2017年5月25日 (木)

左肺まっしろ

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肺炎と診断され、即入院から十日間本日ようやく仮釈放された。

これまで怪我で病院に入ったことがあるが、内臓の病気で入院というか障害で医者にかかったのは初めてといっていいくらいである。(疑われたこともあったがすべて異常なしできた)

それだけに、見舞いに来た人たちには「この次は死ぬときなので、今回は病院と言うとこは、どんなとこなのか、体験入院をしているんだ」といって顰蹙を買ってしまった。

土日が休みの上、土曜のレントゲン写真では素人目には分からないくらいの症状だったが、土曜の夜にわかに悪寒と呼吸困難で救急車を呼ぼうかという寸前まで行ったが、遠い病院に連れて行かれたは困ると言う観点から我慢をした。

月曜日、かかりつけ医の紹介状を持ってすぐそばの県立総合病院にいくと、”即入院”と言われ、家がそばだから支度してくると言う願いも聞き入れられず、呼吸器病棟に入れられ、血の検査だといって十数本分抜かれ、やれ、MRだのなんだの、、、、、、、と

結局その日、ベットに入ったのは受付の来てから五時間後であった。

その日の一番早く写したレントゲン写真が上の一枚。

左肺の一部が黒いもののその七割かたは水で真っ白という状況であった。

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2017年5月 9日 (火)

あしたは同級会

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いま住んでいた場所の地下深くに稼動しているカミオカンデ

自分の育ったところは元の山林に帰っているそうな。

ここを離れて六十五年、以来何回か帰ってはいたが、最後に訪れたのは、この場所から全ての人が退去する昭和五十年の式典だったと思う。

その場所は尾根の向こうが富山県と言う鉱山社宅だけが山肌のくっついているようなところであり、そのすこし東側に”池の山”という、鉛亜鉛を大量に含む大津山というところであった。

いまでは、この無住の土地の下に、カミオカンデとスーパーカミオカンデが建設され宇宙と向き合っていることでのみ名をはせている。

すぐ隣にある栃洞鉱山とならんで、三井金属の屋台を担ってきたが、世界の鉱山を相手にするには採算が合わず、鉱石の採掘をやめたのは平成八年。

明日はその学校を昭和30年に卒業したものの同級会である。

すべてが鉱山勤務者の子供ばかりの二十四名。

しかし、鉱山社宅の移転で学校はなくなり、全国から集まってきた鉱山労働者も定年とともにばらばらと散ってしまったいま、同級会を開く場所がなく、毎回あちこちを転転として行なうしかなくなった。

狭い地区に建つ学校のためずーっと一緒にやってきたため、互いの家庭状況まで知り合った仲間は今でも会えば一気に子供のころに帰る。

そして、人生を積み重ね七十八歳になったいま、すでに他界したものが六名、身体の調子が悪いもの、連れ合いの介護をしなければならないものなどがいて、出席できるものは四分の一の六名となってしまった。

その出席者も無理して来るものもあって、、、、、、、、寂しい限り

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2017年5月 3日 (水)

飛び道具とは卑怯なり

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イペーの花が黄色く揺らめいているような感じで咲いていた。

ブラジルの国花だそうで、葉のない枝の先で四方に向かってラッパ状に広がっているさまはいかにも南国と言う感じがするが、原産地でも葉が落ちてこんな感じの咲き方をするんだろうか。

むかし、沖縄に持ち帰った花が咲いていると聞いたことがあるが、静岡でこの花を見かけたのは、10年とは経っていないような気がする。

揚羽蝶のナガサキアゲハと言う種類が、次第に北上しているように、この花も温暖化で北上したのか、登山の高度順応のように沖縄で寒さ慣らしをしてきたのだろうか、、、、

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そのむかし「飛び道具とは卑怯なり」というせりふをきいた覚えがある。

自分の周りの誰でもがこの言葉を知っているところをみると、かなり有名なせりふのようだ。

刀同士の闘いのつもりが、横から鉄砲でいきなり撃たれて死ぬんでは面白みがないということか。

では、いつのころの言葉ができたのだろうか。多分江戸時代、怪我をしないようにと竹刀でバタバタ叩き合うようになり、なんでも「礼に始まって礼に終わる」という武術が”武道”と言う言葉になってからではないだろうか。

飛び道具の最たるもの鉄砲は、「これから撃ちます」とは決して言わないことから、ルール違反とみなしたのかもしれないが実際の闘いからはかなりずれた言葉である。

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いま、アメリカと北朝鮮の脅かしあいを見ていると、なんだか西部劇の一シーンを見ているような気がする。

相手に腰のピストルを抜かせようとお互いにののしりあい、先に手をかけるのを待っているような気がする。

その後ろの物陰から首だけ出して、けしかけている鍛冶屋のおっさんみたいな道化役が安倍首相の役割。

今日は、憲法発布の記念日。いろんな矛盾があり、なし崩しに崩されてきているが、鍛冶屋のおっさんにだけはこれを弄くってもらいたくない。

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2017年4月28日 (金)

妄想は脈略もなく

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高い梢の先に桐の花が咲いていた。

高すぎて肉眼ではしかと見定められないが、子供のころから良く見た花なので花の形は良く知っている。

昔は、女の子が生まれると桐の木を植え、嫁入りするときにこの木を切って箪笥にするといわれていた。

桐の木は軽くて、水が滲みにくいうえ防虫効果があるところから中に入れた衣装が痛みにくいといわれて来た。

しかし、老木になると娘がいつまでも嫁に行かない印しとなるため、、、、、

このほかにも、桐の木は鳳凰が止まり木にする木だと言うことで、むかしから、この木をかたどった紋章は皇室が使い、いまは、内閣府が使い、パスポートなどにも使われる特別な紋章として知られている。

その一方で、家紋がわからないと言うと桐の紋は無難ですよと薦められるそうだから、庶民的なのかなと思ったりもする。

五三の桐、五七の桐という紋が多いが、日本では陰の数字が好まれるのはどうしてなんだろうか、、、、

きょうも、妄想は脈略もなく、そして、果てることなく飛んでいく。

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2017年4月26日 (水)

これで止めました

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庭のオダマキ、繁殖力がかなり強いようで、あちこちから芽を吹き、いま花盛りを迎えている。

長野から持ってきた一つまみの根っこで、移植できるかどうかなと思っていた。

普通は青が主体の花びらだが、この花は見てのとおり淡い紫と言うかピンクがかっている。

この花を、したから覗いてみると、太陽光線をを通して艶かしくみえる。

人間には絶対出来ないことだが、花が下向きに咲いていることからであり、上向きに咲くスカシユリなどならなんてことはない。

ちなみに花言葉は、”おろかもの”と言うことだそうで、艶かしい感じがするというのは、、、、、、、、、

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きょう、問題発言を多発した今村雅弘復興大臣が辞めさせられた。

そこで、思わず三十数年前に流行ったコマーシャルの文句を思い出してしまった

中年のおっさんが小指を立てて「私はこれで会社を辞めました」ってのを、、、、

この言葉がそっくり当てはまるのが中川政務官だが、彼の場合、口に両手を当てたポーズがあてはまりそう。

国会議員といえば、言葉だけで商売する人なんだから、もっと言動に気を使わなければならないはずであり、その中でも大臣ともなればもっと細心の注意をして話さなければならない人であろう。

安倍首相は、任命責任があるとは口にするが、ではどのように、その責任を取っていくのか、、、ただ首を挿げ替えればすむことではないはずである。

そして、一番驚いたのは公明党幹事長と自民党幹事長が、今村氏を許せないと一致した。とあったことで、まるで他人事で済ませていたことであった。

そして、つくづく思うのはこの大臣のみならず、閣僚すべてが劣化しているんでは無いかということに尽きるような気がしてならない。

国会議員はその国の民度を表すというのを聞いたことがあるが、そうなると、自分が大臣を嘲るその裏で同じレベルであることを自覚しなければならないのだが、、、、。

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2017年4月24日 (月)

ちっちゃな花

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柔らかな萌黄色の紅葉の葉っぱの先に花が咲いている。

意識しなければ見えないくらい小さな花だが、五枚の花びらと何本かのおしべが見える。

こんな小さな花も受粉すれば、大きなプロペラーのような実に成って親元を離れるのだが、、、、、、、

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プロの将棋の世界にいま話題の新人が誕生している。

年齢は14歳だと言うから、二十一世紀になってからの生まれである。

この新人話題になったのは、若さゆえのせいもあるが、昨日羽生元名人に勝って負けなしの十四連勝していることにある。

「こうなると興味は、いつ誰に負けるのだろうか」ということになるが、この若さで、インタビューの受け答えが実に落ち着いていて、そんじょそこらの大人顔負けの受け答えをしていることにもある。

今まで若くして、頂点に上り詰めた人も多いが、どこかでスランプに見舞われることも多い。

以前にも、ハンカチ王子だのハニカミ王子だのと名付けられ、マスコミに持ち上げられてコマーシャルに起用されて、、、、

その後なんだか普通のプロになってしまう。

どうか、そんなことに惑わされないで、頂点に立ってもらいたいものである。

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2017年4月17日 (月)

踏まれてこそ雑草

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先月連れ合いが、どこからかルピナスの鉢植えを貰ってきた。

そのとき、寒さに弱いので霜にあわない場所に置いて、といわれて濡れ縁の下にしまっておいたところ、花穂が萎れて危うく駄目にしそうになった。

慌てて路地に出し、如雨露で水をかけたところ、手当てが早かったと見え元気を取り戻し、今日も激しく降る雨の中、葉っぱに水玉を乗っけて元気にそだっている。

ルピナスは中南米も原産地であり、花の付きようが藤の花をさかさまにした感じから日本名は上り藤ともよばれている。

Img_0012四十年余前になるが、アンデスの標高4,000mを越える仕事場の近くで見たことがある。

多分原種のひとつであり、これを改良?して園芸種になったもののひとつであると言うことは、花や葉の形がそっくりであることからも分かる。

ただ、大きな違いは、南緯九度とほぼ赤道直下ではあるが、標高4,600mには氷河もあり、現場では雨季になれば、雪やあられ、霜さえ降りることがある土地柄であった。

そんな中で、ルピナスはほかの草たちに混じって花を咲かせていた。

つまり、原種は寒さには強い草花である。

.アンデス4,000mで見たルピナス。雪の中に咲く花

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春も本番、草木の芽も一斉に息吹の季節を迎えているが、庭や畑の雑草も勢いを増してきたため、連日のように雑草抜きに精を出している。

この雑草抜きをしながら思うのは、雑草と言うものは「踏まれてこそ本当の雑草ではないだろうか」ということ。

以前プロ野球で”草魂”をキャッチフレーズにしたピッチャーがいたが、庭の雑草も人が踏まない場所はごく簡単に根っこから抜けてしまい、はかが行くのだが、硬くしまった場所では、根っこが必ず残り、何日かするとまた草だらけになってしまうしぶとさがある。

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2017年4月15日 (土)

善か悪か

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護国神社の鬱金桜が満開だと新聞が報じていたので、買い物のついでによって見た。

以前は、このあたりまでが散歩コースに入っていたので、ちょいちょい寄ってはいたのだが、一昨年あたりからなまくらになって散歩時間が短くなり、当然ここまで来ることはなくなっていた。

そして、今日も買い物のついでと言いながら、自動車で行くことにした。

行って見ると確かに満開ではあったが、自分同様くたびれてしまったのか花の付きかたがすくなく、花の付かない枯れた枝があり、木の根元も腐りが入っていた。

この調子では、自分同様あと何年かの寿命と見てとられ、、、、、ご苦労さんと幹に手を当ててきた。

鬱金とはハーブの一種ターメリックで染めた色合いを言うが、この花の淡い黄緑色と黄色みの強いウコン色との関係は結びつかない。

そうなると、自分の思い違いかウコンの葉っぱなどどこかにこんな色があるのだろうか。

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仕事で初めて海外に出かけたとき、現地で注意されたのは「世界では、物を盗むものも悪いが、盗みたくなるような環境を作るほうがもっと悪い。ということを念頭においてください」ということだった。

つまり、盗まれて困るものはそれなりの鍵をかけるとか、肌身離さず持っておけということであり、玄関のドアもたやすくは開けないこと、、、。

また、自分が経験した店では、買いたいものを注文すると売り子がレジに持って行き、レジで経営者と思しき人が品物と引き換えに現金を受け取る、、、つまり、売り子を信用していないそぶりさえ見られるな、日本の常識では計り知れないものがあった。

中国では、孟子の性善説と荀子の性悪説が闘われて来た。

人は根が善であるが世の流れに染まって嘘をついたり、盗みを働くものである。それに対して性悪説は生まれながらにして悪い根性を持った人間を教育で正しい人に育て上げると言うものであり、日本ではどちらかと言うと性善説を取りたがり、森友学園のように教育者はごまかさないと言う前提に立った、と言い訳している。

よく、海外で何か事が起きると、商店街を襲ったりして略奪が起きるというが、貧富の格差が大きくて日ごろから鬱憤をためていることもあるだろうが、宗教的事情もあるのかなんて思うこともある。

つまり、キリスト教やイスラム教のように一神教の世界では、他の宗教はもとより、宗派が違うだけで殺人や戦争にまで発展する。

日本でも近年、性善説を覆すような事件が多発している。

ベトナム人小学生が保護者会の会長に殺害されたのではないかと言う報道を聞くと、誰も信用できない世の中になってきた。

これも日本が欧米化したことの証明なんだとしたら残念である。

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2017年4月12日 (水)

集団の力

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芝桜の花も満開を迎え、地面を明るく彩っている。

一つ一つではたいしたことも無い花だが、地面一杯に広がると、集団の力といったものを感じさせる。

昨日までの雨にも耐えて咲いているのだが、まるで「そんなこと無かったでしょう」と、言いたげに見えるのは、地面一面を覆って土が流れたような形跡も見させないところにある。

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四月に入ってツバメを見たと思ったら、ウグイスの初音も聞いた。上手に鳴いているところを見ると、かなり前から練習をしていたことになり、ケキョケキョケキョと谷渡りと言われる囀りさえ聞こえてくれば、巣造りの準備に入っているのかもしれない。

先日動物園のチンパンジーを写していたテレビを見ていたら、チンパンジーの子育ては本能によるものでなく、親から学習して憶えるものだといっていた。

たしかに、親が子育てを放棄したため、係りの人が家に連れ帰って授乳から離乳食まで世話をして成長させる話しを聞く。

白熊なんかもあったなぁ、、、。

それに反して、鳥たちはカナリアや文鳥のように人に飼われて何世代も立つのに子育てを忘れない。

この差は何処にあるのだろうか。

スズメからトンビまで野鳥の世界において、子育ては本能でしているようにしか見えないけれど、どうなんだろう?。

短命な鳥の場合、巣造りは習わないはずだし、自分の食事に優先して雛に餌を与えたいと言う気持ちが何処から来るのだろうか、、、、、

aそういえば、鳥の中にホトトギスなど計画的に育児放棄をしているのがいるが、これも、本能のひとつだとすると、これを考え付いた最初の鳥はどんな鳥だったのだろうか。

これまたおもしろい。

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2017年4月 7日 (金)

首筋が冷えて

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そのむかし、日本人のちょん髷頭を見た外国人はかなり驚いたようで、頭にピストルを載せているようだといっていたとか、、、

それに比べると、女性の文金島田はかの国の女性たちも高く結い上げた髪をしていたためそれほどでもなかったようだ。

いつのころからちょん髷が、男の髪型になったのか知らないが、平安時代末期の公家なども、髪の毛を束ねて縛っていたところを見ると、一般の人も結い上げたのはその近くであったとすれば、数百年変わらぬ髪型で通したことになる。

明治になってちょん髷が禁止になり散切り頭になったあと、戦後いろんな髪型が流行し、黒髪を脱色しいろんな色に染めたり、アフロヘアなど奇抜な髪型が出てきたがそのたびにびっくりし、そのたびに拒絶反応を持ったのは、かなり保守的な部分が自分の中にあることに証明であろう。

そして、最近驚いているのが上記の写真の髪型。

頭の両脇を刈り上げているのは、本人の好みなんだろうけれどどうしてこんな髪形になったのだろうか。

この写真は数年前のものであり、最近ではさらに後頭部の髪を刈りあげているのは、髪の毛の下が熱を持って暑苦しいのだろうか。

何年もこのスタイルを続けているのは、ほかの人とは違うぞと言うことの誇示かもしれないが、その風貌に反して気の小さい面があるようで、国から出ることが出来ない上、身内のものも信用できないようである。

この人の親も国外に出るのを恐れていたようだが、自分の身を守るために原爆やロケットなどを開発しすぎたおかげで、国際的危険分子と見られて首筋が冷えているのは皮肉なことである。

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あした四月八日は潅仏会。

お釈迦様は、生まれてすぐに甘露をいただき、四歩歩いて「天上天下唯我独尊」とおっしゃったそうである。

最近では、自称お釈迦様みたいな人が増えているようだが、くれぐれもオシャカにならないように、、、、、、

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