2022年1月26日 (水)

ヤツデの花

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ヤツデの花が先日来の寒さの中で咲いている。

花と言っても地味な花で咲いているのかどうか定かではない。

よくよく近寄ってみると、玉状の青い部分はまだつぼみであり白くなった部分でようやく2㎜前後の小さな花が集団で咲いているのがわかる。

それにしても、なぜ一斉に開花して白くならないのだろうか。

名前の由来は、その葉っぱが手のひらを広げたような形の常緑樹で深く切れ込んだ葉は8~9枚に分かれているとこから名付けられたようだ。

 

ここ毎日のようにコロナの感染者が最高値をたたき出している。

静岡県でも1,400人台と小中学生をはじめ若い人が大半を占めているようだが、かかれば重症化するといわれる人に感染の主力が移ると深刻な状態になると心配されている。

しかし、人間おかしなもので毎日新聞に載っている感染者の数が静岡では静岡市と浜松市の間で抜きつ抜かれつと接戦を繰り返し、先日まで3人で静岡県で最低だった本川根町が30人越えとなっていると、なんだか相撲の星取表のように見えてしまった仕方がない。

周りを見ても親類や友達関係にまだ感染者がいないことがそうさせるのかもしれないが、不謹慎だと思いながらも、都道府県別では何位だとか、、、、、

 

 

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2022年1月25日 (火)

ハッとする

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晴れていさえすればいつでも富士山を見ることができる静岡でも時々ハッとするような姿を見ることができカメラを取りに家に帰る時があるが、たいていカメラを手にした時には姿が変わって平凡な姿に戻っていることが多いものである。

今日は午後になって晴れ上がったが、一昨夜来の雨で少しはげかけていた山頂が再度真っ白になって唱歌の歌詞のように、”頭を雲の上に出し、、、” 状態でなっていた。

 

子供のころ盛んに歌われた歌の中に、「真白き富士の嶺 緑の江の島 仰ぎ見るも いまは涙、、、」というのがあった。

昭和初期だったと思うが開成高校(?)の生徒が西風の強い海にボートで漕ぎ出し12人すべてが遭難死したことを悼んで歌われた歌で女性陣に特に人気が強かったように思う。

当時の男衆の中には、ただ可哀そうというだけでなく「金持ちのおぼっちゃんが天候を見る技術もないのに無茶な遊びをした結果、、、」という人もいたようで、自分も父親からそんな趣旨の話を聞いた覚えがある。

 

先日、今日は何の日という記事を見ていたら1月23日だったと書いてあるのを見て、今どきの太平洋沿岸は西風の一番強く冷たい時期になることから、、、、、、、、、

 

 

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2022年1月21日 (金)

春 遠からじ

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大寒から立春にかけてが一番寒い季節である。

この季節になると思い出すのが飛騨の山奥の学校では”寒休み”という独特の休みが一週間ほどあった。

夏休みを少なくしての振り替え休みだったので夏休みの時は恨めしかったが、それも今ほど情報が流れなかった時代だったのでよほどのことがないと他校がどうなのか知らずにいた。

寒休み以外にも、吹雪が激しく登校しにくいと判断された日の朝7時半には社宅の電球が三度点滅すると、登校しなくてもよいという合図だったので、そわそわと電球を眺めていたものであった。

そんな吹雪が過ぎた後、時折真っ青な青空が広がる時があり、木の枝についた樹氷が解けてパラパラと降り注ぐ感触はまた気持ちの良いものだった。

 

「冬来たりなば 春遠からじ」

今日は、山の畑のハッサクを収穫した。

本当は、二月半ば近くまでおいておきたかったのだが、先日来誰かが来て盗んでいくようで採りやすいところが疎らになって空が透けて見えるようになってしまったためである。

自分たちは、この畑に行っても午前中に帰ってしまうことを知っての犯行のようで、大粒のものばかり20㎏以上の被害である。

幸いハッサクは涼しいところに保管しておけば熟してくるし、いつまでも採らずにいると木に負担がかかるといわれているので約150kgほどを3人で分けて家に持ち帰った。

 

 

 

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2022年1月16日 (日)

ごく平凡な

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富士川の河川敷から見た新幹線と富士、一時間に上下合わせて10本以上は通過するため天気さえよければ何度でもシャッターチャンスはやってくるごく平凡な写真である。

朝早くとか夕間暮れで富士山に陽があったりとかは近隣の人かプロに任せるとして、今日のような写真は誰にでも写せてしまう。

 

午前二時を回ったころいきなり携帯が大きな音を立て”津波警報”を叫んでいたが、自身の気配もなかったし海からかなり奥まっているところなのでそのまま寝入ってしまった。

朝起きて「どんなんかなぁ」なんて思いながらテレビを入れると昨日南太平洋のトンガで海底火山が噴火した影響で日本に津波が押し寄せたとのことで、NHKなどは延々と同じ内容の放送をしていた。

そんな放送を何時間も聞かされると、さすがに嫌気がして自動車で少し遠出をしてしまった。

今年は新年早々、新型コロナウイルス騒動に津波が加わり大学入試を控えた受験生には難儀な年になってしまった。

今回の津波は地震とは関係がなかったことで、気象庁は津波の警報を見誤り真夜中の発令になってしまったことを弁明していたが、チリ沖地震の時もそうだったように障害物のないときは水面深く進行し防波堤や急に浅くなったのような場所で正体を現す津波を察知する感覚がなかったといえばそうなる。

「経験のない事案である」と一所懸命に弁明するほど機械に頼った予報の出し方、硬直した移行回路が透けて見えてしまったのは自分の根性悪のせい、、、、、、

 

 

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2022年1月15日 (土)

寒さ慣れ?

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そんなにでもないと思っていたが、昨夜も随分と冷え込んだようでヨモギの葉は白く縁取りされていた。

これって寒さ慣れをして、以前なら寒く感じていた気温でもそうでなくなったのかもしれない。

裏の畑で風よけの不織布を手入れし、少し鍬を扱っただけで帰ってくれば身体中ホカホカしていたが、この時期畑をかまうことができるのは暖国ならではのことであり、飛騨でなら屋根雪下ろしという”雪またじ”愚にもつかない仕事になる。

 

今日一月十五日はむかしなら成人の日であり、小正月でもあった。

暮れについた餅もほとんどを食い尽くし、前日に青年団が山から切り出して立てた高さ5mくらい杉の周りに正月飾りや、金銀赤の札が付いた書初めが周りを囲んで左義長の準備が整っていた。

時間になると、火がつけられた飾りなどが赤々と周りの雪を染め、長靴が買えなかった子供たちは親が作ってくれたズンベとこれまた藁で作った被り物で火を囲み囃し立てた。

何と言って囃したのか今では覚えがないが、早く餅を焼きたくて 焼きたくて、、、、、

 

 

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2022年1月 8日 (土)

雪が舞って

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昨日降った静岡市内の雪、静岡っ子を相当喜ばせたらしい。

今日の午後になって行った友達の奥さんが積もるまではいかなかったが雪の舞う姿を見て大騒ぎをしたと笑って言っていた。

なんでも二十一年ぶりだとか、、、、

静岡市南部のランドマークともいえる竜爪山は1,068mという高さを持っているが「この山に三度雪が降ると春が来る」前から言われている。

しかし、地球温暖化のせいか昨年は一度も白くなったのを見ていない、ふるさと飛騨では1,000mを越せばとっくに1m近くの積雪があるはずだが、幾重もの山脈にさえぎられて静岡には到達することはできていない。

なので、この写真のように高山でありながら、樹木の先端が少しばかり白くなった程度にしか降らない。

 

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写真は昭和29年の大津山社宅 軒下の雪は明り取りのため除雪している

 

いまでこそ、飛騨も雪の量が減っているようだが、昭和38年に標高800mの大津山鉱山社宅で積雪7m以上という記録がありほとんどの社宅が雪の下に消えてしまったことがあった。

積雪7mというのは山の斜面ではあったが、電柱と電柱の間の垂れ下がった電線が雪の表面を掃くように揺れていたと聞く。

そんな話をしても、静岡の人にとっては想像できる話しではないとのこと、旅行で行った白川村の雪が1mを超えていただけで驚いたそうだから、、、、

 

もう15年ほど前になるが、写真の竜爪山に連なるその奥に真富士山というのがあり標高は1,500m余の高さがある山に静岡の人と登ったが、その人も雪慣れしていなくてへっぴり腰で歩くものだから余計に足を取られて転び、自分の歩き方に感心すると言っていた。

しかし、それから遡ること10年ほど前東京に行った折やはり雪の降った後だったが人に踏み固められビル風で固く凍った道は今までに一番おっかない道だった。

東京ってのは地図で見るとかなり平らな都会だと思っていたのに実際に行ってみるとかなり凸凹していて、上り下りがある。

おまけに、お得意様のところに行くというので革靴で行って、、、、、、

だから、テレビで見て人が転ぶのを「ばかだな~ぁ」と笑う気がしなくなった。

 

 

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2022年1月 7日 (金)

銀色の道

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昨日の雪は麻機沼あたりでは数ミリの積雪となって遊歩道の上に積もっていた。

普段は真っ黒な塗料が塗ってある歩道も今日は真っ白に塗装されたように光っている。さしづめ”銀の道”といったところか。

しかし、塗装の薄い分だけ消え去るのも早く、太陽がこの歩道を照れし始めると10分ほどで化けの皮がはがれるように元に戻ってしまった。

それでも、静岡人にとっては珍しかったようで、「雪が降った!」と大騒ぎをしていた。

 

今日一月七日は七日正月、少し材料が足らなかったが七草粥で胃腸を整えるつもりだったが、結局は食欲に負けて、神棚と仏壇から降ろした小さな鏡餅を金槌で壊し、石油ストーブの上にのせて焼いて食った。

考えてみれば、自分たちの子供のころからの行事もかなり減ってしまった。

初日の出を見た帰り、あちこちの家では松飾りやしめ縄などのほか国旗も出している家はごくわずかとなり、日中になっても子供の声が聞こえる家もないに等しい存在になった。

爺婆二人暮らしの我が家に至っては一日の雑煮、二日の汁粉などは神棚仏壇にあげたものの、燈明は大晦日にあげたまま忘れてしまい、初参りもいまだに行っていない。

時代の流れといえばその通りなのだが、、、、、、、

 

 

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2022年1月 6日 (木)

意外と小心者

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朝の九時過ぎになって雨が降り出した。

気温はそんなに低くはないと思ったが空一面の雲は体感温度をより低く感じさせるようで肌寒いのはそのせいと思っていた。

しかし、いつもに比べて降る雨の様子がおかしいと思ってみると雪交じりの雨、氷雨とまではいかないが時おり横に流れるものが混じっていた。

しかしその雨も本格的に降りだすとかなり激しい雨になった。

テレビの報道では、関東地方には雪が積もりだしたとか静岡でも中心街で雪が舞っていた様子が映し出されていたが、郊外の我が家近辺はその気配はなかった。

 

暮れに映した心臓のCT解析を聞きに県立総合病院へ行ってきた。

きっかけになった胸の痛みは消え、レントゲン、エコーにも異常が見られなかったのでCTの方も大丈夫という確信みたいなものがあったが、それでも内心心配だったのか受付時に計った血圧の上が160㎜台で下が80㎜台という異常をきたしていた。

最初に計ったのが145㎜台だったので「高めが出ているけど、、、」と思ったが、そのまま受付に出したところ、「もう一度計ってみてください」と言われた時から上がってしまったようで、何度やっても同じような数字しか出てこない。

”心臓に毛が生えている”と自負していたのにこんな結果が出るとは案外小心者だったなと思うことしきり。

で、診察室に入ってCTの画像の拡大したわが心臓にお目にかかったのだが、結果的には二股に分かれた心臓に張り付く血管にごくごく小さな白い点があるだけで他には何の異常もないことで、いたって健康という診断を受けた。

白い点は、石灰の塊ではないかということだったが、全然問題のない大きさで血管は普通より大きく柔軟性があると褒められたため、うれしくなってつい「毛が生えてませんネ」なんて駄洒落を飛ばしてしまった。(ひんしゅく)

 

 

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2022年1月 4日 (火)

無念である

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収穫をあと一か月ほど後にしたハッサクに太陽の光がさんさんと降り注ぎ黄金色の実をより鮮やかな色に染めている。

そんななか、今年のカラスはたちが悪い。

初日の出を見る途中に立ち寄った畑のハッサクの下に無数の八朔が穴をあけただけでほったらかしになっていた。

きれいに食べてくれるなら、少々は仕方ないと思うのだが、、、、、、、、

現場を押さえたわけではないがこんな仕業はカラス以外にはないだろう。

畑に向かう途中無数のカラスが飛び回っていただけに、状況証拠としてはカラスの色同様黒と言ってもまちがいないとおもう。

正月以来ほとんど家にいたため運動不足解消もかねて今日はハッサクの木の周りに水糸とキュウリの手になる網を張ることにした。

昨年の秋、食べごろになった干し柿も盗られているだけに、カラスの死骸を吊り下げるなど厳罰に処したいところだけど、最近の法律では動物虐待などと言われかねないのでこの程度の自衛策しか取りえないのが無念である。

 

新型コロナウイルス、オミクロン株の侵入を少しでも遅らせようと検強化で頑張ってきたが、全国あちこちで市中感染がはじまり、感染者が増えてきた。

その原因の一つがアメリカの基地という大きな抜け穴がふさげなかったことにある。

基地内に直接入るアメリカ人に何の手出しも出せない日本国、その基地で働く従業員や基地から抜け出る軍関係者を通じて基地のある沖縄や岩国、横田などが侵入口になっている。

お願いするだけしか手の打ちようのない政府、、、、、、、

まことに無念である。

 

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2022年1月 1日 (土)

静々と

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今年も初日の出を拝むことができた。

七時五分 いつものようにしずしずと日本平の肩のあたりから登ってきた太陽は普段の太陽とは変わらないはずだが、冷たい風に身を引き締めているせいかいつもとは違うように感じられる。

少し前までは、小高い山の尾根筋のこの場所は10人ほどのご同輩がいて、酒やビール焼酎とそれぞれが持参したもので日の出を待っていたものだったが、一人欠け二人欠けして昨年から自分一人になってしまった。

もうあの頃に戻すよしがもないことだが、山の草はぼうぼうと生い茂り、時の流れの非情さを否応なしに感じさせてくれる。

 

帰ってからしばらくして年賀状が配達されてきた。

出す分が減っただけに、配達された年賀状も薄っぺらなものになったが、今年もこれで牙城のあいさつを辞退するという内容の葉書が四枚もあった。

故郷にいた時代の友達ばかり、いずれはこういう事態になるとは思っていたが、それでもどちらかが亡くなるまで賀状のやり取りだけはして欲しかったのにと思う。

「老兵は死なず ただ消え去るのみ」とダグラス マッカーサーはアメリカ議会で演説したそうだが、友達の賀状辞退はただ面倒くさくなったからとは思いたくない。

 

なんとしても、新型コロナがインフルエンザ並みになり自由に出歩けるようになれば、また人の心も変わってくるのではないか、、、、、、

そして、また顔を合わせることがあれば賀状の交換も復帰するのではなかと淡い期待を元日に祈願するばかり。

 

 

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