって100年も花と遊んだ」という話があるが、日本では同じような意味で蝶が忌み嫌われた時期がある。

幼虫(芋虫、毛虫)から蛹になり成虫となって空を飛ぶという妖怪変化的なことや、空中を不安定な飛び方をすることから火の玉のような”霊”を想像させ、不吉なものとして見ていたからだという。

となると、昨日のように付きまとわれるのは誰かの霊だったのだろうか。しかし、いまだかってお化けも幽霊も見たことがなく、霊能力者を虚仮にしてきた自分にはそれを感じる機能がなく、「折角まとわり付いてきてくれたのに理解できなくてゴメンな」と言うしかない。

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今日の蝶。左、緋縅蝶(ヒオドシチョウ)。羽根をたたむと地味な色で枯れ葉などに同化してしまうが、拡げると名前の由来どおり赤味の強い色が日の光を反射し、裾の青味が奇麗である。 右、黄斑日影蝶(キマダラヒカゲチョウ)この写真に三頭写って仲良く食事中。メニューは獣の糞、美味しくて人の目なんかは、、、。

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2009年5月26日 (火)

なんとか間に合った白ヤシオ

Img_0057siroyasio 今年の春は早かったが、白ヤシオは大丈夫だろうか。五月後半は農作業に、旅行、雨降りと行く間がなかったので、今日の天気はどうしても見ておきたいとばかりに出かけることにした。

行く先は、蕎麦粒山(1,627m)それもいままで行ったことがない南尾根から登ってみようと思った。理由は、まだ登っていないことが一番だが、白ヤシオが多いとパンフレットにあったからである。

島田回りで中川根、大札山を裾を巻き林道の広くなった道肩に車を停めたのが八時少し過ぎだった。蕎麦粒山の南尾根は、大札山から北に伸びた尾根の延長であり、駐車した場所からは急斜面をジグザグに折り返しながら尾根に取り付く。

Img_0006 尾根道は結構急斜面が続き、しばらく登ると、足元に白い花びらが落ちている。「おや 白ヤシオの花だが、遅かったか」と上を見上げるが花のついた木は確認できず、変わって赤い小粒な花をいっぱい付けた木が何本か目に付いた。

Img_0034 一番低い木に近づいて見れば、更紗満天星躑躅(サラサドウダンツツジ)。それもこんなに赤いのは紅更紗満天星躑躅に違いないだろう。こんなところに咲いていたのか珍しいものが見られた。

枝先から鈴なりにぶら下がっている様は下から見上げるとさながら満天の赤い星を思わせ、まさに名前の通りだ。

しかし目指す白ヤシオは、、、一本くらい時期遅れがないものかと更に登る。次に見えたのは、盛りを過ぎ今にも落ちそうな花をつけたもので、勢いがない。

Img_0029 そして、頂上を望む瘤尾根に来た時やっと念願の群落が眼に入った。白ヤシオは別名”五葉つつじ”とも言うように花が白いだけでなく葉が、花びらのように枝の先端に五枚広がっているのが特徴である。そして、葉の縁が赤黒い色で縁取りされているものが多く、葉だけでも面白い木である。

尾根道は、短い上り下りを繰り返しながら次第に高見に上っていく、時々展望が開けるが霞が強く、近場の大札山、八丁段、板取山などを除くと富士はうすく見えるものの南アルプスは全然見えない。

登りだして、約二時間弱で頂上に到着。ここまでは人っ子一人逢わずに来れた。しばらく休んで、山犬段に向かって降りだし、すれ違うのは二人連れの五組で人気の山は人が絶えない。

山犬段からは駐車場に向かって林道を下った。

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今日の花。何処にでも時流に逆らうものがいる。もうとっくに済んだはずの花にも、、、、、右、岩鏡(イワカガミ)。まだ咲いていたかという感じ、それもこの辺りでは珍しい赤い色の花が。 左、赤ヤシオ。今日咲いていたのはこれ一本。時節は山ツツジの時期なのに。

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2009年5月 9日 (土)

真富士山の赤ヤシオ つぼみは固し

Img_0023mahujisann 久し振りの青空を見て急に山に行きたくなった。

今日は土曜日、人だらけの山には、、、と二の足を踏んでいたが、背に腹は換えられないとばかり出かける気になったのは、先日旅行会社のパンフレットに、「大札山の赤ヤシオを見に行きませんか」という募集があり、催行日が四月二十七日になっていたことだった。

「そんな早いはずがないだろう」と思う反面、今年は早くから暖かかったので花の開化状況を見ての募集ではなかろうか。となると連休明けにはどうなっているのか確かめを兼ねて近場の山に行ってみようと思っていた矢先だった。

行く先は真富士山に決めていた。この山はいつも四月半ばに登っているが、杉や桧の植林が比較的少ないため、早咲きの花が多い山であるからである。

Img_0002houtyakusou 朝七時半に駐車場に車を入れ、仕度して昇り口に向かうと早速宝鐸(ホウチャク)草が出迎えてくれた。「これは幸先が良いぞ」と思って桧の手入れが悪い道を通り抜けて谷筋の道に入る。

駐車場にはほかの車もなかったことから、雨上がりの一番乗りは気持ちが良い。若葉に朝日が当たって柔らかな若葉が光り輝き、ひとっころ話題になったフィットンチットが沢山溢れているような感じがする。

しかし、端境期なのか花が少ない。ハシリドコロやネコノメソウは花を散らしてしまい、イチリンソウがかすかに残っているだけ、、、そんなこんなで真富士神社まだ上がれば富士山方向にのみ木が伐採されて幾分霞んだ富士山が見える、一方、登ってくる途中に木の間越しに見えた南アルプスの塩見岳から荒川岳にかけての雪化粧は、青空にすっきりと見えた。

この差はなんだろう。距離の関係はそんなに違わない以上、その麓の人の多さだろうか。

そんなことを考えながら第一真富士山頂上につき一休みする。咲き残った馬酔木(アセビ)に昆虫が群がり、ブンブンと羽音がうるさい。ミツバツツジが僅かに花開いているがほかはないので、昆虫が余計に集まっているらしい。その後、第二真富士に向かって峠に降る。

Img_0042 峠からの登り道にはいつもイワカガミが密集している場所があり、時には真っ白な花の絨毯のようになるが、ポツンポツンと咲いているだけ、「これは、少し早いのかな?」とみると花びらが落ち、額だけになっている株も見えて花の時季が済んでいるかのような気がしないでもない。

Img_0052 頂上までのあいだところどころで見かけたものの、数が少なかった。目当ての赤ヤシオにいたっては道端からは見ることが出来ず、頂上でようやく写真のような赤くなったつぼみを見ることが出来た。

十時五分から三十分、早飯を兼ねての休憩は蝿などの小虫との戦い、払っても払ってもまとわり付いて離れない、辛抱できずにぎり飯を一つ食べ終わると同時に峠に向かって降りることにした。大井平から下の水場で付近まで来ると登りの人とすれ違いだした。

いつものように小母さんが中心の団体さんを含めて三十人くらいが登っていったが、早く登って良かったというのが正直な所。

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2009年4月19日 (日)

カモシカが人馴れすると (高山716m)

Img_0004 今日は全国的に晴れて暑い一日であり、静岡もご多分に漏れず夏日を越えたようだ。

そこで、今日は市内の西側にある高山に水芭蕉をを見に行ってみた。高山という名の山は全国あちこちにあるが、静岡市にも三つはあり今日の山は水見色と足久保に挟まれた標高716mの山である。

この山最近になって、”高山自然の森”という名の下に道路が出来、手が加えられて標高500mくらいまで自動車で行けるようになり、公園化してしまった。

先日、会津に行って来たおり白川インターから奥羽山脈越えするとき、道端の雪が解けたばかりの湿地に水芭蕉が咲いていたので、此方の山ではもう遅いだろうと思ってはいたが、行ってみると疎らではあるが咲いていた。それも丁度計ったように、、、。

Img_0005 ただ、草丈が大きい、まるで別種のような気がするが、、、ひょっとするとこの池の主だった竜神にかかわりあってのことだろうか。

言い伝えによると、むかし、この麓の長者の娘のところに夜な夜な通ってくる若者がいたのを不審に思った母親が着物の裾に糸を付け、たどって行くとこの池に消えていたそうだ。

怒った親たちは、この池に焼けた石を放り込んだところ、この池の竜神がたまらず10kmほどはなれた鯨が池に逃げ込んだという。夜這い伝説は各地にあるが相手の竜神を追っ払ったというのは珍しく、その後の祟りはなかったのだろうか。そこまでは話しが続いていないようなので、中途半端みたいな気がするが、、、、

Img_0008 そして、帰り道今年三匹目のカモシカに遭遇する。こんなに逢うようではかなり数が増えているのだろうか、今度のは敏捷に逃げて行ったので「かなり人馴れしているな」「人馴れしていれば逃げないのでは?」の質問に「人馴れしていないのは人が珍しく、観察しようと立ち止まるけど、何度も見たのはこれは危ないと逃げるのさ、、」と迷回答。

それでも探したら、藪の影から窺がっていた。

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今日の花。

左、房桜、フサザクラと言っても桜の仲間ではない。花弁も額もなくただオシベと雌しべがぶら下がったいる、今で言う”省エネか。 右、麓菫、葉っぱに艶があって花びらが白っぽい可愛らしい花。ほかの菫に比べてひと回り小さい。

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2009年4月 9日 (木)

狩野氏の落ちた道?(安倍城址 435m)

Img_0015 (写真上、二輪草)

予定していたタケノコ掘りを一日延ばしたいと言うので、急遽どこかの山がないかと考えたのが、九時ころ。

この時間には山の麓には着いていたい時間なので行く先は限られる。

テレビは「朝から空がすっきりと晴れ、富士山が久し振りにきれいの見えます」って言うものだから、近場の安倍城址(435m)へ登ることにした。

どうせ登るなら、行ったことがないところからと、北側の内牧から登ることにし、迷いながら内牧の墓地の駐車場に車をいれる。Img_0060

農道はこの先少し続いているが駐車する余裕がないようなので、支度して歩き出せばすぐ傍の木立の中からウグイスが啼き、足元には射干(シャガ)、延胡索(エンゴサク)そして二輪草が咲いて見送ってくれる。

やっと先日まで、花の色が数えるほどしかなかったのに、と思いながら農道を気持ちよくあるき、尽きたところで木橋を渡れば、いきなり急斜面をジグザクと登りだす。

ここは、最近公孫樹の木を植えたようで、斜面の日当たりも良く、シャガの花、金鳳花が多く、何れも日の光を反射して、写真にすると色が飛んでしまう。

また、その上の蜜柑畑では皮があちこちに散らばっていたが、これは猿の仕業ではないだろうか、と、あたりを見渡したがその気配は感じられなかった。

その上からは例によって、杉の木の多い山道になる。道は尾根に近いところを登るためかなりの急登になるが、良く踏まれており、それだけ高度を稼げるので気持ちがよい。

先日読んだ、静岡の歴史にはこの城は内牧に住んでいた狩野氏の持ち城だったようだが、南北朝のあと今川氏によって攻められたさいこの城によって戦って負け、少し上流の牛妻にあった湯島城で滅んだとあったが、その際の逃げ道になったのだろうか。大げさに書かれた戦国時代の戦いのように、何処からどう攻められたか分からない以上、案外状況だけで引いたの可能性もあるが、その当時この道を急ぎ足で上り下りしたのだろうな、と思いつつ歩けばまた違った味わいがある。

やがて、牧ヶ谷から来る道、増善寺から登る道を合わせると山頂はすぐそこ。歩き出して、七十分で到着した。

Img_0036それまで、全然見えなかった富士山も予報どおりにかおをだしていたが、全体としては春の気象でもやっており、足元の安倍川やその先の市街地までが視界で、伊豆半島は霞の彼方に、、、。

一休みの後、元来た道を下れば昼前に駐車場。普段の散歩程度の感じしかしなかった。

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2009年3月27日 (金)

弥生三月別れ霜 竜爪山(1,041m)

Img_0119 ポンポンにも似たこの花は三椏(ミツマタ)という。接写すれば十文字の花びらに小さな雄しべと雌しべが幾分赤味を帯びて咲いているのが分かる。

Img_0100 和紙の原料として、楮(コウゾ)、ガンピとともに昔から使用されて来たが、現在では紙幣の原料ともなり、一万円札にでもなれば人々はこれで出来た紙を得んが為に土下座でも何でもしかねない尊い木である。

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Img_0127 青い空の下、咲き出した染井吉野の下をくぐり、満開の山桜を左右に見て車を走らせれば、もう山吹の黄色、ウツギの白い花まで見える。

今日は竜爪山は則沢から登ってみることにし、その登り道の両側に咲く花を眺めながら車を進めた。天気情報では各地でかなりの冷え込みがあり、静岡でも高い山では雪が降っているかもしれないということであったが、気温は六度で平年並みだろうか、そんなに寒くは感じない。

林道の終点に車を止めれば、傍の谷川がかなり大きな音で流れ下っている。その音を打ち消しでもするかのようにミソサザイが大声で囀っている。雀よりひと回り以上小さな身体をして、良くあんな大きな声が出るもんだと感心する。

この場所に今頃来るといつも聞く囀りだが場所が良いのだろうか、同じ鳥だとするとかなりの長生きという事になるのだが、、、、。

支度をして登り出したのが八時少し前。杉の木の間を縫ってジグザグに道は登る。いつしか、沢の音も消えミソサザイの声もなくなって倒木帯に出るとそれまで少しづつ目に付いていた三椏の群落に出会う。

いつも書くように静岡の山は植林された木が多く、歩いていて暗い感じの山ばかりの中で、こんな場所に出るとほっとする。

もっとも、伐りっ放しの倒木がなければもっと良いのだが、ここにくる途中でも最近倒れたらしい杉の木が道をふさいでいたが、その根の浅さはこんな大木なのにと思わせるものがあった。

Img_0116 牛妻から登ってきた道との合流点にくれば山頂まであと少し。ここから上は霜柱もところどころにあり、”弥生三月分かれ霜”朝日をあびて妖しい色に輝いている。この冬最後の霜になるかと思うと、なんとなく、、、。

山頂からの展望は、富士山や清水港、静岡市街地は見えるものの、南アルプス方面は低い雲の中。一休みの後、薬師岳の往復をして山を下る。

今日は誰にも会わないで往復するのかと思っていたら、駐車場傍で一組とすれ違う。この人たち足元を見れば簡易アイゼンを付けていたが、、、はて?何処に行くのやら。

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2009年3月11日 (水)

雪の岩岳と下十枚山

Img_0006 地蔵峠から少し下った雪道「さあ どうぞ」と道を譲ったが向うもやはり譲ったまま人懐っこい顔を崩して「どこへ行ってきました?」という。

「岩岳から下十枚に行ったんだけどその先はどうも調子が悪くて引返してきました」「わたしはこれから行く予定だけど雪はどうですか?」から始まった会話はおよそ二十分以上の立ち話になってしまい、堀さん(仮名)は遅れて登ってきた二人に先を越されてしまった。

初対面ながら、波長が合う感じの人ってのはいるようだが、この人の場合”話したらし”というべきか、いわゆる聞き上手というんだろうなと思った。おかげで、帰ってからそのことを話したら「また自慢話をしてしまったのだろう」と叱られた。

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Img_0011 (写真、岩岳の登りから青笹山方面を振り返る登山道が雪でくっきりとわかる)今日は、天気予報があまり良かったものだから、それを信用して朝早く正木峠に向かって車を走らせ、六時半過ぎに駐車場に入れたが、ここにきても空は高曇りのまま薄暗さは抜けない。気温は氷点下二度。

風はないので寒さはそれほどきつくはないが、空の暗さが気分をすっきりさせてくれない。それでも、支度をして登り出したが、雪は地蔵峠のすぐ下まで点々としか見当たらなかった。

しかし、山道沿いに出てきた雪は、昨日の気温に溶かされ今朝方の冷えで凍ったため、足で蹴っても崩れないほど固く凍みついていて、間違えば下にガレ場に滑って行きそうで一番気を使い、アイゼンを出そうかと考えたほどだった。

峠からの登り道は、南向きの斜面のため雪の量も少なくなり、笹原を過ぎた1,600m近くまでところどころにあるのみ、振り返れば仏谷山から青笹山方面は北向き斜面のためもあって登山道が白く続いているのが見え、その先には安倍川河口、左側には清水港が薄暗く見える。

天気がよければキラキラと輝いてかえって見にくいのかも知れない。富士山も鉛色の雲をバックにし越前岳の間に低い雲をなびかせるように、ボッタって(ぼうっと立っているの意、静岡表現)いるものの不機嫌そうな感じは否めない。

八時、岩岳頂上で一休み、雪は三十センチほど固く締まっていて、どこを歩いても足はめり込まないので歩きやすいがなんだか疲れが出てきた。

登る時には感じなかったが下十枚に向かっての降りに入ると膝に違和感があったので、下十枚山しばらく休んだ後引き返すことにした。

五月にでもなれば赤白のヤシオつつじのほか、イワカガミなどで彩られる山も今の時期では雪のほかなんにもない。写真左は今日の岩岳、右、花盛りのころの同じ場所、山頂を示す立て札の上に白ヤシオが覆いかぶさっている。

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2009年2月12日 (木)

帰りはぬかるみ(越前岳1,507m)

Img_0013 宝永火口を真後ろにして、すぐ南に位置する愛鷹山の越前岳に十里木から登る。

富士山が喉チンコの奥まで見せて笑っているような感じがする。

御神体が木花之佐久夜毘売命(コノハナサクヤヒメのミコト)だそうだが、あまりにもはしたな過ぎるのではないだろうか。

今日は、久し振りに山登りをしてみようとこちらに来て見た。空には雲ひとつなく、またしても青い空にくっきりと浮かぶ、、、、。味気ない富士山。

冬用の防寒靴にしようかと迷ってはみたが、雪の状況を見て普段履きなれている靴にし、支度も軽めで登り出したのは、七時四十五分。気温は丁度0℃、駐車場から直線状に作った階段状の道は、霜柱らがびっしりとついていて、足元でサクサクと壊れる音がする。

1,098mの”馬の背”に着いたのが約30分後。あまりの暖かさに、ここでチョッキとヤッケを脱ぎ更に軽装になってのぼりだした。

Img_0011etizwnn 雪の量は、本当に少ない地面に白白っと積もっているだけで地面がほとんど出ている状態、また、この山は水分が多いため土に見えてもその下が凍っているため、固くて滑りやすい状態になっていた。

慎重に足場を選び、帰りの心配をする箇所が幾つかあった。それでも、山頂に到着したのは九時十五分と予定を大幅に上回ったが、やはり雪がないためであった。

Img_0005etizenn2 山頂は、高い霜柱が溶け始めた時間、粘土質の土は水気を含んでグチャグチャになりかけている。ベンチにシートを敷いて休憩したが、落ち着かないので十五分ほどで下ることにした。

この山の今時期の目玉は、樹氷などの雪と富士山を真近に見ることであるが、今回は、雪無し雲無しで半減の感あり。

馬の背まで下ってきて初めて人とすれ違う。ここで気温がかなり違うようで、この下からは霜が溶け、ぬかるみになっている場所が多く、駐車場に着いたころには靴とズボンの下のほうが泥だらけ。

まさに、「行きはよい良い帰りは怖い」状態の山登りであった。

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この山登りの最中に仲良くしていた従兄弟が亡くなったとの連絡が入っていたとのこと、今夜にも出かけることにする。

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2009年1月15日 (木)

初登りは三ッ峠開運山(1,785m)

Img_0011 今日三度目の日の出は、本栖湖の上の峠。一番最初は蒲原の道路で伊豆半島の上から出たもの、二度目は朝霧高原の脇道で富士山の肩から上がるところ、そして三度目は山頂からという具合に。

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Img_0046 「今日の富士山は愛想がないですな」と天下茶屋の主人は言う。おや、それは一時間少し前に言った自分のことばと一緒だと思った。  ここしばらくの良い天気が続き、「空に雲も無く、樹氷や新雪も無い。ただ、大きな富士山があります」と言った感じのせい。

三ッ峠から少し下ったところで会った元気な小母さんとその連れ合いが「今日はいい天気で良かったですね」と挨拶の後に言った言葉に対して、自分の返した返事が「絵葉書みたいで面白みが無いですよ」と言ってすれ違ってきたからだ。

河口湖の北側に聳える三ッ峠山は開運山(1,785m)と、木無山、御巣鷹山と合わせて三つのピークがあるところから付けられているようだが、いっそのこと三峰山と名前を改定したほうがよさそうだ。

それは、さておき、今年の初登りは縁起も入れて開運山にしようと決めた。河口湖の上にある「天下茶屋まで行けます」という看板に従って、一年半ぶりにこの道を走る。所々圧雪が残っている中、登山口との分岐に入ってすぐにゲートが閉じられているため、その前の広場にに駐車する。先着は一台あるが様子から見て前の日以前から停まっている様子。

時間は九時になったが、気温はマイナス六度。風は無いが谷の音が寒さを強調するように鳴り響く。支度して歩き出すと、気温が低いため雪がさらさらとして、足で踏んでも固まらない状態である。

ここからの登り道は、上の小屋の物資を運ぶためナンバーの無いジープが行き交いしているため道は広く踏んであり歩きやすいが、谷の方向が西に向いているので、山頂まで南アルプスの白い山なみは木の隙間越しに見えるものの、富士山は常に隠されて見ることができない。

そして、三っ峠小屋のあるところまで来ると急に視界が開け、富士山が正面に出てくるという 絶妙な舞台装置を持っている。

ここまで、一時間十分くらい、ここでゆっくり休んで指先を温めることにした。気温はマイナス十五度になっており、指先が痛くなって曲がりにくい感じになってきたため、上着のファスナーを下げて指を腋の下に挟みこんだまま富士山を眺める。

雲は、神奈川方面に低くかかっているものの、典型的な絵葉書、そのものの状況である。

ようやく、指先が温まってきた所で山頂に向かうが、風が強くヤッケを通して冷気が凍み通ってきて汗ばんだ肌着が冷たくなってくる。耐寒温度はさらに5度くらい低く感じ、指先が又痺れてくる。

Img_0022 山頂での景色は、先ほど見たものと基本的に変わるものでないだけに早々に風下側から下ることで一息ついたが、アンテナだらけの御巣鷹山には行く気がなくなり”帰心矢の如し”早々に下ることにした。

Img_0052 お昼は、天下茶屋で取る、他のお客は一切なし。おかげで主人と雑談する機会あり、、、何が幸いだか。

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2008年12月24日 (水)

霜柱とシモバシラ 長者が岳(1,336m)

Img_0034 霜柱、漢字で書くと自然現象。カタカナで書くと生物になる。

「分かりやすくていいじゃん。」と言いそうになるが、先人が漢字で名付けた時は何か理由があったはずなのだが、カタカナにしてしまうと意味が分からなくなってしまうものが多い。

Img_0008 Img_0011simobasira 植物のシモバシラは草が枯れた後も水を吸い上げているため、気温が氷点下を割ると中の水分が凍って表面に押しだされるように出てくる。持っている水分の量でいろいろな形になり一日限りの面白い造形が出来る。

夜明け前の空には、下弦の月が冴え冴えとかかり上空は風が強いのか星が瞬いている。気温は静岡でも三度しかなく、八時に着いた田貫湖の駐車場では零下三度だった。(さすがに冷え込んでいる)

しかし、空模様はここに来て高曇り。富士山は正面に見えるものの日の光は弱く、ちょっと陰気臭い感じになってきた。

また、先日、満観峰から見たときは富士山西側の山なみは白く雪化粧をしていたし、昨日は安倍川筋の山も白くなっていたのに来る道すがらの観測ではその気配が無い。

この冬初めての雪が積もった山を、、、と意気込んで、簡易アイゼンまで用意してきたのに、という思いは、山を前にしていささかがっかりしながらも支度した。

Img_0016 ここから登る山は長者ヶ岳。登りかければ足元は霜柱でザクザクと音を立てる。30分ほどかけて杉や桧の暗い林を上ると葉を落とした広葉樹林帯に入り足元は明るくなり、代わって植物のシモバシラがあちこちに目立つ。

自然のものだけに、それぞれいろんな形をしていて、カメラでどの個体を写そうか、どんな角度からが良いのかと、あちこち這いずり廻って写す。

二時間ほどかけて山頂に到達すれば、頂上付近に厚い雲がかかっており、雪はかけらもない。富士は見えないはでは、今日は失敗だったなとベンチに腰掛けていたら急に雲が動き出し、掻き分けるように顔を出してきた。

ここから見る富士は大沢崩れを正面に見るところで、富士山の一番恥ずかしい部分なのかもしれない。白粉をどんなに塗っても隠せない深い皺、、、「長い仲だもの、そんな所ぐらい知っているよ」と言っても見せたくなかったのかな。

10分ほど遅れて賑やかな夫婦らしき男女が上がってきた。聞けば、埼玉県から来たとかで昨日は雨ヶ岳を登り、昨夜は麓で泊まったと言う。

昨日は朝まで雪が降って、展望が利かなかったとのこと、とすれば、午後の天気ですっかり消えたのだろうか。一休みの後毛無山のほうに向かい途中から下山すると言って分かれた。

自分は前に登った時と同じように、天子ヶ岳を廻って下山することも考えていたが、足の具合が今ひとつなのと雪踏みが出来そうもないので、ここから引き返すことにし、代わりに途中からまだ歩いたことの無い休暇村方向に向かい下山した。

花は山茶花ぐらいしか咲いていない湖畔を歩き、駐車上に戻る。

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2008年12月15日 (月)

またどこかで、、と  花沢山&満観峰

Img_0063 (写真。中央に安倍川が流れ、市街地左の黒い山は谷津山、その右が八幡山、その後が浜石岳など庵原山塊)

南アルプスの3,000m級の山から幾筋もの尾根を延ばしているが、その一本が焼津と静岡の境に沈みこむ最後の山”花沢山”(450m)。    読みようによっては花が沢山ともとれる優雅な?面白い?名前を持っている。

この山は、2,000万年位前に海底火山として噴火し、隆起した山で山麓には枕上溶岩という海底火山独特の岩が、それを物語っている。そして、いま大崩海岸は急激な崖を持ち、崩壊しやすい地質をもっていることで知られている。

今日はこの山を目指して、東名日本坂トンネルの傍の小坂の駐車場に車を入れた。

朝八時過ぎ、空には十六夜の残り月が、青い空をバックにまだ浮かんでいる。気温は静岡の平地でも三度まで下がる程冷え込んでいる。

準備をしたところで、この山だけではもったいないと思い、先に満観峰(470m)に上ることにし、北側の谷に向かって歩く。

Img_0032 まだ。赤い楓が残っている農道の途中から東側の谷沿いの道を選び、茶畑の間の急斜面を昇ると尾根に、更に登ると放置された茶畑の向うに山頂の杉木立が見えてくる。芝生を引き整備された頂上からは静岡市街地越しにぽっかりと富士山が浮かんでいる。

しばらく休んでいると、別ルートから先に登っていた二人組と逆川から登ってきた女性と、、、賑やかになったので立ち上がり尾根沿いに南下し、花沢山を目指す。

Img_0058 小さな瘤をアップダウンしながら日本坂の峠に着いたのは十時。この峠は、平安時代まで東海道として使われたようで、志太と静岡を結ぶ一番古い峠と言われ、”日本武尊”が通った道である。

その脇の祠には、一体の石像が石の祠に鎮座しているが、どう見ても祠の石より苔の付き具合からいって新しいもののように見受けられる所から、どこかで壊れるなどして、、、、しかし、詮索しても仕様がないところから挨拶をして、花沢山に向って登る。

道はほぼ尾根沿いに直登する形で急斜面を登る。展望はほとんど利かず、富士山も満観峰も木の間越しにたまに見える程度。

三十分余で到着したものの、山頂は三角点でかろうじて分かる程度。元鉄塔が建っていたらしい場所にベンチとテーブルがあるものの日当たりも悪いので、場所を電波反射板のあるところに移しておにぎりを食べる事にした。

弁当を広がかけたところに、焼津側から上ってきた小柄な老婦人がひとり、、、、同じ場所で弁当を拡げたので、話してみたところ、七十八歳だとのこと「この年になってねぇ~」というが、足腰がしっかりしている様子に驚かされる。

「パチンコやテレビで時間を潰すより、安上がりだし健康にも良い。これからも、、、」と話して約一時間。

結構本も読んでいるようで、自分の故郷の本「下下の女」や「野麦峠」で話も弾んでくると最初見たときより若返ってくるような印象を受けるから不思議だ。

「またどこかでお会いしましょう」とお互い名前も聞かずそれぞれ登って来た方向に分かれて帰途に着く。

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2008年12月 3日 (水)

本栖湖は霧の底 竜ヶ岳(1,485m)

Img_0044 ここしばらく晴天が続き、どこかの山に行こうかなと思いながら、腰が上がらなかった。「気が乗らないのに行って怪我でもしたら後悔は倍ほどする」そんなことを言いながら過ごしていたが、朝起きてみると、満天の星。雲の気配はない。

早速支度をして、といっても、リュックの中を改めるだけのことで、ほとんどそのまま担いで行けるようになっているので、後はおにぎりとお茶だけ。

本栖湖に着いたのは六時少し過ぎ、ここに来るまで綺麗に晴れ上がり少し青味の出た空を背景に富士が暗く浮かび上がっていたが、湖の中は霧が充満し何も見えなくなっている。

出来れば、この時期になると富士山頂から太陽が昇るので、竜ヶ岳(1,485m)でご来光をと思っていたが、この時間ではとても無理と判断し湖尻で待ってみることにした。

Img_0033 気温は氷点下。落ち葉には霜がつき路面も一部凍っている。水のほうが温度が高いため発生した霧のようだが、四方を山に囲まれた本栖湖は盆地のように霧が蓋をしている状態になっていた。

それでも、日の出には山頂とかが見えたりして、神秘的な風景が浮かび上がるのではないかと期待したが、山頂が霧の間から少し見えただけで、日の出の時間には更に深い霧になってしまった。

あきらめて、本栖湖の南側のキャンプ場に車を停めて、帆足峠から竜ヶ岳に向かう道に入る。この辺りから、急勾配になる登り口までは落葉樹の葉も落ちきって、厚く積もり道がはっきりしないくらいになっている。

道は右に左に折り返し帆足峠まで一時間ほどかければ、汗ばんだ身体はヤッケを必要としなくなっている。下を見れば、本栖湖はまだ霧の中。

峠で身軽になった後更に頂上に向かうのだが、前回までは一直線に階段状の道が刻んであったのに、いつの間にかその左側に綺麗なジグザグ道が刻んである。個人でやった仕事ではないだろうが、、、

階段状の山道というのは、見ている分には良いのかもしれないが、実際には使いにくく、竜爪山もそうだがいつも階段のないところを歩いてしまうのは自分だけではないようだ。

そんなことを思いながら、休み休みで四十分、芝生を敷きベンチも備えた公園のような山頂に着く。下の案内板には二時間と書いてあったので、随分と早く歩いたことになる。

山頂には、丁度反対側から上ってきた夫婦連れらしき人がいたが、犬のリードをはずしていたのでこちらに向かって吠え掛かってきた。自分はもともと、犬があまり好きでないほうだが、最近ではあまり常識の無い人が多いので、犬よりその飼い主ほうががよほど嫌いである。      そんな気持ちが犬に伝わるのか、リードを外され興奮していたのか、、、、

飼い主を叱りつけリードをつけさせたものの、折角の気分が壊されてしまい。逆光でテラテラとした色合いで間近に迫って見える富士山や、雪で真っ白になった南アルプスや八ヶ岳も何割か削減されてしまった。

九時十分から二十分ほどベンチに腰掛けていたが、下山は音に聞く、石地蔵を見んものと、北側に下ることにした。

Img_0062 すぐに、本栖湖へ下る北斜面の道の分岐があるが、遠回りを承知で真っ直ぐに笹原の中を下る、大きな木がないだけに太陽の光がさんさんと降り注ぎ、富士山は朝霧高原を挟んで遮るもの無しに全容を延々と見せ、この時期に歩くには気持ちの良い道である。(夏は暑くてたまらないだろうと思う)

Img_0060 丁度中ほどに、格子に囲まれた屋根つきの石仏三体を入れたお堂(?)と見晴らし台がある場所に着く。石仏の謂われはわからないが、かなり古いもののようだ。

何組かの人とすれ違った後、青少年スポーツセンターというひと気の無い建物に着いたが、ここから駐車場までが長かった。

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2008年11月 5日 (水)

狐かな? (竜爪山 1,051m)

Img_0009 先日麻機沼で出会ったSさんが、「竜爪山の中腹にあるセンブリノ花はいまが見ごろだ」と言ったのが頭のどこかに引っかかっていた。

それで、場所をはっきり聞かなかったにもかかわらず、話の前後からこの辺りと狙いを定めて行ってみる事にした。

Img_0001 場所は、平山の登山口の少し上。新道の付近と思い鳥居の傍の駐車場に車を入れて、林道を登っていくと道うえの竹林が崩壊して道路上に30mくらいに渡って、高さ4mの土砂がたまって完全に道をふさいでいた。

仕方ないので、引返してきたがここまで来たのなら穂積神社まで登ってみようかと支度して登り出した。

薄暗い木立の中、谷のせせらぎを聞きながら登る。少し前を中年の女性が単独で登っていたが、此方を警戒してか少し平らになると早足になり距離を拡げ急斜面で縮まるものの追いつかせない速さで歩く。   結構健脚家である。

穂積神社まで石段などで整備され、むかしの修験道だった趣を残している。ここで、水を飲んでいるうちに、ここまで来たらもう少しという気になって、頂上を目指そうという気になってしまったから困る。

再び気合を入れ直して、杉の巨木群を右左に縫い、鉄製階段を登っていくと先ほどの女性が急に木の間越しに見え隠れし始めた。「この人、狐で無いか知らん?騙されないように眉に唾つけて、、、、と」なんて考えながら、マイペースで登るうち、何人かの足弱なグループを追い抜くが距離が縮まったり遠くなったりを繰り返す。

ようやく、俵峰からの出会い、乗越で追いついて見ると無愛想な人だが狐かどうか尻尾が見えないので正体は分からない。しかし、気の強そうな人らしく、薬師岳からの降りで挨拶もなく小走りに横を追い越して文殊岳に向かっていった。

始めは登る気がなかったのに、「もうちょっと もうちょっと」と山を登りきったのはついぞなかったこと、、、、。驚いたね

さすがに竜爪山は人気のある山、連休の後のウイークディだというのに、下の駐車場に十台を上回る車が駐車し、頂上にも先客が六~七人、後から三人と賑ってくる。この後追い越した人が登ってくれば、と考えたら、、、汗の引くのを待って早々に引き上げてきた。

穂積神社からの降りは、センブリノ花探しを兼ねて新道を使うことにした。しかし、杉林で薄暗い道にはセンブリどころか他の花もない。そのうち、林道まで下りてしまい、崩壊した場所を乗り越えて駐車場に戻る。

朝九時に登りかけて着いたのが十二時半、時計も無く行程は分からず終いの山登りであった。

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アメリカ大統領選挙は、オバマしの圧倒的得票で決着した。日ごろ自分勝手なことしか言わないアメリカという国は好きではないが、親の代にアメリカに来た人。上院議員を一期しかしたことのない47歳の男を国の最高指導者に据えるということが出来るお国柄は羨ましい所がある。(ペルーのフジモリ大統領の時もそう思ったが、、)

対立候補マケイン上院議員も選挙中は相手をこき下ろしていたが、最後の挨拶は分からない英語ながら、淡々と綺麗な挨拶をしていた。その中で言っていたが、「どんな人でも選ばれるこの社会が未来を明るくする」「決まった以上相手に協力する用意がある」とも、、、

ひるがえって、日本の場合、親が、祖父が国会議員や大臣でなければ首相になれないような選択肢の狭い社会にしてしまっている。

これは、本人ばかりでなく選ぶ側の国民も悪い。いい加減”門閥 閨閥 学閥 役所閥”から脱却しないと何時までたっても日本の未来は明るくならないだろう。

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2008年10月31日 (金)

声きくときぞ あきは悲しき (青笹山 1,650m)

Img_0037 ”ケイッ~ン”と鹿の啼く声が聞えた。声は大きくは無いが良く通る甲高い音で伝わってきたが、一回だけ。後は風が吹き渡り、下のほうから谷の音が強弱不規則に聞えるだけだった。

思わず百人一首にある猿丸太夫が「鹿のなくを聞きて」と題してつくった

”おくやまに もみじ踏み分け なく鹿の 

        声きくときぞ あきは 悲しき”

と、同じ情景なんだなと思いながら、紅いカーペットのようになった落紅葉を踏みしめて登る。

今日は、青笹山(1,550m)に登ってみようと葵高原まで自動車で来た。いつもは正木峠まで行って地蔵峠経由で登るのだが、何年か前に出来た新道を使い頂上を目指し、帰りは尾根伝いに地蔵峠を廻って降るという周遊コースを取ることにした。

この道は、いままで何度もこの山に来たことがあるのに、なんだか縁が無くて使ったことが一度も無いので楽しみに登る。

舗装された道を少し登った後、山葵田の縁を廻り20分ほどで細島峠と新道との分かれ道に来たが獣除けらしい網が、道をふさいでいる。前に細島峠に登った時には無かったので、道がなくなっているのだろうかと心配になったが「新道」という矢印はあるものの、「立ち入り禁止」という表示はない。

なんだか分からないが、その先に少し前に歩いた足跡があったので、網を支えている鉄棒をよけて通る。

Img_0036 道は、結構しっかり付いているし、古びているので新道らしくない。もっとも自分がこの道の存在を知ってからでもかなりの年数がたっているので、、、、と、思っていたら途中三カ所に炭焼き窯の後を見た。

見た感じ石垣だけになっているところから五十年以上経っていると見たが、、、いや、百年以上か、、、分からないが炭焼きの道としてあったに違いない。とすると、新道と言われる部分は”風穴”と言われる部分から上の、、、いや、もっと上なのかもしれない。

”風穴”はこちらという看板につられて寄ってみたが、気温のせいか風は感じられなかった。ただ、この下に階段状の場所が八段ほど続いているところを見るとここから水が出ていたんではないかという想像をした。

炭焼き窯があるのは、大抵谷の水が傍まで引ける所なのだが、ここまで見てきた窯跡には水が無かった。風穴から水が出ていたとすれば納得できるし、階段状の場所は山葵田ではなかったかと思う。

そのほか気づいたのは、ときどき路傍に立てられている数字を書いた板がどうも不思議だったことである。尾根道に到るまでを2から9まで書いてあるところを見ると、2合目、3合目かと思っていたが、間隔がばらばらで最後の9から先の長いこと、、、なんなのだろうな?といったところ。

二時間少しで、頂上に着いた。静岡側はそれでも薄日の差す天気だったが、山梨側は深い霧の中、丁度尾根を境に両側から上がってくる風がぶつかり合っているようで寒さを感じる。

おかげで、長居が出来ず予定に従って、県境の尾根を歩き仏谷山を目指す。

Img_0070 細島峠を過ぎ、一番快適な仏谷山の尾根当たりで、隈笹が繁る藪に入って茸を探すが痕跡すらない。仕方ないので何年か前からここに来た時には取っている”サルナシ”を土産にすることにした。

来てみると、長年サルナシに寄りかかられた木はかなり傷んでいて量も少なくなっている、、、そこで、手の届く場所にある実を半分ほど分けてもらうことにした。

というのも、そこに来た時何かがいるらしく笹ががさがさと揺れていたので、分け前を残しておかなくちゃ悪いなという気がしたからである。

そんなこんなで、茸が無いか、なんかないかと正木峠に下ってきたのは午後一時、三時間も尾根で遊んでいたことになる。さらに、葵高原まで林道を降ってきたがその途中の竜胆がまた綺麗に咲き誇っていた。

葵高原にもあったが、花の量と綺麗さは比べ物にはならない。自動車で走っていたら気が付かなかったかもしれないと思うと、あまり便利とか楽を追求していると良いものを見落としてしまうの典型だと思った。

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今日の花。

竜胆とアキノタムラソウ

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2008年10月28日 (火)

台風が来てないのに (双子山)

Img_0016 今朝の富士山は、静岡から見ると雲ひとつ無い空を背景に黒く墨絵のように浮かび上がっていた。

七時少し前、自宅を出て富士宮で渋滞に巻き込まれたが太郎坊の駐車場には八時半ころ到着した。ここは、八月始めの富士登山駅伝の中継地として良く知られ、その少し前から車だらけになるため近寄る気がしない場所である。

かわって、今日の駐車場はガラガラ、着いた時には広い駐車場に三台あるだけ、、、。

途中の西臼塚の駐車場までは綺麗に見えた富士山も、太郎坊ではではすっぽりと霧の中。この時期にここに来たのは毎年のように双子山散策を兼ねて茸採りにきているためであり、今日も去年より一日早いだけであるが、いつも見えている富士の天辺が見えないためなんだか肩透かしを食らったような気分で支度を始めた。

Img_0028 今年は台風が一個も上陸していないので、紅葉が綺麗という新聞報道があったが、この場所はいつもより早かったのか富士薊もほとんど終わり、紅葉もなんだか臼呆けているように感じたのは天気のせいだけではないようだ。

江戸時代、宝永火山の噴火で降った大量のスコリアで道はいまだに細かい砂利状態。こんなところを走って上がる競技を考え付いたのは誰なんだろうなんて考えながら、なるべく固い所を選んで双子山に向かって登る。

Img_0032 約40分ほどで標高1,800mほどの双子山山頂に着く、先年この辺りから見た草が濃いうすいを取り混ぜ、黄色を主体にして紅葉していたので、加賀友禅の裾模様なんて書いた覚えがあるが、今回は「茶色くなっていけません」と言ったところ。

一旦下った後、御殿庭に向かう道をとり途中から、幕岩に下り森林帯を 2kmゆるやかに横切って元の場所を目指す。

道の上下の藪、朽木をを見ながら茸の気配を探り、ときどき道をはずして山中に向かうが、ここでも目当ての茸は見当たらない。

先客に取られた様子もないので、今年は駄目なのかと思っていたところようやく一箇所でクリタケを味噌汁の具できるくらい(約3kg300g)を収穫して何とか面目を保つことができた。

もし、これが無ければ”釣りの帰り、魚屋に立ち寄って帰る”と同じようなことをしなければならないかと一時は考えたものだった。

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2008年10月24日 (金)

高嶺ルビーの蕎麦の花

Img_0155 昨日に続いて今日も日中雨が降り続いた。お陰で何処にも行けずむかし読んだ文庫本を引っ張り出して、読んでみたが「根気がなくなったなぁ」を再認識。

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Img_0152 先日長野に行った時、一面赤い田んぼを見つけたので近寄ってみると蕎麦の花であった。今まで少し紅いと言った程度のものは見たことがあるが、こんなに赤いとは、、、

そばの人に聞いたら、ネパールから持ってきて品種改良をした”高嶺ルビー”という品種だそうで、「風味が強く コシが強い、おまけに色合いが良いので休耕田に植えて観光用にもよい」と3拍子揃った作物だという。

と、なるとこれからはこの品種が普及されて、蕎麦畑といえばマッカッカになりかねない。

信州信濃の新蕎麦よりも、、、わたしゃ高嶺のルビーちゃん

おりしも、あちこちの蕎麦屋さんの軒先に「新蕎麦入荷しました」という旗が立てられている。

一度味わって、確かめたいものだが、さてどこに、、、、。

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2008年10月17日 (金)

五葉紅葉 八紘嶺(1,918m)

                                                                           Img_0149

家から50km、安倍奥の湯ヶ島温泉から身延へ抜ける林道の途中に車を入れたのが八時を少し廻っていた。

Img_0064_2 朝起きてみると最近にない快晴、予想はしていたが昨日より雲が無く、ほとんどピーカン状態。早速支度して向かったのだが、安倍川を上流に向かって車を走らせながら登る山を決めかねていた。

結局決めかねているうちに、最上流部に来てしまったという感じで決まった山になってしまった。安倍峠の駐車場は次の日曜日に身延町との交流があるらしく、大型テントを張りに来ている工事の車でいっぱいなので使えない。結局、下の登山道と林道の出会いにある駐車場に車を停めた。

Img_0075 支度して登り出したが、来る途中見かけた満月に近い月を背景に写真が撮れないかと気が逸っていたせいか、安倍峠から来る道との出会いで息が切れ、一休みしなければならなかった。おかげで、ここからはマイペースに戻すことが出来た。

少し高みに出て振り返れば安倍川左岸の山々、手前から大光山、十枚山、青笹山、、、竜爪山までが霞みながらも遠望できる。

この道は05年11月以来のことだから、三年ぶりになるか。それにしてはあまり変わった感じも無いので勝手知ったる道といっていいようだ。花はないか、キノコはないかと、あっち見こっち見の山登りは、単独ならではのこと、、、。

Img_0071 岩シャジン 写真左)、竜胆、野路菊などに見とれ、もみじ、イタヤメイゲツ、タムシバに混じって一番色づいていたのが五葉ツツジ(別名シロヤシオ)青空から降り注いでくる太陽の光を透かして見ると、キラキラと輝いているさまは陽の光を反射しているより綺麗に見え、実態以上(?)という感じ。

Img_0171 駐車場には一番乗りだったので、人に出会うこともなし、音の無い世界をのんびりと一人旅。しかし、このコース、一昨年だったと思うが行方不明のままの男性がいるので道下に急な傾斜があると思わず覗き込んでしまう。当時の捜索で危うい所は調べ済みなことぐらい分かっているのだが、、、。

Img_0162 頂上には二時間足らず、前回登った時に比べるとあっけない感じで到着してしまった。頂上の展望は利かず、富士山は途中で一回見えるだけだったが、ここしばらく厚い雲の中で綿帽子をかぶっていると思っていたら、化粧をしていたようで恥ずかしそうに靄を通して白い顔をのぞかせていた。

右の写真は、下ってきた時のものだが、今日はキノコも少なく、もっぱら紅葉見物の山登りになってしまった。

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2008年10月 5日 (日)

湯の丸山(2,101m)は紅葉盛り

Img_0143 写真上;ツツジ平から見る湯の丸山

昨夜、あまり早く寝てしまったので、五時に目が醒めてしまった。

もぞもぞしていたら、「後片付けは少しだから山に行ってきては、、、」というやさしいお言葉。予ねてこんなこともあろうかと靴だけは自動車に積んできていたので、湯の丸山(2,101m)に行ってきま~す。と飛び出てきた。

佐久平名物の霧も今日は薄いのでそんなに良い天気はには恵まれないと思いつつ、コンビニでおにぎりほかを買い求め、千曲川を渡って地蔵峠に向かった。

名前は地蔵峠だが、登る坂道には観音さまの石像が多分三十三体、ところどころに据えてある。上部の方ではローリング族のしわざと思えるタイヤ痕が無数あり、もし、対向車があれば肝を冷やしそうな情景が見て取れる。こんなときを観音様はどう見ているのだろう。真夜中の安眠妨害で罰を与えるのか。それとも、こんな輩でも救うのか?

六時半、日曜日だと言うのに誰もいない峠の駐車場に着く。湯の丸山は春先の蓮華ツツジが有名で全山真っ赤に染まると聞いたことがあるが、この時期は紅葉も良いというので来て見た。初めて登る山なのと、「はいはい」と二つ返事で来ては見たものの農作業のことも気がかりなので、本当なら烏帽子岳(2,066m)も登りたかったがどちらか一つにすることにした。

支度をして、さてと、売店の裏に来てみたが湯の丸山の上り口が見当たらない。仕方ないので烏帽子岳の矢印に従ってキャンプ場の未舗装道路を進むことにする。

Img_0140 この辺では、夏は遠い昔になっていて、花はほとんどが枯れているなか、竜胆だけが濃い紫の蕾を空に向けている。白山風路は葉を赤く紅葉させ、ちょっと見には小さいもみじかと思わせる風情を醸している。

15分ほどでキャンプ場、湿原があり、ドウダンツツジの多いところがあるという案内板もあるが、この辺は次に取っておこう。

落葉松林、熊笹の下草の中竜胆が顔を出している。そこを過ぎると烏帽子岳と湯の丸山に分かれる分岐に到着。躊躇することなく湯の丸山に向かう。

ここから少し登ると、地蔵峠からの道と合流し、正面に赤い斑点をまとった湯の丸山が出現した。

山に向かって左側には蓮華ツツジのころには賑いそうなツツジ平があり、人一人がやっと通れる狭い通路と有刺鉄線で仕切られている。

Img_0083 パイプの煙か浅間山

ここから道は、傾斜を幾分きつくする。ドウダンツツジが一番あかく、ついでナナカマド、楓は黄色を増している。振り返れば一直線に地蔵峠に道が伸びている気配。三方ヶ峰の後に顔をのぞかせてきた浅間山はパイプの煙のような噴煙を音も無く噴き上げている様子。

Img_0098 湯の丸山から望む烏帽子岳

あちこちを眺め、人っ子一人いない山を独占しながら登れば、八時前に山頂に到着。小さな岩を敷き詰めたようで広くて見晴らしがよさそうな頂上だが、すぐ近くの烏帽子岳、浅間山、根子岳、四阿山辺りが限界、その先は雲の中。

そうした中、湯の丸山の北峰が大きな岩を積み上げて「おいでおいで」と手招きしている。僅かに下ってまた登る、その間に咲き遅れた松虫草が一輪二輪。

Img_0099 湯の丸山北峰

10分ほどで、着いた北峰で朝飯のおにぎりにありつく。風も出てきて汗をかいた下着が冷たく感じる中、烏帽子岳の紅葉を眺めて、冷たいお茶でおにぎりを流し込む、、、。

食べ終わって、下山にかかるこの当たり一帯イワインチンが自生しているとかでロープが張り巡らしてあるので、また時期を選んで来てみようと思いながら中腹まで来た時初めて登山者とすれ違う。

上から見た、地蔵峠へまっすぐに下る道をとって行くと、スキー用のロープウエイの終点に到着、ゲレンデを下る。これで登り口がやっと分かると言う不思議な山登りをした。

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今日の紅葉。

左、白山風路の紅葉。 右、ドウダンツツジ 何れも赤く色づいて、、、

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2008年9月17日 (水)

もっと光を(安倍城址435m)

Img_0002もっと光を”と言いたげに木立から漏れる朝日を受けて咲く

駐車場から標高で20mほど登った所からもう目的のチャボホトトギスが咲き出していた。

こんなに早く出会えるとはと半ば戸惑い気味に眺める。杉木立の暗い山道のうえしたに点々と、、、、。しかし、数はあまり多くない。

天気図は台風が後二~三日来そうだと言うのに、空は快晴。ここを逃がしたら台風が去ってしばらく後になるし、雨で道荒れれば花にも影響が出る。と思うと、去年聞いたチャボホトトギスの時期を逃してしまいかねない。そのため、朝の天気を見て急遽支度して出かける。

Img_00173 場所は、教えてくれた人との約束もあって特定できないようにするが、安倍川右岸の安倍城址に到る山道。決して意地悪でするのではなく、竜爪山のチャボホトトギスが昨年乱獲されたと聞いている、ここも荒らされればたちまちなくなるほどしかないため、、、。

チャボホトトギス。名前から分かるようにホトトギスの仲間では草丈が一番低く、地面に沿って平に葉を広げ、他の草を押しのけて背伸びをすることがないので下草の少ない場所を選んで繁殖する。そのため、道端に咲くことが多く、この山道も少し外れた藪の中には見かけることがなかった。

花の形は、他のホトトギス同様花弁に不如帰に似た斑点模様を持っているが、色は写真のように黄色が主体。

途中、山路のホトトギスや蔓竜胆も僅かづつ咲いているものの、今年は花の数が少ないようだ。藪茗荷も葉ばかりだが、目的の花が見れたのでまあ”好”として置こう。

山頂では先客の女性二人。つましく語らっている、声も小さく取り出して吹いたハーモニカもごく低い。こんな人ばかりだといいのだが、何故団体になると男女問わず声高になるのかなあ。

時計を見れば、まだ、九時時少しゆっくり登ったので息切れもなくこのくらいが散歩に丁度良いのか。山道の降りは滑りやすい、間違えたりスリップしてチャボホトトギスを踏み潰さないよう足元に目を付けて(まさか)下った。

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今日の花、左、山路のホトトギス。花の時季としては少し遅かったようで、ほとんどが種になりかかっていた。右、蔓リンドウ、秋遅くなると赤紫の種が良く目立、なんだか”花より団子”のような、、、。

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2008年8月23日 (土)

処処筋肉痛

Img_0083 今日は処暑。酷暑の勢いがとどまり、涼風が吹き始める。とあり。暦通りの一日になった。

私自身は、昨日の富士山疲れから処処筋肉痛とリュックによる肩こりが出、一日中のんべんだらりとして過ごしながら昨日の余韻に浸っている。

処暑と処処、同じ読み方、でも今日は良く似ていると感じる。処暑のほうも夏ばてであちこちに障害が出ているんではなかろうかと推測するからである。

ともあれ、昨日までの山登りは幸運だった。泊まった山小屋でも週末は最後の予約客でいっぱいになっていると言っていたが、今日当たりから山は荒れ模様でしばらく続きそうな雰囲気である。

個人なら、キャンセルも入れられると思うが、吉田口の状況から見ると旅行会社に引率された人たちはどうなるのだろうか。ガイドも大変だろうが初めて遊び気分で来た人には辛い経験になるに違いないと思いながら天気予報を見ている。

それにしても、最近の山登りではこんなに疲れが根を持つことも少ない。やはり富士は日本一の山である。と今日は駄洒落ておこう。

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昨日の富士の花。

富士山はどちらかというと植物の少ない山に入るその中でいま目立つものは左の御蓼、色合いは赤いのから白いものまである中でこれは特に赤く咲いていた。  右、ヤナギラン、今まで聞いたことがなかったが、斜面の一角に御蓼に囲まれて咲いていた。ひょっとすると誰かが移植したか、、、、

Img_0094 Img_0002

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2008年8月22日 (金)

マッタ~とばかりに (富士山 2)

Img_0062 夜来寝付けないまま風の音を聞いていた。

雷の音はやみ、雨が屋根を打つ音もなくなり、風の音を最後に途絶えたと、思っていたら電気がつき「おはようございます」と山小屋の主人が弁当を持って入ってきた。

時間は三時。朝飯抜きの泊まりなので此方には用事がないが、起こされたのを機に支度にかかる。トイレに行くため外の出ると下から上がってきた人がもう三十人ほどベンチに座っており、空は満天の星空で今朝のご来光を予約してくれている。 

外はまだ真っ暗だが、懐中電灯の明かりは下から山頂まで点々と帯を作っていた。その中に混じって登り出したのが三時半を過ぎてから、ご来光は五時十二分ということだから時間は充分にあり、空には半月が煌煌と明るく、オリオンが丁度真上に、スバルは富士の山頂方面に輝くものの、北斗七星などは見えず、その外の星たちは自分同様名も無き星で名前は知らない。

疲れの取れない身体は無理しないようにと奥宮まで三十分かけてゆっくり登る。日の出まではまだかなり時間もあり、このごろでは太陽の出る位置もかなり北に上がっているはずだかと思って、火口壁沿いに左に移動、その名も朝日ヶ岳と呼ばれる高見に向かう。

東の空が一番正面に見える斜面に腰掛けると下に雲海が一面真っ平な状態で広がっている。北から吹いてくる風はかなり冷たく、多分霜や霰と見られる粒状の白いものがあって誰かが「氷点下三度」といっている声が聞える。

ここに来るまで寒さを感じなかったが、じっとしていると寒さが体内に入ってきそうで重ね着をし、風の当たらない岩の窪みにはまり込んでじっとご来光を待つことにした。

Img_0035 恋人を待つのと同様、東の空に赤味が強くなり、星は姿を消したがまだ上がるとは言わない。じれったい時間も楽しみたいのだが風の冷たさで身震いを始めるとそうも行かない。

まだかまだかの太陽は、約束の時間通りに「マッタ~」とのんびり上がってきた。ご来光、雲海のはるか彼方に浮かび上がってくる様は何度見てもありがたいという気にさせるものがある。

何枚も写真を撮り終えて、お鉢めぐりに取り掛かると次第に人も増え、吉田口の頂上小屋で頂点に達する。バス旅行のガイドらしき人が彼方此方で大声を張り上げまとめているなか、を突きるのもなんだと思い裏から廻ろうとすると、宿の関係者らしき人が「そっち歩くな」と殺気立った様子で怒鳴る。

仕方なく、浅草の仲見世状態の狭い道を掻き分けて通過するが、最盛期にはもっと酷い状態になっていると思われるだけに改善を望みたい。

ようやく人ごみを抜ければ、三々五々に歩く人ばかり。中には「ここへ行くと何処に行きますか?」という人もいたりして、、、、。

Img_0074 金明水と呼ばれる火口内の窪みに近づくにしたがって地面の白さが増してくる。径2ミリほどの霰が堆積しているためだ。それを踏みしだいて、再び火口壁に上がると、眼下の雲海に陰富士を見、登りきって再び剣が峰に到れば人山の山頂。昨日登っているので横目で見て奥宮に戻ると時間は六時三十分。

しばらく休んだ後、下山にかかる。

昨日今日と、二日にわたる頂上は再び登るかどうか分からない思うだけにしみじみとした感じを味わいながら歩くが、そのためばかりでなく動悸が激しいのは体力の衰えか、下山するまで水分は150CCのペットボトル三本と山小屋のお茶二杯だけのせいだろうか。

脇をかすめて走り降りるスニーカーの中学生たちを眩しく見た。そういえば今回目に付いたのはサンダル履きで登る若いお兄ちゃんが沢山いたが「あんまり山をなめるな」って、、、他人事だけどね。

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今日見た富士の一部

左、朝日に輝く剣が峰、山頂の人工物がどう評価されるのか。 右、火口壁北東側の雲海に浮かぶ陰富士。

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2008年8月21日 (木)

古希 富士山に(3,776m)

Img_0012 昨日の晴天がここしばらく続きそうな予感もしたので、富士山へ登る支度をしていた。

朝八時に富士宮口の駐車場に自動車をいれ、登り出した。

前回は10年前だったが、数え年の60歳だったので、還暦登山などと大仰に銘を打って登ったが、まだ、現役で仕事もしていて歩き回ることが少ないため足腰が弱く、連れの二人も同様だったのでその日は標高が3,600m付近の山小屋までが精一杯。

翌日は、深い霧と富士登山駅伝のある日だったので、自衛隊を含めて登山者が多く道は渋滞して一寸刻みに進むという有様で、浅間神社奥宮と上の郵便局から葉書を出して早々に帰ってきた覚えがある。

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今回は、寂しく”古希単独富士登山”とでも命名しようか。

しかし、リタイヤしてから散歩三昧の日課などで、多少は足に自信も出来てきたし、自動車を降りてから山頂までの標高差は1,300m余ほどしかない。先日登った七面山はこれを上回る高低差だから前回のようなことにはなるまいと、幾分高をくくっていた面があった。

登りだして、標高3,000mの八合目までは比較的順調に登ったが、そこで、腰を下ろして休んでからが昔に戻ってしまった。抜きつ抜かれつしていた若い衆や外人に置いてけぼりを食わされ、九合目に着いたのが予定をずいぶん遅れた十一時を少し廻っていた。

Img_0088 前回泊まった、九合五勺の山小屋前で持参のおにぎりで食事をしたあと、石垣にもたれて目を瞑ったら一時時間くらい寝てしまうという大休みをしてしまった。

途端なんだか自信がなくなってしまい、ここに荷物を預けて、必要最小限の品物をナップザックに入れて登ることにした。

上空の天気も良いし、山小屋にはお鉢回りもしてきたいのでと言っては見たが実情はこうで、もし健脚の連れがいたら迷惑をかける所だったかもしれない。

約三十分で、浅間神社奥宮に到着。雲の量も少なく風もないので最高地点”剣ヶ峰”に向かう、平らな火口壁を進むと、元測候所へ荷揚げしたブルドーザ道になるが幅広く均してあるものの傾斜が25度くらいも有るか結構歩きにくい道であった。

この道を、中途まで上がった時、下のほうから若い運動選手らしい連中が男女六人で走り上がって来た。

「昔、私たちが北アルプスでやっていたようなことをするな」と思っていたらさすがにきつい坂、一気に上れず一休みした後、私を追い越して行った。その時の土ぼこりはまさに「後塵を拝する」をそのまま絵にしたような感じだった。

Img_0018 ようやく、山頂の標識に着き三方見わたせばかすかに雲があるものの快晴の空の下深い火口とお鉢めぐりの道を刻む火口壁が眺められるが、もう一方は錆びだらけの元測候所にはなんだか違和感が残る。

いま、富士山を世界遺産にしようとしているが、最高地点にこんなものを残しておく必要がるのだろうか。また、信仰の山という割には、昔の富士講というものの登山は皆無であり、富士山は難しいものと思われる。

しばらく、山頂にいたが山の気候は変わりやすい。東側から上がってきた霧で瞬く間に何処も見えなくなり、お鉢めぐりも断念せざるを得なくなった。

午後三時半、奥宮から下りだしたときにはポツリポツリと雨まで降り出し、山小屋で明日の天気予報を聞いたところ「何年もやっているが分からない」というので、雨の中を下るより「ええい ままよ」とばかり泊まることとし、天気が悪ければ朝そのまま下山し、良ければご来光を見てからにしようと決めた。

聞けば、今日の予約は二人しかいないとのこと、(結局最終的には六人だった)そして、この山小屋の今年の営業は25日までだとのこと、なんだか残務整理の様子に見えた。富士吉田口の山頂小屋は予約でいっぱいというのに比べると、山小屋の立地条件は大きな差があるのだなという気がした。

五時、何処の山小屋でも定番のカレーライスを食べるころには、富士山南東部に大雨警報が出たというニュースが入り、真っ黒な雲が湧き上がっている。その大分前から雷の音がそちらから響いて小屋のおかみさんらしい人が電気の心配をする。聞けば、最近三回も被害が出ているとのこと。

西の空には、夕日が見えるのに、、、、、、、

七時過ぎには布団に入るが、外の雷と雨らしき音、密着した両サイドの人が気になってか、目を瞑ってはいるものの寝付きにくい一夜は続く、、、。

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今日の花。富士宮口駐車場近くで

左、深山鳥兜。根の毒が有名であるが、花の大きさと派手さは人目を引く。  右、蕎麦菜、ツリガネニンジンと良く似ているが、花の付け方、花弁の先端が広がっている。

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2008年8月13日 (水)

二兎追うものは

Img_0031 Img_0029 もうそろそろだが、今年はどうかな?と期待しながら道下を見ると、淡く紅色に染まっていた。

しめた、今年は当てたぞと降ってみると一面”狐の剃刀”が満開状態で出迎えてくれた。蕾の花が見当たらないのでほんとうに此処二~三日で終わるところだったのかもしれない。

長野に行く前にどうしようかなと思っていたのだが、今日登って正解だった。竜爪山のキツネノカミソリは毎年綺麗に咲いているようだが、自然のものだけに必ず見られるものでもなく、大体このころという目安しかない、彼岸花科の植物だけあって開花時期が短い。

ここに、これだけ纏まって咲くのはいろいろな条件があってのことだろうが、植林をはじめ、心無い人が入って荒らされるなど環境を変えないことを望みたい。

Img_0032 幅は約五十㍍くらい、下のほうはどのくらいまで下がっているのか足を踏み入れられないので分からないが、落葉樹の下草のようにずっと続いていて先が見えない。しばらくしゃがんで眺めていると天国のお花畑とはこんな所か、、、なんて考えてしまう。

しかし、ふと傍を見ると、木の根肩に缶ビールの空き缶とウイスキーらしい瓶が転がっていて現実に引き戻される。中身は身体の中に入れて軽くしたものだから、持って帰るには造作もないことのはずだが、、、、。心の貧しさを見せ付けられたような気がした。

穂積神社から約四十分で富士山の見えない峠に到着。それからまた尾根筋どおりの道を四十分ほどで薬師岳山頂(1,051m)になるが、このルートは少しでも早く目的地につきたい自分の性格としてはあまり好きな道ではなく、これまでに俵峰から登ったのとあわせてもこのルートは三回目にしかならない。

Img_0049 薬師岳から文殊岳に向かう道沿いには、チャボホトトギスがお盆過ぎに見られるので、今回は一つでも咲いていないかと探してみたら、三株見つかった。

「二兎追うものは一兎も得ず」というが今日は二兎とも得てしまったことになる。

気分を良くして山頂のベンチに座り、雲の彼方の富士山を想像しながらの食事になったが、人に出会ったのは山頂でだけ、薬師岳までは顔にかかるくもの巣を払いながらの登り道だったので、多分今日一番の露払いということになるか。

とにかくお花畑の独占といい、望外のチャボホトトギスといい楽しい一日を過ごすことが出来た。

昨年もここのチャボホトトギスが大量に盗掘されたという話を聞いた。「やはり野におけ蓮華草」ではないが盗って帰っても根付かない場合が多い。大量盗掘で絶滅するのは、こういうブログも業者などの手助けをしているかと思うと、うかつに場所を特定でき無いようにしておく必要がありそうだ。    08-08-17

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今日の花。竜爪に咲く

左、玉紫陽花、珠がはじけてこれからという時期。 右、山ホトトギス、まだ早いらしく山頂に一輪咲く。

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2008年7月13日 (日)

岩積み上げて 蓼科山(2,530m)

Img_0084 (縞枯れ帯を隔てた向うに見える八ヶ岳)

下界に降るにしたがって気温はどんどん上昇した。

蓼科の鈴蘭峠で20度が山梨で35度、静岡に入ったら36度を車載の温度計は示していたこれでは身体がついていかない。

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昨日掘って収穫したじゃがいもを車の後ろに満載し、蓼科山の登り口である鈴蘭峠についたのが朝の六時だった。

すでに、先客らしい車が四台駐車しており、その脇に並べて止めた。支度しているのは一人だけ、後は出発して見えない。「しめしめ、この調子だと露払いをしてくれているだろうな」と思いながら横綱?は登りだすと、昨日の雷を伴った雨で笹の葉には露がいっぱい付いている、それをステッキで払いながら登っているのにズボンは腰から下が濡れてくる「露払いはどうした?」

少し登った所で、物音がしたので振り返ると、自分が着いたとき支度していた一人がゆっくりと付いてくる。「先客が露払いならこの男は太刀持ちか」と思いながらもぴったりと付かれるのは苦痛である。

この人、最後まで自分を追い越すことなくこちらが写真を撮ったり、休むと必ずその下のほうで一休みしていた)

道は、急斜面に加えて岩の表面が濡れているので滑りやすい。「慎重にあせらないで あせらないで」と自分に言い聞かせながら歩を運ぶ。

このルートは、巨岩が多く斜面が急。ほとんど登り一方なので足を動かした分だけ登っていくことになるのでそのへんは楽しみと言えばそうなるのだが、大小いろいろな岩のため歩きにくい。

2,100m付近で三人組に追いつく、若い連中ばかりだがかなりへばっている様子。聞けば、かなり早く上がったようで、さらに先客三人グループがいる。とのこと。

さらに、標高で2,300m付近の縞枯れ帯に入るとその三人グループがいて、雲間から見える八ヶ岳に見とれていた。この当たりでようやく周りに立ち込めていた霧も完全に拭い去られ、日の光が差し込んで、霧とともにの登りから開放された。

ここで長休憩に入り、最後の難関、岩を積み上げたような山頂直下のルートをペンキの目印を頼りに登る。この山、反対側の将軍平からもそうだが、山頂付近はどちらから来ても大きな岩だけで作られているのがわかる。

とくに、此方側は草木も無く何処でも登れそうなのだが、ペンキから外れた場合、岩の安定や穴ぼこなどからかなり危険な場所もあるように見受けられる。

矢印は山頂小屋に続き折れ曲がってすぐに三角点に到着する。時間は八時十五分。山頂は直径300mくらいのなだらかな岩の平原のような状態で中央が少し窪んでいて、ここが火口の中心部。そこに小さな鉄の鳥居を持つ祠がある。

ここで朝飯にする。山頂からの見晴らしは、上空は青く澄んでいるが、前回 大河原峠から登ったの時のようにはいかず、南北アルプスをはじめ富士、御岳、乗鞍、志賀高原など全てがそれぞれに巻きつけた雲の中、一番近い八ヶ岳さえときどきかすかに見える程度。

Img_0088_2 火口をへだてた反対側から三角点を見る)

今日は土曜日だけあって、人出が多い上、傍若無人なグループもいたので、反対側に移動していたがこれ以上晴れる気配もないので、あまり長居をすることなしに降ることにした。

花も、このルートは少なく写真もあまり写さなかったが、岩が多いせいか、かなり時間を要し、登りとあまり違わない時間を掛けての降りとなった。

Img_0117 ズボンの裾に掴まりミネラル?を獲る山黄斑日影

登山口近くまで下ってきたとき、”山黄斑ヒカゲ”と”黒ヒカゲモドキ”が、自分に纏わりついてはなれない、不思議の思って停まると手や帽子などに止まった。

丁度下から上がってきた若いペアに「蜜でもあるんでしょうか」と聞かれたんで「多分ミネラルと思っているんではないでしょうかね。それにしても種類が違うと喧嘩もしないのが面白いね」と答えてカメラで写して見たが、帰ってパソコンに入れて見たら身体についたのは全て焦点が合わず失敗だった。

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今日の出会い。左、山黄斑日影蝶、右、黒日影モドキ蝶。汗に含まれる塩分を求めての行動と思うが、妙に人懐っこい様子で振り払っても離れようとしなかった。

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2008年7月10日 (木)

盛夏に先駆けて(入笠山1,995m)

Img_0009 「じゃがいもの茎がおかしくなったので早めに来て掘ったほうが良いんではないかと思う」という電話があったので、閑人はさっそく長野へとぶことにした。

急だったので、作業衣や山登りの支度して出かけたのが、いつもより遅く中途半端な時間になった。「まあ、今日中に着ければいいわい。天気もあまり良くないことだし、、、」

とは言ったものの、なんだか物足りないので二年ぶりの”入笠山”にでも立ち寄ってと行こうかと思い直し、富士見町のパノラマスキー場の駐車場に車を入れたのが午後二時。

上を見上げれば、一面の深い霧がすぐ上の斜面を隠している。ゴンドラに乗れば五時が最終運行だというので迷ったが、前回も深い霧で道が判然とせず戻ってきたことを思い出し自動車で登るのを止め、今回もゴンドラでに乗り、時間の範囲で行ける所まで、、、、。

Img_0001 予想は当たって、すぐに視界が20mとは無いほどの乳白色の霧につつまれる。静かに登るゴンドラ、と、急に現われる対向の降りゴンドラさえなければ動いているかどうかは支柱の滑車を通るだけ。

と、突然ゴンドラが停止し、2分ほどと思うがゆらゆらとした後動かなくなった。「しまったな、救助隊が来て降ろしてくれるまでどのくらいかかるかな」など周りが全然見えないうえ、どのくらいの高さにいるか分からない状態で思っていたら、またガクンと衝撃があり動き出した。

山上駅に到着すると同時くらいに霧は薄れていく、入笠湿原までは落葉松林のの中を通って10分。

Img_0061 面積は約二町歩といわれ、小さな湿原ではあるが花の種類の多さから有名な場所である。そして今、鈴蘭、蓮華ツツジ、アヤメなどが終わり、九輪草、白花ヘビイチゴ、マタタビなど夏の花の先駆けさきだしている。

湿原から、花を追っているうちに五所平、そして入笠山の頂上(1,995m)に登ってしまった。

Img_0047 山頂からの景色は、雲につつまれ見るものも無かったが、これもこの時期である以上降られないだけ良いほうとしなければならない。

ここでは、タニウツギ、薄雪草、靫草、浅間風路などを見ることが出来た。時間を見ると三時半、早々に引き返すことにし、駐車場に帰ってきたのが最終運行時間の少し前だった。

出あった花は、マイフォト”入笠山”に合わせて紹介します。

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今日の花。左、薄雪草、中央の黄色い部分だけが花。その周りの綿毛につつまれた白い部分は葉が花弁のように見せかけている。右、靫草(ウツボグサ)むかし武士が矢を入れるため背中に背負っていた道具に似ているということから付けられたが、靫そのもを知っている人もいなくなった事だろうから別名があっても良いのだろうが、、、。

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2008年6月18日 (水)

山頂に祠が三っ 四阿山(2,354m)

Img_0078 振り返れば根子岳。十ヶ原から

根子岳から十ヶ原の鞍部までは低い笹原で快適な降りになる。足元はイワカガミが道の縁だけでなく笹の中にも沢山あるのが透かして見える。

そして、四阿山の登りにかかると状況は一転する。樅の樹を主体にした原生林の中は光も届かず薄暗い上、1㍍を越す笹が道を覆い隠している。目印はところどころにつけてある赤いテープであり、それに従って行く先を判断するといった状況の場所が何箇所かある。

急な斜面のところどころに残雪がある。北向斜面というだけでなく、日の差し込まないせいもあるかと思う。そして、途中2ヶ所開けたところがあり、今降ってきた根子岳の斜面がこちら側とは対照的に明るく映え、その奥の北アルプスを引き立てている。

ようやく開けた場所に出てくれば、山頂はすぐそば、菅平牧場から直登して来た二人連れがすぐ前を歩いていて、山頂で追いつくとカメラのシャッター押しを頼まれた。

Img_0095 山頂は、下から見た感じとは違い細長い尾根上の地形で、信仰の山らしく祠が三つ並んでいる。いずれの神様か確認しなかったが、「さぞ窮屈なことだろうな」と思ったのは私だけ?

その間にいかにもわが領土といった感じで群馬県嬬恋村の木柱が立っていたが長野県のは無い。一体に長野の山にはこういった柱や標識が無いが、静岡や山梨の県境の山では両方が立ち、中には気に入らないのか、刃物で削ってあるものまである。これも県民性なのか。登山者のマナーなのか、、、、、。

Img_0072 食事を兼ねた一休みをすれば、雲が急速に周囲の展望をふさぐようにかかってきた。まるで、舞台の幕を引くようにして、、、、、、、それを機に腰を上げ降りに入る。階段状の木道に沿って降ると、鳥居峠方面との分岐に入り、そちらに降れば大回りになるので、四阿山高原のほうに道をとり、低い石原の斜面を下るとイワカガミと三つ葉ツチグリ、三つ葉オウレンが縞状の群落をなしており、それらを見ているうちに、中四阿山への道を見失ってしまった。

「まあ、少し大回りだけど四阿山高原に降るか」と軽い気持ちで他の花の写真を撮りながら高度を下げていき、牧場の柵伝いに1,500m付近まで降ると三方柵で道が突然ふさがれてしまった。

あちこち探ってみたが、行く先が無いので柵を乗り越え牧場を水平に西方向に歩くことにした。蓮華ツツジの開き具合から言ってこれ以上下に降っては駐車場より下に行ってしまうと判断したためで、ひと気の全然感じられず、一面牧草で先の見えない草原をこの判断でよかったのだろうかと思いながらただひたすら歩いた。

約1kmほど歩いたところで、ようやく荒れた道路に出たが、その道路をさらに3km歩いてようやく駐車場に到着した。全工程七時間。回り道が無ければもっと短かったのだろうけど、いろんな花を見せてもらったと思えばこれもまたよい結果であった。

帰ったところで、葱苗を譲ってくれるとという話があったので、また畑に出て二畝葱用の深い溝を掘ったがこれが意外に堪え、手のひらに水膨れを作り汗だらけの身体をシャワーで流すころには「もう、どうにでもして、、、」という無気力状態。

夕食前まで一眠りをしてしまった。

この山での写真は”根子 四阿の花”としてマイフォトで紹介します。

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今日の花。左、鈴蘭 右、ライラック 何れも菅平牧場の池のほとりに咲いていた。

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2008年6月16日 (月)

明るい花の山 根子岳(2,207m)

Img_0017 カメラ目線の乳牛、菅平牧場にて

朝四時、起きてみると浅間山から連なる籠ノ塔山、菅平方面の山は雲の中、反対側の蓼科山も全然見えない。

すこし様子を見ようとまた布団に入ったものの、じっとしていられなくなって五時前に車に乗り込んで、菅平に向かった。

昨年、根子岳から四阿山をぐるッと廻ってこようとしたものの雨風に阻まれて根子岳だけで断念してきたのでそのりべンジを果たしたいと狙っていた。そしてもし駄目なら湯の丸山の蓮華ツツジでという両面作戦で向かってみたのだが、次第に空は晴れ上がり六時に菅平牧場の駐車場に入れたときは上空は雲一つない快晴になった。

Img_0140  根子岳は花の百名山に数えられるくらい花の多いところと聞く。今回はどんな花が顔を揃えてくれるのか楽しみにして支度にかかっていると、郭公がすぐ傍でのどかな声で泣き出した。

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まず、1,250mの菅平に入ったときからあちこちに濃いダイダイ色の蓮華ツツジが咲き乱れていた。この花は毒があるとかで、牛も食べないそうで、牧場の中にあっても大きな群落を作っていた。

牧場の最上部1,700mを越えるくらいまでは蓮華ツツジががメインフラワー、そこから上は蕾になり変わって、深山ツツジがイワカガミが、そして、峰桜が彩りの主役になる。

この当たりまでは白樺が多くとその上に行くと低い潅木になり、山全体が明るく登るには気持ちの良い山である。

Img_0046 あちこちと写真を写しながらの、山登りだが、足の調子も良く快適に高度を稼ぎ思ったより早く七時半に山頂に着く。頂上からの眺めは北アルプス全体が良く見えるものの、南側の山々は雲に埋もれている、その時になって、「此方はまだ梅雨入りしていない」ことに気がついた。

ガラガラとした山頂。去年の強い雨混じりの風もなく、印象はずいぶんと違って感じた。頂上で一休みの後、狭い岩稜の突端屏風岩に向かう。

この山から直線で2kmくらいか、次に目指す四阿山は200m下ったほど十ヶ原を挟んだ向うに聳えているが、標高差以上に高く威圧感を与えるのは樅の木などが繁り暗く感じるところにあるためかもしれない。

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今日の花。左、ズミの花。正式名は小梨といい蕾のうちは淡い桃色をしている。上高地河童橋の近くを昔は小梨平といったが、この樹は今では少なくなってしまった。右、猩猩袴(ショウジョウバカマ)、春を象徴するはなのひとつ。そばの小さい花はミツバオウレン。

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2008年6月 6日 (金)

長談義の竜爪山(1026m)

Img_0011 朝起きてみたら梅雨時とは思えないほどの青空が広がっていた。

これはどこかに行かなきゃと思ったが、肝心の燃料と財布が心細いので一番近場の山、ということで竜爪山(1,026m)に登ってみる事にし、則沢(ソクサワ)の林道を登っていった。

昨夜来の雨の影響があって、下から見た竜爪は山肌に霧を巻きつかせている。「そのうち上がるさ」と心うちで思いながら、駐車場に着いたのが八時、周りは淡い霧の中。

Img_0034 支度して、少し増水気味の沢をまたぎ、山道に取り掛かる。上りだしてすぐ沢蟹を見つけたのでからかいながら写真を写していたら、後から追い越していった人がいた。

Img_0008 この人、初めからなのか半ズボンにランニング一丁という格好。聞けば、一番下に車を停めて、ここまで一時間かけて来たとのことで、私より年上の七十七歳だ、とのことだった。

歩く早さは私より少し遅いくらいだが、此方が写真を写しながら歩くと丁度同じ速さになり後先になりながら文殊岳頂上に着いたのが九時を少し廻ってからだった。

頂上は晴れていたが、富士は勿論、周りの山々は全て低い雲の中。今朝考えた蕎麦粒山辺りもきっと雲の中だろう。と思わせる空模様だったし、春の花も終わって写すものも少なく、さびしい山行きになった。

偶然にも前後して登ることになった人とは、頂上に着くころはすっかり話しがあって、テーブルを囲んで山談議、長談義。話しでは、何回もブータンに行ってヒマラヤの下でトレッキングしているとのこと、近いうちにまた行きたいのだが、直行便が少なく、成都を経由するので地震とブータンの政情が、、、、。とのこと。

その後穂積神社を廻って帰る、とのことなので、薬師岳を越え穂積神社からの出合いまで一緒して別れた。

その後、再び文殊岳に戻るとしばらくして同年輩の人が薬師岳のほうから来てろくに休みもせず、あたふたと戻る。

こんな日は、どんなに天気が良くても我々のような者しか来れないんだな、ということを認識しながらの下山となった。

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今日の花。左、二人静(フタリシズカ)中には四~五本並び立っているのがあるが、多分カシマシ草と名を変えなければ成らないだろうと思う。 右、宝鐸草(ホウチャクソウ)お寺の軒先などに下がっているベルのような形をしているところから名付けられた、ユリ科の植物。この花ももう遅くほとんどは丸い実をになっていた。

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2008年5月21日 (水)

山頂はまだ先(天津山1732m)

Photo 隈笹をゆらしながら吹き上げてくる乾いた風は、汗ばんだ身体に心地よくしみわたる。こんな風を受けると思わず出てくる言葉は昔ながらの「極楽 ごくらく である。

斜面のあちこちから鶯とホトトギスが競演しているが、考えてみれば、ホトトギスという奴は鶯が巣をつくり卵を産むのを今か今かと狙っているので、敵対関係にあるのだが、、、、鶯のほうはそれを自覚していない所に面白みがある。

とにかく今日はのどかな尾根歩きが楽しめて、幸せな一日であった。

昨日からの天気予報は快晴のマークを日本地図の上に散らし、明後日当たりから雲マークが多くなると説明していた。

ヤシオツツジにはまだ少し早いが、、と思っていたが、この天気予報では行きそびれると花は散ってしまうとばかり、天津山(下十枚山)に向けて出発した。

谷空木が道の上下に真っ赤な花を咲かせているなか、正木峠の駐車場に着いたのは午前八時を少し回っていた。先客はすでに一台車を停めて、上っている様子。

早速支度して、これで何回目になるか分からない上り口のお地蔵さんに挨拶をして上りはじめる。

いつもの場所で、雪笹や銀嶺草を写しながら四十分ほど掛けて地蔵峠、足の調子もよさそうなのでそのまま岩岳(1,682m)まで一気に上れば、時間はまだ九時十五分、意外と早く到着した。

Photo_2 お目当てのヤシオツツジは、地蔵峠を過ぎた当たりから赤ヤシオが目立つものの白ヤシオはまだのようで、気の早い奴はいないかと探していたらやっと一本だけ、、、それも寂しげな奴を。

岩岳山頂の標識の周りのものはまだ蕾が固く、花の見ごろは十日くらい先と見た。

この先行っても大したこと無いかと思ったが、ここまで来たのだからとさらに天津山に向けて足を伸ばす。

Img_0008 上のほうに見るものが無いとなると、自然に足元に注目は集まり、岩鏡、梅花黄連、深山方波見など小さな花を見つけては写すを繰り返して進めば、十時に天津山(1,732m)に到着する。

まだ先をという気もしたが、先週の七面山のように膝に来れば持病になりかねないと思い、引き返すことにする。

地蔵峠で昼御飯にしようと戻ってきて始めて人に逢う。どちらも同年輩。(それはそうだろうね、こんな日に山に来るのは、、、、)

そして、上の状況を聞かれたので、説明した後、話題は、先日十枚山で捜索された人、蕎麦粒山で亡くなった人の話になり、お互い高齢者登山「気をつけようね」となったが、どうにも抽象的。根本には自分は大丈夫という、根拠の無い自負が抜け切れない所にあると見た。

そんなこんなで、また山の花を撮り溜めたので明日にでも”08静岡 山野草”にリストアップをしようと思う。

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2008年5月17日 (土)

See your againと

Img_0088 十六日、参篭の朝は早い、が、四時の起床鐘の鳴る前にみんな起きて着替えてしまっていた。なにせ、九時間近く寝たのだから、、、。

鐘の後、すぐに布団を上げに来たがこれまたびっくり。大きな布団を二つ折りにし、その後グルグルと回転させて一抱えもある丸い筒を作り布団部屋に持っていく。

それで、布団の重いわけが分かった。これでは、なかなか天日干しも出来そうにもない。続いて、朝のお勤めであるが本堂のほうで賑やかな音とともに読経が始まっている様子。代々が曹洞宗の家と土地柄のせいでお経も違えばお勤めの仕方も違い珍しいといった感じしかしない。

Img_0081 しかし、我々には、ご来光と時間が重なっているので無理にお参りせよとは言わないと言われ、富士山遥拝所まで靴を履いて出かけた。

今朝早く見てみた人によると、ただ一面の雲だというが受付近くのモニターには空が赤くなっているのが見て取れる。期待して坂道を登って見ると富士の左側から太陽が昇って来始めたところだが、富士は雲海に浮かび上がっているものやはり墨絵の状態。

上りきったところで戻ると、本堂に行きなさいと言われ、お勤めに参加した。”南無妙法蓮華教”を連呼する時、大太鼓四つを共鳴させるところに演出効果を見た思いがした。

六時になって朝御飯。やはり一汁三采、毎日これでは若い坊さんも大変だなと同情しつつ、綺麗に平らげる。

食事が済めば、昨夜同様することがないので、朝発ちの支度をして靴を履きかけると、もうフランクさんはリュックを背負って待っている。

ここで、私は奥の院まで行って来るので「先に下りてくれ」と英語を思い出しながら話して別れ、私はゆるい尾根筋の道にくだり、フランクさんは昨日登って来た道をくだる。

奥の院までは空身で約15分。そのまま降りる手もあるのだが、車を停めている関係で再び戻って和光門をくぐって降りに掛かる。

足弱な先発者を追い越し、赤ヤシオ、岩鏡、ウスギ瓔珞、藪手鞠などを写しながら降れば、若い男女が跳ねるようにして追い越していく。

Img_0100 Img_0108 暗い茂みの中にぽっかりと赤ヤシオ。白い岩鏡

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可憐だが地味な花の瓔珞躑躅と藪手鞠

「ああ わしもあんな時期があったな」と思いながら降りていくと、上の晴雲坊で休んでいるのに追いつき、またしばらくすると同じメンバーに追い越され、次の中適坊でふたたび追い越した時には女性の方が大分参っている様子に見え、以後は追い越されることが無かった。

しかし、標高差千㍍を超える坂道を一気に下るのは膝に応える。昨日の違和感を気にしてゆっくりと下ったつもりだったが、足が上がっていなかったと見えて、木の根を引っ掛けぶざまに転倒する。

それ以降は、なんだか腹を突き出したような格好で歩いているのが自分でも分かった。後少し、1/5 程を残すところで、先行のフランクさんに追いつきそこから後は彼に合わせてゆっくりと言葉も交わさずただ黙々と下る。

下って見れば時間はまだ八時四十五分。朝からの奮闘で以外に時間の経つのが遅い。お互い言葉が分からないなりに仲良くなれたフランクさんとは、今度は三つ峠で会えたらといいねと話し、「See your again」の言葉で分かれた。

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2008年5月16日 (金)

男女16人 目刺しのように

Img_0075 十五日の夜、山上の参篭所敬愼院に泊まることを決めたのは、七面山から降ってきて富士山遥拝所で富士を眺めている時だった。

寺男と思しき法被を着た老人が傍に来たので「まだ時間も早いしこのまま下ろうか、泊まって明日のご来光を拝もうかと迷っている」と言った所、「今日は人も少ないしいいんじゃないか」ということで案内されて受付に向かう。

本堂前では、「礼拝をして」と言われ、受付で宿帳に氏名を書いていると、受付に「予約してくれないと困る」と言われたが、予約も何も今決めたばかり、それでもただ「はいはい」と素直に応じた。

とにかく後になって何回も叱られたり、指示されたが、普通の宿と違ってお寺側の方が偉く、泊まらせてやるといった感じがする。それも参篭というのなら仕方のないことか。

部屋は、B-4とかで三間/四間の大きな部屋ですでに先客が五人とリュックがおいてあり「お願いします」と挨拶し、一角に荷物を置いた。

先客との雑談はすぐに身元調査、別に隠すこともないし話していると、ほとんどが60代。一番若くて55歳とのこと。北海道から毎年飛行機と電車で来ている人は信者だがほとんどは山登り目的。団扇太鼓で登ってきたグループは別室と色分けされているようだ。そんな話をしているとつぎの客が案内されてきた。見ると外人さん。その人がフランクさん(仮名)

Img_0036 彼は、私の傍に荷物を置いて外人特有の表情豊かな目で挨拶。すぐその後、受付の人が来て「予約をしているのか」と日本語で話しかけるが、お互い意味が通じない様子。勿論私を含めて同室の人も英語が駄目。

結局、奥の院に電話してみたらとのことで、一旦荷物をもって出たがまもなく戻ってきた。なんでもこの一年四度もここに来たことがある人だという。(泊まったことが無かったのかな?)

その後、「風呂が出来ている」ということで一番風呂に入っていると彼も来て、仕草で風呂の入り方を聞くので、湯船から湯をすくって身体を洗うことを教え、一緒に並んで「何故、この山にばかり何回も来るのか」と聞こうと思ったのだが、ボキャブラリーが貧弱で言葉が通じない。かろうじて春の若葉、秋の紅葉、冬の雪が、、、、、年中緑一色のオーストラリアには無い魅力だと言ったように受け取った。

その裸の付き合いが良かったのか、相性がよかったのか。部屋に帰って同室のほかの男の人が自分より達者な英語で話しかけたり、差し入れしたりしても笑顔で手を振って断り、ずっと自分の傍にいてお互い首をかしげながら、まだるっこしい話しをボツボツと続けて過ごした。

五時、早い夕食をいただく。一汁三采の精進料理を食べ、終われば本堂で御開帳。

多分キリスト教徒であろうフランクさんに無理しなくてもと言っていたが、お寺のほうではすべての宿泊客は内陣に入って「ご開帳に参加せよ」とのこと、「郷に入っては郷に従え」の説明がこれまた難しくて出来ず、イスラムのスンニ派とシーア派の戦い。キリストとイスラムの戦いのように日本は宗教の争いで殺し合いをしない。

自分は曹洞宗、この寺は日蓮宗だが別に信者になるわけではない。結婚式や葬式には神社で有ろうがお寺であろうが、教会であろうが、とにかく何処にでも顔を出すのが日本の風習だとほとんど日本語と手振りと英単語で説明、、、、(理解できたかどうかは、、、、?)

そして、ずいぶん昔のことだが、ろくにスペイン語が話せないときにパスポートをもってリマのホテルに入ったときの自分と比較していることに気がついた。

それでも理解できたのか、大人しく一緒に付いてきてくれて正座、拝み方、焼香も無事終了。そのすぐ後に日没の富士山を見ようと誘いを受けて一緒に行くが、雲海の上に顔を出しているものの西空の状況が良くなく墨絵のように次第に暗くなるだけ。

部屋に帰ってみれば、これはなんと長さ5mくらいの長い布団が2列になって部屋中に敷いてある。何度も来たことのある人の説明では、頭を廊下側にして好きなところに枕を置けばそこがその人の寝る場所だとのこと、グループごとに分かれると、一人で来た自分とフランクさんが端っこを取る事になり、男女合わせて16人が目刺しのように並んで重い布団に入って横になった。

テレビも無く、九時就寝という張り紙も、することが無ければつい瞼が重くなり、八時前にみんな御寝みタイムに入り消灯したが、早寝した分、翌朝四時までは隣のいびきも含めてずいぶんと長い夜だった。

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今日の花。左、梅花黄連(バイカオウレン)やや湿った場所を好み、黄色い根を出して広がるところから名付けられたようだが、マスカラのようなメシベが面白くて。右、白花延齢草、(シロバナエンレイソウ)白花がこんなに密生しているのも珍しくて写す。Img_0046 Img_0029

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2008年5月15日 (木)

信仰の山 七面山(1,983m)

Img_0024 (中腹から見る南アルプス。右から北岳~間の岳と農鳥岳)

昨日までの雨が洗ってくれたかのように雲ひとつ無い空模様の中、富士山がくっきりと見えた。

まだ、ヤシオツツジには早かろうと、先日来計画を温めていた七面山(1,996m)を目指すことにした。

この山は、身延山の鬼門に当たる位置にあることから、日蓮上人の弟子、日朗上人が750年以上前に開いたたとされる山で、1,600m付近の窪地に七面大明神を祭った敬愼院という堂宇がある。

そのため、この敬愼院までが、信仰の道、その先が登山道と言った雰囲気の山である。朝ご飯もそこそこにして、清水から52号線を、そして早川の支流春木川沿いの表口の駐車場に着いたのは八時少し前だった。

車を停めて対岸の白糸の滝を見、杉の巨木が立ち並ぶ山道に掛かる、信仰の山だけあって道幅が広く整備がされているものの1,200mを過ぎたあたりから、膝に負担がかかったのか、久し振りに違和感を感じ始めた。

そして、四カ所の宿坊や二~三百㍍ごと位に置かれたベンチは「休みなさい」「腰掛けなさい」と誘う。杉の木が樅の木に変わるころからあちこちの誘いを受けてようやく和光門に到着したのは十一時近くだった。

ここに先客がいて、「鹿がいた」と興奮気味に話していたが、門の上下に雪と見間違うような白い粉。どうやら塩を撒いて呼び寄せているのかなという感じ。

門から上は直線状の幅広い(15mは有ろうかと思う)参道、その先に手水場と梵鐘があり、折れ曲がった先が富士山遥拝場と随身門があり下ったところが50丁目とされる敬愼院が見えた。

ここまで登ってくる途中、前日敬慎院に泊まった人たち間隔を置いて三三五五すれ違う。「今朝のご来光は綺麗だったよ。昨日雨に濡れた山登りも帳消し」という人。かなり老齢の女性に付き添った20代女性。孫なのか?。二歳程度の子どもを背中に胸にはリュックという30台らしき女性などが降ってくる。

Img_0063 富士山遥拝場で雲の合間から見える富士を眺めていると、下のほうから団扇太鼓らしき音が木の間ごしに聞えてくる。それほど信仰を集める何かがある山だということが実感させられた。

遥拝場を後にして、少し行った所に荷運び用のケーブルカーがあり、その広い場所で山頂を見上げながらお昼にした。

食事が終わり一服していると、霧が出てきて山頂を隠す。始めはリュックをデポして向かうつもりだったが、急遽、雨具他を担いで芽吹した落葉松と隈笹の繁る山道を登る。道はゆるい傾斜なので普段なららくらく登れそうなのに、膝から来た負担のためか、体力不足からかすぐに息が切れ休み休み霧にかくれる前方の道をたどって登る。

Img_0054 霧は乾いていて雨の降る気配がないもの、名物のナナイタガレという崩壊地は見えずただひたすら前を見る。

約一時間かけて山頂に、ここで少し視界が効くようになったが、三角点の周りはかなり前に伐採されているものの、その外に大きな木が立っており、石積みの上の銅版に書いてある東西南北の山々は何にも見えないといった状態だった。

Img_0051 案内板には、さらに一時間八絋嶺の方に向かうと展望の効く場所があるとされているが、この調子(体力と霧)では無理と判断し下る。

この後、敬愼院に下って泊まるが、オーストラリヤの人Frank(仮名)さんとの話もあり長くなるので今日はここまで。

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2008年4月16日 (水)

稜線の春はまだ(真富士山)

Img_0086_2  同じ静岡市内でも、安倍川沿いの1,000mを越える山々は、やっと春に目ざめた所。今日は様子見がてらに真富士山に登ってみた。

Img_0084 ヒメウツギの白と山吹の黄色が織り成す林道を登り駐車場に着いたのが、七時半。すでに沼津ナンバーの車が駐車していた。

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Img_0168 Img_0088 登りだしの杉林の中には、三椏の白い花、その後手入れの悪い杉林を抜けると道は、黒部沢に沿って登る。

Img_0109黒部沢源流付近の斜面では、ハシリドコロと天南星の仲間紫蝮草が咲き、肥後スミレとエンゴサク、他、名前の分からない花で春を演出していた。

約30分で大井平に到着し、第一真富士山に向かわず直登で真富士峠に向かう。訳は第二真富士山を通って浅間原に行ってみたいという希望が会ったためで、余力があれば第一真富士山に戻ろうと思ったからである。

この道は、以前は手入れも悪く木が繁るに任せているため、昼なを暗い陰気な道だったが、森林税を使ってか伐採だけ(枝打ちはなし)されたようで明るくなっていた。

真富士峠には八時三十分。ここからは春まだ浅き状態で岩鏡の蕾はあるが、ヤシオツツジの芽同様固いままでまだ一ヶ月は先の話しだと見た。

ロープに掴まったりしていつもの道を登っていくが、富士山は勿論、稜線の両側は雲がかかって展望は何も無い。さらに、下のほうにからは雲が尾根に巻きついて上がって来る気配を示している。

Img_0126 第二真富士山(1,402m)に到着したのは九時十五分。すこし休んだ後、浅間原に向かって降りていく、ダラダラ下りから、広場に出、そこから一気に下って湯野岳鞍部に着いたとき霧が深くなり先が見えない状態になった。この付近は迷いやすいと聞いていたので、躊躇無く引き返すことにした。

Img_0140 再度、第二真富士山に戻ったのは十一時近く。一休みの後峠にくだり第一真富士山(1,343m)で食事し降る。

駐車場へは、午後二時過ぎであった。

このほかの花を含めて、後日”春の山”(仮題)として、マイフォトで掲載したいと思っていますので、よろしく、、、、

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2008年4月 6日 (日)

岐阜蝶はお出ましならず(白水山)

Img_0115 ボンッ!ボン!と朝早くから花火が上がっている。多分、静岡祭りの前景気ではないかと思うが、それに背を向けて芝川町に向かう。

行く先は上稲子の町営の温泉施設。久し振りに国道52号線のほうから廻って見た。この当たりは仕事で良く来た所だが、ここ二~三年来たことがないような気がしたので、廻って見た。

上の写真は稲瀬川沿いの桜並木越しに見る富士、そして、富士川にでて支流の稲子川沿いに遡る。静岡から45km約一時間で”ユートリオ”の駐車場に入れた。

Img_0140 ここで、支度をして、さらに稲子川沿いに30分ほど歩く、と、地蔵堂と言う集落に着く。昔のたたずまいが残る風景は何年ぶりか、この奥の飛図温泉へ自動車で来て依頼、歩くのは初めての場所で、見たことが無いのになんだか懐かしさが伴うのと、少し早い二輪草を見たりしてのんびり歩く。(もう少しすれば二輪揃うのだがもうひとつはまだ蕾だった)

ここから山道に入るのだが、今日の目的は、この上にある白水山(812m)と、あわよくば岐阜蝶(ギフチョウ)に出会えないかというのがあって、今日まで登るのを延ばしていた。

登り口で高砂の翁と姥のようなカップルが畑仕事をしていたので聞いてみると、山の登り口から頂上までは良く分かっていたが、「ギフチョウ?」むかしそんなような黒っぽい蝶は見たことがあるが、分からないとのことであり「何でそんな虫を見たいのかね」とのこと。この人たちにとって蝶は花粉の媒介をするものの、幼虫は菜を食い荒らす害虫でしかないようだ。(紋白蝶などと違って野菜には付かないそうだが、この人たちにはそんなの関係ない)

教えられた道を登ること四十分、石神峠に着く。そこは、何処からか上がってくる道があると見え5~6台の自動車が駐車し、肩に担ぐような大きなビデオカメラや高級な一眼レフを携えた人たちばかりが群れていた。

下の翁夫婦は、ここに問題のギフチョウがくることを知らなかったようだ。地元の人が知らなくてよそ者が知っている。なんとも不思議な現象だがこれもインターネットなどのせいか。

カメラを持った人に聞くと、ここにギフチョウが現われることがあるそうで、気まぐれな蝶のお出ましを今か今かと待っているそうだ。

「今日は見ました?」と聞いたら今年はまだ見ていないとのこと、ということはすでに何回も来ているようだ。まるで沢尻エリカ様並みだと思ったら可笑しかった

休憩をかねて10分ばかし峠で待っていたが、せっかちな自分としては我慢できず山頂に向かう。(もうひとつの本音としては、あまり立派なカメラの列に、自分のカメラが見劣りしすぎて、、、、。)

ここからの道は、前と同じ杉林の連続であったが、山の傾斜がゆるやかになり下草も少ないので歩きやすいと言う面があったが、右見ても左見ても、良く似た風景が多い上道筋がはっきりしていない。くだりの道でもそうであったが、倒木が何箇所にも道に横たわわり始末されていない。

その結果、山道に慣れていない人は、道を踏み外して迷う可能性が大きいような気がした。三年ほど前のブログにも迷ってしまった記事があったが、観光協会か町か知らないが、地元では整備する気も無いらしいので、登るには注意が必要な山といえよう。

峠から四十五分ほどしてようやく山頂についた、これまでほとんど展望は利かず途中で一ヶ所西側の山が見えただけである。

Img_0128 頂上も同様、三角点と看板が無ければ分からない。昼には少し早かったが、腰掛けておにぎりを食べていると、突然後の低い笹薮を書き分けて男の人がでてきた。

「何処から登ってきたの?」「峠からどの位かかって来たの?」と質問を連発した後、峠に向かって降って行った。

あれは、きっと”キジウチ”やっていて出るに出られなかったんだろうな、というのが自分の憶測。(キジウチとは鉄砲で雉を撃つ時の姿勢にたとえて、野糞のことを言う)

御飯も食べ終えたので、想像が当たっていれば、、、、、臭いをかがないうちにと早々にユートリオの方に降る。元の駐車場には午後一時、約四時間の山歩きとなった。

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今日の花。左、菊咲イチゲ、花びらの数に形に疑問があるが、葉の格好と変化が多い花なのでこれだと思う。右、カタクリ。食糧難の時は葉を茹でてお浸しにした。ほうれん草に良く似ている。また、この根の澱粉が本物の片栗粉である。

Img_0117 Img_0014

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2008年3月22日 (土)

桜桃も開花宣言

Img_0110 静岡では染井吉野の開花宣言が今日だされたとのこと、「サクラサク」は電報でなくとも嬉しいもの(今どきこんなことしないか)。

染井吉野という品種の桜をもって開花の状況を大々的に報道するのは、日本だけだというが、それだけ花が好かれ、春を待ちわびているかが分かるような気がする。

「酒なくて、なんのおのれが桜かな」という人は万障繰り合わせて花見をやらないと”三日見ぬまの桜かな”となるので、来週は茣蓙を持って走り回らなけりゃならんことだろう。

我が家の”ユスラウメ”も、桜に合わせてか三分咲きとなったので開花宣言を出さなきゃなるまい。

”ユスラウメ”は漢字で書くと桜桃と書くらしいが、どうしてその字が当てられたのかわからない、しかし、孫たちは”じいじんちのさくらんぼ(桜桃)”と言って誰にも邪魔されずに食べられるさくらんぼとして楽しみにしている。

一体に桜や梅、桃の類は花が似ているうえ、咲く時期も幅広いので、何がなんだか名前も分からないものが多くて困ってしまう。

.突先山(1,022m)から中村山(1,007m)

Img_0095_2 雲ひとつない青空が朝から広がっている。今日は連休中の土曜日なのであそこは人で一杯だろうし、ここはあの花が咲いてから、、、、などと考えていたが、突先山を藁科川側から上って見たいと思っていたのを思い出して、そこにしようと起き出してきてから決めた。

藁科川沿いを20km、さらに脇道を7km入って栃沢と言う集落を抜けた先の駐車場に車を停めたのが八時半近くだった。

気温は三度とそんなに低くないのだが車内との温度差からか、かなり寒く感じた。早速支度して谷沿いの道を登る。

流れ降る谷の音に負けまいとしてかミソサザイが声を張り上げて鳴いている。姿は見えないが、小さく、色の茶黒い鳥であることは知っている。良くあんなに大きな声が出るもんだと感心しながら聞きほれる。

谷のあちこちには放棄された山葵田が荒れ放題になり、小さな山葵がポツポツとあちこちに生えている。きっと、台風か何かで大水が出、荒らされたあと放棄したものように見られる。

かなり上のほうまで、そんな状況が続いた後、谷から離れると一遍に物音ひとつしない静寂な山に戻る。道はところどころ荒れてはいるが、迷うようなことがないほどしっかりしている。

Img_0102 登りだして、四十五分、釜石峠に到着する。古い昔には頻繁に使われたようで、何時のものか分からないが、”左 美和村あし久保 右 玉川村 たくみ”と読み取れる字を両脇に書いた道祖神が二本の杉の間に立っている。

ここから先は、何回も登った道なので暗い杉の木の間を縫って登る。予想通り頂上(1,022m)までは人けなしで登る。頂上からは富士山方向に切り払ってあるので、安倍川沿いの山、真富士山の後に富士山が青い空をバックにしてくっきりと見える。しかし、反対側の南アルプスは落ちているとはいえ木の間越しにチラッと見えるだけ。

時間はまだ十時を少前なので、峠の反対側の中村山(1,007m)に登ってみようと思った。この山、峠から突先山に登る途中で二度ほど見えたが、隣の大棚山とともになだらかな斜面を持ってひかえている。

水平距離にして2kmとははなれていない。「お~い 中村君!」と呼べば聞えそうな感じがして、、、。

峠に戻ったのが十時半。そこで一休みの後、中村山を目指し再挑戦。

この山は、最近笹を刈り払ったらしく道がはっきりしていると思ったが、途中の杉林の中はところどころに目印があるものの、踏み後がはっきりしない箇所があり、山慣れしていない人には難しいのではないかと思う。特に、降る時に気をつけないと勢いで道を踏み外して、迷う恐れがある。

Img_0105 そんなことを思いながら、四十分近くで三等三角点のある頂上に着くが、この山の変わっている所は、その近所30mほどの所に2ヶ所それより高いと見える場所が有ることだった。

どんな理由で三角点が決められたものか知りたいものである。その場で、昼御飯にしたが、眺めも何にもない山頂。ただ木の葉がない分だけ陽がさんさんと降り注ぎ、落ち葉の上でしばらく横になった。

結局、駐車場に戻ってきたのが午後一時。栃沢の枝垂れ桜も蕾が固く、立ち寄ることもなく帰宅する。

今日はこれから知り合いの家に”ゴッツオゥクイ”の迎えが来るというので、、、、忙しい。

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2008年3月 9日 (日)

流行で登る黒斑山

Img_0071 昨日は一日中雲ひとつない空のした浅間山は小暗いくらいの青空を背景に真っ白く輝いていた。

そのすぐ麓、軽井沢から見る山は落葉松の木の間に圧倒的な姿を見せ、結婚式と披露宴の間の時間焦れ焦れと眺めていた。

三月九日、日曜日で山登りをする人が沢山いて嫌だな。と思いながらも明日は天気が崩れると聞けば今日しかない。午前七時過ぎ零下6度の立科町を出発、長野と群馬の境、車坂峠へと向かう。

峠から見た景色は、眼下の佐久平にうっすらと靄がかかっているものの北アルプスから中央アルプス、乗鞍御岳、近くには蓼科八ヶ岳、富士山までが一望できる。

Img_0095 (籠の塔山越しの後立山)まるで、戦場の古武士のように「やあやあ 遠からんもは声にも聞け、近くば寄って目にも見よ、、、」と名山が名乗りを上げているような感じで居並ぶ。

支度をしていると、ホテルから出てきた重武装の一団が峠の登り口で最近流行らしい西洋かんじきのようなスノーシューとかゆうものをリーダーの指示の下、装着し始めていた。

それを横目にして、中コースを一人で登る。登り道はここ二~三日の好天で沢山の人が歩いたようでスノーシューで踏み固められており、夏場より歩きやすい。ただ、あまりの好天で雪が眩しくサングラスを持っていないことが残念だった。

Img_0062 積雪のため高くなった道筋で木の枝が低くなり、樹間を首曲げながら登り、尾根に上がれば目の前いっぱいに浅間山の前峰、立て筋模様が特徴の前掛山が雄姿を見せ付ける。

黒斑山と標高差にすればそんなに差がないのに、存在感がまるで違う。しばしの休憩の後、最後のひと登り黒斑山山頂(2,404m)を目指す。

Img_0087 (左側斜面を登っている人がいる)片側が切れ落ちている尾根伝いの道、先客がスノーシューで道普請するようにゆっくりと登っているのを追い越し、山頂に付いたのが上りだして一時間と少し、前回の七月に登った時と比べると案外簡単に着いてしまった。

頂上で写真撮り、休んでいると続々と人が集まってきて、あちこちを指差して話す、何れも私とどっこいの年齢と見た。そのうち一人が浅間山の後左を指差して「あれはホタカじゃない」というので、「穂高は後でしょう」というと「あれが男体山なら、あれが上州ホタカにならないですか」ときた。

半分引っ掛け気味に取ってしまった私は「そんな山、聞いたことない。」と返事したが、考えてみれば浅間山から北東の山は全然知らないのだ。

黒斑山山頂で三十分。次々と登ってくる人も増えたので、下山することにした。

Img_0091 (ダケガラスがのんびりと人間見物)帰りは、槍の鞘を経由して表コースを下ったが、途中で今朝ほどのスノーシュー軍団21人とすれ違った。この踏み固められた道をなぜリーダーはスノーシューを履かせるのか、”輪かんじき”しか経験がないが、素人では両足を拡げて歩くのは並大抵ではないと思う。

ただ流行に乗ってこんなものを装着したら疲れるだけと言うのが分からないのだろうか、輪かんじきがそうであるように、スノーシューは飛騨言葉で言う「ごぼる」(新雪などで足がめり込む)雪のための道具のはずなのだろうが、、、、、

お陰で、すれ違いはうろうろしている軍団の脇を私がごぼるりながら雪の中に足を入れて降った。

Img_0102 (佐久市から見た黒斑山と右浅間山)車坂峠に戻ってきたのはお昼少し前。傍によって来た人に山の状況をを聞かれたので、道はドンドンなので出きれば簡単なアイゼン程度がいいでしよう」と、、、

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2008年3月 1日 (土)

満観峰から蔦の細道

Img_0122 山道を一人で歩いていると、頭の中で妄想が駆け巡る。(写真は途中の山道から見る満観峰 470m)

今日は、蜜柑が欲しかったので宇津の谷トンネル傍の逆川と言うところの農家へ行き、そのついでと言ってはなんだけど満観峰へも登ることにした。

この山には、毎年ぐらいに登っているが、前回は一年程前に来たきりなので、久し振りと言った感じだった。しかし、なれた道、標高470m山頂には割合と簡単に登ってしまった。

来てみると、先客が二組いたがあまり挨拶もしたくないようなので、向かいに見える高草山まで足を伸ばそうと、休憩もそこそこに、反対側を下っていく。と、”つたの細道”へ行く分岐に出たので、高草山ピストンよりこっちのほうが面白そうと思って、方向を変換した。

一人歩きはこんな時好きなようにルートを変更できてよいが、もし、遭難でもしたら捜索範囲が絞れなくて大変。そのため、迷惑のかからないよう気をつけているつもりだが、、、、

道は、満観峰を右手に見ながらぐるっと回り込むようにしてだんだん下がりに降って行く。

その途中が上に書いた妄想の道である。

Img_0137 むかし、上古の時代から今の静岡市と焼津 岡部 藤枝を含む志太平野との間に垣根のような山が連なっており、一番古いのが、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)伝説で有名な海岸近くの日本坂峠、ついで平安時代になると”つたの細道”として詩歌によく読まれた道になり、豊臣秀吉が北条征伐で大軍を通すため宇津の谷越えの道を作り、ついで明治、昭和、平成と国道一号のトンネルが掘られ、交通の難所も今では昔の話になってしまった。

しかし、蔦の細道になった頃でも、本道から脇道に逸れ、私の歩いているような道を歩いたとしたら、、、、。

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日が暮れて道が分からなくなった旅人が、山中の小屋の灯りを頼りにたどり、ほとほとと門口の戸を叩き「旅の者ですが、行き暮れて難渋しています。どうか今宵の宿をお願いできませんか。出来なければ軒下なりとも、、、」と頼み込む。

中の主人は「さぞ、お困りでしょう。どうぞ此方へ」と迎え入れるが、主人は鬼や山賊であり「鴨が葱背負ってやってきた」とばかり夜中に身ぐるみ剥いで殺した。なんていう昔話の筋書きが思い浮かぶ、、、

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そんなことを考えたりしながら、瘤尾根を二つ上り下りすると峠に到着。峠は紅白の梅が咲き西側に開けているが、風が強く花の香りはどこかへ吹き飛んでしまう。

下から、老夫婦が上がってきて、「満観峰120分」と書かれた案内板を指差し、「こっちへ行ってきたですか。それにしても風が強いですね」という。

たしかに、山道も各所で杉の木同士がこすれて「キューッ キューッ」と鳴る音を聞いたが、直接にはそんなに風に吹かれることはなかったので峠の風の強さは分からなかったが尋常ではない。

寒くなったようで、老夫婦は休む間もなくもと来た道を降っていく。

ここで食事をした後、道の駅近くに下りれば奇妙なものがあった。「筒”夢」と書いてドームと読ませるらしい、看板があり、孟宗竹の節の部分だけを切って繋ぎ合わせカマクラのように作ってあるが、意味がよく分からない。

Img_0142 近寄ってみると、「靴を脱いでお入りください」とあり、下には青竹の割ったのが敷いてあった。芸術作品なのかはたまたお遊びか、結局は遠巻きに眺めただけで道の駅経由で逆川集落の駐車場までテクテクと戻る。

今日の山行きは三時間と少しで終了となる。

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2008年2月14日 (木)

アンテナの山 高草山(501m)

Img_0115 静岡市の山が竜爪山なら、高草山は焼津市の、いやもっと地域を広げて志太の山ということになる。

標高は501mとぐっと低いが、下から見るとかなり雄大に見える。しかし、この山登るというより、車で行くといった感じ、さらに頂上周りにアンテナが立ち並び私から見るとあまり魅力のある山とはいえない。

Img_0117 今日は、天気もよく従兄弟の連れ合いの葬儀準備に少し時間があったので行って見た。この山あまり古くない時期に開墾されたらしく、山中に農業用道路が張りまわされている上、歩く道も四通八達し、あちこちから登ることが出来るが、今日は坂本地区から頂上直下まで車で行き、歩いた山道は10分ほど、、、

麓には、東名の道路がうねうねと焼津の町を二つに分け、拡張された港がすっきりと見えた。

Img_0111_2 Img_0110 上りきった右手に、ソロモン海域で亡くなった20数万といわれる兵隊を偲ぶ記念公園が海に面してアンテナの陰に作られている。

Img_0113 ここで、お参りし、海の彼方を眺めた後、頂上と言われるまた別のアンテナの下にこれまたひっそりと静まり返っているお宮さんを詣で、今日もすっきりとした顔の富士山に挨拶をして帰る。

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今日はバレンタインデーだという。私は仏教徒、耶蘇(ヤソ)の習慣なぞもとより期待してもいないので、スコッチのバランタインを幾分聞し召して床につくことにした。

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2008年2月 1日 (金)

下見の安倍城址(435m)

Img_0093 いまどき蔓竜胆の実が見られるなんて

霜で白くなった茶畑を横目で見ながら、この道で間違いないのだろうかと心配しながらすれ違いの出来ない狭い道に車を走らせた。

まもなく、案内の通りの駐車場らしきものがあり停車し様子を見る。どうやら目的の駐車場らしい。

今日は、昨年聞いたチャボホトトギスが咲くという安倍城址の登山道の確認を兼ねて登ってみようとやってきた。

荒らされるのが心配だと言う"hana"さんとの約束もあり登り口は書かないことにするが、登り道は意外と整備されしっかりとした道がついている。

Img_0082 結構利用している人がいるのだなぁ」と思いながら、しばらく上がると”花冥加”(ハナミョウガ)の赤い実が道の両側あちこちに見られるなか、ちょっと違った色が有ったのでよく見ると”蔓竜胆”の実があるではないか。

「おや、何で今頃まで?」といぶかってみたが林の中なので、霜にも鳥の目からも逃げられたのらしい。

Img_0077 そのうち、”白式部”や”野いちご”まで出てきた。「冬の山でこんなに見られるとは思わんかった」というのが感想。

尾根筋を登ったり下ったりということのないこのコース、案外早く頂上に到着してしまった。

何度かこの山頂に来た時、目にはしていた合流地点だったが、いままでは林業用の作業道としてしか見ていなかったので、意外な気がした。Img_0088_2

Img_0089 山頂からの景色は、富士山から南東方向しか見えないが、晴れ渡った冬空は遠望が利き、眼下の静岡市内は、向かい城の賎機山を見下ろして一望に出来る。

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Img_0097 Img_0096 休憩の後、駐車場に戻ったのは登りだしてから二時間余のこと、あまり早すぎたので、洞慶院の梅園に立ち寄って見たが、日陰のせいかこちらの梅はまだ「つぼみ膨らむ」程度で咲いていたのは蝋梅のみ。

時期で契約でもしたのか、三軒ほど屋台を出していたが開店休業状態、3日の節分はちょっと無理かな。

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2008年1月25日 (金)

穢れは許容範囲(石割山1,413m)

Img_0071 山中湖平野の駐車場に着いたのが午前八時半は、気温は氷点下6℃。

すでに、先客の車が三台入っており、そのうち2台の人たちは重装備の支度をしていたオーバーシューズにアイゼンを付け、、、、ゴーグルまで。

こちらは後から到着したのに、工事用防寒靴に履き替え、一重のナイロン製ズボンを重ね着するだけだからすぐに支度が整う。「お先に」と声をかけて”石割神社”の長い参道を登りだす。

Img_0056 参道は登り出しから20センチほどの雪が積もり、昨日誰か一人だけ登ったらしい足跡のあるのみ。

400段といわれる石段を20分ほど掛けて登れば、その先には東屋があり、石割り温泉からの道と合流すると書いてあった。ここから先、幅の広い山道を30分ほど登ると足割神社に到着する。

ここの御神体は、天手力男命だといわれ天の岩戸を広げた神であるが、そんな神でなければこの巨石を真っ二つに割る力はないだろう。

Img_0064 Img_0062                

巨石のすき間は一番狭いところで30センチほどしかない。言い伝えでは不浄の者は通り抜けられないとあった。降り積もった雪にはだれも通ったことのないのか足跡はない。

リュックを下ろし腹と尻をこすりつけながら、新雪を踏みどうにか通らせて貰えた。と、いうことは、私の身の穢れはまだ許容範囲ということになるか。

道はここから本格的な山道になる。雪がさらに深く、足元がはっきりわからないなかでのラッセルは疲れがきつくなる。何回も休んだ末十時半ころようやく山頂に到着する。

山頂は、大きな木もなくそれまで木の枝越しの富士もさえぎるものがないので、目の前いっぱいにに広がる。そのほか、南アルプスや御坂山塊をはじめ名も知らぬ奥多摩、奥秩父の山と何れも白く化粧をして富士山の侍女のように居並んでいる。ここで少し休憩と腹ごしらえをして、平尾山方向に下ることにする。

富士山を正面に据え幾つもの上り下りを繰り返し次第に下がっていくのだが、此方のほうが積雪量が多く場所によっては腰の辺まで来るところもある。降りだから良いようなものの、登り道としてはさらに大変だったことと思う。

そうこうしていると、何処が平尾山か分からないうちに、平野からの登り道と合流する場所に来たので、自動車の停めた場所に向かって下り、十二時少し過ぎて山登りは終了。

食事の後、忍野に近いことから、忍野八海を周って帰途につく。

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2008年1月10日 (木)

シモバシラは草の名

Img_0067 (竜爪山文殊岳(1,041m)から見た霞みたつ富士山)

今年の初のぼりをどこのしようかと考えていたが、やはり、一番身近な山竜爪山にし今朝方登ってきた。

ここしばらく暖かい日が続いて、凍結の心配も無いのでのんびりと車を走らせ、穂積神社の駐車場に入れ、支度をしてから私にしては少し大目のお賽銭を上げ、今年の山行きすべての無事をお願いしておいた。

この山もこれで何回目になるのだろうか、数えたことも無いのだが、あっちこっちと登り口を変えて、、、、、、とにかく手近なだけになれた道、ゆっくりと歩調を整えて階段のぼりに励む。

登る道々からはうっすらと霞がかかったような富士が姿を見せ、気温の高さとともになんだか春の山を登っているような気がしてしまった。

Img_0074 頂上近くになってシモバシラという紫蘇科の草を見る。この草は茎に水分を含んでいるため、夜寒くなると茎の水分が凍ってチューブから押し出すように霜が凍って出てくる。

夏場に紫がかった草花を見ては、名前の由来が分からない草である。

薬師岳(1,051m)を越え、文殊岳(1,041m)のベンチで一休み。眼下の静岡市内は靄の中に薄ぼんやりと透けて見えるような状態、その上清水港は日の光が海面に反射して定かでない。

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今日の花。左、黄色水仙。登り口の民家に咲く。右、十両、正式の名前はヤブコウジというが、千両万両とともに冬の彩りとして愛でられている。穂積神社近くで

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2007年12月26日 (水)

騙し騙しでバラの段(1,648m)

Img_0022 日本平の上が少し朝焼けを背中にして車を出発させ、安倍川沿いの道をおぼろに霞む月を左手に見ながら北上し、梅ヶ島温泉に着いたのは朝の7時車載の温度計は-2℃だが、そんなに寒くは感じない。

安倍峠への道は十二月九日を持って車両通行止めにされているので、温泉街の上にある電波中継所の傍に車を止め、支度して山道に入る。

この段階でまだ行く先を決めていない。この辺が一人歩きの良い所であり、危ない所でもある。

40分余かけて林道の出合いまで登ると雪が積もっていた。実は一昨日下から見たとき青笹山辺りまで山が白くなっていたので期待していたが、昨日今日の日中の暖かさと夜の寒さで表面が春先の雪のように硬くなって歩きにくかった。

そして、此処まで来る途中そんなに身体の調子が良くないと感じたので、八紘嶺はやめ、安倍峠からバラの段に行く先を決めた。

Img_0016 十一月に久し振りに自動車だ来た道を歩くが、固い雪を踏み抜き踏み抜きして歩くのが結構負担になる。10分ほどしてサカサ川沿いの旧道に入り谷伝いに歩く。

サカサ川源流付近では水量が少ないため枝のようになった氷が張り、此処でかがみこんで沢水を飲んでみたが喉の染み透るようで味は分からなかった。

昨日辺りこの辺を犬を連れて歩いた人がいたようで、その踏み後にしたがって歩く、安倍峠には8時半ぐらいに到着。

其処から、車道に戻り厳重に封鎖された車止めの横を通って富士山展望ポイントまで下って富士山を写す。今日は午後から快晴になると天気予報が言っていたが、この時間はまだ背景となる青空は見られず薄い雲がかかっていたが、この方が冬らしい。願わくば木の枝などに綿雪がかかってくれればいいのだが、昨年の二月に来たときとは趣が違っていた。

峠まで戻り、バラの段に向かうが、この斜面にかかると雪の量は急速に増える峠では20㌢程度だったのに倍ぐらいの感じになって歩きにくい。

つくづく体力を衰えか、身体の調子が悪いのか疲れが気になる。騙し騙しで登っては見たが途中でカメラの電池切れで写真は撮れず。「納めの山行き」はなんだか不完全燃焼で終わった。

左、サカサ川の開けた山道。右、墨絵のような御坂山地を遠望する。

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2007年12月 7日 (金)

氷の粒で歓待

Img_0072 墨絵を思わせるような落葉松林

夜空は寒々と冷え、幾つか見知っている冬の星座を散りばめて、空に瞬く星は明日の天気に太鼓判を押してくれる。

夜明けの散歩はいつもながら荘厳な日の出を演出し、遠くは軽井沢方面の低まった山あいから真っ赤に焼けた雲を先導にして昇りだす。何時見ても手を合わせたくなる現象である。

しかし、今日の夜明けは上空には雲ひとつ無く晴れ渡っているのに、浅間山も蓼科山も寒さに震えてか、厚い雲の布団をかむったようにして顔を出さない。

「そのうちそのうち」と思っているのに日は高くなり、朝ご飯を支度して待っている義弟の家に戻ってきた。

今日は、一日閑の予定なので、蓼科山の南側に連なる横岳か縞枯山に登ってみようと計画していた。義弟が知り合いの女神湖でペンションを経営している主人に状況を聞いてみると、うっすらと雪が積もっているとのこと。

Img_0118 九時過ぎ、大門峠に向かって出発。峠を越え女神湖に着いたのは九時半前、ここまでは車の量も多く道には雪も無かったが、この先からが路上に雪が敷き詰められた状態になってすずらん峠の先まで慎重運転を強いられる。

十時ころ予定の駐車場「ピラタス蓼科」に到着してみれば、上空厚い雲におおわれ2,000m前後から上は雲の中に隠れている。ここからゴンドラに乗って標高2,240mの地点に上り、坪庭といわれる平坦地から横岳と思っていたが、ゴンドラ終着点で風速10mほどの風が吹き視界がままならないと聞くと即座に断念した。

しかし、ここまで来て即座に引き返すも癪なので、横岳登山道と書かれた標識から登れるところまでと向かってみたが、足跡は僅かでなくなる。積雪量は2~30cm、かろうじてここがそうだと分かるところを拾いながら新雪を踏み分けて歩く。

子供の頃、正月用の花餅にする木を探して山の中を歩き回ったことを思い出すと思わず楽しくなる。下のほうには出発点が見えているので迷う心配は無い。

Img_0110 高度を次第に増すと、小さいながらも風に吹き付けられ小枝の風下側に雪が着いている来年春に花さかせようとふくらみを少し大きくしているツツジの蕾を包み込もうとするかのように、、、、、、

Img_0095 Img_0102 そして、葉を落として立ち枯れのように見える唐松林は、白く煙ったようなとんがり帽子を整然と連ね、樅の木は枝先に綿のように雪を降り積もらせトナカイとサンタクロースの登場を待っているように見える。

Img_0063 Img_0087 雲との接点近くになったところから風の強さが違ってきた、「登っているうちにもしかして雲が切れ空が晴れるのでは、、、」という一縷の望みもここで捨て、下ることにした、標高では2,000m少し登った所と勝手に決めて。

下り始めて、少しすると雲間から日差しが出てきた。上手くすると蓼科山や八ヶ岳などが姿を現すのかと待ち構えたが雲の切れる気配はなし。

しかし、天は折角の訪問者を歓待するように、落葉松についた小さな氷の粒をさらさらと降りかけてくれる。山歩きと少しばかりだが太陽の輻射熱で暖まった顔に心地よく振りかけてくる。

午後、三時帰り着いても蓼科山はまだ雲の布団を被ったまま、風邪でも引いたかご機嫌斜め。

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2007年11月14日 (水)

秋が去った鬼ヶ岳(1,738m)

Img_0021_2  今日は朝早くに起きて、富士五湖のひとつ、精進湖に向かった。昨日は、朝から良い天気だったが、今日は少し気になる予報が出ているので、空の模様を確かめながらの出発。

最近の気温にしては暖かいのと朝霧高原辺りからようやく富士山のシルエットが見えかけたものの雲がかなり多い。

五時半過ぎようやく撮影ポイントに到着、確かめるともう30台以上の自動車が湖岸に集まって、三脚にカメラを乗せて待機している。ナンバーは関東一円で、地元車はほとんど見えない、カメラを見ると趣味を通り越した立派なものばかり、中には3台も持ってきている人がいる。   「プロの方ですか?違います?ギョッへーですな」と心に思う。

Img_0041 六時過ぎると夜も明け始め、空が明るくなり雲が夕焼けの逆の順序で明るくなる。朝日が顔を出す。この時季の太陽は、富士山から随分とはなれているのはもとより承知なのだが、此処から見る富士は”子抱き富士”と言って山頂の真下に当たる部分によく似た形の寄生火山”大室山”を抱えているように見えるので、横からの光の当たり具合が見たかった。

雲の様子からして、西側の本栖湖側に雲が低く、多分富士が見えないのではないかと思われるので、こちらにして正解だったが惜しむらくは、風が少し出ていて、湖面に逆さ富士が出なかったことである。

.鬼ヶ岳

日の出を見届けてから、となりの西湖北側の上にそそり立つ鬼ヶ岳(1,738m)に登ってみようと一番西側の集落の駐車場に車を停める。朝七時東入谷からはいり、堰堤を二つ越え三つ目綺麗に塗装をした堰堤から山道に入る、杉桧の暗い林、ほとんど落葉し明るい落葉松林を越えると急登続く尾根筋のブナの自然林とこの山は区切りがいい。

山の様子としては、霜も降りたのか花と名のつくものはほとんど見当たらず、かろうじてあった竜胆も一部はドライフラワーのようになっていた。落葉松やブナもほとんど枝には無く、落ち葉が道の上に降り積もり隠している所ある、百人一首の「契りおきし させもが露を 命にて あわれ今年の秋もいぬめり」という歌がふっと頭に浮かんだ。

最後に木の背丈が低くなって富士山を真正面に見る雪頭岳の頂上近くの斜面に出る。雪頭の言われは、したから見たとき雪の少ない部分が白く輝いていたためではないだろうか。

Img_0055 ここに、柏から来たという同年輩の人がいて、富士を眺めていた。聞けば夜明けを待って上りだしたという、そして、此処から富士の笠雲を眺めていたそうだ。(写真左は雪頭岳の山頂近くから見た富士、下は出発点の西湖。UHOみたいな雲、朝から午前中一杯同じ位置にいた)

Img_0072 しばらく話した後、雪頭岳。そこから15分ほどで目的の鬼ヶ岳(1,757m)に到着する。そこで早い昼休み(午前九時半)をしたあと、鍵掛峠を目指して尾根を縦走した。(写真。鬼の角を思わせる岩、鬼ヶ岳名前の由来との説もある)

この尾根は、全体としては下り坂ではあるが、標高で50mくらいのアップダウンを繰り返してのコースとなる。表土が少なく岩がむき出しになった部分もあって、変化に富み、おもしろいコースであるが、カメラの電池が無くなって撮影は出来なくなった。

この尾根筋から見ると、雪頭岳は鬼ヶ岳のほんの一部と言った感じだが、下から見ると立派な山に見え、別名を付けられているのは前面に押し出されているせいだと思う。

40分ほどで、鍵掛峠、そこから麓のの駐車場に一時間ほどのコースだったが、なんだか迷いやすい所があったりして初めての歩きでは難しいかなという感じがした。最後に”子抱き富士を一枚。父親の膝に入った子供というがどうだろう。

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2007年10月30日 (火)

夜明けの富士 太郎坊から

Img_0045 写真。朝日を浴びて赤く染まった富士山頂と残り少なくなった富士薊)

午前五時半、東の空一面が赤くなっているもの、空には雲ひとつ無く、半月とオリオン座が近接して輝いている。富士はまだ、闇の中に薄く見えるだけ、、、

富士山御殿場口の太郎坊駐車場に車を停めたときはまだ暗く、街灯が辺りを照らしていた。それでも先客?が二台離れて駐車していた。

今日は此処から登れるだけ登って来ようと思ったのと、朝日の写真を作りたくて来た。早速支度して、駐車場をでる。傍の車が慌てたように車内灯をつけるが、こちらは久し振りの御来光なので嬉しくてじっとしていられない。

富士山にはいろいろな登り口があるが、同じ5合目と言っても富士宮口と吉田口は標高が2,300mを越えるのに対して、須走口は2,000mほど、御殿場口に到っては1,400mしかない。そのため、このコースは人気が無く山小屋も少ない。唯一賑うのは富士登山駅伝があるときだけぐらいのもの。

宝永火山の噴火で降り積もった小さな火山礫(スコリア)は、灰分が無いため固まるということが無く歩きにくい。”三歩進んで二歩戻る”というほどではないにしても、無駄足が疲れさせる。

Img_0043 30分ほど登った所で朝日が顔を出した。予想より下のほうだった、雲の切れ間みたいな所から海坊主のように赤い火の玉が上り、富士の頂を染めているが、こちらも少し迫力不足。それでも山は一瞬で明るくなった。

道脇には、かさかさになった御蓼(オンタデ)と富士薊の穂が風に吹かれて舞い散っている以外なんの音も無く静寂な世界が荒涼として広がっている。

昨年登った二子山を横目で見ながら、登れば下から湧き出た雲の勢いが激しく、たちまち下界が見えなくなった。次郎坊(1,900m)に着いたのは登りだしてから一時間と少し、此処から上は傾斜も急になるので、今度は二子山の裏を回って下ることにする。

二子山から来る道と合流し、幕岩へ下る道との分岐で一休みし食事にする。此処から先に落葉松林に入るのだが葉の色がほん黄色くない、やはり、今年の紅葉は良くないのだろうか。

分かりにくい道を探しながら下る、幕岩は思っていたより愛想の無いところで、名前負けか。此処から道は幅広くしっかりとついている。

Img_0068 明るい森林帯を横道が走り、心地よくもとの駐車場に向かって進めば、ようやく赤いカエデや黄色いイタヤ、そして、倒木にはキノコもあって楽しい散歩道になった。

全工程四時間すこし。

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今日の花。左、マユミ 右、カエデと松と富士

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2007年10月17日 (水)

まだ紅葉には 青笹山(1,550m)

Img_0196 明け方の四時だった、小用で起きてみた空にはオリオンがすっきりと見えた。雲も風もない朝を約束しているかのように。

再び目が覚めたのは六時過ぎ、急いで朝ご飯の後支度をして正木峠(どの字が本当か分からないのでとりあえず、、、、)に着いたのは七時半だった。

何の音もしない静寂な山道を登る。今年は五月にシロヤシオを見に天津山まで行っているのでそれ以来になるが、この道はこれで何度目だろうか。

順調に地蔵峠、仏谷山と過ぎるのは”実もない花もない、、、”の証拠。仏谷山から引き続き青笹山に向かう。今日の目当てはサルナシの実。この稜線近くにサルナシの蔦があり、前に沢山取ったことがあるので今年はどうかなァと来てみたが何れも実一つ見つからない。

熊や鹿に荒らされた形跡もないことから、出来なかったようだ。気候のせいか、今年の山は不作なのかもしれない。猿や熊などがまた里に下りてくるぞ、、、と。

Img_0214 紅葉にはまだ間があるようで、落葉松も青々としているなか、ナナカマドの実(左の写真)とズミ(小梨)実の赤、そして、ヤシオ躑躅の一部が色づいているだけ。

また、周りの倒木などに茸がないかと入りたいが、最近道の手入れが行き届いていないため、笹が伸び道をふさいでいる上、露がいっぱい付いていて肩から腿の下にかけてぐっしょりと濡れてしまい、道を外れる気が起きない。

細島峠を過ぎた辺りから、山梨川から吹く風が強く身体が冷えたので、ヤッケを取り出して重ね着をしながらようやく山頂に着いた。

Img_0208 仏谷山からチラチラと見えた富士山も青笹山からは藻裾に雲を巻きつけ、薄墨で書いたように見え、清水港は霞の彼方と言った状態だった。そして、静岡の何処の山にもある、例の串刺し団子のような頂上標識の下には一株の御山竜胆が咲いていた、この山ではほかに見ることがなかったので不思議な気がした。

帰りは、来た道を戻るピストン登山。不思議なもので来るとき気が付かなかった物が目に付く、ゆっくり来たので見落としはないと思っていたが、物事は裏表じっくり見ないと見た内に入らない、を実証したようなものである。

Photo 地蔵峠まで戻ってくると、同年輩に人が一人いた。自分が採ってきた茸(クリタケ)とサワモタセの話から、しばらく四方山話にはいったが、この人もあちこちの山を歩いているらしく話が長引いて、結局はここで打ち切りにして帰る。と言うことになり正木峠まで一緒に帰った。

サルナシ探しや茸取りを含め、登り出しから五時間の山行きとなった。

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今日の花。左、僅かながらこんなに色付いたヤシオ躑躅もあった。右、同じ枝なのにここだけが色付いた紅葉何が原因だったか。

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2007年9月26日 (水)

チャボは何処 安倍城址(435m)

Img_0079 安倍城址のブログを見ていたら、彼岸に登った人がチャボホトギスが沢山咲いていた。とあったので、それではとばかりに登ってみた。(山頂の安倍城址)

チャボホトトギスが、この山にあるとは今まで聞いたことがなかったので、何処にあるのだろう、「まぁ 行けば分かる」と場所も確かめず、いつも通り洞慶院の駐車場に車を停め登り出した。

線彫りの三十三観音と幾種類かの茸を見ながら登り出したが、最初の鉄塔脇ですれ違った人を見て以来道路にはくもの巣がかかっており、榊の枝を折り打ち払いながら進んでいく、さながら神様気分。

三十三番を過ぎて道は3/1ほどか、まだ目的のチャボホトトギスは見当たらない。進行方向左側は、間伐が行なわれ前回より明るくなっているが、咲き遅れどころか、葉っぱさえ見つからない。

ようやく、久住砦跡も過ぎ、ひょっとしたら山頂にお花畑でも、と思ったがそれも叶わなかった。

生憎の曇り空、頂上からは遠く伊豆半島は霞み、富士山は見えないが、静岡市内は賎機山に隠れた部分を除いて眼下に広がり、安倍川を挟んで対立していた足利時代には対岸の賎機砦は、多分丸見えだったのではないかと思う。

Img_0080 しばらく休んだ後、もと来た道を戻るも癪だと思い、今度はいままで歩いたことのない久住砦跡から増善寺方向という板にしたがって下ってみることにしたが、これが大変な道。(問題の方向指示板)

下り始めは、下草も刈ってあったが、中電の鉄塔を過ぎてから道が怪しくなった。最近、人が歩いてないようで、道には落ち葉や枯れ枝がうず高く積もってはっきりしない状態が続く。

けっきょく、何度も道を見失っては元に戻りを繰り返した後、たどり着いたのは、建穂(たきょう)の極楽寺近くで、予定とはずいぶん違う所に降りたことになる。

尾根筋の、立派な案内板はなんだったのだろう。いくら低い山とはいえ、歩いてみて分かったのだがかなり奥の深い山なので遭難者が出かねない山道だった。

結局帰ってから、調べてみたがそのブログには何処から登ったと言う記事もなく、来年にでもほかのルートでもう一度確かめてみようと思う。

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今日のきのこ。左、シロオニタケ、白く大きい笠を広げてあちこちに、不味いそうで食べたことなし。 右。ハツタケと故里では呼んでいた、もっとあれば採ったのだが、、、

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2007年9月21日 (金)

こっちの花は甘いぞ

Img_0088 蛍ではないが、蝶の世界にも”あっちの花は苦い~ぞ こっちの花はあ~まいぞ”なんて話しがあるのかと思うほど帆掛山(通称一本松)の黄コスモスに蝶が集結していた。

アゲハ、黄アゲハ、黄タテハ、スズメガ、、、、、などが入り乱れて30羽(頭)は飛び回っていた。(帰って見た近所のおなじ花には全然居なかった)

今日は、ここ二~三日続く天気のよさにつられて、清水大内観音から帆掛山に登り、折り返して梶原山、農道を戻って、再び帆掛山から大内観音と言うコースを歩いてみた。

まず、すべての墓が大木姓という変わった墓地脇の駐車場から、いろいろな短冊がぶら下がっている山道を登る。俳諧の号を持った人の句もあるが大半はごく普通の姓名で薄い板に書き付けてある。それを読みながら登れば中腹にある観音堂までは瞬く間についてしまう。

これまで何回も登っているが、大半は参道が桃色になる桜の時期であり、この時期はあまりないのと、短冊が新しくなっているので新鮮に感じる。

観音堂脇からさらに登ろうとすると、山道が崩壊しているので、、と書いてある。どんな状況なのか確かめて見よう、と行ってみると先日の大雨で地滑りを起こしたらしく、杉の木が根こそぎ倒れている箇所があり、その後手入れも無いまま、踏み後がしっかり付けられているため「これなら登れる」とそれに沿って登ってみた。

こういう現場はこれまであちこちで見て来たが、杉の木というのか植林された木の根の浅さにはあきれるものがある。どんなに見てくれのよい杉でも根の深さは高々1mほどしかない、すぐにある種の人間に見比べてしまう、、、、

Img_0033 上り始めて40分ほど、山の上には10人ほどの人が騒いでいたので、すぐさま予定通り梶原山のほうへ尾根伝いに向かう。ゆるやかに上り下りで三十分、こちらは人けなし。しばらくはかすんだ富士を眺めて休んだ後、農道に向かうと駐車場近くの桜が少しばかりだが、花を咲かせていた。

Img_0050 近寄ってみれば、一重でもなく八重でもない変な咲き方。そして、傍には”ゴンズイ”が実をはじかせて真っ赤な鞘の中の種を見せ付けている。よく似た木に臭木があるが、花は臭木、実はゴンズイと傷み分けみたいなところがある。なんて思いながら歩く、草茗荷は早くも黒い実をつやつやと光らせ、彼岸花と競っている。

農道を戻り再び帆掛山山頂に戻れば、よく山頂の掃除に来ているという人に出会い、そこで世間話をしているうちについ長居をし、ほとんど駆け下りるようにして、帰宅昼食に間に合わせた。

今日のコスモスと蝶。こっちの蜜はそんなに甘いのか

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2007年9月 6日 (木)

草ぼうぼうのアヤメ平

Img_0174 台風前触れの雨と風が激しくなり、歩くこともままならないので昨日の続きを書くことにする。(写真はアヤメ平の一角)

裸山を通らないコースでアヤメ平つくと一面草ぼうぼうの空き地と化していた。以前ここに来た時は、背丈の低い草原であったが今では草の中にかろうじてロープで歩く道が記されている状態である。アヤメも今では数がすくなりどうしようかと検討されているようだが、自然に任せるのであれば消え去り、元の原生林に帰るだけだし、手入れをすればただの観光地になる。山伏岳のヤナギラン同様、これから難しい選択が待っている。

アヤメ平をぐるッと一周するとどうした弾みか空が明るくなってきた。しめた、「これはひょっとしたら、、、」という期待もむなしくまた雲が厚くなる。

しばらく時間をつぶした後、元の道にとって帰し、裸山に向かってだらだらと登ると、裸山下の空き地に出る。この場所は、木の切り株は見当たらないものの、多分木を伐採する時にでも作られた場所のように見える。

現在は、ロープを張り立ち入り禁止にした場所に松虫草や母子蓬、矢車草などを中心にしたお花畑になっている。すぐ上に土むき出しの頂上があるのでここで今日初めての休憩をし、昼御飯にした。

霧に隠れて展望はないが食事を含めて約三十分、座っていると突然夕立のような雨。「それ来たッ」てんで合羽を出し下山の支度をする。

ふたたび、櫛形山頂にむかって急ぎ足で戻る。山頂からのくだりで小止みになったが、本当に今日の山行きは展墓もなく雨に追い立てられ、急ぎ足の連続だったので、きっと見落とした花もあったに違いないし、雨水を気にするあまり良い写真が取れなくて残念だった。

ちなみに、櫛形山で写した写真を、右に「櫛形山 九月として掲載してみた。

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今日の花。左、満開のカニコウモリ、小さな花だが大きくしてみると全てが揃った花である。右、フシグロセンノウ、どこ見ても同じ色合いの赤というのもチョット不気味で面白い。何処に咲いてても目立つ花

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2007年9月 5日 (水)

雨の櫛形山(2,052m)

Img_0235  甲府盆地の西側に鍋蓋のような山がどしんと居座っている。名前を櫛形山というが和櫛の背中(?)に見立ててつけた名前だと言うのがすぐ分かる。

富士山は勿論だが、この山をランドマークにすると甲府盆地では迷うことがない。台風が近づいてきたと言うので、山道が荒れる前に、夏の花が吹っ飛ぶ前に、その山に登ろうと思っていた。

昨日はよい天気で、静岡からでも一日中富士山が見えるほど天気が良かったが、用事があって出かけられず地団駄を踏んで過し、今朝早く富士山が見えるのを見澄まして櫛形町(今では南アルプス市という)に向かった。

しかし、富士山が見えたのは県境まで、地元の天気予報は、午後からかなりの雨が降るという。それでは、その前に登って来ようと自動車を一番高い駐車場、池の茶屋にもっていくことにした。

この駐車場は、アヤメの咲く時期は人で人で大変な賑わいを呈するというので人嫌いの私としては聞いただけできたくない気分になる。やはり山は静かに登りたいものだ。

Img_0116_2 池の茶屋林道を登り、駐車場に入れた時には霧雨まがいの水滴が落ちており、工事用の車が二台駐車しているだけだった。合羽を着るほどでもなしと登りだすと、丸葉岳蕗と更科ショウマを中心にして唐松林のなかで花を咲かせていた。

雨が大降りになる前に、せめて櫛形山頂上をピストンしたいと行ききらせながらの登りはあまり花を観賞するどころではない。それでも、タムラソウやバイケイソウを横目で見ながら、頂上へは50分足らずで到着。

曇り空ながら、私の熱気に押されてか雨はまだ降らない。それじゃ~、と嵩にかかってアヤメ平まで言ってみようと言う気になって歩き出す。

櫛形山山頂周辺はほとんど手が入っていないため原生林が多く、ツガの木や岳カンバの古木が異様な形で残っており、一本一本に趣のある木が沢山ある。

Img_0155 また、霧の発生が多いためサルオガセをまといつけた木などを眺めながら高低差の少ない山道を平地の散歩程度の早足で進む。

幹周り10m近いと思われる唐松の古木のところで、まずはアヤメ平へと向かうことにした。

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今日の花。

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2007年8月20日 (月)

チャボだのキツネだのと 竜爪山

Img_0029 久し振りに登った竜爪山は気温22度と気持ちのよい朝を迎えていた。

穂積神社側から登ったのは一年以上前だったような気がする。こちら側からの登り道は一部で鉄製階段が付けられているため、なんだか停まったエスカレーターを登っていくようで面白くない。

Img_0032_2 きょうの目的はチャボホトトギス。キツネノカミソリは多分遅いだろうけど、小さなチャボの方は多分咲き始めている時期だろうと見当を付けて行った。

Img_0021 上りだしてすぐに、山路のホトトギスが咲いていた。(写真左)

この花「山ホトトギス」というのもあって区別が難しい。下で逢ったおっさんに「ヤマホトトギス」と修正されたが花びらの折れ目に班が入っているかいないかで判断するそうで、私としては、山路のホトトギスのほうが名前に情緒があるようで好きなので、おっさんに逆らって「山路のホトトギス」にした。(間違っていても責任は取らない)

途中、名前の知らない花を写したりして、峠(乗越し?)に着くとキツネノカミソリはどうも終わったようでいい花が見つからない。この調子ならとばかり薬師岳をを過ぎて矮鶏ホトトギスの咲いているところに行くと丁度よい時期に当たったらしく、あちこちの木陰などに黄色い花を地面から茎も立てずに咲いていた。

この花一日花なのでよほど大きな群落でないとすぐに終わってしまうので、タイミングが難しい。

Img_0069_3  さて、帰りにキツネノカミソリの群落しているところに行くつもりだったが、蔓人参の花を見ているうちについ下山してしまい、途中まで下ってから思い出したものの「ええい、来年があるさ」と降って来てしまった。(写真左)

それにしても、今日はホトトギスだのチャボだのキツネだのと動物の名がついた花が沢山出てきたもんだ。

午後から天気も崩れそうだというので、朝早く登ったため下ってきたのは十一時過ぎ、テレビを見ると飛行機の火災の映像が映していた。幸い全員無事ということであったが、飛行機もお国柄というか怖い国もあるようで、、、、、、

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今日の花。左、水玉草  右、釣船草何れも穂積神社境内にて

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2007年7月26日 (木)

来てもらいたくない?須津川

Img_0028 富士市の須津川(スドガワ)渓谷へ下見に行ってきた。

須津川は富士市の東側にあり、水と紅葉のきれいな川として知られているが、もうひとつには、袴腰岳を経由して愛鷹山に登れる道があると聞いていたのであわよくばという考えもあって出かけてみた。

あさ、静岡では靄のような雲を通して鈍い光の太陽が出ていたが、由比の辺では厚い雲の中に入ってしまった。麓の須津中学の脇を通って4kmほどの所に大棚の滝があり、そこの駐車場から先は落石の恐れがあるとかで通行止めになっていた。

そして、ここの上空に巨大なコンクリート製のアーチ橋が威圧的にかかっていてなんだか異様な感じがした。

道路際から、大棚の滝が木の間越しに見下ろせるが、水量が多く21mという落差より大きく見せていた。

ここを通り越すと、すぐにキャンプ場があるが人っ子一人いない。夏休みに入ったものの天候が悪くて利用されていないのではなく、利用させる気がないように感じた。理由としては何処が落石の恐れがある場所かわからなかったうえ、対策工事をしている気配もないこと、「熊が出る」という警告板などから人に入ってもらいたくないと言う雰囲気がありありだった。

そのほかにも、大棚の滝降り口には愛鷹山に登る道と書いてあるのに、以後の道には標識が一切なく、天気のせいもあるがじめじめとした暗い道を2kmほどのぼった最奥の登り口には「ルートは荒れてハイキング向けではありません」という看板が立っている。(もっと手前で注意書きを出せないのか)

山の上部は霧につつまれているし、藪漕ぎまでして知らない道を登る気もしないのでそこから引き返し、キャンプ場近くから、車止めのある道を登り、上りきってしばらくしてから、植林帯に「滝へ降りる道」という標識を見て降ることにした。

Img_0021 10分も降ると、駐車場で仰ぎ見た橋の上に着いた。この橋平成15年に完成したと書いてあるがその後何もしていないらしく、左岸側はまだ舗装がされていない。(写真、自動車が走った形跡のない林道用の橋)

松岡前農水大臣が絡んだ、例の緑資源公団の無駄遣い道路なのだろうか、とするとモッタイナイ道路であり、これを見せたくなくて整備してないのだろうかと勘ぐってしまう。

いまの所、ここからは大棚の滝を見る見物台にしか使用されていない感じだった。その後、鉄製の階段を下って滝つぼ近くまで降り、つり橋を渡って駐車場に引き返した。

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今日の花。左、ハグロソウ、羽黒と書くのか歯黒と書くのか分からないが、上下二枚の花びらは面白い、半日影の森に咲く。右、玉紫陽花(タマアジサイ)名前の通り、花が開く前は固く包につつまれている所から付けられたが、その色の美しさは数ある紫陽花の中でもトップである。

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2007年7月11日 (水)

空山不見人

Img_0033_8 空山不見人

但聞人語響

返景入深林

復照青苔上           王維

昔、漢文の授業で習った漢詩のひとつだが、自分が山に求めている気持ちと相通じるところがある。

大意としては、ひっそりとひと気の無い山、人は見えないが何処となく人の声や生活音が聞こえてくる。夕方になって木の間を分け入って入ってきた日の光が静かに苔の上を照らしている。という感じなのかな

ゆっくりと踏みしめる足元から腐葉土の匂いや枯葉をカサコソと鳴らして歩くのが楽しみで私は単独で登るのが多いが、杉や桧の植林帯でほとんど表土を持たない山はかなしい。

世界の最高峰エベレストを初めて登ったイギリスのヒラリーは、「山がそこにあるから」と言ったそうだが、いかにも欧米人の言いそうなことだと聞いた覚えがある。(若いころの自分にもそんなところがあったので、強くはいえないが、、、)

そのエベレストを含むヒマラヤのいまは、登る人、それをサポートする人で一組だけでもかなりな人数になるそうだがシーズンに入って何組も入ると、それこそ人でごった返しているらしいし、登山後の後始末などできる余裕もないので塵だらけだそうだ。

そうした、集団登山は勿論、山ですれ違う旗を持ったガイドを先頭にした観光登山や声高の小母さんグループでは山の匂いや小さな谷のせせらぎ、小鳥の声などを楽しむことは出来ないだろう。ただ「登ってきました」というだけの登山はしたくない。

山高きをもって貴うとからず 

樹多きをもって貴しとなす    後省略

これも、まるっきし同感というわけではないが、落葉樹の多い山は上を見て下を見てと楽しいことに逢うチャンスが多い。

本日は、むし暑くうっとうしい雨にとじこめられての妄想から、、、

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今日の花。左、大板屋明月(オオイタヤメイゲツ)、楓の仲間だが葉が赤くならず黄色いまま散る。葉の割りにプロぺラ形の種が小さい。右、榎(エノキ)目立たない花を咲かせている。

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2007年6月27日 (水)

熊との遭遇で緊張(大光山1,661m)

Img_0055_4 梅雨の中休み、晴れ間が期待できそうだとのことで、安倍川沿いを北上し、梅が島の近く草木集落に車を入れた。(写真 霧ごんで来た狭い山頂)

今日の目的は”大光山1,661m”である。この山の名は漢字で書くと何の変哲もないが読み方として「オオピッカリヤマ」となり、名前のユニークさから人気のある山といわれてきた。しかし、この山はいままで登ったことがなかった。理由として、名前意外に何にもなさそうなので魅力を感じていなかったためである。しかし、「安倍川筋でひとつだけ登らない山を残しておくのもどうかなあ」と思いむかってみた。(関係ないことだが、南アルプスには光岳と書いてテカリダケと読ませる山もある)

Img_0030_6 草木集落の駐車場から、防砂堰堤を越え、沢沿いにを少し歩いた後、山の斜面に取り付いた。

谷に近いところでは”二人静”があちこちで群生しており、ちっとも静かそうには見えなかった。しかし、ここからが問題であった、手入れの悪い桧林のどこでもそうであるが、草も土もないザラザラとした砂利山道になる。ここををジグザグと折り返しながら登るのだが、意外と急坂のため横切る道が狭く、落石しやすいため集団での登りは危険だと感じた。

一時間ほど歩いてようやく乗越しに出て、平らな道を少し歩くと再び斜面に取り付きジグザグの繰り返しになる。本当にこの山は砂利が多いのと植林帯が長いので疲れる山である。

Img_0088_2 造林小屋を過ぎ、岩陰に屋根を付けた避難小屋みたいなところに来ると、杉の木が何本も皮を剥がされていた。一休みを兼ねて眺めていたら異様なうなり声がし、そちらを見ると1mに満たない子熊が尻を下にずるずると降りてくるではないか、慌ててカメラを取り出そうとしたが、次の瞬間、もし親がそばにいたら、、、、、とくに、子熊と親の間に入る事はとても危険な状況である、これはカメラどころの騒ぎではないことに気づかされた。(写真 まだ傷跡も生々しい杉の木。周りにまだ5本木肌のなくなったものあり)

護身用としては、か細いストックが1本あるだけゆっくりと前後左右を見わたしているいる間の長いこと、小熊はグフグフ言いながら降りきると、ギャ~という悲鳴みたいな声を残して下のほうに向かって一目散に消えた。親熊はいたのかどうか結局は分からなかった。今年はこれで二度目になるがこちらでは熊が随分と増えているようだ。

そのあと、鳴物をリックに縛りつけ、鳴らしながら山登りを続けた。支稜と言われるところで尾根に上がり、二こぶ三こぶアップダウンを繰り返して展望の悪い頂上に着いたのが歩き出して三時間後であった。

尾根に上がってからは、小梨(ヤマズミ)藪手鞠、七竈(ナナカマド)の白い花と更紗灯台躑躅(サラサドウダンツツジ)が目に付きだしようやく気分が晴れた、、、、が、変わって霧が頂上に忍び寄り見る見るうちに全ての色を奪い、視界を閉ざしてしまった。

山頂でゆっくりと休むつもりだったが霧がさらに濃く、湿度も上がってきたので仕方なく、靴の紐をしっかり締めなおし、九十九折の急坂を早々に降ることにした。

今日の花。更紗灯台躑躅、この山で見るとは思わなかった。何時見ても気品がありきれいな花を咲かす。七竈、秋にはいち早く紅葉と赤い実を鈴なりにつけ、写真の題材に使われる。

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2007年6月 9日 (土)

雨風強くて先を断念、根子岳(2,207m)

Img_0047_4 昨夜来の雨も治まったようで屋根を打つ音がしない。期待を込めてカーテンをそっと開けると空が明るい。「しめた、願いが叶ったか、、、」と時計を見ると五時を少し回った時間である。(根子岳山頂は薄暗く雨風ともに強く、、)

早速起きて着替えをし、昨夜残りの柿の葉寿司を朝飯代わりに二つ三つと放り込むがさすがに少し重い。残りをリックに詰め込みお茶を呑んでお終い。

Img_0019_5 この天気もいつまで続くやら、天気予報は昨日と同じだとという。六時前に宿を出て菅平牧場の駐車場に車を入れ支度する。まだ、他の人の気配はない。

Img_0021_7 六時半、四阿山からにしようかどうか、根子岳にしようかと迷った挙句直登になる、根子岳(2,207m)から登って四阿山を回ることにした。牛が放し飼いにされている柵の間を登る、白黒模様のホルスタインは一様にこちらを眺め、中には近寄って確かめるようなそぶりをするものもいる。時間にして15分ほどか、牧場が終った辺りの蓮華ツツジはまだ先っちょが赤いもののどれも蕾は固い、足元では東菊(アズマギク)がようやく咲き出したという感じで、昨日思った「春まだ早い菅平」は現実のものになった。 (上 東菊)

Img_0026_4 カッコウの声に送られるようにして、白樺林と露の多い熊笹の中を歩き出す足元に今度は岩鏡の群れがところどころにある。ここの岩鏡は色が濃い、特に蕾のうちはくどいくらいに赤かった。  (左 赤い岩鏡)

白樺の木が細くなり、芽吹きしたばかりの状態になったのは1,800mくらいから、今度は背丈の低い山桜が目立ちだし、鳥の声もウグイスに変わってきた。

Img_0054_3 Img_0044_6 桜は、豆桜にしては、花が大きいようだし正確な名前は分からないが、ずっと続き、笹を主体とした頂上近くまで咲いていたものの、売りの「花の百名山」には程遠い状態であった。 (左、オノエンテマ 右、なに山桜かな?)  

そのころから、再び雲行きが怪しくなり、木がないせいか風が一段と強くなってきた。ガラ場に入ると頂上は間近、薄暗い空を背景にして鐘と小さな石造りの社が見えてきた。中を見ると大黒様のような像が入っていたが、何かいわれがあるのだろうか。

八時少し過ぎに到着した山頂で一休み、と、これからの様子見をする

Img_0053_6 Img_0057_1 四阿山(2,354m)は、すでに霧の中に入っていて見えない。前方の狭い岩稜と屏風岩がかろうじて見えるのでできれば四阿山周りで降りたいと屏風岩まで来ると雨交じりの強い風が吹き上げてきたので、合羽を取り出して着込んでみたが再三帽子が吹き飛ばされるので少し降りかけて見たが、「ここが引き時」と先へ進むのを断念し、根子岳へ戻り下山することにした。  (上左、根子岳から見た痩せ尾根 右、屏風岩の下から)

降りかけると斜面の関係か風は収まったものの、雨が次第激しくなってきた。400mも下ったころ、下から女性連れの中高年の一団が重装備で上がって来るのに出会ったが、先頭の男の人が「後どのくらいかかりますか」という。いつもこういう質問に困るのだ。その人たちの体力やペースは初対面の私には分からないので応えようがないし、先頭に立つリーダーかサブリーダーがこの調子ではあぶなっかしい。

適当に答えて分かれたが、遠方の人が前もって計画すると、この日しか登るチャンスがないとシャカリキになってしまうのだろうな。団体登山の怖さを再度見たような気がした。

ようやくもとの駐車場に着いたのが10時半。駐車場にはかなりの車が入っていた。「どうして、こんな日に」と思っていたら、また来た車で理解が出来た。

わらび採りの、小父さん小母さん連中だった。合羽を着て長靴、手にはビニール袋を持ってこれもリーダーらしき小父さんにいざなわれて、牛のいない牧草地に入っていく。下の料金所の人に止められて話を聞いたところ、かなり遠方からの人も含めて30人以上は今日入っているとのこと。

まったく、まったく ごくろうさん!

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2007年5月26日 (土)

小鳥と小母さんで賑やかに(天津山1,732m)

Img_0039_10 Img_0044_3 朝からお天気姉さんが「良い天気になりますよ」というものだから、つい腰が動いてしまった。

先日来、天津山(下十枚山1,732m)にかけての尾根に咲くアカヤシオシロヤシオを見ようと機会をうかがっていたので、行く先に迷うことはなかった。

正木峠(真木峠、征木峠とも書くらしいがどれが本当なのか知らない)の駐車場に車を入れたのは、七時だったがすでに先客が二台、そして辺りに人影はなし、今日は土曜日、だから早めに着いたのだが、先客はその上を行く、この後が思いやられると内心思いながらスタートを切った。

まづ、いつものように上り口の地蔵さん脇のマイヅルソウとそのすぐ上にギンリョウソウ(上の写真左舞鶴草 右 銀嶺草)が出迎えてくれた。後はいつものペースで地蔵峠に到着。

Img_0079_2 峠の少し先の白ヤシオ、その先に赤ヤシオと眺めていくと前方に見知らぬ御同輩が写真を写しながら登っているのに追いつき、岩岳付近で私が先行する形で分かれたが、その間の会話は「今年のヤシオツツジは今ひとつという感じだね」というのが主だった。

Img_0104_1 たしかに、白ヤシオはまだ少し早いのか、つぼみが多かったが、岩岳からの降りの部分では半開きと言った感じのままが多く、一部はそのまま下に落ちているのはなにか気候的な影響があったのだろうか。

Img_0062_3 最低鞍部には、まだ岩鏡が咲いていたが、その先の登りにはほとんど花が見当たらなかった。天津山(下十枚山)には九時少し前に到着。

Img_0102_3 ここで、しばらく休憩を取った後、元に戻る事にした。この道すがらヤマキマダラヒカゲがあちこちに出て写真に写せとせがむようにまとわり付く。帰って調べると汗に含まれる塩分などミネラルを欲しさの行動らしいことが分かった。(わしはえさか)

このほか、ウグイス、コマドリ、ホトトギス、コガラなどがあちこちで囀り賑やかな山行きだった。なかでも一番驚いたのはモズだった。ウグイスの鳴き声の先に小鳥がいたのでカメラを向けると気づいて飛びったたが、鳥の大きさ腹の白さはどう見てもウグイスではない。

モズは、百の舌を持つと言われるくらい他の鳥の真似をすると聞いたが、目で見たのは初めてだった、この調子では山のウグイスは声ほどいないのだろうか。

岩岳に戻ってきたのは十時少し前、そこからの下りにでは予想通り賑やかな小母さん主体の登山隊に何組も遭遇、決まって聞かれることは「早いですね」と「ツツジはどうですか?」の二言。始めは丁寧に受け答えしたが、、、、テープレコーダーを持ってくりゃ良かった。

正木峠は、11台駐車、その先にも何台かいる様子。山は小母さんで花盛り。

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2007年5月14日 (月)

もったいぶった富士山(越前岳1,504m)

Img_0034_7 「天気予報ではもっといい天気かと思って出かけてきたのに、、」と別々に会った千葉県の人も横浜の人も言っていた。(もったいぶってようやくこれだけ)

私もその口で、朝早く十里木から越前岳に向かったが、家をでてから駐車場まで青空が出ることがなかった。天気予報を信じて「いまに晴れる、もうすぐ晴れる」と念仏のように唱えた来たが駄目だった。

Img_0043_1 しかし、降りだす気配もないので登り出したが、当てにしていた「愛鷹つつじ」はない。40分ほど登った”馬の背”辺りに少し咲いていただけで、そこを過ぎると蕾をつけた物も少ない上、蕾を持っているのを見ても、ごく小さく固い、まだまだ開花は先のように見えた。(愛鷹つつじは花が小ぶりでオシベが多いのが特徴とか)

足元には、ヤブレガサが開ききった葉を広げ、その合間に豆桜の花びらが散っている。しかし、仰いで見るとどの木も花を散らした後で、枝に花を残しているものがない。「まったく~今日は花の端境期らしい」とぼやきながら登った。

ほとんど、頂上に近いところで千葉県から来たという人とすれ違って挨拶をした。彼は、朝六時まえから登り出したが、花もなし展望もなしでガッカリしていた。遠い所からのお客さん、越前岳ももうチットは気を使わなきゃね。

Img_0019_6 頂上には、看板がひとつ新しくなっていた以外これというものがない、それでも20分ほどいるうちに少し雲が切れて、富士山の9合目くらいから上をもったいぶって顔をだした。「そんなにもったいぶらなくたって、、、いいじゃないか」と言いながら、それでも二~三枚写して下山する。(ようやく頂上にあった、散り遅れの豆桜。染井吉野の半分ほどの大きさの花)

今日の花。左、三つ葉ツチグリ? 右、ヤブレガサの群落

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2007年5月 8日 (火)

五月蝿い! (真富士山)

Img_0060_1 岩鏡(イワカガミ)頑固そうな名前だがいたって優しい花をつける。

岩の多いところを選んで繁殖するようで、強いのかこんな所でしか根を下ろせないのか、冬の冷たい風に吹きさらされて、いま花を咲かせている。

名前の由来は、常緑の葉っぱが昔の鏡のような形をして、つやつやと光っていることからつけられたという。

下からののぞいて見ると、五弁の花びらの先端がが裂けているのが、一寸見には無数の花弁があるように見える。岩団扇の仲間なので、どこかで分かれる際に裂けちゃったんだろうと思う。

色もピンク系統から淡いものまでいろいろとあるが、ここでは、ほとんどが白だった。

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今日は、久し振りに真富士山に行ってきた。真富士山は安倍川上流の左岸にあり標高は、第二真富士山で1,402mで、先日登った青笹山の南側に当たる位置にある。

家から20km行ったところから右折、林道を6km登った駐車場に車を止め、そこから登りだしたが、12日前の青笹山のときに比べると植物はいちじるしく成長していた。今日はどんな花を見せてくれるのかな?と楽しみに歩く。

Img_0001_1 Img_0107 まずは、ホウチャクソウ(左)とテンナンショウ(右)が出迎えてくれた後、整備されていない檜林を登る。この林、来始めてから10年余になるのに密植のためか全然成長していないように見える。

昨年から森林税をとられているのだが、どこに使っているのか分からない、こんなところを間伐してほしいものだ。

Img_0007_2 Img_0093 そんなことを思いながら、谷筋に出るとハシリドコロ(左)やスミレがふえ、その後二輪草(右)の集団、ネコノメソウと次から次へと舞台を換えて見せてくれる。

なかには、これから事典と首っ引きで調べなければならない花もあって楽しみを長続きさせてくれる山行きとなった。

Img_0042 そんなこんなで、大井平から右に折れ、峠で神社に挨拶し第一真富士山(1,343m)に到着したのは予定から随分と遅れて九時半ころ。頂上を少し下った広場からは、いまの季節では仕方のないのだがうっすらと霞む富士山や清水港。木の間越しの第二真富士山を見ていると、大柄なタテハ蝶が一緒になって休んでくれた。(写真は第二真富士山から)

Img_0064_2 少し休んだ後、真富士峠に向かって降る、標高で100mも下ったろうか最低鞍部の峠に到着。それからまた登りにかかるが、第一真富士山に比べて痩せ尾根で岩が露出している所に岩鏡が群生しだした。

その何ヶ所かで、また写真撮影をするためあっちでうろうろ、こっちでうろうろを繰り返し、ロープに掴まったりしているうちに少し平坦になったとおもったら頂上にたっている。

登りだしてから3時間ほどもかかるスローペースの山登りになった。しかし、ここで気になったのは峠からこっちやたらと蝿が多いことだった。「五月の蝿は五月蝿い(うるさい)」なんて冗談も始めのうち、山での早飯中に何匹叩いて殺したことか。とにかくずっ~とまとわりついて離れなかった。

帰りは、真富士峠からやはり手入れの悪い林を抜けて大井平の分岐で登り道に合流し、駐車場に帰る。天気もよく気分の良い山歩きだった。すれ違う人もなく、山を独り占めにした一日だった。

また、頂上付近と駐車場近くで二頭のカモシカを見るが、どちらも立ち止まることなく早々に茂みの中に入ってしまった。

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Img_0087_3 赤ヤシオも咲いて、、

ああ、そうそう。早咲きか狂い咲きかは知らないが、赤ヤシオが三本ほど尾根筋で咲いていた。

写すと蝶々のように広がった葉が、他のツツジと区別できる。 他の赤ヤシオはまだツボミ固しなのでどっちかな、、、。

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2007年5月 1日 (火)

高峰山(2,091m)で雪上散歩

Img_0071 四月二十九日、昨日の夕方降った冷たい雨も上がり、トイレの窓から見る星月夜は綺麗に晴れ上がり、ひさしぶりに銀河を見ることが出来た。写真 霜に覆われた姫踊子草)   

静岡にいては、まず見ることの出来ない夜空だが、その分夜気は冷たく、目が覚めないうちにと早々に布団にもぐりこむ。

明ければ零下二度。草木に霜がつき、芽を吹き出させ蕾の膨らんできた林檎畑では、妨霜フアンがうなりをたてて回っている。

太陽も次第に高くなった七時に、高峰山を目指して出発する。

小諸から群馬県へ向かう道路の氷結状況を確かめながら慎重に登り、車坂峠の駐車場に着いたのが八時少し前、気温は零下二度ながら風が強く、体感温度はそれを下回って感じた。

すでに5~6台の車が駐車しており、浅間山方面に向かうらしく、すこしオーバーにも見える厳重な装備の身支度をしているグループがいた。

その人たちを横目で見て、昨日の農作業に使ったツナギの作業服を重ね着し、反対側の高峰山方向に向かう。

こちらは、のっけから残雪に覆われた雪の上に、昨日の新雪が10センチほどつもり、人の足跡は全然見えない気分よい山登りになった。

頼りは、ところどころにある赤い布、しかし、融雪期の山は、溶けては凍るを繰り返しているので、ところどころ氷が新雪の下にあり、靴のかかりが出来なくて滑り上ばかりを見ているわけには行かない。(写真下 高峰山山頂。剣の先に富士山が)

Img_0095 兎ばかりでなく、狐?やイタチ?らしい動物の足跡も楽しみながら一時間ほどで山頂に到着する。上り始めが少しきついが20分ほど昇った所からほとんど平坦な尾根歩きとなり日差しも強くなると寒さも消えて、すっかり雪上の散歩l気分になってしまい、大きな剣を岩に立て社のある山頂に着いた時には物足りなさを感じる山である。

車坂峠でもそうだったが、天気もよくぐるっと360度視界もよく富士山、南、中央、北アルプス、御岳乗鞍と確認しながらしばし休憩する。

Img_0109_1 帰りは、高峰温泉ホテル方面を回ることにし、雪が解けてからでは歩けない雪山を右に行ったり左に行ったり、縦横に楽しんで降る。とにかくあっけない三時間の山歩き。

下って午後は、「みまきの湯」に出かけ、温泉と昼寝を楽しんで帰る。

今日の花。つつじもツクシもスギナも白い縁飾りをつけて、、、(立科町で)

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2007年4月26日 (木)

山は平年並み(青笹山1550m)

Img_0020_1 久し振りに晴れ上がった空を見て、先日来予定していた近場の山に登ってみることにした。

今年の春は、暖冬の影響でかなり早かったが、桜のころにはほとんど平年並みになっている。では、山の上はどうなのだろうか。というのを知りたくて前から晴れるのを待っていた。

近場の山といえば、安倍川沿いに1,000から2,000mクラスがいくつもあるのでその真ん中辺にある真富士山か青笹山のどちらにしようかと迷った末。青笹山(1,550m)に登ることにした。

朝八時、露を滴らせたツツジが綺麗だったので車を止め写真を撮っていたら、軽トラックが通りがかったので、正木峠まで載せてもらうことにした。

苔むした地蔵がある正木峠からは細い山道になる。この道は、一昨年の暮れに登ったきりだが、これで何度目になるのかはっきり分からなくなるくらい登っていることになる(ボケもあるので、、)。

登りだしてすぐに、上の写真の花に出会う。オニノヤガラによく似ているが、時期が少し早いようだし、背丈が低い。なんだろうなと思いながら写してきた。

五月二十三日、ようやく上の写真の花の名前が判明。ヤマウツボといいます。ブナの根などに寄生する植物で栄養はすべて、そちらから貰って育つそうです。

道々ウグイスとコノハズクらしい鳥の声が一人歩きの静かな山に響く。と、突然道の前方を何かが横切り、下の笹薮に突っ込んでいったようで笹が揺れ動く、熊?猪?鹿?、、、思いつくものを並べてみたが後姿が一瞬だったので分からない。

40分ほどで地蔵峠に到着、一休みを兼ねて山梨側に少し下りたお地蔵さんに挨拶に行った後、仏谷山(1,503m)に向かう。この山、昔は仙谷山と思っていたがどっちが本当だったのだろうか。仏と仙は手で書くとよく似ているので間違ったのか、思い違いだったのかいずれ地元の人に聞いて見る必要がありそうだ。

そういえば、下の正木峠もいろいろな書き方をしているので、どれが本当か分からない所がある。

仏谷山からは、尾根伝いに進むのだが、ここの尾根は高度差が100mとは無い登山道にしては平坦な、といっても良いほどの道が続く、多分昨年刈り払ったのだろうが幅2mくらいの広さがあり、尾根筋の散歩、のんびりと歩くには真に都合の良い日和である。

Img_0044 頭の上は青空が広がっているが、西風が幾分冷たく下から吹き上げる、四方の山は雲の中に埋もれてしまい展望が利かない。(写真、後に岩岳と下十枚山)

尾根筋の、木の芽は少し膨らんだだけ、狂い咲きでもと祈っていたイワウチワもまだまだ先のこと、頂上近くになってアセビだけが花盛りだった。

Img_0048_1 この高さまで来ると、いつもの年と変わりはないな。隣の岩岳のヤシロツツジも来月半ばと決まった。と開花予報士(そんなのあったか?)は断言し、10時少しに早飯にして帰る。(写真は笹に囲まれた青笹山山頂)

帰りは、細島峠から下ったが、足場が悪く疲れた。

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2007年4月 5日 (木)

気息奄々?の黄揚羽

Img_0046_3 本日は清明。「万物発して清浄明潔なれば 此芽は何の草か知れるなり」とあり、落葉樹からしんめがふきだすきせつという意味であろう。

暦の季節に合わせたかのように、若葉が吹きだした木の間がくれから声援を送る鶯の声を背に梶原山(279m)に登る。

上り口は、瀬名の公民館から40分ほどだった。正月の「初日の出」は時間もなく上の駐車場近くまで車による山登りだったが、今日は春の日いっぱい浴びながらのゆっくり旅。途中、私同様のハイキング姿の人やたけのこ堀りの人もいたりして、結構人の気配の多い山である。

Img_0052_2 山頂に上がってみると、一応気にしていた枝垂桜は花を散らし、すっかり葉桜になっていたが、スミレの花が丁度満開、空気が澄んでいるので、足下の静岡市内はすっきりと見え富士山や伊豆半島もごきげんな様子で顔を出している。

Img_0056 そして、何よりも嬉しかったのは、黄揚羽蝶の乱舞。芝生を植えて整備された草原の上を敏捷に飛び回り、二羽がもつれるように高く舞い上がっては急降下する、縄張り争いか、恋をしているのかしらんと思っていたら、もう一羽が加わって、三羽になったり二羽になったりして上に下にと飛び違い、なかなか被写体になってくれない。

ときどきは、タンポポの花に掴まるもののすぐに飛びたち近寄らせない。仕方ないので一本松で知られる帆掛山(304m)に向かって歩く。

幅広く整備された道を15分ほど歩くと到着する。結構多くの人とすれ違うが何れも同年輩以上の人。

やはり、芝生で綺麗に整備された山頂を一巡りし、引き返すと梶原山の上では先ほどの黄揚羽がひとつ、少し飛び回っては芝生の上で一休みを繰り返していた。

激しい戦いで傷ついたのかと思ったが、飛び方は尋常なので縄張りを守りきったものの息切れをして、気息奄々と言った状態なのか。で、早速被写体になってもらう、できればスミレ、タンポポなんでもいいが花に止まらないかと期待してもなかなか思い通りにならないので、、、、

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2007年3月13日 (火)

霜柱の竜爪山(1,051m)

Img_0014_4 朝7時半に則沢林道の駐車場に居た。

家から30分とはかからない竜爪山の麓は自動車積載の温度計は一℃を示す。今日も、気温は低いらしい。

静岡市内から見て、竜爪の山に三度雪が降ると春になる。と昔から言われて来たが、今年はまだ一度も見ていないうちに春になるらしい。

駐車場で支度するが、裏道、ウイークデイなどの条件のせいか誰もいない、前回はもう少し季節が遅かったので、着いた途端ミソサザイの美声で気分がよくなったものだが、今回は沢を流れる水音のみ、、、、。

則沢川源流の水を飲んだりしながら黙々と高度を稼ぐが花は、三椏が咲いているだけでなんにもない。かわって、霜柱の長いのが各所で見られる。

暗い土の上に白い霜柱もこんなにあると余計に寒さを感じる、たまに木の間越しに陽の光り差し込むとキラキラ輝き、中にはプリズムみたいに小さな七色を呈しているのもあるが写真にするにはなかなか難しい、近寄れば自分かかカメラが陰を作り、離れれば見えない。

Img_0017_2 約一時間で竜爪の頂上のひとつ文殊岳(1,041m)に到着する。頂上へあがって驚いたのは南東方向の杉の木が伐採されていたことである。前回も清水港の方向が伐られていていたが、さらに上乗せする形で綺麗さっぱりとした風景になっている。

確かに、眺めということから言えば良くなっているのだが、切り倒した杉の木がそのままになっていることが気になる。樹齢百年にはなっているような太い杉の木が、安い外材のため用無しになっているようだ。思わずモッタイナイ!。

この木を植えた人は、こんな風になるとは想像もしていなかったに違いない。私の思い違いならいいのだが、上り口にもかなりの間伐材があったので合わせて利用されることを祈る。

Img_0029_4 富士山と南アルプス、蕎麦粒山はすっきりと晴れていたが、伊豆半島は雲の下、照り輝く駿河湾に土肥方向に向かう船の航跡がうっすらと見え、愛鷹山は薄墨の彼方にある。(写真、雲の向うは愛鷹山、左のピークが越前岳、中央が位牌岳、右端が愛鷹山)

一休みの後、もうひとつのピーク、薬師岳(1,051m)から穂積神社からの三叉路までを往復し、九時半に文殊岳を降りだす。

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2007年3月 2日 (金)

父の膝にいだかれて(三方分山)

Img_0094 山梨県は精進湖の後ろに三方分山(1,422m)という山がある。(朝 精進湖に写る富士と大室山)

当方、始めて5万分の1の地図を見たとき、「ミカタワケヤマ」とでもよぶのかと思っていたら「サンポウブンザン」と読むのだと案内書に書いてあった。理由は古い昔、この山の山頂に続く尾根で三つの村境があったためと言う簡単な理由でつけられたそうな。

朝八時すぎ、県営の駐車場に車を入れると、空一面に薄雲が広がり、精進湖には波ひとつない。気温は1度。薄暗い感じながら身を切るような寒さは感じない。

Img_0096_2 登りは、”精進居”と書いた集落側から上ることにした。この集落も空き家らしい家が沢山あり、昔は峠越えの拠点として賑ったこともあるのをしのばせるだけに、うら悲しさを感じさせる。

谷沿いにある防災堰堤を越えると、昔の街道を偲ばせる古い野面積みの石垣のある道が九十九折につづき、駐車場から50分ほどで女坂峠に到着する。

ここに、古い首から上の無い石仏と墓がひとつあるが、時代は苔の下になり分からない、そして、案内板に3,000mとか4,000m、きっちりした距離が書いてあった。普通3km、4kmなど余裕のある数字を書いておくものなのに、、、珍しい書き方をしていた

峠で一休みした後、左の山道に入る。緩急を繰り返しながら高度を稼ぐと、急にゆるやかなブナ、楢の木の多い明るい道になり、そのまま、しばらく行くと何時の間にか頂上にいた。

Img_0112_4 標高1,422mの案内板あり、富士山側切り開いた場所からは、この山を歩く目玉になっている「子抱き富士」が丁度良い角度から見ることが出来た。

正面の富士のふところに抱かれるように寄生火山「大室山 1,468m」が見える。今日の天気もあって大室山には薄い霧が取り巻いている所は、父親の膝におくるみを着せられた赤ん坊が座っているようにも見える。

この場合、どう見ても母親ではない力強さを、富士に感じてしまう。

このあと、精進山を過ぎると道は急な降りに入り精進峠、根子峠でパノラマ台へ向かう道と合流し10分ほどでパノラマ台(1,328m)に約1年ぶりに到着した。

Img_0124_1 前回は本栖湖側から上がってきたのでだが、天気は今日と違っているのでまた趣が違う。登りだして3時間半、ここで景色を眺めながら昼ご飯にする。曇り空で地味な富士山ではあるが全景が見えるし、東の御坂山塊は墨絵のように奥に行くほどねずみ色にくすんでいる。西の南アルプスはまだ日が当たっているようで、雪が光り輝き、竜ヶ岳、雨ヶ岳、毛無山と雪の量が多くなっているようで次第に白味が強くなっている。

充分に疲れも取れたと判断して、観光シーズンにはごった返すらしい、幅が広くてゆるい傾斜の道を駐車場に向かって下り、午後2時すぎ、駐車場に無事戻る。今日も山は一人旅、人の気配は一切感じなかった。

Img_0126 降ってきてこの山全体で、感じたのは、この山はブナ、楢など落葉樹が多く、道にブナの実の殻や、団栗の帽子がが沢山落ちていたことである。ということは動物の餌がかなりある山であり、ヤマガラなどの小鳥もよく見受けられた。

また、杉の木が駐車場を除くと見当たらなかったこととあわせると、花粉症の人が登るにはいい山なのではなかろうか。

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2007年1月26日 (金)

ザクッ グググッと(長者ヶ岳、天子ヶ岳)

Img_0041_1 ザクッ グググッと音を立てながら高度を稼いでいく。

今日は久し振りの山行きである。目指す山の名は長者ヶ岳(1,360m)登り出したのは田貫湖の東端の駐車場からであった。朝七時三十分、寒暖計はマイナス二度を指していた。

耳が冷たく感じるが心地よい寒さである。支度して登りかけたのが四十五分くらい、足元に雪は無いが3cmくらいの霜柱が心地よく潰れる。

900m過ぎたあたりから雪の量が増え、冒頭の音が響きだす。最初のザクッはつま先が雪に突っ込んだ音で、次のグググッは足の重心が移動するとき、凍った雪がきしむ音。

小鳥の声もなく、下界の音も伝わらずただ自分の足音だけがする、これは単独で登る山のいい所。

前回登ったのは、一昨年の9月8日だったから暑くて下着一枚になってしまったことを思い出した。今日は天気が良い上、木の葉が落ちているので背中に富士山を背負ったような感じで登る。見わたすと下の田貫湖が鏡のように太陽を跳ね返して眩しく光る。そして、この山に連なる北側の山(毛無山、雨ヶ岳、竜ヶ岳)は軒並み雲につつまれ、富士山は腰に藻裾を巻いたようにたたずんでいる。

これから登る長者ヶ岳の上空にも薄黒い陰が忍び寄ってきた。なんとか、雲の中に入る前に頂上にと、普段より馬力を上げたのがよくなかった。

Img_0034 九時半過ぎ、ようやく着いた頂上でばててしまった。そして、富士山は着いてから5分ほどで霧の中に沈んだ。頂上のベンチにビニールを敷き、脈拍の静まるのを待つ、下着が汗で濡れているが、取り替えるのをやめて途中で脱いだヤッケをまた着なおしたあと、1.5km離れた隣の天子ヶ岳(1,330m)に向かうことにした。

曇り空の中、道はダラダラ降りに下がり20分ほどで山梨県佐野から登ってくる最低の鞍部(峠)に到着、それからの登りが大変だった。

北向きの斜面のため積雪量が多くなり、目印も少ないので道がはっきりしない、尾根と見られる部分を選んで結構急な斜面を登った。

約20分も登ったか、急に傾斜がゆるくなって山頂かと思ったが、それから300mほど歩いて、ようやく頂上を示す看板に出会った。

Img_0045_1 見通しがきかないうえ、他より高いという感じも無い変な頂上だった。そこを行き過ぎると一寸した広場があり、檜の根方に石造りに祠と中央に瓔珞ツツジとそのいわれを書いた立て札があった。

Img_0046_1 ここに来て、始めて空が明るくなっていることに気がつく、”富士見平”という矢印に従って、富士の見えるところに行くと先ほどの雲が全然なくなっているではないか。

写真(上)にして、反対側の急坂を白糸の滝目指して降る。こちら側は南斜面になるため雪はほとんど無いが濡れて滑りやすい。慎重に降って広い尾根筋から道はゆるやかに何時までも降り、約1時間で林道に着く。

そこからの長いこと、駐車場まで約1時間20分。これが今日一番のつらい歩きだった。駐車場に帰り着くと午後一時三十分。約6時間の行程だった。

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2007年1月14日 (日)

究極の商売上手か

Img_0123 1月も月半ばにしてようやく足慣らしの山登りに行ってきた。(静岡市街地の向うに富士を望む)といっても、御近所の低い山。満観峰(470m)である。

この山は、手ごろなハイキングコースともなっており、何時登っても人のいる山であるが、自分はほとんどが南側の小坂側からしか登っていないので、今回は国道1号側、逆川集落から登ってみることにした。

本当は、バスで行って降りは別の道に下りようと計画していたが、降りたところのバスの時間も分からないし、時間あわせなどを考えるとつい面倒くさくなって、自動車で麓に向かってしまう。

”宇津の谷”の道の駅手前で左に折れて、集落に入ったところの農家の庭先に車を止めさせてもらったのが、午前九時。

それから、道標に従って谷沿いに登ること20分で、二軒屋から来る道に合流、そして、歩き出して45分で山頂に到着した。山道は静岡のどこのでもある手入れがされていない杉林とお茶の畑を縫って続いている。

杉林の中にある石積みは以前ここで農業が行なわれていたのだろうし、伸び放題になったお茶畑は、年老いて手入れが出来なくなって放置されたことを想像させてものがなしい。

それでも、初めての山道の楽しみは、景色もあるが、山のどの辺に顔を出すかというのもある。登りながら、どの辺で尾根に出るのだろうか、それとも直接頂上なのだろうかと想像する。

地形図は前もって頭に入れておくのだが、古いカーナビが海の上や山の天辺など道なき道を走るように、地図上の道と違う所を歩く場合がある。

頂上は風もなく穏やかな天気の下、富士山が少々霞みながらもきれいに見えた。そして、誰もいない山頂を独り占めをしていたが、五分としないうちに大きな鍋を背負った人と別の二人連れが来た。

鍋を背負ってきた人に聞いてみたところ、焼津花沢の里からバス1台分の人が登っているので、その先回りをして食事の準備するのだとのこと。

そんななかにはまり込んだら大変だ、と思い少し話を続けたあと、そうそうに下山することにした。

駐車場にもどってきたら、この家の主人が軽トラックに蜜柑とポンカンを摘んで戻ってきた所だったので、味見をした後少しばかり分けてもらうことにし、いざ財布をさがすとどこにもない。

「しまった、忘れてきたので後ほどまた貰いに来ます」と言ったところ「いいから持って行け、お金は今度の時でいいから」と自分の自動車に乗せてしまった。

見ず知らずの男を信用して名前も住所も聞かない。究極の商売上手か、性善説者か。こんなことをされるともし悪意があったとしても遂行することができない。

結局は、家に帰って財布を取り、再度出直しをすることになったが”世間捨てたものじゃない”の確認をし、嬉しい山行きになった。

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2006年12月21日 (木)

ご無沙汰の安倍城址

Img_0070_1 年末になって、帳尻を合わせるかのように亡くなられた人の名が報道される。

昨日は青島幸雄さん、そのまえに岸田今日子さんが亡くなったという。どちらも少し年上であるが、いまの時代から言って年齢的には不足がある年であろう。

二人とも、自分たちの若いころから活躍した人であり、テレビ映画に露出していた人だけに、歌同様、若いころの写真や映画をちらちらと見せてくれると、あの時の自分はどうだった、思わせるものがある。

しかし、二人とも持てる才能をフルに使いはたして?の往生だったのではないだろうか。ともあれ、この二人はただ黄色い声を上げて騒ぐタレントやアーチストではなく、本物のTalenntだったと思う。

Img_0072 ここしばらく気分も乗らず近所の山も登っていないし、近くの山では71歳の人が遭難しているようなので、どうしようかなと思っていたが、穏やかな天気も今日限りみたいな天気予報を信じて、安倍城址に登ってみることにした。(上の写真は山頂から市街地を望む、靄の中に伊豆半島が微かに)

市街地西外れに当たる”洞慶院”の駐車場に車を入れていつものように登り出す。

前回は、昨年の”おかんじゃけ”の時だから、1年半くらい前になるか、山道は夏と冬と言う違いはあるものの、ほとんど変わりなく月日の変遷をしめすものはない。

登り出しは、朝の青空も薄雲で消えてしまったいたが、頂上間近になるとふたたび日差しがでてきた。

頂上に着いたのは11時半。1時間チョットの散歩道といったところか。

出合った人は一人。ときたま聞こえたヒヨドリの鳴き声のほか虫の声もなく、シーンとして音も無く、杉木立で展望も開けない世界を登ってたどり着く。

頂上からの僅かな眺めは、静岡市街地と富士山を薄いもやで霞ませていた。

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2006年11月 5日 (日)

ヤタのホシガラス

Img_0076 大道芸ワールドカップも今日で済んだ。

満月のもと、誰が優勝したのか。自分たち素人の目は、大仕掛けのもの、派手なもの、外人の方に目が奪われてしまうが、昔ながらの大道芸と言うものから少しはぐれてきているように思う。

しかし、日本古来の大道芸と言えば、角兵衛獅子や皿回し、南京玉簾など何かしら物悲しい面が見えてきて、チョット楽しむ雰囲気にはなれない。

さて、今日で久しく続いた快晴も一段落すると言う予報なので、大井川沿いの山”蕎麦粒山1,627m”と高塚山1,621m”を1年ぶりにめぐってくることにした。

朝七時、藁科川を登り千頭に下った後大井川沿いを降って上長尾から林道を登った。八時半ガタガタ道をゆっくりと登って山犬段に到着する。

すでに、駐車場には10台くらいの車が来ておりその端っこに止めて支度する。

側に地元シルバーセンターのの人が来ていて、携帯用のトイレを持って行けと言う。あちこちで"雉を打つ(野糞)”人がいるせいなのか。よく分からないが只だというので1個貰って登り出した。

Img_0007 蕎麦粒山に登りだして、まもなく目の前で星烏(ホシガラス)が一羽ブナの実をついばんでいる。

初めは「どうしてこんな低い所に来ているのか」とびっくりしながらも、驚かさないようにと遠くからカメラのシャッターを切っていたが、なかなか逃げない終いには1~2mの至近距離まで近寄れるくらいになり、何枚か写したあと前に進むとホシガラスの方も10mくらい飛んでは自分が来るのを待っているような状態を続けて繰り返した。

まるで、”ヤタのカラス”みたいだな「足が三本無いだろうか」と確かめてみたがなかった。

40分らずで蕎麦粒山頂上、そこには先客すでに7~8人が休憩をしていた、視界は霞が立っているため富士山さえ見えない。10分ほど休んだ後、高塚山を目指しくだりに入る。

紅葉は、千㍍チョットの地点くらいまで下がっているため、尾根筋は落葉したものが多いうえ、今年はやはりあまりよくなかったのかなという印象を受ける。

五樽のコルまで降った後、再び登りに入り”三ッ合”の分岐に着いたのが十時半、ここでも四組14~5人昼にしていたので、つられてここで早飯にした。

Img_0039_3 展望は開けているが、ここも蕎麦粒山同様全て見えない。

十一時、高塚山を目指し、きつい降りに入り隈笹(クマササ)の多い尾根を過ぎ、ゆるやかな登りの先に高塚山の頂上が開けていた。

広い頂上は、展望も効かず着いたというだけの印象、ほんの少しいただけで戻ることにした。先客も同様だったらしい

遠くから見るのと、頂上の印象が違うことがよくあるが、この山もそのうちのひとつであろう。

早々に、五樽のコルに引き返し、その下の林道に降り、駐車場に戻ることにしたが、林道は今年全然手入れが無かったせいか、荒れ放題に荒れていたこともあって、疲れて足には遠く長く感じられた。

もともとこんな所に林道を作ったのが間違いであろう。もろい山腹に付けられた道路のためあちこちで上下に土砂を崩壊させている様は、自然破壊もいいとこである。

しかし、道下には今を盛りの紅葉や黄色いカンバの葉などがモミの木の緑とあいまって、裾模様をかざっている。

駐車場には、午後二時の到着、駐車場に入りきれない車で一杯になっていた、こんなに沢山の車は今まで見たことが無い。と思いつつ無事の下山を祝って、最後のお茶を全量消費した。

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2006年10月27日 (金)

霧と雪で立山敗退

Img_0053 昨夜来の雨も小降りになっては来たが、空は暗い。

天気予報は、富山でも午後から晴れと言うが、そんな気配は全然見られない。同級生で、立山の自然を説明、案内するナチュラリストをしている吉井くんにどうだろうと聞くと「上の方では晴れているかもしれない」とのことなので、8時過ぎに、別れの挨拶をして立山の登山口千寿ガ原に向かう。

一般の登山者はここで自動車を降り、あとは、ケーブルカーとバスを乗り継いで終点室堂まで行くしかないので、その通りに切符を買ったものの空は雨が降ってはいないだけで相変わらず暗い。

千寿ガ原からケーブルカーにのり標高977mの美女平は立ち込める霧の中を登る、小さな車内に中国人観光客がいっぱいいて、外さえもろくに見えない中「失敗だったかな」と思いながら室堂行きのバスに乗り、しばらくすると空が明るくなり視界が開けてきた。

「しめた、晴れそうだ」と思った途端、先ほどまでのどうしょうかなという気分もすっきりと晴れ上がる。弥陀ヶ原を過ぎるころは、窓の下に雲海を見、上のほうには懐かしい感じのする立山連山、剣御前山など雪をかぶった山がバスの方向によってあちこちの窓に広がるような秋晴れになった。

人でいっぱいの室堂駅到着は、10時ころ。喜び勇んで外に出れば、此方も人だらけ振り切るるようにして、遊歩道を室堂に向かう、降りたときに着た防寒着と急いで歩いたため、もうここで汗をかき息切れがしてしまった。

一休みの後、上りかけてみたがそれまで道の上には無かった雪が次第に圧雪状になってきたのと、濃い霧が強風と共に山を包んでしまった。

こうなると、あきらめやすい。一の越山荘2,700m(?)に近いところ思ったが急いで退却し、ミクリガ池周辺の散策に切り替えた。

Img_0039_1 もどって、ミクリガ池北側の通路に入ると、朝分かれた吉井くんが、一人で下を覗き込んでいるのに出会った

「おいッ こんなとこでなにしとる」

「うん 下のほうに雷鳥が3羽いるんで見とる」

「どこに」「あそこの木の下に一部黒い羽があるのが2羽とこっちの枝に真っ白いのがひとつ」

「どこかわからん」「ほれあそこ」と騒いでいるうちに、人だかりが、、、、

「ああ わかった」目で確認してカメラを向けると、背景の雪に溶け込んでどこにいるのか分からなくなる、「まったく保護色とはよく言ったものだ。」と文句を言いながら写したものが、上の写真。

ミクリガ池のビューポイントは一面の霧の中、地獄谷へ行くのも諦めてバスターミナル付近で同級会の続きをしながら待っていると僅かな時間ながら霧が吹き飛ばされて視界が開けてきた。

まったく、男雄山)心と秋の空は変わりやすいとはよく言ったもんだ。

「山に登れてたら富山のどこかでもう一泊しなければと思っていたけど、この時間なら豊田の弟の家に行けそうだ。それじゃ、ここで分かれるよ」とバスに乗り込む。

それから、6時間後、340km走って日本海から太平洋側に日本縦断した。

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2006年9月24日 (日)

茸採りがいっぱい

Img_0161_1 しばらくぶりに御殿場の秩父宮記念公園へ行ってきた。

やはり、季節の切り替え時なのか、不如帰(ホトトギス)はほとんど散ってしまい種になりかけ、咲いていたの秋明菊やダリアなど園芸品種が主だった。

その後、休日混雑が少ないところへと思い、富士の須走口へ向かったが、山中湖道路で渋滞にはまり、ようやく須走口から走れるようになった。ところが途中から腰に籠をぶら下げた人を多数みる。茸取りらしい。

こんなに沢山、それも素人衆が何なんだろうと首をかしげながら、終点の駐車場から山小屋に着くと、素人衆が採ってきた茸を、えり分けている人がいた。

えり分けているのはボランテイァなのか報酬を取っているのかチラッと見ただけなので分からなかった。

着いた時刻が丁度昼。店先にあった”きのこ弁当”を購入し食べてみたが、きのこは養殖物のうえ御飯はいわゆる山小屋風。つまり、いくぶんめっこ気味でなにか半分懐かしいような、と美味くないような気分を混ぜ合わせてで食べ、その後、弟と二人で小富士に行って来ようということになった。

この道は、林の中を縫ってほぼ水平に東へと向かうのだが、以前来たときにはいろんな道みたいなものが上下にあったので不思議に思っていた。

そのわけが、今回分かった。横道からあまり外れない範囲で何人もの人が茸狩りに入ってつけて道だったのだ。

茸を知らない人が、えり分けてくれる人がいるというだけで、こんなに沢山入っているのも始めて見た(飛騨では、コケ(きのこ)取り場は親子でも教えない)し、えり分けしている所ではまるで人任せで、憶えようともしていない。

まるで、現代社会の縮図を見る思いがした。

そんなことを思いながら、歩くこと20分ほどで植物を一切排除したガレ場に着き小高く盛り上がった所に、小富士の標識を見る。

この部分にだけ、植物が侵入できないのはなぜか。多分礫層に何か理由があると思うのだけれど、まだ聞いたことがない。

帰りは、近所の日帰り温泉に浸かって、ということで、裾野市のヘルシーパーク裾野”というところに寄ってみたがその途中御殿場市との市境一帯、大野原のススキは見事だった。

箱根仙石原なんか比較にならないほどの面積がススキの白い穂波で見る限り波打っている。隠れた名所だった、あまり人に知られて交通渋滞にならないよう願いたいものである。

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2006年9月20日 (水)

双子山から御殿庭(2,300m位)

Img_0078_1 八月初め、富士登山駅伝で大賑わいになる、富士 太郎坊の登山口も、朝八時を少し前にしたこの時間は、駐車している車がまばらにあるだけ。

朝起きてから、急に思い立った出発だったので、到着がこんな時間になってしまった。(写真上、フジアザミの蜜に誘われて孔雀蝶。この艶やかさはまた格別、学名をイオゲイシャというそうで、イオは美人の女神、ゲイシャは芸者をさすという。始めて見た)

右足、くるぶしの調子が今ひとつだったので、できるだけ高低差がすくなく、景色の良い山という基準で考えたら、最終的には富士山の寄生火山、双子山という結論になった。

支度をして、スコリア(粒の小さい火山砂礫)だらけの斜面に向かう。

「道なき道を踏み分けて、、」という文句があるが、ここの場合どこを歩いても良いくらい一面砂礫の斜面に先駆植物としてオンタデ、フジアザミなどが、点々と縞状の基地を作り、その後から唐松が追いかけて上る様子が教科書そのままに見える。

以前は四輪駆動車やモトクロス用オートバイで踏み荒らされていたが、いまは、立ち入り禁止のため轍の後は無い。かわって、2本駆動の足跡がそこいらじゅうにある。

斜面には、登山用の通路として、ロープが張られ、そこを添って歩く分には地面がしっかりと固まって歩きやすいので、ザクザクの斜面に付けられた足跡は、面白半分に荒らした人であると予想がつく。

斜面も少し上がると、人気が無くなり、無音の世界に入る。燕がやたらに多く飛び回っている。下にいるのと種類が違うのか少し大きく見える。(イワツバメ?)。

2~3日前に七十二候で「燕かえる」とあったのにと、思いながら登っていると、下のほうで”ドカン ドカン」と無粋な音がする。アメリカ軍が榴弾砲の訓練する音のようだ。

40分ほどかけて、山頂に到着、イザナギイザナミの命を祭る碑が建っているところで一休みの後、降って”御殿庭”の行けるところまでと西の方に向かう。

足のほうはここまでのところ順調である。

しかし、先年の台風でなぎ倒された栂の植林帯に入ったころから、上空に雲が入り、宝永山から上の視界が効かなくなったので「御殿庭上」を中に変えて覗くだけにして引き返してきた。

天気は、前半よく晴れ景色を堪能することが出来たが、花は御蓼(オンタデ)と富士薊、下のほうで野コンギクぐらいしか見えず、季節的には外れの方だった。

Img_0058_1 そのなかで、一番の景色は、双子山すぐ西から見た斜面で、赤い山頂、中ほどから下の黒い礫そしてすそに当たる部分を緑や黄ばんだ草の島が点々と散らばっている様は、加賀友禅の着物を衣文掛に広げて見せているように見えて、しばしたたずんで眺めた時だった。

いま、夜の9時、足首が随分と腫れてきた。明日は少々痛くなるかナ。

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2006年8月27日 (日)

入笠山(1,995m)は人だかり

Img_0131 視界10m前後深い霧の中から突然対向のゴンドラが現れてすれ違い、瞬時に霧の中に音も無く消えていく。

前後左右上下まるで灰色の世界、下にときどき草地やむき出しの地山が見えるのと、前方に現れる対向ゴンドラとそれを支えるポストが現れガタガタと揺することで自分の乗っているゴンドラが上へ上がっているのが分かるくらい、静寂で一種浮遊状態とも言うべき不思議な感覚。

ここは、冬になるとスキー場になる”富士見パノラマリゾート”の山頂に向かうゴンドラの中である。

始めは、自動車で向かっていたのだが、中腹から上が濃い霧が撒いており、しばらく慎重に上がっていたものの、ますます濃くなる霧と初めての山道ということもあって、諦めて下に降り、ゴンドラで入笠湿原を目指すことにした。

不思議なもので、終点で降り立ったとたんに霧が薄れはじめ、薄日が差し出した。

標識に従って、唐松林を10分ほど、ほとんど上り下りなしで目指す入笠湿原に到着しする、あまりあっけないのと観光客の多さに、高い山に来たという実感が無い。

Img_0089  それでも、木道の周りは沢桔梗、松虫草、蝦夷竜胆、曙草など数々の花が咲き乱れ、標高1,775mの高かさを示している。

ここは、帰りにゆっくりと見ることにし、目的の入笠山に登ることにする。

入笠山と書いて「ニュウカサヤマ」と呼ぶそうだ、標高は1,995mともう少しで大台に乗るのだが、すぐ傍まで放牧場になっており、そのための道路もついていて、湿原から40分ほどで行ける山である。

そして、その便利さ、簡易さが受けてか格好な観光登山が出来る山として、簡単な装備ともいえない格好の人がバスガイドらしき人に連れられて来るは、来るは、で大賑わいを呈することもあるという。

山頂一帯は、踏み荒らされてか、地山まるだしの状態であったが、その周りはやはりお花畑が維持されていて、白山風露、山母子草、胡麻菜、野紺菊などを見る。

しかし、あまりに多くの人に呑まれ写真だけ写して早々に下山し、山小屋前の人気の少ないベンチで、ビールの祝杯とコンビニおにぎりで昼食をし、鳥兜と円葉岳蕗の多い道を引き返し、湿原に戻り約2時間ほどゆっくりと回ってきた。

今回は深い霧のため展望が利かず、花の時期としてもまた別の時期が良いそうなので再度別な方からチャレンジすることを期してゴンドラに戻った。

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2006年8月14日 (月)

霧の七千尺コース

Img_0017_1 長野群馬両県にまたがる浅間山の西側に”水の塔山2,202m””東籠の塔山2,227m””西籠の塔山2,212m”と三つの山がかたまっている。(6月浅間山に登ったおり、遠望した籠の塔三山、左中央が車坂峠)

自分もつい先ほど知った山の名前だったが、地元でもほとんど知られていない山であった。「明日籠の塔山に行っ