2020年3月12日 (木)

オオバライチゴ

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オオバライチ後の花があちこちとこぼれたように咲いている。

花の直径は2センチは越えているので、野生のイチゴとしては最大で4センチ程度までのかなり大きいイチゴが五月過ぎには実るであろう。

この花を見ると、今では成人した孫たちを連れていちご狩りをしたのはついこの間ことのだったように思い出される。

甘さは栽培されているものより控えめなうえ、種が固く舌に触るが、そのまま食べたりジャムにしたこともあったげな、、、、。

今日の暖かさでミツバチも交配の手伝いに来ていた。

 

今日も例によって、今月四回目の茶の木伐採。

先月まではつまった途切れたりでヘタな啼き声を出していた鶯も練習のかいあってか、かなり上手に囀り始めた。

ひょっとして、このあたりで巣を作りたいと思っていたのかもしれない。

そうなると、鶯の縄張りの木を伐採してしまうのは結構えげつないことかもしれない。

地主には聞いていないので、伐採した後どうなるのか知らないが、小遣い稼ぎが鶯など野性性動物いじめることにならないように、、、、、、

 

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2020年3月10日 (火)

地こすりの季節

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昨日に続いて今日も雨降りながら十六度と気温の高い日だった。

子供のころ今の時期は朝夕の気温の差が激しく、前の日があったかいと、夜気温が下がって雪の表面が凍り、輪かんじきやスキーでなくても足がめり込まなくなる(これを称して”ごぼらなくなる”といった)ので普段は藪などで歩けない場所でも好きなように走れた。

ただ、気をつけなくてはならないのは”地こすり”という雪崩も起きて国道筋ではトラックが川に持っていかれるという惨事さえあるほど強烈な雪崩が発生した。

向かいの山で谷筋を掘り起こしながら茶色くなって雪崩れる音は春の兆しでもあるが、見ていておっかないものがあった。

一般に雪崩のことを、飛騨では”のま”と言ったがこれは飲み込まれるという意味があったのかもしれない。

そして、地こすりに対して真冬に起きる表層雪崩を”アワ”といったが、これは急斜面にドカ雪が降ったとき起きる表層雪崩で、淡雪というと優しい感じだが、アワは猛スピードで流れ下るため時として数10kmにもなるため、もみの大木でさえ押し倒し直径15cmほどの枝を付け根からむしり取って丸太にしてしまうほどの威力を持っている。

暖冬で雪の少ない今年ではあるが、山では怖い季節を迎えているに違いない。

 

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2020年3月 5日 (木)

啓蟄

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咲き出した菜の花にモンシロチョウが戯れる。

今日は啓蟄、これから地面があったまってくるとほかの虫たちも花に群がり、花粉を仲介するに違いない。

 

昭和30年代、自分が働いていた鉱山の食堂では昼飯時になるとオイチョカブでにぎわっていた。

オイチョカブとはいま、ゲーム機器で名をはせている任天堂が出していた花札を使って行うゲームで、しばしばお金をかけて行うものもあったが、小さな食堂で行われたオイチョカブはたばこをバラにして行う他愛もないものであった。

親を決めるとそれぞれに札を配り、9に近い数字を作るもので最初は一枚づつ配り、二枚目で子が判断し三枚目を要求するかどうかを決め、同じように自分の札をひいた親と数字の多いほうが勝ちとなりたばこを取り合うというものであった。

ただ、親は二枚目で勝負する相手を決めることができ、危ういと思うものにはもう一枚引いて勝負することができた。

そのほかに、シッピンクッピンは親の総どりとかアラシは親もだが子も作れば勝ちとなるなどの特殊ルールもあった。

花札には絵柄などから特殊な呼び名があり、0はブタ 1はピン 2はニゾウ 3はサンタ 4はシホウ 5はゴケ 以下ロッポウ シチケン ハッポウ カブとつづき、シッピン クッピンは4と1 9と1を言い、アラシは同じ札3枚をそろえた時でシッピンクッピンに比べるとなかなか難しかった。

このようにして親には有利な仕組みだが、親の札が0 すなわちブタになった場合などは賭けたばこをすべてに払わなければならないので、始める前には2~3箱は用意しなければならなかった。

そんなこんなで何回も同元を務めたが、わりあい勝ち運が強くて一時は大きな袋に賭けたばこを持っていて上部一の大親分なんて言われた時もあった。

蛇足として、ピンからキリまでというのは花札の絵柄一月が松なのと十二月が桐ということからつけられたものである。

そのほかにも”思案ロッポウ”というのは最初の二枚を合わせた数字の一桁が6になったとき、もう一枚要求するかどうか迷うときに使うのだが、任天堂がゲーム機器会社になった今では死語になり、再び出てくることなないんだろうな。

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2020年3月 2日 (月)

ネコネコオンボ

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ネコヤナギの花が先端からつぼみを開かせ始めていた。

厚いコートの毛皮を脱ぎ捨て、もうこれから寒いとは言わせないというかのように薄い黄緑の穂をのぞかせる。

下の枝の穂は「大丈夫かな?」とでも言いたげに上を眺めて様子見をしている。

飛騨では、この時期のネコヤナギを”ネコネコオンボ”と言って子供のおもちゃにしていた。

とうぜん、この名前は日本中の共通語だと思っていたらそうではないと、飛騨言葉を紹介している「佐七」という人の多分同年代か少し上の人の解説に載っていた。

そして、ネコネコオンボは木の枝に抱かれた猫からきているのではないかとあった。

しかし、自分の小さなころからの思い出としては、猫のしっぽという解釈で過ごしてきたので、、、、

飛騨では今年は特に雪の少ない年だったそうで、積雪もすくなかったようだが、思い出すのは雪に押さえつけられた木の枝がもう少しすると雪をビシッとはねのけて雪の上に小さな花芽をつけた猫柳を思い出してしまう。

まるで、江戸時代、権力に押さえつけられた飛騨の百姓一揆のど根性のような感じがして、、、、。

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2019年9月 5日 (木)

サボテンの花

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今年最後のサボテンの花が散った。

もう十年余前になるが、知り合いの九十翁の家にあったものをもらってきた。

いわば形見といったところのサボテンだった。

土が合わなかったのか、その後長らく成長もしないでいたのを、三年前に日当たりの一番強い場所に移したらすくすく伸び四mほどになった今年初めて花を咲かせた。

みれば、その前からある月下美人の花ともよく似ていて、サボテンの花というのはこういうのが多いのかなって感じがする。

 

昭和五十年だったと思うが、ペルーから帰ってきたとき、「一つ屋根の下」と言う青春ドラマあって、その主題歌に”サボテンの花”と言う歌が流行していた。     とおもっているが、、、、、思い違いでなければ、

ドラマも見ないで、そのドラマの題名から、全然場違いながら鉱山社宅のハモニカ長屋を連想し、そこにまつわる青春の一頁、、、、、、、、

従業員の独身寮をからみる先輩の娘さんたちはいずれも美人ぞろい、目がくらんでロクに口が利けなかったのはバンからを気取る時代だったのか、男しかいない学校のためか、、、、

寮の上を通る番屋坂から女子中学生にさえひやかされる始末。

あれからうん十年、あの娘達も今では後期高齢者になっているのだが、記憶の中ではいつまでも いつまでも

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2019年7月11日 (木)

釣瓶橋考

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#殿の若い衆に 吉田の小町

    なんで釣瓶に 橋かけぬ 

                はしぃ~かけ~ぬ

船津の盆踊りに歌われるひと節だが、若いころ夏になるとふんどし一丁で釣瓶の橋の下の深みによく傍の岩からどぼしこんだ(飛び込んだ)り、川を流れ下って下流の八幡地獄あたり川から上がり、十六切から戻ったことがあるがくたびれてやっとこさの思いをしたことを思い出す。

そのむかし、飛騨の神岡と言われる前 このあたりは麻生野村と呼ばれていたころ、この水面から50m(もっと低かったかも?)ほど高いところに藤で編んだ危なっかしい橋が架かってはいたそうだが、この歌詞は橋がないと歌っているので、それ以前のものだとすると、、、、、、、

昭和30年代初めには、当然藤蔓の橋はなくなっており、狭いながらワイヤーで張った釣り橋がかけられており自動車は少なかったかのか通っていなかったような気がする。

ただ、年長者が言うには橋から川まで直接飛び込むものもいたやに聞いているが、自分が川遊びするころはとてもとてもと言った感じになっていたし、当然、両岸に住む殿村の若い衆と吉田村の小町は充分に行き来できた。

六月七日早朝散歩がてらに釣瓶橋の欄干越しむかし遊んだ淵を眺めてきた。

川の様子はむかしと変わらず、梅雨時なのに濁りもなく青々と流れており、今日見た安倍川のねずみ色に濁った安倍川とは印象が全然違う。

 

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2019年6月 3日 (月)

山法師の花

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山法師の花が一列になって咲いていた。

これに長刀でも持たせたら、平安時代の叡山の荒法師さながらに白川上皇まで嘆かせた法師となろう。

街路樹の花水木とはよく似ているが、みのできる時期と形がまるで違う。

しかし、子供のころこの木の実を”いつき”と呼んだのは大人の誰かが水木だといったことによるのかもしれない。

七月の終わりころ、梅雨明けと夏休みが始まるころ、この木の実が赤く熟れると、何をおいても山に行き底なしの腹を少しでもいっぱいにしようと食べ漁ったものだった。

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2019年5月29日 (水)

双六谷

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「うん、たしかここだったよな」そこは、五十年ほど前と変わらぬ姿を残していた。

秘境の中の秘境と言った感じの双六谷の青く澄み切った淀みは深さ5mほどもあっても水底まですっきりと見える。

奥飛騨の霊峰笠が岳(2,869m)を源にもつ双六谷は、上流に人が住んでいないこともあって高原川と合流するまでその清らかさを失うことが無い。

広大な流域面積を持っているため、いざ雨が降り出すと水かさは急激に上昇し釣り人などが遭難したこともよく耳にしたくらいの暴れ谷でもある。

ここに、自分と弟、妹などの家族を連れて水遊びに来て、写真手前の飛び出した岩の上から飛び込んだり、甲羅干しをして楽しんだものだった。

水は、真夏でも冷たく泳ぐ泳ぐと言ってもすぐに冷え込んでしまうためと魚釣りなど水遊びが主であった。

今回ここを通ったのは、山の村に上がる栃洞からの道路が工事で五月いっぱい通行止めになっていたため、金木戸周りの道を使うしかなかったためである。

おかげで、普段は一番奥にある山吹峠が玄関口になってしまった。

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双六川沿いの金木戸集落はそのむかし小学校などもあって、図書室だったかに八寸(25cm)の岩魚を飲み込んだ尺二寸余(40cm)の鼻曲がり大岩魚が飲みきれずともに死んでしまった標本があったのだが、学校ともども何処かへ消えてしまったようで、学校跡地はきれいさっぱり何もなくなっていた。

ただ、校庭の隅にあった「鈴虫水車」のみを残して、、、、、

人の歴史は、簡単に変わり現況をとどめないが、あの暴れ川が流れる双六谷はいまも尚、五十年余も前の姿を残している。

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2019年5月13日 (月)

桑の実

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ヤマグワの実が黒く色付いてきていたので、つまんで食べてみた。

ほのかに甘く懐かしい味である。

子供のころおばあさんの家の前にあったので、登って摘まんで食べていると、その家の上にあった小学校の生徒たちが「食べるな~」って言いながら石を投げつけてきた。

どうも、その学校では何か食中毒か木から落ちるなどの事故でもあったらしく生徒に「桑の実を採るな」と言うようなことがあったらしく、桑の木も無く当然禁止されていな隣の学校の子供が桑の実を食べているのにうらやましく感じたのか、事故のことを教えたかったのか、、、、

あのころの子供は、すぐに石を投げるのが常道だったように思う。

当時おばあさんの家は、蚕を飼っていたので桑の木が幾本もあったし、写真のような山桑ではないのでもっと粒が大きかったので沢山食べたためばかりでないのだが、摘んだ手はもちろん口の中を紫色に染めていい訳のできない証拠を残した。

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そういえば昭和30年代、鍬野みゆきって言う女優さんがいた、いかにも日本風な顔立ちで、、、、、あんなタイプ好きだったなあ、、、、、いまどうしているんだろう。

おばあちゃんになって「見る影も無い」なんてことにはならないと思っているが

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2019年1月20日 (日)

ねっその花

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なんともお粗末な花びらながら人気があるのは名前からか。

マンサクを飛騨では”ねっその木”という。

雪がとけると、山のあちこちに黄色い花が見られ、春一番に咲く花として知られているがそれよりなにより、この木の粘り強さから、春祭りの幟を台木にしっかりとくくりつける気として使われるからである。

ぐりぐりと二回ほど巻いて梃子棒でねじるのだが、普通の木だと千切れてしまうのだが、高さ5mほどの幟がびくともしないようになる。

合掌造りの木組みもこれを利用するくらい丈夫な潅木である。

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十年ほど前、富士山に登った折、頂上から少し下がった地点で十人ほどの人に囲まれたお年寄りがいた。

そばに近寄るとお年寄りの周りにいた人は、親類縁者のようで「100歳のおじいさんの登山だ」と言っていた。

その賑やかさは並みのものではなかったしおじいさんは神輿のように祭られて登って行った。

また、テレビで御嶽山の頂上にある神社の宮司だと紹介されていたように思ったが高齢の神官が強力に背負われて登って行く放送を見た。

そして、今日の新聞には元スキーヤーとして名をはせた三浦雄一郎氏が南米の最高峰アコンカグアに登るためヘリコプターで標高6,000m地点までいったそうだ。

確かこの人、八十歳の折エベレスト登ったそうだが、周りに担ぎ上げられるようにして登頂したとか、、、、、

さすが有名人は違う富士山の百歳翁は親類縁者だし、御嶽山の神官は強力の日当で済んだが、が以外へ行ってヘリコプターで頂上近くまで行くんじゃ並大抵な費用ではいけるものじゃないだろう。

どこから、こんなお金を工面したのか知りたいものだが、何か採算が合うから出したはずの勧進元はわからない。

弁慶並みに勧進帳を読んでみてほしいものというのは、ひねくれものの僻みである。

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一月二十一日の報道によると、三浦氏はドクターストップによって登頂をやめたとのことであった。

医者まで同行して行っていたのか、まさに、大名旅行然とした登山だったわけで身体の調子くらい前もって分かっていたとすると一帯なんだったのか。ってことになる。

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