2021年1月11日 (月)

日本平から

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日本平から見た富士山、ここ三日ほどのはげしい風は五合目付近まで真っ白に積もらせていた雪を吹っ飛ばしたようで、夏場の富士山並みに地肌を露わにしていた。

日本観光百選に選ばれた昭和30年代は観光バスが全国から集まり盛況をきたしていたようだが次第次第に人の集まらない観光地になってしまった。

近年山頂に富士テラスという施設を作り二年ほどで百万人とか言っていたが昨日行った時には警備員が出て旗を振っていたが駐車場にまだ空きがあるいつもの状況と変わりはなかった。

コロナによる緊急事態宣言のせいかもしれないが人影はまばらと言ったところであった。

遠く北西方面には南アルプスの荒川岳近辺の山々は真っ白な雪に覆われているが、それより高い富士山が真っ黒というのも独立峰のなせる業か。

人間同様、トップは風当たりが、、、、、、、、

 

今日は成人の日である。

コロナ禍のなか、中止になったところをはじめ、各地でそれぞれいろんな方法で行ったそうだが、当の畑地を迎える若者の意見としては「成人式は一生に一度のものだからやりたい」とか「長い間会っていないので会って話がしたい」などが主な理由で成人式をやってほしいという意見を何度も放送していた。

根がひねくれものの自分としては、成人式なんて言うものは戦後になってからどこかの町で始めたのがきっかけとなて広がったもので、自分の成人式の時の写真を見ると男女とできるだけのいい服は着ているが、それはみんな自分があつらえたもので、女性で振り袖姿は一人もいなかったもんだ。

年々豪華な服装になったのはいつのころからだったろう。

たぶん昭和の末期高度背長を歌いだしたころからではなかっただろうか。

成人式後のどんちゃん騒ぎをみていると、とても成人とは思えないやからが多すぎる。

 

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2020年12月12日 (土)

赤い花

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ソバの花は白いというのは日本の常識だったが、ヒマラヤの奥地には赤い花のソバがあり、その名を高嶺ルビーというそうだ。

気象条件はたぶん日本より厳しいものと思うが、温かい静岡の地では逆に合わないのではないかと思っている。

この花も先月にも見ていたが、一昨日真富士の里に行った折もほとんど花を終われせていたなかで、かろうじて残していた花を映してきた。

花は赤いが、実のほうは日本古来のソバと同じような形をしており、一粒つまんで潰してみたところ中身は白かった。

と、いうことは食べたことが無いのでどんな味なのか分からないが、同じような味だとすると、収量などで優位性がなければ鑑賞用にしかならないような気がする。

 

今朝テレビで加藤茶夫婦が出演しているのを見た。

かなりの年の差夫婦として話題になったものだが結婚から10年が経過したとのことであった。

その間、かなりのバッシングや、怪我病気の連続で多難な10年だったようだが、、、、、、今が一番平穏な時期だと言っていた。

そして、夕方になってかなりの吐血をして病院に搬送されたというニュースを見た。

番組の中で、前にも大量の吐血があったと言っていたが、その時も生死の境まで行っていたとか、、、、

この収録は大分前にされてもののようだが、顔色は決して良いものではなかっただけに画面を見ていて「どうなのかなあ?」と思っていた。

歳から言えば、自分らより4~5歳若いのだが、売れっ子芸能人の不規則な生活 不養生がたたったものであることに違いない。

昭和の終わりから平成にかけてみんなを喜ばせてきただけに、若い嫁さんと平安な生活を楽しませてあげたいのだが、、、

 

 

 

 

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2020年12月 8日 (火)

干支の藁細工は中止

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いまでは島田市となったが旧金谷町大代で農家の人たちが翌年の干支を藁で作っていたのを思い出し行ってみることにした。

以前ここを訪れたのは四年前の今日で、鶏の大きな藁人形ならぬ藁鶏のつがいにひよ子であった。

大代川添いにどんどん登って行って、この辺だったがなと思うあたりには何にもないのでさらに半道登ると道も狭くなり、やはり行き過ぎたことに気が付く。

引き返して、この辺と思ったところまで来ると「今年はやめました」という小さな看板を目にした。

やはりこれもコロナに負けたか、、、なんて言いながら川根街道との交差点まで来て「ああ そういえばこのあたりに先月農産物を主にしたショッピングセンターが出来たとか言っていたな、、、」とといい、近くなので寄ってみることにした。

場所は、大井川鉄道門出駅の向かいと聞いていたので迷うことなく向かっていったが、”門出”という字を難しくデザイン下地だったので危うく見過ごすことになりそうだった。

場所的には新東名サービスエリアに近い場所だが、大井川鉄道すぐそばの場所とは言いながら、この駅の乗降客は普段わずかな数しかいないはずなんで「どうしてここに????」という感がまぬかれない。

駐車場からして小ぎれい、都会風と言った感じがしていたが、入ってみて農産物の直売店と言った感じが全くしない様子に????という疑問符が感じてしまった。

この先どう言う風に発展させていく構想なのか知らないが、「安くて新鮮なものを   」という感じがあまりしないのはどうなのかなと辛口に見てしまうのは僻目かな。

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2020年12月 3日 (木)

ぞっとしないかな

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ヨーロッパの城を見たことがあったが、その壁に鹿のはく製がいくつも飾られていたのを見たとき「あまり自分の趣味ではないなあ~」と感じたことがあった。

そのほか、博物館などで動物のはく製を見たときも毛の艶もなくなった動物に哀れさえ感じ、足早に通り過ぎたものだった。

そして、人間てものはかなり残酷だと思ったのは織田信長が裏切りの相手を許せずに、浅井長政の頭骸骨を盃代わりにして酒を注いで飲ませたという話であった。

日本の文化として死ねば仏という概念から、亡くなった凶悪犯に”さん”付けで呼んでいるなどの例を新聞やドラマで見ることがある。

今日、藁科川上流で見た鹿の角が付いた頭骸骨には驚いた。

最近鹿が増殖して、あちこちで農作物などに被害が出るようになったため駆除され、イノシシなどとともにジビエ肉として売られているのは聞いているが、この角付きの頭骸骨はこの先どうなるのだろうか。

ひょっとして、西洋の城に飾られていた鹿のはく製もこんな風にして作られているのだろうかなんて思ったが、、、、、、

自分の部屋に一皮むくとこんなものがあったとしたら    ぞっとしないかな??・

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2020年12月 1日 (火)

神のまにまに

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このたびは 幣もとりあえず手向け山

       もみじの錦 神のまにまに 菅家

新聞とテレビに踊らされて遠州一宮 小國神社へ行ってきた。

何年か前ここへ紅葉狩りに行った時は本当に奇麗だった。

今回もそんな期待で出かけてみた。

各地の紅葉は台風の被害ももなく、急に寒くなったことできれいだという報道もあって期待は倍増していたのだが、行ってみてすぐのモミジは葉が枯れたように縮んでいて枝ばかりが目立つような状態になっていたので遅かったのかな?って印象だった。

しかし、杉の巨木が並ぶ参道を過ぎて社前近くの鳥居のそばの小さな木が一本だけが花を添えたような赤さで立っていたのを見たときに菅原道真の歌がふいに浮かんだ。

小國神社の祭神は大国主命であり、大和朝廷に屈服し国譲りをした神と太宰府に流されて怨みを呑んで鬼神となった菅家の取り合わせ。

 

そういえば、小國神社のある森町は、まだコロナウイルスの感染者が出ていないようだが、これは心優しい大国主命御威光なんだろうか。

神前で二礼二拍手 コロナ感染除けの祈願をして帰る。

 

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2020年11月23日 (月)

閉じこもれず

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穏やかに晴れ上がった小春日の中家に閉じこもってはいられない気分になってしまう。

そんなこんなで安倍川筋を遡ってみたが、同じ気持ちを持つ人が多かったようで、自動車の列は普段に倍して続いているように見える。

途中にある道の駅”真富士の里”の駐車場は満杯で駐車区画以外にも沢山の車が止めてあったので、「こりゃだめだ」とばかりそこからUターンして帰ってきた。

 

かたくなに国会で否定したゴートゥキャンペーンも専門家会議の答申をうけて修正せざるを得なくなってしまった。

しかし、あくまでも継続したい政府は最終判断を各都道府県知事に丸投げし責任を回避しようとしている。

背景には、経済界にいい顔しようとしているのが見え見えなうえ休業補償などを極力避けようとしているとしか見えない。

「コロナの行く末は神のみぞ知る」と人が言っていたというに至っては指導力のかけらもないように見えてしまうのは安倍政権を引き継ぐとした現政権に批判的な気持ちを持つ自分の僻目か、、、、、

 

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2020年11月10日 (火)

ダイラボウから

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静岡市ダイラボウから見下ろした風景。

ダイラボウの標高は560mと少し、ここ7~8年ほど前から道路が舗装され、自動車で楽にあがれるようになった。

画面の一番うえ、雲がかかったところは伊豆半島の達磨山から南の稜線で、この尾根を越えて土肥や戸田の西海岸に至る道がある。

そして、手前の黒い山は日本平、その手前は静岡市街地となる。

目の下には、藁科川であり、そこにかかる自動車道は新東名で静岡サービスエリアはすぐ右側に見ることができる。

さいきん、このあたり一帯の杉の木を伐り倒したため、ここから飛び降りるスカイダイビングで賑わっていたが、コロナの影響か、それとも何か苦情でもあったのか今年は人影を見ていない。

とにかく最近足弱になった連れがすっきりしたいというので、天気の良い日を見計らって来てみた。

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2020年11月 7日 (土)

ヒヨドリジョウゴ

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今日は立冬。いよいよ今年の冬に突入したことになる。

空は曇りがちに終始し、うそ寒さを感じる風景ではあったが、案外日中の気温は高く家の中にいるよりも外の方があったかいと思ったのは、身体を動かしてためだったろうか。

 

池谷の山の畑の草刈りを行った。

夏の猛暑の時期はとても草刈りをする気にならなかっため、放っておいたところ草木が伸び放題に伸びてますます藪化して、これ以上放っておけない徐歌になった。

最近は、イノシシのねぐらにもなっていたようで、2ヵ所ほど土がえぐられ草が倒されている場所も見受けられた。

そんななかに、ヒヨドリジョウゴの実が真っ赤に熟れて、実の中身が見えるようになってしまっていた。

大きさは5㎟程度、一見おいしそうに見えるが毒があるという。

ヒヨドリジョウゴは鵯上戸と書き、ヒヨドリが好んで食べるところからつけられた名前だというが、自分流の解釈でいえば、冬になって餌がなくなったころ、ヒヨドリがこの実を仕方なく食べ、毒がまわってふらふらとしているところ酔っ払いに見立ててつけた名前ではないかと思っている。

いままでにこの実を食べているところを見たことが無いが、由比の蜜柑山でヒヨドリが地面に落ちて悶えているのを見たことがあり、その時は農薬にでも当たったのかと思っていたが、ひょっとするとこれかも知れないと思うようになった。

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2020年11月 6日 (金)

榑れ板葺きの屋根

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ひさしぶりに懐かしい屋根を見た。

藁科川を望む山の尾根すじにダイラボウというところがあるが、ここにある槫板葺き(クレイタブキ)の屋根を持つ小屋はもう二十年くらい前に建てられたもので、いままで何回も見ていたはずのものだったが気にはしていないため知らなかった。

榑れ板とは木を5~70センチくらい切って剥いだ板を檜皮葺きの屋根のように下から重ね合わせて葺いていくやり方で、飛騨や信州などの山家では普通に見られた屋根の葺きかたで、かの地では更にその上に石を載せて刳れが飛んでいくのを抑えた。

榑れ板は、栗の木など堅木が喜ばれたが、そのほかの家の端材や周りの木でつくるため、合掌造りのように萱を集める苦労もないし、瓦のように高価でもないため母屋以外の小屋などに使われた。

不思議なことには、スイスでもこの屋根を見かけたのだが雪の多いところでは世界共通の建て方だったのではないだろうか。

その刳れ板も次第にトタン屋根に代わり、今では雪国でもほとんど見かけることが無くなっている。

 

同じようなものだが、楢の木や栗の木を三尺に切って厚さ2cmほどに割ったものは鉱山で矢板と呼ばれる落石防止材に使ったが、これだけ長いと堅木でねじれの強い木だけに剥ぐのが難しかった。

自分の親父はこれが得意だったようで、従兄弟を連れて山に入っ作ったがなかなかこれを作れる人がいなかったので高く売れたと言っていた。

 

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2020年11月 1日 (日)

椰子の名前は

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用宗の広野公園にあるヤシの木に黄色い実がついていた。

何という名前のヤシなのかは知らないが、ごく低い木についていたので、手でつまんでみたが見かけによらず固い実であった。

実は、見かけた折にはナツメヤシという気でいたので、一つ味見をしてみようとおもっていた。

ナツメヤシは、輸入されたものしか食べたことが無かったのだが、見た目は普段見かける夏目の熟れすぎたものを砂糖でまぶしたような感じだったので、、、、、

姿かたちは似ていたのだがまだ熟すまで行っていないのか、それとも似て非なるものなのだろうか。

島崎藤村、伊良子岬のうち寄せられたヤシの話しから作ったといわれる椰子とは違うことは承知していたのだが。

 

今年のハローインはどこの都市も大したこともなく収まったようだ。

ハローインは北欧の収穫と悪魔払いの風習から欧米で広まったが、自分の感覚で仮想した子供たちが各家を周り呪文を唱えて菓子をもらうという行事だと聞いて、「日本でも似たような祭りがあちこちにあるなあ」と感じていた。

しかし、日本にハローインの行事がここ10年ほどの間に広まったのは、幼い子供が種の行事でなく大人になり損ねた若者のバカ騒ぎとしてひろまったようだ。

何事も仲間外れになるのが怖い、という最近の若年層の意識を巧みついた催しなのか、、、

 

デカンショ デカンショ で半年暮らす 

   後の半年ゃ寝て暮らす 

        ヨーイヨーイ デッカンショ

この歌のデカンショはデカルト カント シヨウペンハウエル という哲学者だと聞いたのだが、別な意味もあるそうで、、、、、、、、、

ただ、いまから60年ほど前自分らが20代前半のころ、いまから見れば”人生論”で青臭い話をしたことがあるが、いまの若い人は携帯電話片手に何しているのだろうか。

そういえば、テレビでハローインと満月が一緒になるのは43年ぶりとか言っていたが、何の意味があるのかわからなかった。

  

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