2018年11月 7日 (水)

立冬

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今日は立冬、暦の上ではもう冬になった。

昨夜来の雨も止んで自動車には露がいっぱい付いていたが空から雲が消えて青空が広がっている。

「久しぶりに、山梨に行って見ない?」って言われたので新東名の清水インターから芝川を抜けて富士宮へ、そして、鳴沢へ行くことにした。

行く途中に見えた富士山は文字通り、#頭を雲の上に出し、、、を地で言っているような雰囲気の淡い雲を身にまとい、山頂をたなびく雲をまといつかせるなど、日ごろ見慣れているものにとっても最近にない雰囲気のある姿をしていた。

今日の目的は、相変わらずしつっこく渋柿探し、、、、、、

途中は紅葉狩りもかねていたが、一本一本では丁度見ごろというのもあったが、山全体としてみると、まだ早いところと終わったところの両極端があって、その丁度真ん中、見ごろというのはなかった。

そして、渋柿もさわしたものはあるが干し柿にするようなものが見当たらず、今回も空振りといった状況で帰ってきた。

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2018年11月 4日 (日)

町中祭り

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干し柿にする材料を探すため森町に行ってきた。

森町は古来遠州の中心地だったようで、一宮が鎮座する町であったほか名刹も多く交通の要所として戦国時代には徳川と武田の戦が繰り返された場所でもあった。

ここなら、渋柿が出ているのではないかと目をつけて向かったのだが、あいにくとこの町は、岐阜県の富有柿に似た次郎柿の発祥地だけあって、車を走らせる道のあちこちには渋柿らしい柿が実をつけていても、道の駅には次郎柿以外の柿は一切無かった。

そして、この道の駅に行くすがらいくつもの祭礼幟が立っていたのとそれぞれ半被を着た人が歩いていた。

「今日は祭りなんだ」と思いながら見ていると、幟の種類がいろいろとあることに気づいた。

どうやら、各地の神社合同の祭りのようで町中が何処かのお宮さんに所属して盛り上げているのかな、、、、、

道の駅に行くすがら屋台が三台並んだお宮さんがあったのでそれを見ようとしたが、どうやら駐車場が無い様ですこしはなれた農道に駐車している車を多数見かけあきらめようとした。

しかし、気にはなったのですこし、通り過ぎた場所に車を止めて神社に向かうと神社の中では氏子の主だった人を集めて祈祷の最中だったが、よそ者の自分らにはなんだかよそよそしい感じが見られて長居は出来ない雰囲気があり早々に引き上げた。

帰る途中また別の屋台を何台か見たが最初の印象が悪く、、、、、

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2018年10月22日 (月)

海は広いな

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海は広いなおおっきいな 月が上るし日が沈む 

海にお舟を浮かばせて 行って見たいなよその国

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Img_0189そんな歌がふっと浮かぶような御前崎から見た富士山は、海に浮かんでいるようにも、空に溶け込もうとしているようにも見える。

先日の雪がなかなか溶けず残っているのは、その後強い風が吹かなかったを表している。

しかし、海岸には九月の台風で打ち上げられた砂が山盛りになっており、重機を入れて砂を片付けている。

いずれも、自然がなしたこと、われわれはじっと見つめていれば良い。

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2018年10月 4日 (木)

女郎蜘蛛

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秋になると山の畑に行く道すがら顔にべっチャッと張り付く嫌な感触がたびたび襲う。

蜘蛛の巣である。一番先頭を歩くものは、木の枝を折りとった物を振り回して歩かなければならない。

巣に引っかかった虫を捕らえる仕掛けだから、目立つはずも無いがこの時期になると直径 2 mほどにもなる大きな巣をかけるのは女郎蜘蛛である。

秋も終盤になると2cmほどにもなる大きな蜘蛛だが、今は成長盛りと見えてまだ半分ほどにしかなっていないが、早くもこの蜘蛛を嫁さんにしたいとそのまた半分くらいの雄が何匹か同じ巣に住み着いている。

雌の女郎蜘蛛は、少しでも大きくなって子孫を残すという本能から、何でもかんでも手当たり次第食べてしまうそうで、同居している雄も雌から見ると餌にしか見えないようで、雄は戦々恐々として構えている。

まるで、人間同様だが人間の場合食べられないだけでも良いのか、、、と、思ったら、そうでもないようだ。

いずれにしても男は哀れである。

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流行言葉とは、時期が来れば廃れるもので、後世に残る言葉はわずかである。と、思ってはいるが、今ではむかし人間になってしまった自分の耳にいやらしく付きまとう。

「千円からお預かりいたします」などの言葉は最近ではあまり耳にしなくなったが新しく「、「こちら何とかになります」というのが気になって仕様が無い。

「何とかになります」という言葉を「何とかでございます」とか「何とかです」と昔は言ったはずである。

食べ物屋などでよく耳にする「何とかと何とかでよかったでしょうか?」という言葉なども含めて一見の店だけで使っているのではないところを見ると、誰かがこんな言葉遣いを指導しているのだと思うが、、、、、、

果たして何らかの意図があるのかと考える昨今である。

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2018年9月29日 (土)

藪の北で

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お茶の花が咲き出した。

お茶所静岡では、放棄されたお茶畑が近年多くなって、藪のようになってしまったところなど到るところで花が咲いていて珍しいものではない。

ツバキの仲間だというだけあって、夏場が過ぎると白い花びらに雄しべを盛りだくさんにつけた差し渡し2センチほどの花を春まで次から次へと咲かせ続ける。

花の色は、白一色なのは園芸品種とならなかったためのようだが、いま日本のお茶の75%をひとつの品種が占めているそうだ。

それは、明治になって、清水の草薙の藪の影で見つかった「藪北」という品種で、寒さに強く、一番茶を早く収穫でき、収穫量が安定しているという、農家にとってまたとない品種であることからだという。

米も同様だが、農家に都合の良いものと、本当に美味しいものとは違う。

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普通、藪の影で育ったものはメジャーにはならないのだが、、、、

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2018年9月28日 (金)

長~い雲

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ひさしぶりに静岡と清水の境にある一本松に登った。

標高300とちょっと、そんなに高い山でもないが、そのむかしこの山の山頂に一本松があって、海上からの目安になっていたそうだ。

いまでは、その松があったという痕跡も分からず、無粋な電波反射板と農作業小屋らしきものががあって眺望を妨げている。

ただ、今日は頭上に雲も無く清水側の延長に真っ黒な富士山が浮かんでいた。

昨日だったか山頂にうっすらと積雪があったようで新聞に載っていたようだが、その気配も消えていた。

今日は五合目くらいから伊豆の上にかけて長い裳腰のような雲を長くたなびかせていたが、夕方までこの雲が切れずに残っていたのは、台風を前にして秋雨前線などが関係していたのだろうか。

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2018年9月13日 (木)

撮り鉄?

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鉄道ファンの中にはいろいろな分野があって、その中で写真をと写すファンを”撮り鉄”というそうだ。

自分は写真好きなのだが、そんなに鉄道に対して夢中になったことがないので、撮り鉄ではないと思っていたが、今日はそうでもなかったのかな?なんて、川原に座って考えていた。

静岡では金谷駅と千頭駅を結ぶ太井川鉄道が毎日蒸気機関車を走らせていて、弟の子供たちがそのむかしこの列車に乗るためだけに我が家を訪ねてきたことがある。

それは、さておき、久しぶりに金谷と千頭駅の中間くらいに当たる日帰り温泉へ来てみたがあまりにも混雑していて、駐車スペースもないので止めてほかにまわろうということになり引き返そうとしたが、昼時間も間近かだったので「食事くらいしよう」と食堂に入ったら、十二時に蒸気機関車が来るそうだからと聞いた。

「それじゃ~ 写真の一枚でも、、、」ということで撮影ポイントを探していたら鉄橋のそばの川原から写してみることにした。

ポスターなどには正面からのものが多いが、この場所からのは見たことがない。

と、川原に下りてみると、適当な風が吹いていて砂利の上に腰を下ろしていると昼食で膨らんだお腹のせいもあって眠くなりまどろんでしまう。

幸せってこんな感じ、予定時間が来たのに蒸気機関車の気配は無い。

しかし、腰を上げる気にはならない。結局三十分以上その場に居て汽笛を聞いた。

列車は何度も咆哮を上げ、鉄橋に差し掛かり瞬く間に渡っていった。

時間にして二分とはなかったような気がする。

そんなことのため、ひとつ処で長い間座り込んでいられるのは、”撮り鉄?”いや、もう再び生産されることのない蒸気機関車、滅び行くものに対する惜別の情?、、

どっちだろう。

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2018年8月 7日 (火)

七夕飾りは厄除け?

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笹の葉さらさら 軒端に揺れる、、、、

安倍川中流あたりでは、月遅れの七夕を祝うようで道の駅”真富士のさと”では七夕飾りが飾ってあった。

何時のころから丁度一ヶ月遅れになったかは知らないが、一般の七夕と違うのは短冊に願い事が書いてないように見受けたことである。

大人が作ったのでそうなったのかもしれないが、変わっているのは短冊に変わって紙垂れが幾つも付いていたことだった。

紙垂は”しで”と読み、時には四手などとも書かれているが、神を守る結界の意味もあることからこの屋敷を守ると言うことなんだろうか。

祇園祭が夏の疫病退治を祈願したように、このあたりでは七夕がその役目を負っているとしたら、、、、、

これは自分の勝手な解釈であるが、当たらずとも遠からんことと思っている。

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a山の畑の老人会合、みかんの木の下で今日もカンカンガクガクとどうでも良い話に熱中する。

今日の話題にひとつに「県立病院の女医さんはいいねぇ」と言うのが有った。

自分を含めて五人中三人が入院経験があり、いずれも担当医師が女医さんだったことも関係しているのかもしれない。

決してスケベ根性ばかりでないのは、話しをよく聞いてくれる。物腰が柔らかいなどであった。

いま、東京医大で入試問題で女性が減点され、合格が難しくなっている問題があり、ほかの大学でも同様なことが有るやに報道されているが、そうした中で合格し医師免許を手にしたとしたら、男性医師よりもよほど優秀な人だといわざるを得ないことになる。

ときとして、パソコンの画面ばかりを見て患者の顔さえ見ないような男性医師がいる中で、入院を経験したことのない二人は「わしも女医さんに当たりたい」と、、、、、。

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2018年8月 5日 (日)

朝顔

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Img_0021浅間神社へ大輪朝顔を見に行ってきた。

朝顔は名前のとおり昼ごろになれば萎れてしまう開花時間の少ない花なので、八時過ぎに境内に入ったのだが、もう少し沢山あるのかと想像していただけに、その鉢の数を見て少々がっかりしてしまった。

しかし、丹精してそだれられた人たちは、多分早起きをして、前日に咲いた花整えて展示しているんだろうと思うと、あまりけちをつけるわけには行かないような気にもさせられた。

とにかく、直径10センチ程度の大輪の花がわずかばかりの風も敏感にとらえて優雅に舞っていた。

帰りに近くのパン屋さんにより、その二階で食事をして、今日の日課は終わり。

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2018年8月 1日 (水)

大輪を咲かす

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Img_0048先日久しぶりに山百合の群落を見た。

あたり一面かぐわしい香りが漂っていたが、残念なことにはすこし遅かったようで萎んだ花もかなりあり、聞くところによると、ここしばらく降らない雨と暑さに負けてしまったのではないかとのこと、、、、、。

と言うことは、いつもならいまが花盛りって言うことらしいのだが、暑さに弱い自分をかえりみて同情を禁じえないものがある。

山百合は日本独特のものだと聞くが、直径20センチにもなる花の大きさは園芸品種に負けてはおらず、初めて咲くときは一輪で年を追うごとに増える花の数は大きなものになると十輪以上のものも見る。

この百合の根が美味しいので、子供のころよく掘ったものだがほかの植物の根などに邪魔されてなかなか球根まで掘り進めなかったのを覚えている。

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今年はスポーツ界の厄年と言うか、新しく生まれ変われるチャンスの年になるのかもしれない。

年初から大相撲の暴力問題に始まり、女子レスリングのパワハラ、そして日大アメフト部の騒ぎが収まらない中、今度は日本ボクシング連盟に騒ぎが起こっている。

選手個人の不祥事はこのほかにもあるが、根幹を成す団体上部の組織が個人支配と言うか一部の人の意向に利するだけのものになってしまっていることである。

この調子では、ほかのスポーツ団体でも同じようなボス支配のところが数多くありそうだと言うのは、上の言うことには逆らえないと言う日本独特の体質が残っている限り無数にありそうで、ワイドショーのおもちゃ箱になっている。

そして、不思議なことにいずれもがやくざのような服装と雰囲気を漂わしているのに気が小さい人ばかりのようで、記者会見など表に出るのが怖いのも共通している。

歳は自分らよりすこし低い年齢であるが、この世代の老害は政治家にも共通しているものがあり、なんだか日本の行く末が心配になる。

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